本の読める店

読書日記(113)

Entry diary113

11月24日(土)

朝、眠い。次に眠るのが楽しみ。店、カニエ・ウェスト。時折り体を激しく動かしたり大きな声で歌うというか叫んだりして、ゴリゴリとテンションをあげて仕込み。「Bound 2」がいつだって大好きで、一度流れたらもう一度聞きたくなってもう一度流した。

働いた。昨日よりはスムースというか、でも大変だった、でもスムースだった、働いて、違った、忘れてた、最初の時間帯はなんでだか余裕が全然なかったんだった、どうしてだか憔悴したような感じで、追いつめられたような感じでやっていた、突然いったいどうしたんだろうなと思ったが原因はわからなかった、あるいは先日感じた年末感がなにか影響を与えているのだろうか、テンパっていた、最初の2時間くらい、それから余裕を取り戻し、綽然とした顔をしながら、働いた、働いていたら、山口くん夕方イン。今日は山口くんとの連携も昨日よりはスムースに行ったというか、厨房が狭いので、うまいことお互いを使いながらやりましょう、ということにしたら、うまいことお互いを使ってやれた。
途中、本を読んでいる人たちを見ていたら、うらやましいなと心底思った、休日、何時間か、こうやって、本を読んでいる、その過ごし方、めちゃくちゃうらやましい、俺も今この瞬間にそれやりたいと強烈に思って、しかし残念なことに仕事中だった。

でろ〜っと。でろ〜っと、本読みたい。

頭の中に「Bound 2」を流し続けながら、帰り、ウイスキー飲みながら、『アメリカ死にかけ物語』。断片的なものの社会学。長いこと読んでいて、3杯飲んだ。途中で柿ピーを食べようかと思ったが真夜中だしやめて、酒だけ、読んだ。一部、「でろ〜っと、本読みたい」が叶えられた格好で、わりと満足した心地になって寝た。

11月25日(日)

連休が今日で終わると思うとホッとしたというかあと一日ちゃんとがんばろう、と思った、疲れている。朝、なのでまたカニエ・ウェストを大音量で流すことでテンションを上げたというか、3日目になると最初からテンションが高いというか、体がハードワークモードになっている。初日からそうなってほしい。
開店前、2ページくらい、千葉雅也、冒頭の「意味がない無意味」をもう一度。最初に読んだときよりも入ってくるというか立ち上がる感触があった、気持ちよかった。

たくさん働いた、でも大して疲れなかった感じがあった、途中、OOIOOの曲が、もう何年も聞いていないが、曲が、頭の中で流れ始めて、愉快な曲なので愉快だった、どうして流れたか。
夜はゆっくりで、座っている時間も多くあった、『アメリカ死にかけ物語』を読んでいて、わりと長いこと読んでいた、それでも、叩き出した数字はお客さん数は昨日と同じで、どうしてこの数字を達成しながらこんなにゆとりを持って働けるのか、まったく不明だった、3連休は金曜日がけっきょく数としては一番少なく、それでいて一番疲れた。今日は余裕が、本当にあった、数字が気になったこともあり今日の分の伝票も入力していった、すると、売上が一番大きかったのは金曜日だった、お客さんあたりの単価が高かった、だからオーダー数が多かったということなのだろう、働いた。3連休はよく働いた。死にかけているアメリカ。疲れている僕。疲れていない。それでも、それでもというか、二度ほど、忘れた、あれ、今なにしようと思ってこっち来たんだっけ、ということが二度ほどあって、あとで思い出したり、思い出さなかったりした。

ご飯を控えめに食べて帰り、遊ちゃんは今日椎名林檎のライブを見に行ってきたとの由。デジタルサイネージの使い方にいくらか感心した。
山手通りの曲を、山手通りを走っていた数日前に思い出していたことを思い出した。あの歌詞ってどういうものだったか、なんで歌舞伎町の女王は山手通りにいたのか、靖国通りとか甲州街道とかではなく、と思い歌詞を見てみると、仕事帰りに朝の山手通りを歩いていたとばかり思っていたら、そうでなく、部屋にいて、その部屋が山手通りに面しているようだった、歌舞伎町の女王の住まいは西新宿だろうか。
シャワー浴び、連休お疲れ会と称してウイスキーを飲みながら柿ピーをつまみながら本を読む時間を設けた。『ガルシア=マルケス「東欧」を行く』を開くことにして、開いた、1957年、鉄のカーテンの内部に潜入、というジャーナリストとしての作品ということだった、鉄のカーテン、ってなんだっけ、ベルリンってどういうふうに分断されているんだっけ、とか、歴史を僕は全然知らないので、ちょっと調べようかなと思ったがiPhoneが遠くに置いてあったため調べなかった、柿ピーに途中、アーモンドを混入させて、よりナッティにして食べたらおいしかった、ウイスキーを4杯飲んでしまって、それは多かった。

11月26日(月)

暴力的な眠気。

鉄のカーテンってなんだっけ、と検索して、そのあと「ベルリンの壁」で検索してウィキペディアに入ったら、「長っ」となった、なんだこの長さは、という長さだった、ケネディの苛立ち、フルシチョフの失敗。ベルリンの壁の建設は1961年とのことで、だからガルシア=マルケスが行ったときはまだ壁はなかった、昨日読んでいたとき、西ベルリンと東ベルリンを行ったり来たりしていて、こんなシームレスに行き来できるんだ、と思ったが、そのときは障壁が、なかった。壁。
のどかな心地で営業を開始し、のどかに働いた、途中『アメリカ死にかけ物語』を読んでいたら「失神」という言葉に当たって、アメリカについてのものを読んでいたからだろう、初めてこの言葉が「神を失う」という二文字であることに気がつくというか、思いが至った。神を失う。

夕方、山口くん、のどかな営業だったこともあり、やることも大してないこともあり、大丈夫だろう、2時間くらい、空けても、というところで、2時間くらい出てきます、デートしてきます、といって出た、リトルナップコーヒーの前で遊ちゃんと待ち合わせて、カフェラテとお菓子を買って代々木公園に行った、紅葉を見よう、という話で、紅葉なんてすぐ終わっちゃうだろうし、タイミングなかなかないし、というところでの、今日、行く? というそういう紅葉公園デートの実施だった、空が、暗くなってきた。
公園に入ると、空が、暗くなっていって、世界から色が失われていった。赤いものを見かけて、紅葉発見と言った、どうも、暗いからよくわからないが、代々木公園の紅葉はまだなのではないか。 あずまやのベンチに座って向こうの広場、いくつかのビルのあかり、黒い影になった木々、それらを見ながら、カフェラテを飲んだ。後ろで、なにかしらのトレーニングが実施されていた、いくらか年上なのだろう男性のコーチ的な人物がいくらか年下なのだろう女性の選手的な人物に、はい5、4、3、と言って、1、と言って、すると短距離ダッシュをする、それをなんべんもなんべんも繰り返す。休憩は2分30秒だった、隣のベンチで休憩していた。あと1分ね、とコーチが声を掛けて、僕はあと1分で、休憩が終わってしまう! と思ったらドキドキした、なぜ僕がドキドキするのかはわからなかったが、そんなカウントダウンは聞きたくない! と思った。ぐるっと、色の失われた公園を歩いて、また来週来てみよう、ということにした、紅葉は見られなかったがともあれなんというか、仕事を抜けてデート、というのは、なんかいいね、と思った、思って、店に戻った。
戻ると、山口くんはなにか仕事をしていて、僕は邪魔をしない方がいいというか手伝わない方が彼のためだった、動きすぎてはいけない、だから座って、野球のニュースを真剣な面持ちで読むことにした。ベストナインが発表された。近藤健介が初受賞。うれしい。ファンフェス的な催しに戦力外になった新垣勇人が乱入し、大盛り上がり。これは本当に心温まるというか感動するニュースだった。そのファンフェス的な催しで吉田輝星と斎藤佑樹がご対面。それから、斎藤佑樹と清宮幸太郎がファンフェスでいい笑顔をしている写真を見、そのあと、杉谷拳士のインスタで斎藤佑樹の膝の上に清宮幸太郎が乗っている写真を見た。うれしかった。
昼間、のどかとはいえコンスタントだった客入りは夜もそうで、コンスタントのどかな一日だった、結果、金曜日くらいの感じになった、大忙しではまったくなかったが、いい平日であることは変わらなかった、ここ一ヶ月、本当に隔週で月曜日が金曜日とか土曜日みたいになっている、なんなんだろうかこの隔週感は、という隔週っぷりだった、山口くんが、がんばって働いていた、人になにかを教えたりしていると、わりと簡単に教えのエクリチュールみたいなものが顔を出してきて、よくよく注意を払わないと簡単にガミガミした感じになるよなと、思った。今日は、金言もいくつか生まれて、その生成の様子は面白かった、ひとつは「指摘は指示じゃない、指示は絶対じゃない」というもので、それは言った、もうひとつは「クオリティに寄与しない丁寧さは思考停止とほとんど区別できない」というもので、これは言わなかった。
夜、楽しく夕ご飯を食べて、帰った。

帰り、遊ちゃんと話。どういう流れでだったかTikTokの話になり、僕は先日、いったい何がおこなわれているんだろうという怖いもの見たさでダウンロードしていた、それをまた開いてみた。「人気者になる」が目的になってしまったとき、「すごいことができる」「おもしろいことができる」を持たない人は、見た目の魅力を武器にすることしかできなくなる、その先には性的な姿態を晒すことがすぐさま待っていて、なんというか、あぶねーだろこれはほんと、と思った。大人になって、大人にはわからないよ、我々の感覚は、というものは絶対にあるだろうけれど、いやこれは、あぶねーだろこれほんと、と思って、でも僕のこの感覚はどこまで正しいのか全然わからない。そもそも人気ものになるみたいなことが目的なのかも知らないし。けれど、いいね的なものをもらう気持ちよさは味わってはいるだろう。それは危険な薬で、というか、中高生なんて満たされなくていいんだよ、と、台無しなことを思ったが、どうなのか。大人。つまらない大人。
気づいたら3時半とかで。まずいな、寝ないとな、と思って布団に入り、『アメリカ死にかけ物語』。

11月27日(水)

朝眠く、店行き煮物の制作。コーヒー飲み、ひきちゃんと歓談。なんだかいつも以上に元気そうに見えた気がして僕はうれしかった。
開店して出、帰宅、釜揚げにしてうどん食う、3玉食う、そのあと、パソコンを開いてぼーっとしている、特に何を見るでもなく、なんとなく野球の記事を、ブックマークしている野球ニュースのページのマークを、何度も押すような、そういうぼーっと仕方でぼーっとして、いかんいかん、休日が、ダメになる、根腐れを起こす、根がなんなのかはわからないが腐る、いかんいかんと焦燥感を覚える、時間がいつだってない、時間にいつだって追い詰められている、時間。
で、出、やっと、スーツをクリーニングに出せた、ずっと思い出しては忘れて、出しそびれ続けていた、10月8日だったか、結婚式は、それで、それ以来ずっと思い出しては忘れて、出しそびれ続けていた、それをやっと出せた、出せて、出して、税務署に向かって、税務署に入った、そこで消費税の納税事業者になる届出書みたいなものを出した、出したというか出さないといけないから出したわけだが、出さなかったとしたらどうなるのだろうか、ところで11月の税務署はなんだか気持ちのいい空間になっていて、来る人も、対応する署員の方も、余裕があるのか、なんだかみな血が通っているようななにかあたたかいものがあって、あった気がして、よかった。
用事が済んだのでその足でフグレンに行って、初めて座る円卓というかまるいテーブルの席に座って、夕方の日差しがいい色だった、それは税務署から下る坂のところで感じた、それをフグレンの店内でも感じた、そこでカフェラテを飲みながら『アメリカ死にかけ物語』を読んでいった、少ししたら同じテーブルに男性二人組が座って、フグレンは食べ物の持込みが可能でだけど今までそうしている人を見たことがなかったが、二人はどこかで買ってきたロールケーキを食べて、そのあとチーズケーキも食べていた、ロールケーキはやたらおいしいらしかった、特に話すことのなさそうな二人で、僕は右の人のほうが好きだった。また、オーダー待ちをしていた女性に、座っていた女性がなにか言った、え、なんで、ここに、いるの、え、なんで、え、え、え〜!!! というところで、小学校の同級生と遭遇した、小学校のとき以来の再会だった、二人は外に出て、店内だから抑えようと思っていたが抑えきれなかったでももっと放出したかった高いテンションを、外で爆発させて、再会を喜んだ、写真を一緒に撮った、そのあとこのあと予定あるの時間ないのと一人が聞いて、時間は少しならある、少しだけある、そう答えた、僕は、それを聞いていた、本を読んでいるつもりだったが、頭にはまったく入ってこなかった、向かいの二人は、ケーキの男性二人は、筋トレの話をしていた、左の人がことあるごとに「xxxくんは真面目だなあ」と笑いながら言っていて、うっせー死ねとは思わなかったが、つまらないなと思った、真面目であることの価値を彼は否定していないというか真面目な人が好きだと言っていた、だから「うっせー死ね」はまったくの言いがかりではあったが。

帰って、帰ると、帰って『アメリカ死にかけ物語』を読んだら読み終わった、すごく、なんだろうか、面白いというか、惹きつけられながらというか、どんどん読みたいと思いながら読んでいた、著者の、姿勢というか、人にどんどん話しかけるそのありかたは感動的ですらあった、優しさがあった、材料にしようとしていない。ブログがあるということでことでというかそれの書籍化みたいなものらしくそのブログを見ると、たくさんの写真があって、この距離で撮れる、この顔を撮れる、それが、なんというか、それが、そうだったそれだった、そういうことだった。激しく昼寝をした。起きて、ズブズブに重く、眠かった。起きて、これから吉祥寺に行く、ということを思った、夜の吉祥寺に行く、秋の夜の吉祥寺に行く、それは僕にとってはアンゲロプロスを見に行ったバウスシアターだった、上映開始前、流れていた音楽はニック・ドレイクだった、初めて聞いて、よくて、映画が終わったあとに受付の人に、なにが流れていたのか教わった、ニック・ドレイク、そのときに覚えた、これから夜の秋の吉祥寺に行く、僕はまた、アンゲロプロスの夜を思い出すだろうか、そう思って、家を出て、外はもう暗かった、歩道橋を歩いていると向こうから子供の声がして、子供が立っていた、小学生だった、その子を通り過ぎると、階段の下から小学生が何人も上がってきて、さっき通り過ぎた子も後ろからこちらに歩いてきた、小学生に囲まれた、彼らは「捕まえた?」「捕まえた」「いや捕まってない」と口々に言っていて、僕が捕まえられたような気になって、少し、怖かった、怖くなった。子どもたちが怖い映画、あれを思い出した、あれはなんだったろうか、黒沢清か青山真治のなにかだった気もするし、そうじゃない気もする、子どもたちが怖かった、それを思い出したかった、なんだったろうか、『レイクサイド マーダーケース』とかだったろうか、電車に乗って、ガルシア=マルケスとプルーストどっちにしようかなと思って、プルーストを開いて、読んだ、2週間ぶりくらいだった。すると、グッとよかった。劇場に向かっているその電車で、プルーストは劇場にいた。劇場の描写がひたすら続いた。

はじめは薄ぼんやりした闇があるだけであった、そのなかに、突然目にぶつかってくるのは、形の見えない宝石の宝のような、有名な人の両眼から発する燐光、というよりも、黒地に浮きだすアンリー四世のメダイヨンのような、オーマール公爵のかしげられた横顔であった、そしてその人に、顔の見えないある貴婦人が声をかけているのであった、「殿下、私がコートをおぬがせしましょう」、「いや、どういたしまして、アンブルサックの奥さん。」 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈4 第3篇〉ゲルマントのほう 1』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.59

そのあと、劇場は海に喩えられて長々と描写された、劇場に、吉祥寺シアターに僕は入った、所定の席に向かうと、山口くんがいて、笑った、笑ったというか、山口くんがどこかにいることは知っていた、遊ちゃんが行けなくなって、「山口くんにチケットあげたい」と言ったので、昨日山口くんに聞いたところ、予定なしとのことで、行くとのことだった、僕と遊ちゃんは別々にチケットを取っていて、僕が先に取っていて、遊ちゃんが取ったときに、席指定をしないまま取っていて、なにやってんのと笑った、笑っていた、そうしたら、いくらかそんな予感はあったが、隣同士の席だった、ということだった、向かう先に山口くんがいたということは。
そのいきさつを話し、それからは話さなかった、僕はプルーストをまた開いて、読み出した、途中、昨日、言い忘れたというか褒め忘れた仕事っぷりというかそういうことがあったのを思い出したので笑いながら伝えた。

この大公夫人を薄くらがりの他の寓話の女たちのはるか上に置いている美しさは、彼女の首筋、彼女の肩、彼女の腕、彼女のウェストのなかに、全部物質的、包括的にふくまれているわけではなかった。そうではなくて、この大公夫人のすてきな、未完成の美しい線は、目に見えない多くの線の避けがたい糸口から正確に出てゆく線なのであって、見る人の目は、闇の面に映写される理想の容姿のスペクトルのようにこの女性のまわりに生みだされる霊妙な線を、目に見えない多くの線のなかにひきのばしてみずにはいられないのであった。 同前 p.62

舞台が始まった、範宙遊泳の『#禁じられたた遊び』を見た。見た、見ていた。見た。
見終わって、誰ともしゃべりたくない、と思って、僕はそーっと、ボウルに入ったなにかをそーっと、こぼさないようにそーっと持ち運びたかった、誰ともしゃべりたくない、山口くんとも早くはぐれたいと思って、彼は出演者の一人が友だちだったようで、ちょっと挨拶してきます、と言ったので、しめた、と思って、いってらっしゃい、と言って出口に向かった、向かっていると武田さんの姿が見えて、武田さんはこの作品に「編集」として携わっていた、武田さんの姿が見えて、まずい、と思って進路を少しずらして、素通りして、出た、なんでかなんだったのか、出て歩きながら、僕は怒りみたいな感情を抱えていた、社交とかどうでもいいんだよみたいな、なんかそういう身勝手な怒りを抱えていて、それは容易に社交に向かおうとしかねない自分への怒りなのかもしれなかった、ちょっと油断したら、そーっと運ぶつもりだったものをわきに捨てて、やーよかったです、めっちゃ感動しましたとか、クソみたいな口が言い出しそうだなという、そういう自分に対する怒りなのかもしれなかった、僕はでも、なにをそーっと運ぼうとしているのだろうか、そんなものはなにもないのではないか、深刻な顔をしながら僕は、なにを持って帰ってきたつもりなんだろうか。とにかく、僕はあの時間の中にずっといたい、そう思っていたらしかった、外に出たくないという、そういう、だから外みたいな、ロビーとか、コミュニケーションとか、そういう場所、今ほんと要らない、そういうだから、否認みたいな、世界邪魔、そういうだからなにか否認みたいな、俺はあの時間のなかに、決してというかそもそも全然なにも愉快でない話だったのになんだったのだろうか、あの時間のなかにいたかった、16人の役者が全員、強い説得力を持って立っていて、たくさんの美しい声を発していて、立ったり、転げたり、足を踏みならしたり、していた、停止した体の美しさ、強さ、凄さ。停止した恐れの顔に釘付けになった。

役者全員がなんだかものすごく印象的というか、それぞれがもう完全にそれぞれだった、なんだろうか僕は彼らが彼らそれぞれがあの舞台に立って、生きているその時間を見て、なんだったのだろうかただただ幸福だったように思う。

温まりたく、夕飯を食べたあと銭湯に行って、風呂に浸かりながら演劇のことをずっと反芻していた、コインランドリーの回る前のベンチでビールを飲んで、コンビニでビールとつまみを買って帰った、帰って、日記を書いて、それからガルシア=マルケスを読んでいた。誤植を見つけて、「社主義」とあり、「社」で行が終わって次の行が「主義」だったのだけど、新潮社の校閲部でもこういうことは起こるんだなというか、行終わりって危険な場所なんだなと思った、思って、読んで、ビール、ウイスキー、ひねり揚げ、柿ピー。

11月28日(水)

店、コーヒー、飯。11時、山口くんイン。それからさいとうのさっちゃんも来て、今日は店のスタッフのページの写真を撮ってもらうというそういう予定だったため、来てもらった、11時。特に準備することもあまりなく、写真を撮る様子や撮られる様子を見たりしていた。
開店し、気持ちが今日はなんでだかやたらにのんびりだった、やることも大してない、急いでやるべきことはひとつもない、それで午後になって、ちょっと外というかドトールで仕事してくるね、なんかあったらすぐ来れるから気軽にSOSしてね、と伝え、外出、ドトール、カフェラテを頼んでみたところ清々しいほどにボコボコの泡の飲み物がカップに入っていて、なんというかそれは実際に清々しい気持ちにさせた。きれいなもの、上等なものを作ろうとする気はまったくありません、そういうものはよそで飲んでください、という明確な立ち位置、よかった。
それでパソコンを開き、『GINZA』の原稿書き。書き始めたらわりにすんなり書け、よかった。

戻り、そこそこにコンスタントにお客さんがあったようで、それを特に問題なくこなしたようで、なんというか成長みたいなものを見ている感じがあり、いい。いない方が店内の様子というか状況を把握できたりするのでは、と聞いてみたところ、それたしかにあった、いるとどこかで任せた気持ちが働くのか、見えないものがあった、今日は一人でやらないとという気持ちが働いたのか、これまでよりも解像度が上がって見えた、というような言い方はしていなかったが、そういうことを言っていて、それはよかった、と思った。
そのあとも、できるだけ放置するため、でも僕がいつもの僕の席に座っているとどうしても邪魔な存在になるので、それも消そうと、酒瓶の入っているポリケースに座ってみたりして、存在を消すようなつもりでそうしてみて、本を読んだりということを試みた、座り心地を改良する必要がありそうだった。
夜で山口くんは上がり、それからものんびり働く、ガルシア=マルケス読む。長い長い列車に乗っている。どこかからモスクワまで、40時間掛かるとの由。

ソビエトの人たちは、自分が無一物になろうとも、とばかり余りに気前よく贈り物をするので、うっかりしたことは言えなかった。価値のあるものだろうが、役に立たないものだろうが、お構いなしに進呈してしまう。ウクライナのある村では、人ごみを掻き分けてこちらにやってきたひとりの老婆が、小さな櫛のかけらをくれた。とにかく人に贈り物をしたくてならないのだ。 ガブリエル・ガルシア=マルケス『ガルシア=マルケス「東欧」を行く』(木村榮一訳、新潮社)p.117

こういう様子、なんだか既視感があるよなあ、と思って読んでいた、ドストエフスキーとかだろうか、そういうなにかあげたい老婆、みたいな、熱狂する老婆みたいな、あるよなあ、と思って、どうもしかし僕が思い出したのは『ボヴァリー夫人』の農業の共進会の場面のようで、あの場面で、老婆がなにをしたんだっけか。
そのあと、スターリンとレーニンの遺体のある霊廟に毎日2キロの長さの行列ができているということが書かれ、それを見に行く、そのくだりでこれまでもチラついていた武田百合子の『犬が星見た』をはっきりと響き合って、武田夫妻がロシアに行ったのはガルシア=マルケスたちの10年後の1968年だったっけか、そのくらいだったはずで、そのときも変わらず行列ができていた。
モスクワの新聞社の人に、と、家に帰ってから読んだところにあった、モスクワの新聞社の人に広告について説明するも、広告という概念がどうしても理解できない、しまいには大笑いし始めた、という話が書かれていて、カフカの一場面のようだった、よかった。

11月29日(木)

昨日はアルコールを摂取しなかった、すると夜中、汗だくになって起きて、寝間着はもちろん、パンツを履き替えるほどだった、夢を見た。
鈴木さんの店が完成したらしく、行ってみた、半地下の空間を、路上で屈んでガラスになっているところから見下ろすと、天井のずいぶん高い気持ちのいい空間は壁沿いがすべて本棚で埋まっていて、本棚の中も本で全部埋まっていた、入り口近くに入り切らなかった本があった、開店したのかどうだったのか、ともかく「じゃあたくさん本を買うぞ」というつもりで店に向かっていたことは覚えているが、中に入った記憶はなかった、それから、他の冒険が始まった。

朝、パドラーズコーヒー、ラテ、飲む。気持ちいい。店。寒い。いくつかの準備をおこない、開け。開店後、うっすら気分が暗い。どうしてなのかはわからない。
午後、少しガルシア=マルケス。もう終盤だが、そもそも1957年にどうしてガルシア=マルケスはヨーロッパにいるのだろう、というところがよくわかっていない。ジャーナリスト時代は世界のあちこちにいたのだろうか。「どうして」なんてどうして思っているのだろうか、あまり楽しめていないということなのかもしれない。でも面白いので、読んでいる。どういうことだ。
コンスタントなお客さんで、今日は夜は休みだった、店は今週も一日休みの日がなく、どうしてこうなっているんだっけか、「どうして」なんてどうして思っているのだろうか、自分がそう決めただけだった、夕方、店を閉めたら今日は新宿なので西側なのでブックファーストに行って、それで、舞城王太郎の新作を買おうという気になっていた、なんか、そういうなんか勢いがありそうな小説を読みたいそういう気分になっているらしかった、今回のは怖いだろうか、怖くないといいのだが、どうだろうか、感動するらしいが。と思っていたら夕方、今日はもう看板をそろそろ上げようかなと思っていたところお客さんがあり、今日7時までですけど大丈夫ですか、と問うと大丈夫だとのお答え、のその方はブックファーストのビニール袋を持っており、オーダーを伺いに行ったときに見えた、その袋から出されたのは舞城王太郎の『煙か土か食い物』で、お〜、ブックファースト、舞城王太郎! と思って面白い気分になった、それからもうしばらく働いた、看板を上げてからとん、とんと二人の方が来られて、なんだか、短い時間で恐縮だったがどちらの方も「大丈夫だ」とのことだったので大丈夫だったのだろう、結局、半分の営業だけれども平日フルの日のバジェットにほぼ乗るくらいになり、飲み代いただき、と思って働いた、舞城王太郎の方が帰るとき、こんなの面倒かな言われても、と思いつつも、なんか言いたくなったので、ドアの外で、「いやあの、なんでもないんですけど、今日閉めたらブックファースト行って舞城王太郎買おうと思っていたんですよねほっほっほ」と話したところ、笑ってくださった、この本はこれから会う友だちにあげるために買ったのだという、名古屋から来られたのだという、『読書の日記』を読んでくださって来てくださったのだという、初めてのフヅクエは「驚くほど読めました」とのこと。うれしたのしやりとり。
ガルシア=マルケス読み終わり。訳者解説を読んでから読んだらよかった気がした。最後、小林さんが残っていて、なので、わりと僕はいつも教えてもらうので、最近なんかありましたか面白い本、と尋ねた、すると今度トークのイベントが続けて2本あって司会とかをされるのか、それが終わるまではそれ関係以外は読めない、ひとつは『ヒロインズ』だ、かくかくしかじかで、とうかがい、『ヒロインズ』は前に双子のライオン堂に行ったときに見かけて手に取って、戻していた、そういう一冊だった、なんとなく気にかかっていた、それが、小林さんが話しているのを聞いたら途端に俄然に読みたい一冊になって、読も、と思った。で、閉めて、できるだけ急いで片付けをして、19時半、店を出た、出て、電車に乗って新宿、なにかを調べようとしたのだったかSafariを開いたら、どうして思ったのか開きっぱなしのページを閉じよう、きっとだいぶ溜まっているはずだ、と思ってだららららららと閉じていったら、ずいぶん溜まっているなあ、こんなに開きっぱなしでも問題ないのだなあ、すごい能力だなあ、等々思っていたら、え、これ一年前とかだなあ、とか、開かれていたページでいつごろ見ていたものかがわかるものが出てきて、ひとつの検索結果ページを見て、ああこれは、遊ちゃんと鍋をどこかに食べに行こうねといっていろいろ探していたときのやつだ、結局その開いているページの店は予約がいっぱいだったのかいけず、結果的には新大久保のベトナム料理屋さんに行ったんだった、ずいぶん歩いて、いい散歩をしたんだった、そういうことが思い出されながら、Safariそれ自体が記憶を重層的に孕んでいるというのは、あまり考えたこともなかったけれど、そうだなと思って、新宿の地下道を歩いていた、古書市みたいなものが開かれていて岩波文庫の背表紙に引き寄せられて入りそうになったが時間もないし、こういうときに買ってもたいてい読まない、買って終わる、僕はそうなる、そう知っていたので寄らず、ブックファーストを目指した、今は19時40分で、20時が待ち合わせの時間だった、遅刻は仕方がない、なぜなら俺は本を買いたいので、と思い、歩いた、この時間の地下道はいくらか暗く、シャッターもいくつも閉まっている、それにしてもずいぶん歩いた、はて、こんなに歩くのだったか、左手に工学院大学、はて、と思い地図を見ると行き過ぎている、Safariに夢中で見逃した、そんなことはしかしあるのだろうか、あんなのは簡単に目に入りそうなものだが、と思い引き返すと、駅に戻った、あれ、なかった、ブックファーストなかった、夜間はあの入り口は閉まっているのだろうか、そう思って地上に上がり、地上からだと簡単で、行った。
それで入ると、景色が違っていて、あれ、間違えたかな、入るところ、と思ったら文房具コーナーが新設されていた、そういえば前行ったときなにか工事というかなにかしていた、開かれるとぐっと変わるものだ、つかつかと文芸書のコーナーに向かい、舞城、舞城、ま、ま、ま、と探したが目に入ってきたのは平出隆の『私のティーアガルテン行』で、なにか自伝的ななにからしく、開いてみたら途端に俄然に読みたくなり、取った、こういう出会いと突然の欲望の発生というのは書店の本当になんというか楽しさだよなと思って気分が上々で、それから、これも特に買うつもりで行ったわけではなかったがツイッターとかでちらちらと見かけていた滝口悠生と柴崎友香の対談があるという読みたかったタバブックスの『生活考察 Vol.06』を取り、舞城王太郎を探すもどうも目に見つからず、外国文学のコーナーに行くと『ヒロインズ』がきれいな表紙のそれがあったので取った、3冊買って、だから舞城王太郎は諦めて、3冊買って、ポイントカードはありますか、作りますか、「あ、いえ、大丈夫です」となんでだかいつもよりもはっきりと、相手の目を見て答えた、すると了解していただけなかったらしく、ポイントカードが発行され、説明を受けた、説明をしながらブックカバーを巻いていたので時間のロスはなかった、効率的な動きだった、それにしても、なんだったか、それにしても、ブックファーストは僕はめったに行かない書店で、だから先日運転免許の更新のときにとても久しぶりに行ったときに1万円以上買って、でもめったに行かないからポイントカードは作らなかった、作っていたら100ポイントついたんだな、と60ポイントついたカードを見ながら、いや特に眼差しを向けながらというそんなことはなかったが、ぼんやり思った、本を買って、ほくほくした気持ちで外に出ると、出ると、地下道が目の前にあった、えっと、えっとなんだこれ、さっきなかった入り口が今あるのなんだこれ、と戸惑いながら駅の方向に歩き、すると駅に出、えっと、なんだ、今どこにいるんだ、えっと、と頭上を見ると高いビル群と空、あれは京王百貨店か、これは小田急百貨店か、えっと、であるならば、と、なんだか驚くくらい見事に迷子になった、方角がまったくわからず、えっと、えっと、と歩いて、地上に出た頃にはいくらか気持ち悪くなっていた、それはなんというか、方角を失った、失いながらも常に仮説があって、きっとこうだ、というものを持っていて、でもそれが都度都度違っていることが判明して、修正して、また間違えて、という、GPSの位置情報が少しずつずれていて確かな場所に定まるまで時間が掛かるような、そういう状態にしばらくいると世界との関係が崩れるというか三半規管がやられる、みたいなことがあるらしかった、そういう車酔い的な気持ち悪さになっていた、地上に出た頃には。

店に着き、10分遅刻、鈴木さんも10分遅刻ということだったからちょうどよかったと思い、席に着き、ビールを頼み、本を取ろうと思った、ちょっと俺今本読みたいな、鈴木さんもう少し遅刻しないかな、と思っていたら鈴木さんが来て、本を閉まった、ビールを飲んだ、鈴木さんの作り中の店の話をした、施工管理の荒井さんが心配になるくらいにDIYを鈴木さんはやる、数日前に電話があって工事が済んで引き渡しをしました今回はご紹介いただきありがとうございましたの電話で、ちょっと心配になるくらいDIYでやられるので、気に掛けるというか、アドバイスとかしてあげてください、と言われた、たしかに聞いていても「それはずいぶん大変そうだな」というDIYのボリュームで、大変そうだなと思うのと同じかあるいはそれ以上に、楽しそうだなと思う、どこか休みの日に手伝いというか遊びに行きたい、あれやこれやと話していたら21時半で、優くんが来た、それで乾杯して、また主に鈴木さんの店の話をしていた、僕らは店の話をするのが好き過ぎた、ああでしょう、こうでしょう、と考える、それをおこなう、それはずいぶんな遊びだった。
話していて、一年以上前、優くんと飲んでいたときに、早く人をある程度ちゃんとというかある程度のボリュームというかで雇うということをやってみたい、どうせ失敗する、どうせ失敗するなら早く失敗したい、だからそろそろ募ろうかな、ということを僕は話していた、ということを言われて、ああそうだそうだ、すっかり忘れていたけれど、言っていたとおりに見事にその通りになったのだな、と思った。その話していたあと、ちょうど一年前の11月とか、そういう今までよりは多い、週に何日もという形で入ってくれるスタッフが入って、半年で辞めた、それは見事に、思っていた通りに失敗が起きたということだった、僕の人とともに働く経験不足が見事になんというかその失敗を起こしたということだった、そしてそれを僕は、そのときに話していたのは失敗とかの話で、その流れで優くんはそれを思い出した、言ったのだけど、そしてそれを僕は、失敗という言葉では考えていない、ということだった、次に活かすべき経験、としてしか捉えていない、不健全に思えるほど健全な思考だなと思うのだが、実際そう思っているから、しかたがない、失敗なんてない、やってみるということ自体がすでに常に成功というかそういう成功みたいな性質のものだった、とにかく、店みたいなものをどうこう考えるのは楽しい。
閉店して、どうしてだか来週も優くんと飲む予定があった、鈴木さんともまたすぐ会うだろうし、酔ったし、というので僕はわりと帰ろうかなという気でいたが、もう少し話しましょうよということになりコンビニに入り、ビールを取ったが、あれ、でも俺、お酒もういいんだよな、と思って、そうしたら全員がそうで、それで100円コーヒーを買って、歩道橋に上がった、大ガード、青梅街道、いくつもの光、振動。

帰り、降りると、ホームに回送のロマンスカーが停まっていて、同じ向きの座席がずーっと、照明の消えた薄暗い車内で続いていた、その様子がなにか葬列のようだった。
しゃべりすぎたらしく、帰ったら布団にくるまっておにぎりみたいな様子で座って本を読んでいた遊ちゃんに、たくさんまた勢いよくしゃべった、好きなだけしゃべると風呂に入り、上がり、帰りの電車から読み始めた『ヒロインズ』をまた開いた。

ボヴァリー夫人のことを思う。「彼女は旅に憧れた。あるいは女子修道院に戻って、そこで暮らしたかった。死んでしまいたかったし、パリにも住みたかった」 ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(西山敦子訳、C.I.P.Books)p.20

死んでしまいたかったし、パリにも住みたかった。眠りに落ちる直前、『失われた時を求めて』を日々読んでいる人物が語り手の小説、を、書く、とか、楽しいかな、という考えというか夢というか様子が湧いて、俺は読んでみたいよ、そういうもの、と思った。

11月30日(金)

スーパーで、のったりとしたというか粘っこいというか、ダルそうといえばダルそうな声を発する店員の方はフレンドリーで、おじちゃん的なお客さんと談笑する場面をしばしば見かける、僕の見立てでは近所に行きつけの飲み屋があってそこがコミュニティみたいになっている。その方は敏腕レジ打ちで、それはわりと最近知った、彼女は5秒とかの時間を疎かにしない、その時間でなにができるのか、よくよく考えている、今日もそうだった、僕の前の人のレジ打ちが終わって数字が確定され、財布から金を出そうとしているその時間、その時間に僕のカゴのレジ打ちを始め、それからお金が出され、それを機械に入れる、そこでまた数秒生じる、機械が札を数えたりするそこで数秒が生じて、その間に僕のレジ打ちを進める、数え終わるまでに、僕のカゴはからになった。なんなら彼女は、機械が数え終わって確定待ちの状態になったとしても例えばカゴの中があと一品だけだったりしたら、レジ打ちを先にするだろう。そうすれば会計のコンボを起こすことができる。待たない。待たずに動き続けるにはどうすれば一番スムースなのかを常に考える。だから圧倒的に速い。
ただ、このレジ打ちの仕事における速さとは、どういうものだろうかとも思う、みんながこのやり方をやればいいのにと思うけれど、一人ひとりのレジ打ちの人にとっては、速く処理することの動機がそんなに持てない。レジが一台ですべてが自分の処理に懸かっているなら話は別だが、そうでない以上、自分がゆっくりやっても困ることはないはずで、だから、速さはただ楽しみのためだけ、なにかを効率的に捌くことの喜びを感じるためだけ、というふうになってしまう。しまうというか、それでいいのかもしれないし、みんながみんな超絶レジマスターというのも、それを目指しましょうという感じも、気持ち悪いといえば気持ち悪いから、楽しい気持ちいい人だけがそれをやればいいのかもしれない。とにかく、今日も速かった、金曜だ、仕事が終わって家でご飯を食べたら、飲みに出るのだろうか。

この5秒を無駄にしないみたいな動きはしかしなんというか僕はシンパシーで、この5秒で何ができるだろうか、この10秒で、みたいなことはわりと常に考えているというかセンサーが働いている、この1本カトラリー拭いておくだけでも、差が出てくる、そういう動きが自然と、あるいは機械的に、発生する、発生させている。「自然と」と「機械的に」がわりと近い意味で通じるというのはしかし不思議な感じがするというか面白かった。僕は5秒を使うし、また、待たないし待たせる、僕はディレイ戦術と呼んでいる、呼んでいただろうか、ディレイという言葉は思っている、ディレイは重要なスキルというか方法で、洗い物をやっていて残りちょっとで、そのときにお客さんから呼ばれたりして「はーい」とか言ったとき、洗い物を済ませてから動く、みたいなことはよくやるし、コーヒーを淹れたりしているときにお会計の方が来られても、淹れ終えて、出し終えるまで、待ってもらう、これはそのコーヒーのためでもあるし、ある種、そこでコーヒーの優先順位を下げて対応したとしたら優先されたお会計の方にとっても、あれ、そこレジが優先なんだ、というふうに見せることになる、作ること出すことを優先する姿勢を貫くことはそれを

書いていてバカバカしい気分になった、バカバカしいことではないのだけど、書いているのがバカバカしくなった、開店前、『ヒロインズ』を開いた。

ここでの私は、まず彼の妻。誰に対してもそう紹介される。作家ではない。妻(私が作家だということ、神経質な中篇小説の出版が決まっていることなんて誰も気に留めない)。誰もがジョンの仕事のほうがずっとすごいと思っている。地下牢のようなオフィスで、革綴じの全集の山や焼け焦げたみたいな書物、いくつもの言語で書かれた本に囲まれている。バビロンだ。ロイズ銀行に勤めていたころのトム・エリオットは数カ国語を勉強した。ジョンが本に指を這わせ、ページを調べ、何か言い当てたり、秘密の歴史を話したりしているのを見るのは好きだ。彼はいかにもやすやすと、チャーミングな学者の顔でそこにいる。私のX教授。ウルフが『自分ひとりの部屋』で高等教育に携わる男性につけた呼び名だ。労働者階級の成人に向けた講座で、トムが教えるヴィクトリア朝文学の講義を聴くヴィヴィアン。うっとりと、崇拝するような彼女の表情。彼女は彼にすべてを捧げた。きっと花開くに違いないと彼女が確信した、彼の才能のために。 ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(西山敦子訳、C.I.P.Books)p.24,25

午後、ゆっくりと働く、気分が弛緩しているというわけではないがのんびりした心地で、のんびりコーヒーを淹れたりしている、自分が飲む用に淹れたとき、昨日優くんに教わったデイリーコーヒースタンドのレシピの通りに淹れてみた、昨日優くんは、グラインダーはだいぶ大事、と言っていた。僕が使っているみるっこは「十分」ということで、ならよかった。優くんの使っているグラインダーはみるっこの10倍の値段がして、エスプレッソ用はまた別のグラインダーで、やはり同じような値段がするようだった。コーヒー屋さんは違うなあ! と思った。
外で煙草を吸っていると、建物の壁で見えないが、声が聞こえてきた、若いお母さんとかそういう感じだろうか、「ちょっとずつ歩いてるね」と言っていて、ちょっとずつ歩いてるね。よかった。

夕方、山口くん。ショートブレッドを焼き、きれいに焼き上がったのを見届け、今日も山口くんの習熟を目的に、決して外で休憩したいというわけではなくただ彼の習熟を目的に、おとといと同じく「ドトールで仕事してくるね」と言って離席。チョコレートチャンクデニッシュみたいなやつと迷った末にシナモンロールにして、コーヒーと、頼んで、日記を書いている。書いたら『ヒロインズ』を読むんだ、と思うと心躍る。なんというか、ちょっと怖い薬みたいな感じで、飲みたいらしい、ごくごくとこの怖い薬みたいな感じの本を、飲みたいらしい。心躍る。
春くらいだったか、『もうはなしたくない』を早稲田に見に行った、範宙遊泳、ココロノコエ、そのときに出ていた二人も出ていた、二人とも、僕はあのときとは比べ物にならないほどに魅力的に見えた、『もうはなしたくない』はどういうつもりで見たらいいのか、僕はわからなかった、俳優たちをどう見ていいのかもわからなかった、それが、たった一度見ただけなのに、あ、あのときの人たちだね、お久しぶり、みたいな勝手に馴染みみたいなそういう気分が彼らが舞台上に姿をあらわしたとき、湧いて、おかしかった、その二人が魅力的だった、特に子ども役の熊川ふみは、なんでなんでなんでなの、おみそ、とてもよくて、愛は、寝ている人に布団を掛けることだよ、僕はよかった、それから油井文寧もすごかった、何度もすごかった、最後、カーテンコールというのか、挨拶のところで、そのときにそれまで長いこと倒れていた、伏せていた、彼女が顔を上げたときだった、その顔を上げられた顔を見て、そこに俳優の、あるいは俳優というところから離れた人間の、顔が、なんかわあ、やりきったというか出しきった人の顔だ、というものがあって、僕はなんだか感激してドボドボと泣いた、16人、どの人も本当に魅力的にそれぞれが存在していて全部の人に拍手を送りたかった、送った。
帰ってから、キャストのページとかを見ていたら、順繰りに見ていたら、びっくりした、すごいいい顔、すごいいい存在感、すごいいい、と思って見ていた唐沢絵美里は演劇は初めてという人だった、そういう人がああいう存在に舞台というずいぶんな場所において、なるんだな、というのは、すごいことだった、演出家も役者もみんなすごい。ひとりひとりを思い出す、ひとりひとり、思い出すことがある。というのは、きっとすごいことだった。

(私が唾をはき、噛みつき、飛び退くと、あなたは私のそのふるまいを言い訳に使った。私を暴力的にするのはあなたなのに、それを理由に距離を置こうとする。シカゴ・アベニューの狭いロフトで私はあなたに椅子を投げつけた、あのとき。だめだ、そんなことをする相手と一緒にロンドンに行けるはずがないだろう。ジェイムズ・ジョイスの娘のルチアは、椅子を投げて精神病院に入れられた。私だって芸術家なの! 彼女はそう叫んだ。何かを無効にされることで人は暴力へとかき立てられる、R・D・レインはそう書いている) 同前 p.33

ドトールは寒かった、寒がりながら『ヒロインズ』を貪り読んでいた、男たちに吸い尽くされる女たち、作家が、かつて書かれた言葉や、過去の様々な妻たちと溶け合いながら、綴られていくテキスト。変な巻き込まれ方をしそうで、怖い、読みたい。寒い。2時間ほど離れ、戻り。
暇金曜。「ひまきん」と遊ちゃんに送ると、プレミアムフライデーであることを教えてもらった。月末金曜日がプレミアムフライデーということを初めて知った。わりと月末金曜というのは暇になりがちな気がするが、なにか関係あるのだろうか、検索すると経済産業省のページに当たり、「11月の「プレミアムフライデー」直前情報」という50ページのPDFがあったので開いた、暇だったので熟読しようかとも思ったがそういうことにはならなかった、本を読んでいた、田中くんあ間違えた山口くんは働いたり休憩しに行ったりしていた、今日は暇な時間は座学というか立学で、メニューを全部印刷して、チェックを入れてもらって、まだやっていないもの、不安なものがなんなのか、潰していく作業に入った。

9時を過ぎて少し持ち直した。眠くなった。11月が終わった。とんでもないことだ。帰って、また『ヒロインズ』。眠くなるまで、酒飲みながら、『ヒロインズ』。

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