本の読める店

今日の一冊

Entry 0515

吉田健一『瓦礫の中』(中央公論社)

『金沢・酒宴』を読み終えた晩に「次の」と思い著作一覧みたいなものを調べてそれでこれをポチリと買ったがすぐに読むつもりはなくて買って届いたままそのままにしていたがある晩に「でも今日読むつもりはないぞ」と思いながらもなんとなしにペラっとすると書き出しが目に入ってそこに「こういう題を選んだのは」とあり絶句してまた破顔した。小説の始まりがタイトルの説明とは、というような。
それでそれからいくらか経ってさて読むぞと読み始めてすぐのところではこんなふうになった。

ここで人間を出さなければならなくなる。どういう人間が出て来るかは話次第であるが、先に名前を幾つか考えて置くことにしてこれを寅三、まり子、伝右衛門、六郎に杉江ということで行く。まだその名前の人物が出て来る、であるよりも寧ろ出来ている訳ではなくてただ名前の方が何となく頭に浮んだに過ぎない。これから誰か出て来る毎にこれにその名前のどれかを付けて、名前が多過ぎるか足りなくなるかすればもっと名前を考えるか、或は話の筋を変えるまでである。バルザックはパリの町を歩いていてZ. Marcas と書いた看板を見付け、これだ、これだという訳でやっと何とかいう小説の人物が揃ったそうで、そういう手間を掛けるよりも名前の方を先に考えて置くのに越したことはない。それもなるべくどこにでもありそうな名前がいいので、例えば万里小路などという名前だとお公卿さんにする義理が生じることになり、I ・W・ハーパーでは外国人にしか付けられない。
或る朝、寅三は防空壕の屋根を潜って外に出て廻りの焼け野原の風景を見渡した。寅三という名前で思い出したのか、又新たな考えが浮んだのか、これは櫟田(くぬきだ)という苗字で戦争が終るまではびくびくしながら敵性とか呼ばれた英語を教える中学校の先生だった。併しそのようなことは現にその住居である防空壕から這い出て朝日が焼け野原を満しているのを眺めている寅三と直接には大して関係がない。所謂、小説ではどういうことになるのか知らないが、こういう場合に人間の頭を掠めるのは国破山河在でもなければ家が一軒欲しいでもない。寅三が住む防空壕は当時はまだ東京の牛込区でその頃はまだ外濠が見降せた高台にあって、廻りは焼け野原でも外濠の向う側の土手には松の並木が緑色に光り、その大体の所は反対の方角の地平線に箱根連山の上に富士が浮び上っていた。今日では考えられないことであるが事実はそうなのだから仕方がない。
そういういい朝だったのである。 吉田健一『瓦礫の中』(中央公論社)p.9,10

こんな登場人物のつくりかたというのか出し方は始めて見て絶句してまた破顔し、破顔しながらもうっとりうっとりと引き込まれるそれはどこで引き込まれるかといえば改段したところでああだこうだと言っていたかと思ったら「或る朝」と突然時間が流れ出してそれからまたいくらかああだこうだと言っていたかと覆っていたら「そういういい朝だったのである」とそう来る。そういういい朝だったのである。この端的さこの清々しさ。そういう面白い嬉しい気分で読み出した小説はしかし極端に面白くて戦後の焼け野原の防空壕の中で暮らす夫婦の伸びやかな明るい暮らしがあり近所の金持ち防空壕住みとの交流があり駐軍するアメリカ兵との交流があり仕事をそこからもらい闇市で酒を買い次第に周囲に家が建ち始めて防空壕暮らしもいつまでするかという気になりという見せられる全部が僕はまるで知ったことのないシチュエーションでそういうシチュエーションで人はというか少なくとも吉田健一はというか吉田健一の描く人物はこう思うというそう思うの全部が新鮮で極端にずっと面白くてそうやって読んでいる。

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