今日の一冊

2019.06.15
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####保坂和志『この人の閾』(新潮社)
2018年6月15日
雨がずっと降っていて、やらないといけないことがいろいろあったような気がするが、なんだか動く気がない、カレーとチーズケーキを仕込みするだけでよかったんだっけ、多分よくないと思うのだけど、いいんだっけ。動く気がない。本棚から保坂和志の『この人の閾』を取ってきて、開いた、すると、最初の数行だけで、なにか気がほっと安らぐような、落ち着くようなところがあって、いつもそうなる、と思った。これはなんなんだろうか。
そのあとぼーっとインスタを見ていたら、フヅクエの位置情報というのか、フヅクエにチェックインというのか、の投稿を見ていたら、3日前の投稿に、今日は友達とおしゃべりをするから入らないけれど、今度来てみようかな、というようなテキストとともに、店内の写真が何枚かあって、ということは写真だけ撮って帰っていった、という方があったということで、最近そんな方を見た覚えはなかった、ひきちゃんがいた時間にそういうことがあったのかな、と思ったら、写真の奥に僕のジャケットが掛かっているように見えて、あれ、と思って、もう一枚の、ソファの方向を写したものを見ると、本棚の上に『新潮』の日記特集の水色の号、『重力の虹』、それから『わたしたちの家』の冊子というか小さい本、があって、だからたぶん、2月か3月の写真だった。3日前は6月12日だ。なんというか、興味深かった。それにしても、暇だ。十時になった。
「夜は十時ごろには二人とも寝ちゃうから。何しろよく遊ぶ二人でしょ、だから、ダンナが帰ってくるまでにはだいたいそこで一度眠るでしょ。
朝も洗濯物干したあとでお昼まで寝ることもあるし、午後お昼寝することもある——。
ま、でもやっぱり、眠るんだったら午前中より午後の方がだんぜん気持ちいいわね。
横になってるからだのまわりをゆっくり空気と時間が流れてるみたいで、なんかフシギィなノスタルジーに包まれる感じがするの——」
真紀さんは合い間にビールを一口ずつ飲んでいて、ぼくは「不思議なノスタルジー」と繰り返した。 「なんて言うかさあ、ラテン・アメリカの小説なんか読んでると、村じゅうが微睡んでるような描写が出てくるじゃない。
天井で扇風機がカラカラ回ってるような駅の事務室があって、そこに一日一本しかない長距離列車が入ってくるんだけど、降りてくる人はたった一人で、改札には誰もいなくて、事務室からラジオの音が聞こえてくるからその中を覗き込むと駅員がうたた寝してて、ラジオは革命に失敗したテロリストのグループが山に逃げ込んだっていうようなニュースをしゃべってて、駅を出ると物売りのおじいさんが道端の日陰で荷物に寄りかかって熟睡していて、その向こうではバナナ畑の大きな葉っぱがゆっくり風にそよいでいる——っていう、そういう感じ」
保坂和志『この人の閾』(新潮社)p.60,61
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