本の読める店

今日の一冊

Entry 408

藤本和子『塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性』(岩波書店)

そういえば、と思って買って読み始めたらパンチラインだらけでページを折る手が止まらなくてたとえば、

苦難の中に人間らしさを失わずに生きのびるには、持続する意志がなければならない。 p.13

 

やがてフェリーに乗る場所まで行ったのだけど、そこではそういう女たちが休息をとっていてね。あたしはその中の一人に、半ば冗談で、あたしも薪束を頭にのせてみたい、といったの。やってごらんなさい、というから、地面に置いてある束を持ち上げようとしたのだけれど、びくともしない。頭にのせるどころではないわけ。そこでそこにいた白人の男性に持ち上げるのだけやってもらって頭にのせてみよう、と思った。体重九十キロ、身長百九十センチの巨漢よ。彼はやってみたけど、やはり持ち上げることができなかった。あたしはそこら中の人たちに、「この薪束を持ち上げてください」と頼んでまわった。誰にもできなかった。あたしは、きっとこの女は特別に重い束を担いでいるのだ、きっと彼女は例外なのだと考えてしまうことにしたの、八キロの道をこれを頭にのせて歩くなんて、きっと例外なのだと考えてしまうことにしたの。
でもゴレ島に戻ったとき、あたしは突然すべてを理解した。そう、そうだったのだ、だからこそ、あたしたちは生きのびたのだ、と。彼らは特別にすぐれているのだ。あの無惨な大西洋の連行の航海を生きのび、二百年の奴隷の時代を生きのび、それからまたその後の百年を生きのびたのだから。それなら、あたしもきっとすぐれているのだ。個人としても、と思った。 p.38,39

 

きっとね、アフリカへ行くまでのあたしは、その力を無意識に使っていたのね。何か怖ろしいことを見てしまったりした時には。それはきっとアドレナリンみたいなものね。一定の状況の下で、作用しはじめる力というものがあるのだから。神があたしたちをそういう者として創ったのだと、あたしは思う。あたしはだから大学へも行けた。息子のコリーを見ていると、子どもの頃のあたしを思い出すの。あのアフリカの女の中に、あたしはあたしたちの民族の力を、接続点を見たのね。それまでは、それを運だとか偶然だとか考えていたわけだけれど、その女の中に力を認めると、自分の中にあるのもそのような力だと、初めてそれを信用することができるようになったのね。民族の中に生きのびた力。それは死滅したりはしなかった。劣等であると、教えられてきた民族の力。教育や法律や差別は、この人種は劣等であると、間接的に教え込んできた。あの瞬間は人びとがあたしに信じ込ませようとしてきたことすべてを吹き飛ばしてしまった! p.42,43

 

ある暑い夏の日のことだった。サード・ストリートを車で走っていてね。黒人のゲットーよ。接続点がここにある、って思った。でも何をすればいいのか? 修士号まで取って白人の社会で成功したあたしは、一体このサード・ストリートでは何ができるのか? だから「モット財団」は辞めた。そこからどこへ移って何をするのか、見当もついていなかった。あたしは神にいったのよ、「死ぬはずだったあたしを死なせないでおくことにしたのはあんただから、あんたがきめなさい!」一九七七年のこと。アフリカへ旅したのはその年だった。 p.53

 

——子どもは超越的な存在からほんのいっときだけ預からせて貰っているという気がしない? p.58

といったあたりを折ってそこからも祈って折って折りながら読んでいる。

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