本の読める店

読書日記(154)

Entry diary154

9月14日(土) 

マキノさんの日でオムレツのサンドイッチを朝というか開店前に食べてから店を開けた、やれることは任せながら、やれることがどんどん増えてきたのでたいてい見守ったり目を離したりしながら僕が店の仕事のいろいろなところで獲得してきた合理性というのは不合理性を経てのものだったことをもっとちゃんと認識したほうがいい、と強く思って、ずっと不便ででも不便さに思いも至らぬまま長いことやっていた動きがあるときに「あ」となって解決されて合理的な行動が獲得される、それは内発的なものであって発見であって「これはこうやったほうがやりやすいからこうやって」と言ってしまうと単に覚えるべき知識になってしまう、一から覚えているところという覚えるべき知識がいろいろとある段階で発動するものではそれは少なくともなくて不便そうにやっていることは横目で見るくらいにしておかないと習得者を追い詰めるだけになるのかもしれない、そういうことを思った。いくらでも改善できるところはどうやらありそうだった。たとえばうつわの数を増やすだけでも余計な思考コストを与えなくて済むようになるし水のグラスの数だってそうだった、レシピもいくらでも余地があるだろう。ちょっとね、簡単に言うけどね、それね、頻度少ないそんなことにそんな気をつけるポイント言われても頭に馴染んでこないですよそれ、と、そういうふうに感じることがあったらフィードバックをしてほしいとマキノさんにリクエストをした。

無数の。

無数の「いろいろな経緯があってこうなっていったが直観的には全然どうしてそうなっているのかわからない」レシピがあって、無数は言いすぎだったが、あって、コーヒーは豆20グラムで200ミリという量に着地させる、ドリンクの基本的な量はどれも200ミリで、なのだが、カフェオレは豆が18グラムでそれで125ミリで、牛乳が105ミリ、合計230ミリでこれはたぶんカフェオレで使いがちなマグカップのサイズになんとなく寄せていったらそうなったというそういうレシピで20で200を覚える人間にとって一番いいのは20で100で100というそういうもののはずで、

と打ってから、メニュー表を取り出して、こうなったらずいぶんシンプルだよな、実はこれでもおいしいんじゃないか、という数字を書き入れていった、そうなったらよかった、あとはつくって飲んでを繰り返すだけだった。何らかの形で、前に進んでいかないとな、と思った、仕事はもう疲れたので『愛と人生』を開いた。

止まった風景も、ずっと見ていれば次第に動き出す。壁の染みや畳の目が伸びたり広がったり波打ったり、はじめとは全然別様に見えてくる。一方目の前を絶えず流れていく窓からの眺めは、反対にずっと眺めていると動かないひとつの大きな絵を眺めているような気がしてくる。とかいうのは全部嘘で、そんなことは考えないで、何か考えたとしても考えたことはみんな嘘っぽくて、もっとぼーっと何にもならないようにむしろ注意しながら、見たものが何にも行き着かないように、見る。目の前に場所があり景色があれば、自分の存在なんかよりもずっとその場所場所の方が確実なものであることは、明らかだったけど、それだって嘘か、何かの間違いかもしれなかった。 滝口悠生『愛と人生』(講談社)p.59,60

今日はひどい暇な土曜日で、もう9月は本当にもうこれはしょうがない、自業自得ということにしよう、暇なら暇でいいし忙しいなら忙しいでいいし、どちらにしてもぼんやりと悲しい気持ちでいないことが肝要だった、この今の無気力を脱するのは難しいように思われた、なので、それがだから一歩だ、掃除をしていた、シンクをきれいに磨いて、ピカピカと光らせた、それから、閉店の準備も終えて、あとはただ読書、と思って、また読書を続けていた、「私、粗末にしてしまったのね! 大事な人生なのに」という、秋吉久美子の言葉があった。そのあと伊豆にいたり、島にいたりした、島を、滝口悠生は島を、すでに書いていたんだな、と思った。海を見ていた。

見飽きるほどに海を見て帰れ、との女将の言葉は、浜に座ってぼーっと海を眺めていると、なるほど至言と思えた。打ち寄せては引いていく波の満ち引きは、ずっと眺めていると今という時間を次第に揺るがしていく。つまりはその満ち引きを私たちは結局自分の人生であるかのように見はじめ、聴きはじめてしまい、となるとそのひとつの波の打ち寄せが人生であるようにも思えるのだったし、引いていく波こそが人生であるようにも思えたしその無限の繰り返しが人生そのものであるようにも思えたし、同じ繰り返しのようでいて二度と同じ波はないのだというそれが人生であるようにも思え、しかし人生は人生であって波ではないのだということに気づくのだった。人生とは何であるか、と意味を与えるものではなく、ただいろいろなどれも人生であるかのような、しかし人生ではない紛れもない波の、寄せては返すさまをただ眺めるためには、ある程度の時間、ぼんやり座っていることが必要だった。人生とは波であるなどと言ってもしかたがないが、波を見てまず人生を思わぬことも、私には難しい気がした。 同前 p.113

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この週に読んだり買ったりした本

ティム・インゴルド『ライフ・オブ・ラインズ 線の生態人類学』(筧菜奈子・島村幸忠・宇佐美達朗訳、フィルムアート社) https://amzn.to/2K4drfs

丹道夫『「富士そば」は、なぜアルバイトにボーナスを出すのか』(集英社) https://amzn.to/2ZIpSHr

ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』(小川高義訳、新潮社) https://amzn.to/30YAeRd

磯部涼「令和元年のテロリズム」『新潮 2019年 10月号』(新潮社) https://amzn.to/2A45v9l

滝口悠生『愛と人生』(講談社) https://amzn.to/2UV26n6

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