読書日記(123)

2019.02.17
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##2月5日(火)  ツイッターで見かけた柳宗悦の直観についての文章を読んでそれがとてもよくて「常に「知」るよりも「観」ねばならない」とあった、総じてビシビシよかった、それが昨夜の寝る前で今日は起きたら当然眠かった。
店に行ってコーヒーを飲んでから煮物をさてこしらえるか、と思ったあたりで山口くんが来て今日は山口くんだった、初めて見る上着を着ていたから「初めて見る」と言ったら「久しぶりに着ました」と言った、煮物が済んで開店してとんとんとお客さんがあったので少しだけ手伝って、それでいろいろと伝えて、長丁場だから、できるだけ座っていられるようにがんばってね、本読んだり、本に飽きたら掃除してみたり、なんか仕事探してみたり、そういうふうにがんばってね、なんかあったら連絡ください、等々を伝えて出て、いったん家に帰った、セーターを着忘れていた。
そうしたら遊ちゃんはごぼうのおかずを作っていてつまんだりおしゃべりしたりしてダラダラしていたら出るのが億劫になっていって、しかし出るのだ、と奮い立たせて出て、渋谷の方向に自転車を走らせた、まずは昼飯を食べることにして神山町の通り沿いにある魚屋さんの定食を食べたくてそこに行って札を取って二階に上がって相席だった、僕はハーフ&ハーフの定食にして鮭のハラミのやつとタラかなにかのやつだった、あさりの味噌汁が来て大盛りのご飯が来てそれですぐに魚がやってきた、食べて、ご飯をおかわりして、隣の男性は2度おかわりしていた、向かいの若い男女もどちらもおかわりしていた、みんなモリモリ元気の子、僕はそう歌いながらご飯を食べて、ひじきも食べた、お茶を飲んで大満腹の大満足で出て坂を上がって下がった途中のところの無印良品に行ってベルトを買った。
ベルトが切れたのがこの週末だったか先週末だったかでしばらくベルトなしで暮らしていたのだがベルトがないこと自体はそう問題はなかったがズボンのチャックがやや落ちる、というのが僕のズボンのチャックの現況であり、やや下がっている、やや開いている、そういうことになりがちで、そのとき、ベルトの有無が明暗を分かつ。つまり、ベルトをしていたら上がっているからその分、チャックがやや下がっていてもTシャツに隠れて誰からも見えないのだがベルトをしていないと下がっているからその分、Tシャツに隠れない。だからチャックのやや下がりが表に出る、そういう事態が起きていてこれは改善を要した、そのため、しかし服飾に関する知識が一切ないまま30余年生きてきたため「べ、ベルト……!?」と思い遊ちゃんに昨夜教えを請うたら洋服屋さんのどこでもありそうだし無印とかでもあるんじゃない、ということで調べたらそのとおりで、だから無印に行った、すぐ見つかってすぐ買おうとしたがステーショナリーも同じフロアでボールペンボールペン、僕は無印のなめらかな書き心地のボールペンを愛用していてあれをほしいと思って見ていたら見つからず近くにいたお店の方にリュックから出して「これありますか」と尋ねたら、それからが長かった、何を調べに消えたんだっけな、というのがわからなくなるくらいわりと待って、そのあいだ僕は、自分の持ち物のボールペンを、これを今ポケットとかリュックとかに入れる動きはかなり万引きに似た動きであろうからやめたほうが賢明だよな、お店の方が戻ってきたらお店の方の前で「なるほどなるほど、これはもう作っていないんですね」とか言いながらポケットにしまおう、と思っていたのだが戻ってこないからずっとボールペンを持っていて、変な格好をしながらボールペンとベルトを手に持っていて、そうしたらだんだん肩がいつもどおり気持ち悪くなってきてすぐその場を去りたかったがお店の方がなかなか戻ってこない以上は万引きかもしれないボールペンを持ったままフロアを去ることはよくないことのように思ったしなんせ、勝手に去るのは失礼と思ったのが先にあった、だから待っていて、それで、解決というか、して、買って出た。
なんだか疲れがどっと出てきて、向かいのアップルストアに入ってiPhoneのXRみたいなやつを触ったりした、下取りキャンペーンというものをやっているらしく今使っているものを下取りに出すと僕の6のディスプレイやや割れているやつでも数千円にはなる、とかとのことで、そうか、と思って、それは入り口のところに「下取りキャンペーン」みたいな表示がたしかにあって「iPhoneXRが実質59800円」みたいな表示だったはずで、Appleってこんな金額を出してお得でしょうみたいなそんな売り方ってこれまでもしていたっけな、と思って、どうだったろう、と思った、XRだろうか、きっとこれにするんだろうな、8にしようかなとも思ったが調べてみたら6となんだか見た目はまったく変わらなそうで、それって、せっかく買い換えるなら気分も新しくなるようなやつのほうが、楽しくない!? と、やはり思ってしまって、そうなったら今だったらXRとかなんだろうな、というふうに今、なっているが、どうするだろうか、下取りに出すにはバックアップを済ませていないとだから今日はどのみちしないし今日は買う気はなかった、今日買ったら絶対に一日それに気を取られて終わる、と思っていたからそれはしないと決めていてだから出て丸善ジュンク堂に行った。
うろうろしたが結局トーマス・ベルンハルトの『凍』だけ取ってそれから辞書を探した、先日スズキさんと話していたときに「じゃあ辞書あったら楽しいですね買っときます」となったためで英和辞書、辞典だろうか、どう違うのかわからないが辞書コーナーに行って見慣れない景色でそうか辞書というものは受験生とかが主に買うのかと思いながら考えどれでもよかったが背の見た目の感じで決めたところ三省堂の『ウィズダム』というものになって買って『凍』をフグレンに行って読むことにした、ソファのところがひとつ空いていたのでそこに座ってソファは他の人はグループで韓国語の人だったから聞こえてくるのは韓国語で意味がわからないから音楽で心地いい響きでその中でイヤホンをすることはせずに音楽と韓国語を聞きながら本を読んでいた。寒そうな村に、研修医が到着して、彼に与えられた任務は老画家の様子を観察することだった。陰鬱な村だった。
過剰なくらい医療技術を注ぎ込まれた結果希望がつながり、ついに恢復したと信じられていた患者たちがつぎつぎに意識を失い、いかに人智を尽くしても命を取りとめることはかなわなくなる。塞栓症の発症を促す気候でもある。どこか遠くで謎めいた雲の組み合わせが生じる。犬たちが意味もなく道や中庭を走り回り、人間にも襲いかかる。川が流れの全体から腐臭を放つ。脳髄の形状をしていて頭突きを喰らわすことすらできそうな山々は、昼は見えすぎるほどくっきり見えているのに、夜になると完全にかき消える。見知らぬ者同士が突然四つ辻で話をはじめ、質問しあい、訊かれてもいないことに答える。一瞬みなが肉親のように睦みあい、醜い者と美しい者、向こう見ずな者と弱い者が互いに近づく。時鐘の音が墓地の上に、そして階段状に連なる屋根の上に降りそそぐ。死がたくみに生の中へ紛れこむ。子供たちも急激な衰弱状態におちいる。泣き叫びもせずに旅客列車に身投げする。旅館や滝の近くの駅では男女が関係を持つが長続きせず、友情は結ばれても花開く前に断たれてしまう。隔てのない相手が殺害の意図を疑わせるほどの激しい虐待を加えられ、やがて卑劣な仕方であっさり息の根を止められる。
ヴェングは巨大な氷塊に何百万年もかけてえぐられた窪地の中にある。どの道端もふしだらな行為へと誘っている。 トーマス・ベルンハルト『凍』(池田信雄訳、河出書房新社)p.13,14
着いたばかりの村のことディスりすぎというか村の描写としてなんなんだよこれはwww と思って愉快だった。え、なんの話してんの、というような。
それで、読んでいると、老画家が出てきていろいろ話す、店内ではいつものとおりナイスな音楽が流されていてこのときは女性ボーカルの曲で老画家が「性は、何もかもを滅ぼす。性はその本性からしてすべてを麻痺させる病だ」と言って、音楽がちょうど歌詞が女性の声が「ちんちんちん」と歌ったように聞こえた。さらに
老画家「大多数の人間、否すべての人間と同様、性のみにすがって生きている」
歌「ちんちんちん」
というような。
あ〜、おもしろかったね! と言って、言わなかったが、フグレンを出て、靴屋さんに行った、何度も前を通っていたがまったく存在に気がつかなかった、僕がここのところ靴を一度きれいにしたくて靴をきれいにしてくれるところに行きたい、ミスターミニットみたいなところに行けばいいのかな、と言っていたら今日遊ちゃんが「こんなところに靴屋さんがあった!」と送ってくれたそこに行った、ガラス扉を開けると人がいるのかいないのか、と思ったらおじいさんが座っていて靴を磨いていただくみたいなことってやっていますかと聞いたら明るい声でやりますよということで、そこにあるサンダル履いていて、と言われて、靴を脱いでサンダルを履いた、靴を渡した、おじいさんは両腕に年季の入った袖カバーをしていてそれが目に飛び込んできた。
僕は丸椅子に座って周囲は靴が並んでいたりガラスケースがあってガラスケースは乱雑で上に靴のクリームが置いてあったり発送伝票が何箇所かにあってインソールが積み重ねられたりもしている。像の置物や貝殻、なんなのかわからない置物が並ぶというよりは置かれていて僕はベルンハルトを取り出して開いた、靴屋さんの匂いが立ち込めていてクリーナーを塗った布で靴を磨く音が小気味よく、高く低く音程を変えながら絶えず鳴っていて続きに部屋があるらしく小さく小さくテレビの音が聞こえてくる、ガラスを隔てた外の道路は行き交う車の音、子供の声、電車が通る音が聞こえる。おじいさんはワンフレーズだけ鼻歌を歌うと一度立ち上がってこちらの側に来て何か塗るものを探し当ててまた元の位置に戻って靴磨きを再開して、本の中では食堂に人がひしめき合っている、土木技師が周囲の人間からの尊敬を集めていて皮剥人はどこまでも寡黙だった。
ほどなくして終わり、靴のケアのことなどを教えてもらい、前に立ったおじいさんは背が僕よりはずっと低くて禿げ上がった頭、メガネ、黒いエプロンをしていた。かわいいおじいさんで謝意を伝えて出て家に帰るとソファでベルンハルトの続きを読みながらビールを飲んだらもともと重篤に眠かった眠気がさらに強くなってタオルケットを取ってきてかぶってもう少し読んでいったらそのまま寝ていた。
遊ちゃんが帰ってきた音で目が覚めるが僕の眠気はどこにもいかないで僕のところにはっきりととどまっていて僕は休日が音もなく崩れていくような感覚があって悲しかった、今日はなにも予定を入れないでただただ気の赴くままに過ごそうと思っていたらこれだ。眠く、眠く、なにか僕が言ったら
「似てるねえ」
と遊ちゃんが面白く言って、僕はなんの真似もしたつもりがなかったから「え、なんの真似」と聞くと「ウィニー」と言う、「ハッピーデイズ」の女性だった、
「脈絡がない」
と笑うと机の上の腕に頭を潜りこませながら遊ちゃんは「阿久津くんは脈絡はないよ」と言った。そのとおりだった。
僕が眠い眠いと思いながら何をするでもなくしていると遊ちゃんは何かを作り始めてパウンドケーキだった、前回の反省を活かしていくつかのことを変えて作るということだった、途中で座って、それから笑ったので「どうしたの」と聞くと卵を室温に戻そうとしいてるのだけど室温に戻るのを待つことを時間に任せるというよりは能動的にしようとしていた、つまり、他の何をして時間の経過を待つではなく「今、卵が室温に戻るのを待つ」をし続けている状態というか、もっといえば「卵を室温に戻す」に集中する、集中するといっても具体的に何か動作が伴うではなくただぼーっとする、そういう状態にあったらしく、笑ってからパソコンを開いて仕事をし始めたのだったか。 じゃあスーパーに行こうと、行くことにし、卵は遊ちゃんは今は着ない上着のポケットに入れた。 それでスーパーに行きながら、買いながら、帰りながら、あれやこれやとお話をして、そういう時間の具体は五年後十年後にふと思い出したりするのだろうか、それとも繰り返したそういう動きが総体として抽象化されて思い出されるのだろうか。
帰り、僕は味噌汁を作ることにして米を研いで浸水させているあいだは遊ちゃんがパウンドケーキを作っていてオーブンに入れてオーブンが動くのを僕は初めて見てすぐにパウンドケーキは焼かれつつある様子になっていった。鍋に水を入れて沸かしているあいだにボウルに白菜をちぎって入れてきのこを、きのこパックみたいなやつのきのこ、しめじ、まいたけ、エリンギ、それらを切ったり割ったりし、長ネギ、それから油揚げ、鶏肉を、切って入れた。まだ残っている茅乃舎の出汁のパックを入れて数分出汁を取り、外し、具材を全部入れたら「これで十分でしょう」と使おうとしていた片手鍋では収まらずストウブに全部ひっくり返して移した。
ご飯、味噌汁、それから遊ちゃんが今日作っていたごぼうを薄味に煮たのを味噌やくるみで絡めたやつ、前に作っていた切り干し大根の煮物、それを並べて夕ご飯とした。味噌汁というものはなんとまあ! とまた大いに感動して、そしてごぼうのやつも切り干し大根もとてもよくて、いやあ、この食事、マジでマジでマジでいいな、と思っていたら、フヅクエの定食、これにしてもいいんじゃないか、という考えがやってきた。
今は大根と豚肉の煮物がメインみたいな感じの一汁三菜+漬物の定食だけれども、これを、味噌汁がメインで、どっかりした煮物は廃止しての一汁三菜+漬物の定食にするという案。それは、なんだかいいことばかりのような気がした、煮物への愛着はあるけれど、味噌汁メインの形はなんだかとてもワクワクするようだった、僕が長年作りすぎていて今の形に対する敬意みたいなものが弱くなっているというか、今の定食のよさをもしかしたら軽く見ている部分はあるかもしれない、とも思ったが、でもがっつり味噌汁の定食は、魅力的じゃないか? と、考え出し、オペレーションはどうなるんだろうな、それは俺は仕込みはより面倒になったりするのだろうか、等々、実務的なことを想像して、とりあえず近々一度それで試してみようか、という気になってお風呂を沸かして入ったのは体の疲れがどうしても抜けない感じがあったからだった。
それでお風呂に浸かりながら、いつもどおり、遊ちゃんは洗面所で座って、今日は毛布にくるまっていた、それでおしゃべりをして体が温まって出てからは通知を見ると山口くんからで今日が無事に終わったらしくお客さんも平日にしては多かったためよくがんばって、返信すると日記の推敲を始めて今週はA4で13枚あったから60ページ分くらいだろうか、なんだか妙に多かった、引用が多かったせいだった、まったく構わないことだった、長く掛かったが楽しい読書でもあって、終わってから庄野潤三を少し読み、すぐにホカホカしたいい心地になって時間はずいぶん遅くなっていた。
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