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読書日記(118)

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1月1日(火)

寝ている途中で目を覚ますと真っ暗で、まったくの暗闇で、しばらく目を開けていたが目が慣れてだんだん見え始めるということがなかった、あまりになにも見えないから、不安になっていった、突発性の目の見えなくなる症状だったりして、あるいはなにか異変が起きて目がもう見えなくなってしまったとしたら、と考え出し、最後に見たのは遊ちゃんの顔で、寝る前に遊ちゃんの、お母さんから送られてきた小さい頃の写真も見ることができた、もしかしたら最後に見られてよかったのかもしれない、そんなことをうっすら思いながら、嫌だ、嫌だよ俺は嫌だよ目が見えなくなったら、怖いよ、本読むのどうしたらいいんだ、全部音読してもらうということか、どうしたら、と思って、起き上がって電気をつけようとするもどこに引っ張るやつがぶら下がっているのかわからない、手に当たったと思ったらどこかに飛ばしてしまった、遊ちゃんがどうしたのと起きたので、いま何時かな、時間わかるかな、iPhone近くにある? と聞いて、ちょっと遠いとのことで、もう一度引っ張るやつを探して、手が探り当てた、引っ張ったら電気の中心がほのかに明るくなり、それで安心してすぐに消して、ふわあ、怖かった、と、布団に入って今の話をした。

起きて、まだ真っ暗だったがいくらか明かりがあった、こちらの部屋は雨戸が閉まっているから光がまったく入らないが畳の続きの隣の部屋は窓があるからそこからの光がうっすらと部屋に明かりをもたらしていた、まだまだ早い時間だろうと思いながら、遊ちゃんも起きたらしかった、起きちゃう? まだまだずいぶん早そうだけど、元旦に早起きをするというのも気持ちもよさそうだ、たくさん時間があるし散歩でもしたら楽しかろう、とりあえず早朝のコーヒーを淹れて、と思って、遊ちゃんが時間を見ると8時20分で全然とても早い時間というわけではないことがわかって笑った。
起きて、起きると父と母はとっくに起きて朝の準備をしていて、僕は4人分のコーヒーを淹れた。10時、元旦の集まりというかご飯で叔父が来て、昨日話に出た翻訳グループというのか、ワークショップの人たちの冊子と、同じ作りの、りかさんが亡くなったときの追悼文集の冊子を持ってきていた、追悼文集は開く気にならず翻訳ワークショップの冊子『NEXUS』を開いた、36号ということだった、2003年。阿久津里香「玉川温泉より」という文章があった。

私ががんの転移を告げられたのは、誕生日を二日後に控えた七月半ばのことだった。筑摩書房版の三段がまえのチェーホフを読んでいて目がちかちかし出したのが始まり。そのうち文字が霞んで見えなくなり、次第に耐えがたい頭痛にとって変わった。「痛み」というのは恐ろしいもので、その鋭い牙で人間らしさ、人間としての尊厳を一枚一枚剥ぎとっていく。人一倍ひとめを気にする私が生徒の前でびっこをひき、出がけ先で激しい頭痛に見舞われうめき声を上げる。温かく支え見守ってくれる夫や家族たちにも、感謝するどころか憎まれ口を叩き突っかかってばかり。前頭葉と後頭葉に一つずつ転移巣が見つかったのはそれからまもなくのことだった。 阿久津里香「玉川温泉より」『NEXUS No.36』(NEXUSの会)p.58

祖母の文章もそうだったがりかさんの文章もそうで、その人が手紙とか特定の個人に向けてではなくなにか広いというか開かれた場所に向けて書く文章というのは想像をしたこともないもので、そういうものに触れるとなにかがひっくり返るようなところがあるし、音楽教師だったりかさんの口というか指からチェーホフという名が漏れることは考えたこともなかった、それからもハミルトンの名が出てきた、といってハミルトンが誰だか僕はわかっていないが、「S」とあったか、S・ハミルトン。江藤淳の名もあった。生きていたら『読書の日記』の発売を一番喜ぶというか、一番ビビッドに読んでくれたのはもしかしたらりかさんだったのかもしれなかった、考えたこともなかった。そしてまた、まるで見ることのなかった知ることのなかった怒りや憤りのような感情のあらわれも、笑顔以外の表情をほとんど知ることのなかった僕の動揺を誘うものだった。動揺を誘う、そしてなにか知れてよかった、尊さを感じるものだった。
がんになる前、僕は中学生のとき、読んでいた『「死の医学」への序章』を、これがとてもおもしろかったんだ、と言って教えたことがあった、送ってもらった歯医者の駐車場でだった、終末期医療について本だった。僕はそのときのことをしばしば思い出す。りかさんは、どうだったか。がんになったあと、前からだったかもしれないが、あと、母はりかさんと手紙のやりとりをしていた、ダイニングテーブルで便箋に文字を書いていく母の姿を思い出した、これはあるいはそんな姿は実際には見ていないで勝手に作り出した記憶か。
総じて、読めてよかったと思った、最後、「あまりにしたたかな生への賛歌」、そういう言葉があった、怒りも、喜びもあった。

車を借りて去年買われた新しい車は僕は初めて運転した、エンジンを掛ける動作やハンドブレーキを掛けたり解除したりする動作が実感がないタイプで初めて乗ったそういう車は動き出せば特に変わらなかった、それで黒磯に向かった。車中でりかさんの話を遊ちゃんとした。 1988 cafe shozoに、例年通り行った、待ちがいくらかあり、そのあたりをプラプラ歩いていた、見たことのなかった建物があって、見ると「BOOK」の文字があり、本屋さんということで、上がっていった、HOOKBOOKSという古本屋さんだった、見ていたら「吉田健一」の名前が見えて箱入りの本が2つあった、『本が語ってくれること』を、見たら突然一気に読みたくなり、買うことにして買った、買いながら遊ちゃんに「吉田の健ちゃんがいた」と言ったら、お店の方が「最近いろいろ文庫化されてますよね」と言われて、あそうなんですね、という話をした、満足して出た、すると電話が鳴り、席空いたということで、入った、ティーコゼーを買いたかったが、売り場を見たら見かけなかったのでたぶんなかったので諦めた、階段を上がり、通された席についた。コーヒーとケーキを頼み、食べ、しばらくメルマガの告知記事の文言をいじることをパソコンを開いてしていた、それが済んでから、本を開いた、少しプルーストを読んだ、サン=ルーが語り手に、「もう一度頭を枕につけて眠りなさい、それがあなたの神経細胞の無機物解消には有効ですよ」と言っていてそれがよかった、それからさっき買った本を開いた、2年分の文芸時評と、本や読書に関する2つのエッセイみたいな構成のようだった、最初は河上徹太郎の『有愁日記』の紹介だった、今日では差し當りその内容はどういふ性質のもので作者の思想傾向はといふ風なことを書かなければならなくなるのだらうが、さういふことをする氣は全くない、というところから始まり最初から気持ちがよかった。

確かに一冊の本は何かに就て書いたものである他ない。併し或る本、或は書と呼ぶに足る一冊の本が或ることに就て書いたものであるといふのは字引を引いて或る言葉がかういふ意味だと出てゐるのを見るのに似てゐて、そのことに間違ひはなくてもその言葉が實際にその言葉として用ゐられる時にその字引での意味などは全く問題の序の口であることが明かになる。「有愁日記」では歴史でも何でも或ることに就て語られてゐるのではなくてその語られてゐることがそこにあり、それは作者の肉聲、又息吹きともにそこにある。これが文章といふものであつて、それを書くものが書いて行くに連れて我々人間の世界のことが次々に現前するのに接する魅力が我々を書に赴かせる。従つてさういふ一冊の本を紹介するには嚴蜜には引用する他に方法がなくて、もし紹介するものが自分なりにその本に書いてあることが言へるならばその本は書かれなくてよかつた筈である。 吉田健一『本が語ってくれること』(新潮社)p.10

お腹がずっとなんとなくゆるい、変な感じだった、しばらく読んで、もう一杯コーヒーを飲んで、夕方になった、出た、外は気持ちのいい晴れ空で冷たい空気が清々しかった、帰り、運転しながらメルマガの告知方法というか始めたあとにどうやったら人数が増えていくだろうか、そういう話を遊ちゃんとしていた、帰って、夕飯までの時間は佐久間裕美子を読んだりメルマガを触ったりしていた、佐久間裕美子を読んでいると「この人ほんとに毎日人と会っているなあ」とまず思って、それから個々の話について、なるほどなるほどであるとか、いいねであるとか、思うようになっている。印象的な言葉があった、「だっておれ、自分のVulnerabilities(弱さ)が他人にどう受け取られるか、まったく興味がないもん」というもので、弱さ、と思った。
『芸能人格付けチェック』が、今年も流された、毎年、これは僕も見る、ゲラゲラ笑う、ああだこうだ言いながら、ゲラゲラ笑う、よくできた番組だなあと思う、遊ちゃんと一緒に、ゲラゲラ笑う。
今晩も、夕飯の前から胃のあたりがなんとなく調子がよくなかったが今晩も、たくさん食べてしまって満腹だった、食後、トイレにしばらくいたりした、どうもやはり調子が変で、おならが強烈に臭かった、一年前は大晦日の日にお腹が痛くなってトイレに長いあいだ籠もったそういう記憶があった。あたたかい居間ではテレビが消えたあとはジャズのレコードやCDが流されていた。
寝る前、吉田健一。

考へた結果も考へることも思想であると見る時に思想の價値はその考へる行爲自體にあり、これはそれがなされてゐる本を讀まなければ摑むことが出來ない。それならば確かにプラトンの思想も見事であつて例のイデア、或は洞窟の說で理想と現實の交錯が鮮やかに說かれてその一句毎に我々はプラトンの精神の動きを辿り、プラトンが眞實を摑まうと思索を進めて行くことで我々の精神も働き出してプラトンとともにその思索の段階を登り詰めることになる。そして結論に達してその結論自體が我々にとつてどれだけの意味があるだらうか。或る高度の、又持續した精神の作用に我々も與り、その上で我々は假設といふことの意味を知る。この爲に我々は本を讀む。 同前 p.139

それから久しぶりに『時間』を開き、どうも毎回進まない箇所を、こじあけるような手付きで、今ならもしかしたら、と思い、どうも毎回進まない箇所を、こじあけるような手付きで読んでいって、それで、眠ることにした、昨日の夜中の真っ暗のおののきを今日は避けるため豆電球というのか、小さい光だけは残して、寝た。

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この週に読んだり買ったりした本

マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈4 第3篇〉ゲルマントのほう 1』(井上究一郎訳、筑摩書房) https://amzn.to/2F1r8vn

佐久間裕美子『My Little New York Times』(NUMABOOKS) https://amzn.to/2BNINmh

岸政彦『マンゴーと手榴弾 生活史の理論』(勁草書房) https://amzn.to/2EWeYDg

平出隆『私のティーアガルテン行』(紀伊國屋書店) https://amzn.to/2BQy2Q8

吉田健一『本が語ってくれること』(新潮社) https://amzn.to/2s0Ojxs

吉田健一『時間』(講談社) https://amzn.to/2GdR34I

cherry chill will.『RUFF, RUGGED-N-RAW The Japanese Hip Hop Photographs』(DU BOOKS) https://amzn.to/2CRbuAK

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