本の読める店

読書日記(136)

Entry diary136

5月8日(水) 

いつまででも眠っていていいと思いながら寝ていたら起きたら13時過ぎでコーヒーを淹れた、淹れて、ソファにべたっと寝そべりながら先日お客さんからいただいたカールの西日本にしか売っていないというチーズの味の、西日本感が全然ないそういうやつを開けてカールを食べるのなんていつ以来だろうかと感じながらむしゃむしゃと食べながら『キッチンの歴史』を読んでいた、特に予定もなく、つもりと言えば走りに行くことぐらいで、あとは店に味噌汁を食べに行かないといけない、それをどう組み合わせるか、どういう服装、準備で家を出たらそれがひとまとめにこなせるか、そういうケチなことを考えていて店に行くのが億劫だった。たかが味噌汁で、と思って行く気が失せていったし常に、これじゃない、ここじゃない、という追われる感覚がどうしてもある、拭えない、何も定めずに自堕落に本を読む楽しみにしていたはずのこの過ごし方も、この時間も、足りないものに思える。やらないといけないことはある、それをやらずにこうやって過ごしているのは怠けだと責め苛んでくる。

本を、どこかに行って楽しみとして、贅沢なものとして、読む、そういう過ごし方がしたくてそれでどうするか考えて本屋イトマイに行ってみるのはどうだろうと思った。それはいいかもしれないと思った。それが3時くらいだろうか。それからもダラダラと家で腰が上がらなくてだんだんと時間は経っていって4時の時間を見たときに笑うかと思った、すごい、勝手に時間は経っていく、許可した覚えがない、断りなく勝手に経っていく、というような。それでやっと家を出られたのが5時で30分の時間を取りたくて明治神宮前から池袋で乗り換えるのではなくて地下鉄赤塚で乗り換えるその行き方で30分の枠組みを手に入れそこでラジオをすることにした。その30分が手に入れられるという計算もあってのイトマイだったのかもしれなかった。電車が来るまでホームのベンチでまず始めて、それからやってきた各駅停車に乗ったら夕方で帰宅者の増えつつある時間で最初の2駅座れなかったのは計算外だったが地下鉄赤塚までやり、それから下赤塚からときわ台までの10分くらいもやり、それでラジオを終えた、イトマイに行った。
本は今日は買うつもりはなくてでも喫茶の席に行く前にうろうろいくらかは見てデニス・ジョンソンのやつがあればほしかったがなかったから、なかったことにもしかしたらいくらか安堵すらして、買ったらまた読む本が増えてしまうというようなことがあった、いくらか安堵すらして、それから色川武大の『狂人日記』が目に入ってきて少し開いて、なんだか今読みたいような気もしたけれど今読むものは他にいくらもあったからまた今度にしようと思ってだから棚の前にいたのは5分くらいで喫茶のほうに行った、中二階の席が空いていたので靴を脱いで上がっていった、中二階は厚めのカーペットというのか絨毯というのかそういうものが敷かれてちゃぶ台というか低いテーブルがあって背中側には大きな大きな円筒形のクッションがあって体を預けられるようになっていて、中深煎りのコーヒーとバタートーストを注文してそれで『キッチンの歴史』の最後の章に入っていたので読み終えることにして読んでいった、ずっと目を開かされるというか啓かされるというか、そうか、と思うことばかりで前の章か前の前の章の食べるところではカトラリーの話から始まって箸になってそれから手で食べる文化の話になって手で食べる文化では熱々のものに対しての愛着がない、という記述で「そうか!」となったりしてそれから最後の章で著者は「歴史的に有名なキッチンの実物大模型」を折に触れて見るのだけれどもそこにはおかしなことがある、それは「展示品のすべてが当の時代にぴったり当てはまるように作られている」ことなのだが、「ところが、実際のキッチンはそんな風になっていない」。

私たちの暮らすキッチンでは、古いテクノロジーと新しいテクノロジーが重なり合い、共存している。一九四〇年に三〇歳だった主婦の両親は一九世紀に生まれたはずだ。祖父母はヴィクトリア時代の最盛期に人生を送り、フォークを使って火格子の上でパンを炙っていただろう。こうした前の世代の生活の痕跡はその主婦の台所に本当に残っていなかったのだろうか。サラマンダーも? おばあちゃんの鋳鉄製平鍋も? キッチンでは古いものと新しいものが仲良く並んでいる。昔の大邸宅の厨房では、新しい料理道具を取り入れても必ずしも古いものを押しのけはしなかった。次の道具を一番上に据えても、その下地となる元々の調理方法をかすかになぞっていた。まるで元の字句を消して書き重ねる羊皮紙のように。 ビー・ウィルソン『キッチンの歴史 料理道具が変えた人類の食文化』(真田由美子訳、河出書房新社)p.332

当然のことだけれども言われてみなければ考えることもなかったというようなことはいくらでもあって調理道具の持つ時間軸の多様さみたいなものはまったく膝を打ったというか紀元前みたいなときから使われているのとほとんど同じテクノロジーもたしかにあれば(すり鉢とか)、ここ数十年に現れたか定着したかした道具も同じようにある、ハンドブレンダーとか。その感じはちょっとこの本に通底しているというかこの本の読書に通底しているロマンというか「時間、すごい」みたいな感覚とまったく通じてそれがキッチンにいるだけで味わえるものだったとずっと読んでいたが気づきもしなかったことを教えられ「そうか」と思ったが、僕は「鋳鉄」をずっと「いてつ」と読んでいて「ちゅうてつ」というふうには読めなかった、「金 寿 漢字」で調べないと「ちゅう」なんて思いもよらなかった、恥ずかしい、と思ったら「鋳型」は「いがた」で「鋳」は「い」でもあり「ちゅう」でもある、だから「いてつ」と読み続けてきてしまったことはもしかしたら仕方のないことなのかもしれない、「ちゅうてつ」、これからすんなり読めるようになるだろうか。

それで読み終わってトーストはオプションであんこのやつとピーナツときなこのペーストといちごジャムが付いてパンを食べ終えてもそれらがたくさん残ったからもう一枚追加しようかと思いながらグズグズしながらペロペロとそのオプション物だけを舐めていったらなくなって、それで浅煎りのコーヒーとチーズケーキを追加することにした。店内はだいたいが一人のお客さんでなんというか、町に、この場所ができた、ということであたらしい過ごし方というかQOLが上がった人たちがもうすでにいくらもいるのだろう、そしてこれからたくさんの時間を過ごしていくのだろう、そう思うと感動するところがあった。ひとつ店ができることで変わる人生や暮らしがある。それは確実にある。
それで追加のものを待ちながらというか、次は何を読もう、と思って机には『瓦礫の中』と庄野潤三と『ダブリンの人びと』とあってそれから友田とんの『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する』があって東京の町を闊歩したい気になり開いた。
これも『『百年の孤独』を代わりに読む』と同じように書かれつつあることを巡って書かれていていかに書かれつつあることが書かれない状態の中にとどまってぐるぐるとさまよえるかに懸けられているようなその様子がこれもとてもよくて、「こうした成し遂げられないことの繰り返しの中に、成し遂げられないことの繰り返しという一つの達成や、充足を感じること」というフレーズにハッとするものがあった。しかしもっとハッとしたのは「Sous-vide」という言葉が出てきたときでこれは真空調理法みたいな意味らしいのだけどついさっき『キッチンの歴史』で見かけたばかりで、それまでの人生で触れたことのなかった知ったばかりの言葉、をその直後にまったく無関係の場所で、ほとんど大した重要性もないような記述の中で見かけるということは面白いもので昨日も同じことがあって遊ちゃんが日々書いて送ってくれる日記の中でイングリッシュマフィンを食べたというのがあってイングリッシュマフィンなんて久しぶりにその字面見たなと思った矢先に『天才たちの日課』でウディ・アレンがその語を発していた。考え事をするにはシャワーがリラックスできていい、みたいな話でそのために着ている服を脱いでイングリッシュマフィンでも作るか食べるかしながら過ごすことで寒くなっていってそれでシャワーを浴びるんだ、みたいなほとんどナンセンスな行動が言われていた。そういうことがもうひとつあった気がしたが忘れた。
それでコーヒーとチーズケーキが来て食べたり飲んだりしていたらたちまち読み終えてしまって次回作が楽しみというか続きが楽しみというかもっと読みたかった。やり損ねることの感動みたいなこの感じというのはなんなんだろうか。まだ歩きださない。
だから東京の町を闊歩したのかしそこねたのか、それでは次はどこに、というところだった、ダブリンか、あるいは、と思って瓦礫になった東京の町を闊歩することにしようというところで吉田健一を開いた。それは素敵な順番のように思った。友田とんが歩く現代の東京、吉田健一の描く戦後の東京、僕の暮らす東京、そうやって何重写しにもなった東京、なぜかパリのガイドブックもそこにひとつのレイヤーとして挟み込まれている混乱した東京。

ここで人間を出さなければならなくなる。どういう人間が出て来るかは話次第であるが、先に名前を幾つか考えて置くことにしてこれを寅三、まり子、伝右衛門、六郎に杉江ということで行く。まだその名前の人物が出て来る、であるよりも寧ろ出来ている訳ではなくてただ名前の方が何となく頭に浮んだに過ぎない。これから誰か出て来る毎にこれにその名前のどれかを付けて、名前が多過ぎるか足りなくなるかすればもっと名前を考えるか、或は話の筋を変えるまでである。バルザックはパリの町を歩いていてZ. Marcas と書いた看板を見付け、これだ、これだという訳でやっと何とかいう小説の人物が揃ったそうで、そういう手間を掛けるよりも名前の方を先に考えて置くのに越したことはない。それもなるべくどこにでもありそうな名前がいいので、例えば万里小路などという名前だとお公卿さんにする義理が生じることになり、I ・W・ハーパーでは外国人にしか付けられない。
或る朝、寅三は防空壕の屋根を潜って外に出て廻りの焼け野原の風景を見渡した。寅三という名前で思い出したのか、又新たな考えが浮んだのか、これは櫟田(くぬきだ)という苗字で戦争が終るまではびくびくしながら敵性とか呼ばれた英語を教える中学校の先生だった。併しそのようなことは現にその住居である防空壕から這い出て朝日が焼け野原を満しているのを眺めている寅三と直接には大して関係がない。所謂、小説ではどういうことになるのか知らないが、こういう場合に人間の頭を掠めるのは国破山河在でもなければ家が一軒欲しいでもない。寅三が住む防空壕は当時はまだ東京の牛込区でその頃はまだ外濠が見降せた高台にあって、廻りは焼け野原でも外濠の向う側の土手には松の並木が緑色に光り、その大体の所は反対の方角の地平線に箱根連山の上に富士が浮び上っていた。今日では考えられないことであるが事実はそうなのだから仕方がない。
そういういい朝だったのである。 吉田健一『瓦礫の中』(中央公論社)p.9,10

うっとりして引用する手を止められなくなる。なんなんだこれは。なんていう美しさと闊達さと自在さなんだろう、と思う。あと明るさと。
楽しく嬉しく読んでいく。のびのびとしたゆるやかな焼け野原の中での暮らしが書かれていく。豪奢な防空壕に住む戦争で財を成したが終戦で全部なくして昨日だか先日だかに泥棒が入って餃子を盗まれたその伝右衛門さんの家に寅三が向かうと防空壕の入り口のところに座っている。というところで第一話というか次を開いたら「二」とあったので「一」が終わって、時間は9時で、帰ることにした、鈴木さんと帰り際に少し話して、帰った。けっきょく3時間いたことになりたくさん読書をしていたということなのだろう、全然まだまだ読み足りないという感じで電車で続きを読んでいた、伝右衛門さんの家でぶどう酒を飲んでから帰ると帰る途中というか着く直前に石に座って煙草を吸っていると妻のまり子が防空壕の入り口からひょっと現れて、二人は手を振る。という場面が描かれていて静かで美しかった。それから新橋の闇市に電車に乗って行く。電車で違和を感じる。翌日、伝右衛門さんを招いてご馳走をする。礼にというので伝右衛門さんは香合をくれる。「その香合を伝右衛門さんは出掛ける前に磨いて来て、ちゃぶ台に置くと部屋の感じが変った。」というこの一文が風として吹く。「金沢」の朱の色の底にある盃かなにかもそうだったけれど小さなものが全体を変容させるようなそういう瞬間が吉田健一の小説にはあるのかもしれなくて香合が置かれた瞬間に香合を中心にしてふっと、波紋が広がる、それで全部が変わる、というような感じがある。波紋の外がこれまでで内側が変容後で、さっと塗り替わる。つまりごくごく短い時間ではあれ変容前と変容後のふたつの空間が同時に存在する時間があるようなそういう変化の感触がある。

トーストとチーズケーキでお腹が妙に膨れた感じがあって遊ちゃんを誘ってどこかでビールでもと思ったし実際誘ったがお腹がいっぱいで、と同時に温かい汁っ気のあるものが食べたくて、それはうどんだった、だからどこかでビールというのはやめにしてスーパーで豚肉と長ネギとめんつゆとビールを買って帰った、すぐにうどんを作り始めた、机に置かれた薄い緑色の河出書房新社の刊行案内は2014年1月のもので『キッチンの歴史』のもので、ふと広げて見ると『父、吉田健一』という娘によって書かれたという本があってここでも関係ないはずのものが響き合った。遊ちゃんは眠ってしまった。おしゃべりしたかった。うどんを食べながらおいしいと思うと同時に悲しいような気に満たされて、それから日記を書いている。書き終えた。

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この週に読んだり買ったりした本

メイソン・カリー『天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』(金原瑞人・石田文子訳、フィルムアート社)https://amzn.to/2UfAOG5

ビー・ウィルソン『キッチンの歴史 料理道具が変えた人類の食文化』(真田由美子訳、河出書房新社)https://amzn.to/2Ue7akr

友田とん『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する』(代わりに読む人)

吉田健一『瓦礫の中』(中央公論社)https://amzn.to/2Ha9LIL

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