読書日記(131)

2019.04.14
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メールマガジン「読書日記/フヅクエラジオ」 | fuzkue
##4月6日(土)  朝から変に悄然としていて力が出ないような、出力、出力が弱いようなそういう感じがあって頼りない。さまざまのことが特に価値がないように感じて
空前の暇
『塩を食う女たち』を読んでいて面白くてでも読むことに飽きた。この状況で読むことに飽きた。 休憩しながらツイッターを開いたら暗くなるツイートがいくつか立て続けに目に入って「嫌だな」と思ったが直後に猫の動画が目に入ってずっと見ていたかった。そういうやつを何個か見た。
鷹揚に生きたい暮らしたい
夕方、山口くんがやってきて、今日はピクルスチャレンジの日にしようと思ってマニュアルを整えた。外で今日の伝言等を話しながら、ここまで暇だともうどうしていいかわからないね、暇なのは面白くないよね、ドトーリングしてくるわ、と言った、中に戻ると山口くんはピクルスをやり始めて、お会計の方があったので僕が会計をして、片付けながら、鷹揚な気分で暮らしたいなと思った、忙しいとか暇とかそういうことで浮かれたり疲れたり憂いたり倦んだりせずに、鷹揚な気持ちで生きたい、と思って頭上の本棚をふと見ると保坂和志コーナーで『プレーンソング』を抜いた。読もうか。
しかしもっと読みたい本もあった。『塩を食う女たち』がもうすぐ読み終わってしまいそうで、閉店まであといったい何時間あるんだ、と考えると、これでは足りない。あとは『ガルヴェイアスの犬』があった。今朝出る時に、ふと本を持っていこうかと思ったが、いやいや、土曜日、そんなたくさん本を欲するような状況にはさすがに、と思ってやめていたが、そんな状況になってしまった、持ってくればよかった。吉田健一。庄野潤三。持ってくればよかった。と思って、ふーむ、と思って、それで「忙しくなったら連絡ちょうだいね」といつもどおりに伝えて出て、自転車を担いで下りた。つまり家にいったん帰ろうという算段だった。帰宅して、それで本をピックアップしてくる、というそういう。
それで家に着くと建物の中に入ると扉が閉まる音がして誰かがいた、お隣さんだろうかと思ったら遊ちゃんで、あら、というところだった。暇すぎる。と言った。じゃあ一緒に出よう、となって遊ちゃんもいったん戻って、それで僕は文庫本を二冊、リュックに入れた。
鷹揚な気分で暮らしたいとさっき考えていた、と言ったら遊ちゃんもちょうど今日そう思っていたらしくて、遊ちゃんは今イライラの沸点が低くなっていて、そうなることに慣れてはいけないな、と思ったらしい。そうだよねえ、慣れちゃいけない、たしかに、そうだ、と思った。外に出るのが惜しいような気になったのか、5センチずつみたいなチマチマした歩き方で廊下を進んだ。遊ちゃんが後ろからついてきた。
ドトーリング。喫煙室に入って煙草を一本吸って、席に戻ってコーヒーを口に含んだ。そうしたら「あ、コーヒー、おいしい」という感覚がやってきて、ドトールのコーヒーにそう思ったことは今までなかった、俺のなにか、どうかしたかな、と思った。イ・ランを聞いた。
それで「「本の読める店」のつくりかた」の原稿をひとつ書くというか前にあったものがわりとそのまま使える感じがしたので整えて、アップして、向かいの席の人がひたすら貧乏ゆすりをしながらストローでズーズー執拗に吸い続ける人で、ズーズー、置いて、すぐ取って、ズーズー、というそういう人だった。見渡すと、本を読んでいる人が見えた。その人を見た瞬間に、フヅクエはあの人に選んでもらうことができなかったということなんだよな、と思った。声を掛けたい。あの、こういう店をやっている者なんですが、今度よかったら来てみて下さい、きっといい読書時間を過ごせると、思うんで。と声を掛けたいと思った。
どんどん虚しさが募っていった。本当であれば週末で、店を離れるなんて思いもよらなくて、というはずが、暇で、ドトールで、ぼけーっと、本を読んでいる。それでいいじゃないかと思うのだけど、こうあるはずではなかった時間、という感じが強すぎて、ついていけない。
それでも本は、『塩を食う女たち』はよくて、終わりになった。読んでいて、いくつかの話を聞きながら、生きていることそれ自体が恐怖をともなうという状態について想像していた。町を歩いているだけで、石を投げられうる、リンチをされうる、警官に撃たれうる、その恐怖を持たないといけない暮らしというものはいったいどれだけきついものなのか、想像していた。今までにない解像度というか切迫感みたいなもので想像していたかもしれない。昨日の夜、風呂から上がると遊ちゃんがゴミ捨てに行くところで、僕は忘れていて、そうだそうだ、俺捨ててくるよ、と言ったが「その格好で」というところで僕はまだパンツ一丁だった。それもそうだと思ってよろしくお願いして、それで驚かせようというか笑わせようと思って遊ちゃんが出てすぐに僕も出て、踊り場のところでパンツ一丁で「えっへん」みたいな姿勢で立って待っていた。そうしたら階段を上がってきた遊ちゃんがびくっとして止まって、それから僕だと気づいて、ほんとやめて、と怒られて、部屋に戻ってからこういうことは本当にやめてね、と改めて怒られた。謝った。そのときは、もうやらない、と思っただけで今日『塩を食う女たち』を読んでいて思ったのだったか、そのときにももう思っていたか、そうか、これが、女性として生きるということの恐怖というか女性として生きるということにデフォルトでついてくる恐怖ということか、と、今まで以上にリアリティを持って知った気がした。
ドトールの閉店の時間になり、店に戻る。山口くんに休憩に行ってもらい、戻ってくると、カフェオレをつくって、カウンターの端っこの席に座った、座って、しばらくのあいだ紙に文字を書いていた。考え事だった。鷹揚に暮らすためには。というたぐいの。そのあと吉田健一を開いた。書き出しからして素晴らしいというかあまりに好きだった。
これは加賀の金沢である。尤もそれがこの話の舞台になると決める必要もないので、ただ何となく思いがこの町を廻って展開することになるようなので初めにそのことを断って置かなければならない。併しそれで兼六公園とか誰と誰の出身地とかいうことを考えることもなくて町を流れている犀川と浅野川の二つの川、それに挟まれていて又二つの谷間に分けられてもいるこの町という一つの丘陵地帯、又それを縫っている無数の路次というものが想像出来ればそれでことは足りる。これは昔風でも所謂、現代的でもなくてただ人間がそこに住んで来たから今も人間が住んでいる建物が並ぶ場所でそれ故に他の方々のそうした場所を思わせることからそっちに話が飛ぶことがあるかも知れない。そのことを一々言う必要もなさそうなのはどこへ飛んで行こうと話は結局はこの町に戻って来る筈だからであるのみならず或る町にいることで人間が実際にそこにいる間中そこに縛り付けられているとは限らない。我々がヘブリデス諸島を見るのは他所に寝ていての夢の中である。 吉田健一『金沢・酒宴』(講談社)p.9,10
読んでいたら、すっと入っていくようで、静かで、フヅクエで本を読むのはいいなあと思った。これはぜひともこういう時間を増やしたいなと思ったら、今日が凄惨に暇な日だったことは頭の奥の方というか頭の外に流れて消えて、ただ読書のいい感触だけが残っていくようなところがあってそれはありがたいことだった。チーズケーキが焼けたようでいい香りがここまでやってきた。金沢で借りた家で庭を見ながら酒を飲んでいる。吉田健一の文章を読んでいると日本酒がとても飲みたくなる。
月夜というのは静かなものである。それで遠くの川の音も聞える気がするので、又それは逆に虫が鳴くのを消しもしてその鳴くのは空に届きもしなければ遠景にも及ばず、それで月の反射が弱りもしないからやがては虫の音もその反対の一部に思われて来る。内山は酒にでなくてそれだけの光の氾濫に酔った。確かに光も一種の流れであり波であってその中に足を踏み入れれば足がその色に染まるのはそれに洗われるのである。例えば川の流れに立てば足は洗われて水は絶えず流れ去って行く。内山はそういう流れをそこの庭に、又対岸の森に区切られた地平線までの空間に見てその中に足を入れるまでもなかった。何故それだけの花が一度に咲いたのか、その冴えた響がどこから聞えて来るのか、それは轟くようでもあり、そして絶えず流れてもいてそれ程静かな流れの音を内山は聞いたことがなかった。その為に内山は再び自分がそこの空間を満すのを感じた。 同前 p.22,23
静かな月の夜に光でトランスしているちょっと見たことのない描写が続いて突如凄みみたいなものが立ち現れたようだった。うれしくなって、閉店して、山口くんと夕飯を食べて、お疲れ様ですと言って、それで一日がおしまいになった。今まで自分のためだけに店をやってきた。自分のためと、本の読める店を欲望してくれる人のためか。でも、それじゃだめだというか、次の段階に進まないといけないよなと今日、考え事をしながら思った。働いてくれる人たちの幸せを僕はもっと考えないといけないよなと今日、思った。どれだけやれるのだろうか。それを薄ら寒い底のような日に思っている。夢物語でしかないだろうか。しかしどれが夢か。
どれが夢か。
結局一日、猫の動画を見まくった。そういう日だった。
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