今日の一冊

2019.07.24
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####チェーホフ『子どもたち・曠野 他十篇』(松下裕訳、岩波書店)
2018年7月24日
やることも、お客さんの姿もなかった、Tシャツを、とそういえば思い出し、Tシャツを畳んでOPP袋に入れる作業をした、それが済み、チェーホフを、とそういえば思い、本棚から取ってきて「学生」を読んだ。
で、今も、寒さに縮かまりながら、学生はリューリクの時代にも、ヨアン雷帝の時代にも、ピョートルの時代にも、これとそっくりの風が吹いていただろうということや、彼らの時代にも、これとそっくりのひどい貧しさや飢えがあっただろうということを考えた。こういう穴だらけの藁屋根や、無知や、憂愁や、こういう周囲の荒地や、暗闇や、重苦しい感じ——こうした恐ろしさはみな、昔もあったし、今もあるし、これからもあるだろう。そしてなお千年たっても、暮らしはよくならないだろう。そう思うと、家へ帰りたくなかった。
チェーホフ『子どもたち・曠野 他十篇』(松下裕訳、岩波書店)p.176
『小説の自由』だったか、他の本だったかで保坂和志が引用していたところもやっぱりすごかった。
こうして今、学生はワシリーサのことを考えていた——彼女が泣き出したところを見ると、あの恐ろしい夜、ペテロに起こったことがみな、彼女になんらかのかかわりがあるのではないだろうか……。
彼は振り返ってみた。淋しい火かげは闇の中で穏やかに瞬いていたが、そのそばにはもう人かげは見えなかった。学生はまたもや思いに耽った。ワシリーサがあんなふうに泣き出し、娘があんなふうにどぎまぎしたところを見ると、たったいま自分が話して聞かせた、千九百年むかしにあったことが、現代の——この二人の女に、そしてたぶん、この荒涼とした村に、彼自身に、すべての人に、なんらかのかかわりがあるのは明らかだった。老婆が泣き出したのは、彼の話しぶりが感動的だったからではなくて、ペテロが彼女に身近なものだったからだろう。彼女がペテロの心に起きたことに身も心も引かれたからだろう。
すると喜びが急に胸に込み上げてきたので、彼は息つくためにしばらく立ち止まったくらいだった。過去は、と彼は考えた、次から次へと流れ出る事件のまぎれもない連鎖によって現在と結ばれている、と。そして彼には、自分はたった今その鎖の両端を見たのだ——一方の端に触れたら、他の端が揺らいだのだ、という気がした。
同前 p.180,181
10ページほどの短編だが、学生が、歩いていて、女二人と出くわして、一席ぶって、歩いていく、というそれだけの短編だが、すごい緊密さというか、すごかった。この短さの中で、どうしてこんなに大きな音を響かせられるのだろう、というような。で、他の短編を読もうかと思ったが、やめて、『桜の園』を今度は取ってきて開いた。人が、びっくりするくらい簡単に寝入っていた。
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