本の読める店

読書日記(110)

Entry diary110

11月3日(土)

山口くんの2日目。ご予約がけっこうな数で入っていたので、今日は忙しくなるかもしれないなと思っていたところ、忙しくなった、2日目にもかかわらず、もう一人いる、という気持ちがあると、それだけで少し頼りにするようなところがあった、助けてもらうために週末に入ってもらったわけではなく、平日に入るよりもたくさん練習というか実践の機会があってよかろうと思って入ってもらったわけだけど、2日目にもかかわらず、それだけで少し頼りにするようなところがあって、だから、二人で働いている、という感覚があった。
途中途中で外で階段で、どう? なんか大丈夫? と聞いたりしていたそのときに、よくこれ一人でやってたなと、二人でやっている途端に思うよ、と僕は言って、そうですよねえ、というところで、いつか山口くんもこれ一人でできるようになるよ、と言ったあとに、まあできるようになったところで何もないけどねと言って笑って、あとで反省したというか、こういうことを言うのはどうなのかなと思った。それに、本当に「何もない」のだろうか、それもわからなかった、できるようになることで、何かはあるかもしれなかった、それがなんなのかはわからなかったが、何かはあるかもしれなかった。
帰り際、「昨日よりも楽しかったです。だからどんどん楽しくなっていくといいなと思います」みたいなことを言っていて、単純に、なんか、うれしかった。楽しくあってほしい。というか、楽しくあるための条件としてまずきっと「まあできる」「まあ掌握している」みたいな状態になるということはあるのかもしれない、この店を構成するものについて知らないものがない、という状態になって初めて、楽しいというものも生じていくのかもしれない。わからないが。

疲れて、忙しい日で、疲れて、必死で働いた、夜までがんばって働いて、がんばった、夜、ビーフシチューを食べた、昨日も今日も、あと2食分あったから、出そうかなとも思っていたが出しそびれたままだった、そのままダメにでもしようものならもったいなさすぎる、というところで、夕飯に食べた、おいしかった、肉はもう少しなんというか圧倒的にほろほろ、みたいにならないものだろうか、牛肉のかたまり、僕はその扱い方を知らなかった。

帰宅して、寝る前、プルースト。少しで、寝た。

11月4日(日)

スーパーで買い物をしているとコーヒーの香りがして、店に着いたら即コーヒー、と思ったら楽しみになった、どんどん、朝のコーヒーがきっとおいしい、うれしい。レジで、前の人は金持ちだった、僕は車を持っている人全員を金持ちだと思っているらしい、金持ちで、見たら、「REGULAR COFFEE」という、最初はペットフードかな、なんだろうこれ、「ARMY GREEN」ってなんだろうな、「MJB」、と見ていたら「REGULAR COFFEE」ともあって、コーヒーなのかと知って、なんというか、そうなんだよなあ、と思った、僕は勝手に金持ちはコーヒーもこだわったものを、こだわったというか、コーヒー屋さんで買ったりしたものを飲む、それが金持ちだと思っていたけれど、そういうものでもないのだよなと思って、こういう、自分の基準というか感覚なんてなんの当てにもならないんだよなと思った。それにしても前の人が車で来たと、なんで思ったのだろうか、なにか根拠はあったろうか。

店に着き、コーヒー、飲む、おいしい、うれしい、ブラジル。ブラジルがこれまであまり得意でない豆で、注文も回避しがちだったが、農園が変わったため頼んでみたところ、おいしかった、わー、深煎り、という感じでどっしりと、おいしかった、で、開けた。
ゆっくり始まり、なんとなく忙しい感じになり、調子よく働いていた、夕方から山口くんが入り、調子よくいろいろのオーダーがあったためいろいろを作ってもらって、よしよし、と言いながら見守ったり口出ししたりしながら、過ごしていた、途中、とても忙しいところがあり、手を何度も出しそうになったがダメダメちゃんと見守ることに徹しないと、と戒め、則った、偉かった、それで、そうしたら夜は一気に暇になり、ものすごい暇になった、あれ、なんだこれ、どうしたものか、と思っていたところはるいちゃんが来て、永山の配偶者だった、はるいちゃんが来て、先週永山と飲んだときに生命保険の話にどうしてなったのか、なって、聞いたら、それはきっと払いすぎだよ、という話をして、はるいちゃんに「永山の保険見直した方がいいよ!」と連絡した、そのあとに今の契約内容がわかるものを送ってもらって、見て、これはわかりやすく見直しだわ、早くその旨を伝えよう、とウキウキしていたが金曜土曜とそんな余裕がどこにもなくて早く送りたかったところだったのではるいちゃんの顔が見えた瞬間に僕は破顔して、即座に一緒に外に出て保険の話をひとしきりした、そのあとはるいちゃんはゆっくり読書をしていった。
帰り際にまた少し話して、今お茶に興味があるのだという、お義母さんつまり永山のお母さんに点ててもらうことがしばしばある、うつわとかも、おもしろい。お義母さんからは、結婚式に出席するときとかに着物を借りている。ほんとうに変わった子ねえ、と言われる、そういうやり取りが、私はとてもうれしい。

閉店して、山口くんの練習でオムレツのサンドイッチをこしらえてもらい、それとビーフシチューがまだあったので温め、それで夕飯。夕方、入ったときに、今度取材があって背中を押してもらった本5冊を挙げるみたいな宿題があるんだけど、考え中なんだけど、山口くんも夜までに5冊考えてみてよ、という課題を出した、いろいろ覚えたりするのに一生懸命な時期になに余計なことを考えさせているんだと思ったが、幸か不幸か今日は暇で、考える時間はたっぷりあったのだろう、ご飯を食べながら5冊をうかがったところ、面白かった、津村記久子のなんとかというやつと、ジョン・スタインベックと、本谷有希子のなんとかと、なんだったか、『百年の孤独』、もうひとつ、なんだったか。

11月5日(月)

たいしてやることもなく、ゆっくりした気分で始めたところ、極端に暇な一日になった、これで昨日の夜から続けて一日半、完膚なきまでに暇な時間が続いたことになって、フヅクエはいよいよ終わりかもしれんね、と思った、つい一週間前の月曜日は「まともに忙しい休日くらいの忙しさの日になって、だから10月29日はきっと祝日かなにかだったのだろうと思った」と言っていて、一週間後に「フヅクエはいよいよ終わりかもしれんね」というのもバカみたいだと思ったし、実際バカみたいだった、バカだった、でも、こうやって毎日不安になったりひいひい言ったりする以外にやりようはなかったから仕方がなかった。
それにしてもというか、家入一真のインタビューの記事を読んだら飲食店を10店舗ぐらい経営していたそうで、「一応当時は飲食店を10店舗ぐらい経営してたので、その売上が細々と入ってきてはいました。」とあって、え、10店舗あっても細々なの! と思って、ちょっと衝撃を受けた。

暇で、午後早い時間には、『GINZA』の文章も書けたし、取材の宿題も済んだ、これでなんというか、羽を伸ばせる、と思ったらだいぶうれしい簡単な気持ちになって、そうしたら、フヅクエのマニュアルをちょこちょこと直したいそういう箇所があったので直そうかとファイルを開いたところ、作り方失敗したな、修正がなんだかいちいち面倒というかする気が起きないそういう作りになっているんだよな、ということに当たり、出た、
「一から作り直したい……」
出た、この、病気、と思って、しかも
「InDesignで作りたい……」
出た、この、病気、と思って、今のところ80ページくらいあるマニュアルを、一から作り直すべく、InDesignを開き、どういうのが一番見やすい頭に入りやすいのだろうかなと考えたり、触ったりして、そうやってパソコンの前にいたら肩がどんどん気持ち悪くなっていった、それでも僕は諦めない、ずっと、延々と、パソコンの

疲れきって、本を読むことにした、肩が気持ち悪いのが限界に達したので、本を読むことにした、それで『両方になる』を取って開いて数行読んだら、まったく頭に入ってこなくて、やめた、それで『意味がない無意味』を開いて目次から短いやつを選んでひとつ読み、面白く、もうひとつ読みだしたら、疲れて、やめた、それで、そういえばと思い、Amazonで買ったのはいつだったか、袋から取り出してもいなかった本があることを思い出した、森田真生の『数学する身体』だった、それを取り出し、読み始めたら、面白くて、ちゃんと面白い、本を読んでいる気分になって、読んでいった。

ところで、数字の道具としての著しい性質は、それが容易に内面化されてしまう点である。はじめは紙と鉛筆を使っていた計算も、繰り返しているうちに神経系が訓練され、頭の中で想像上の数字を操作するだけで済んでしまうようになる。それは、道具としての数字が次第に自分の一部分になっていく、すなわち「身体化」されていく過程である。
ひとたび「身体化」されると、紙と鉛筆を使って計算していたときには明らかに「行為」とみなされたことも、今度は「思考」とみなされるようになる。行為と思考の境界は案外に微妙なのである。
行為はしばしば内面化されて思考となるし、逆に、思考が外在化して行為となることもある。私は時々、人の所作を見ているときに、あるいは自分で身体を動かしているときに、ふと「動くことは考えることに似ている」と思うことがある。身体的な行為が、まるで外に溢れ出した思考のように思えてくるのだ。 森田真生『数学する身体』(新潮社)p.40

閉店して、もうしばらく読んでからご飯を食べて、帰って、シャワーを浴びているとふと、今の俺の用途って、イラレなくてもいいのでは? 全部InDesignでいいのでは? というひらめきがやってきた。
少しだけInDesignでマニュアルを作り直すことに対しての疑念というか疑念じゃなかった、懸念があった、それは「本当にInDesignをずっと入れている気なんだろうか?」ということで、もともと日記の読み直しの作業に向けて入れて、これから『読書の日記2』を作っていくときには必要だったがいったん読み直しが済んだ今、次の作業が始まるまでは解約していてもよかったが、なんとなく続けていた、でもどこかでいったん切るだろうなとは思っていた、だから、そんなInDesignでマニュアルを作ったらあとでいじれないことになる、いじりやすくしたくて作り直したかったのに、わざわざInDesignを再インストールしないといじれなくなったらいよいよいじりにくくなる、でももしかしたらずっとInDesignを入れているかもしれない、だからマニュアルもそれで作っても問題かもしれない、でも本当に? だってイラレで月2500円くらいで、InDesignは月々契約にしたから3000円ちょっと掛かって、なんでそういった職業でもなんでもない人間がアドビに6000円近く毎月払う必要があるのか、もったいない、そういう心地があった、それがシャワーを浴びていたらふいに、「むしろInDesignだけでいいのでは?」という新しいひらめきが、やってきたわけだった。考えてみたらイラレも使っているのはそのときどきのメニューの印刷し直しが一番多くて、完全にテキストだけで構成されたもので、他で使うものも案内書きやメニューとか、あとは日記の推敲用に流して印刷してとかで、だから完全にテキストばっかり扱っていた、それって、むしろ、InDesignの領分だったのでは? という気付きがそれで、これはなんというか、明るかった、でもそうなるとイラレを辞める前に、今のメニューと案内書きもInDesignで作り直さないといけない……やることが、いっぱいだぜ……

寝る前も森田真生。アラン・チューリング、岡潔。思考は環境に染み出て……いや、思考は環境の中で生じ……

11月6日(火)

早起き、店、コーヒー淹れ、眠い。深煎りをぐっと飲み込み煙草を吸って、眠たい。10時から取材。カメラマンの方と編集者の方がいろいろ相談しながら撮影しているあいだ、ライターの方と雑談なのか取材なのかという調子で話し、話していたらずいぶん時間が経った、途中でひきちゃんがやってきて、おはようと言った。
ライターの方は週末にフヅクエに来てくださっていて、帰りのときに「今度の取材の」ということで知ったわけだったが、岡山のときに『ソトコト』で受けた取材のライターの方のパートナーの方ということが知れ、びっくりした、そのライターの方は週末フヅクエで過ごしていたとき保坂和志コーナーから数冊取って読んでいて途中で席を移動した、帰るときに保坂和志コーナーが頭上にある席には他のお客さんがあって戻せなかったので預かっていた、そのなかの一冊が『残響』で、話しながら「これ読んでましたねー」とか言っていたら、ふいに『残響』をとても久しぶりに読みたくなった、リュックに入れた。
撮影はけっきょく12時直前まで続いて、そんなに撮るものがあるものか、と思った、12時で場所を移動する、まずはお昼を食べましょう、ということになり、隣の中華屋さんで4人で食事、なんだかのんびりした取材だなと思ったというか、こんなにのんびりした取材は初めて受けた。そのあとスタバに移り、取材の続き、ちゃーちゃーと話す。雨が外でばちばちと降っていて、どうしようと思う。けっきょく2時過ぎで終わりになり、都合4時間、長い取材だった。こんなに長い取材は初めて受けた。

店に顔出し、壊滅的暇と知れ、外でひきちゃんと少ししゃべり、家戻り、雨、革靴を買って初めて、雨の道を歩いた、靴は大丈夫だろうか、ぶっ壊れないだろうか、心配になった、家に着いて、小道を挟んだ向かいのマンションの壁にもたれて煙草を一本、吸った。そうしたら一年半前くらい、この物件に内見しに来たときのことを思い出した、遊ちゃんと建物の前で集合で、集合し、雨が降っていた、不動産屋さんが来るのを、そのときは外壁の工事かなにかで足場が組まれていたそのマンションにもたれる格好で、だから内見しようとしている物件のファサードを正面に見ながら、傘をさして待っていた、その情景を思い出した。多分というか間違いなく、さっきひきちゃんと話していたときにひきちゃんが今度引っ越そうと思っているという話をして、いい物件があった、どれどれ見せてよ、これです、ほおいいねえ、決めちゃいなよそれで、そんな話をしていたからだったし、この角度で、だから向かいのマンションにもたれながら見る景色も久しぶりだったからだった。

ソファで、ひとしきりマニュアルを触ってから、森田真生の続きを読んだ。岡潔。読み終わり、数学の世界はきっと途方もなく面白いんだろうなと思い、岡潔。読み終わると夕方で、眠く、タオルケットを頭までかぶって、寝た、夢を見て、忘れて、起きた。起きると、そういえばInDesignって、ハイパーリンクみたいなやつ付けられなかったっけ? というひらめきがやってきた。
そうだ、きっと使える、ということは、これまではPDF上で、目次のページで該当文字を長押しして検索してそれぞれのマニュアルページに遷移していたのを、今度は1タップで飛べる、さらに、使ううつわや、道具や、それぞれの説明なんかもリンクさせれば、縦横無尽に行き来するマニュアルを作れる、そう考えたら湧き立つ気持ちになり、歩いていたら雨が弱まっていって、最後は傘を閉じた、店に着いて、壊滅的に暇だったらしかった、バトンタッチして、ほとんどやることはなかったからひたすらInDesignと戯れていた、今日はもう、疲れを感じなかった、閉店して、ホットコーヒーには主にこのマグカップ、みたいなやつで、さらに作家は誰それ、どこで買った、みたいなやつで、うつわの写真を撮っておきたい、どうせ撮るならきれいに撮りたい、どうしたらきれいに撮れるんだろう、白いバック? 照明? レフ板? みたいな、完全に素人がなんかなんの支えもなく試行錯誤をして、そうやって夜は更けていった、1時だ……と思って夕飯を食べて、もう少し試行錯誤して、2時じゃん……と思って家に帰って、さあまだまだマニュアルだ……と、4時半くらいまで、やっていた、朝になってしまう、と思い、リュックから『残響』を取り出し、「コーリング」を読み始めた、保坂和志の小説は本当に、小説に限らず文章は本当に、なんでこんなに自然に、体の中に入っていくのだろう、どれを読んでも、しっくりとそのまま、たちまち、目で跳ね返ることなく、入り、鼻、口腔、腹の中に、ぶわーっと広がっていく、これはなんなんだろうな、と思った。本当に久しぶりに読んだ、一度しか多分読んでいなかった、気持ちよくなりながら、眠ることができた。

11月7日(水)

起きたらまだ11時過ぎくらいらしく、まだ寝ていたほうが一日がいいものになりそうな気がした、枕元にあった『残響』を取って「コーリング」の続きを読み、さっきまで眠っていた男が起きたと思ったら本を読んですらいた、という情景に洗面所から戻ってきた遊ちゃんは笑って、僕は笑わせたかったのでその通りになってよかった、それで、読み終わった。遊ちゃんはどこかに出て行った。
しばらく、ぽやぽやとしていて、昼を過ぎて、家を出た、青山に行って丸亀製麺でうどんを食べた、昼時でまだ少し並んでいるそういう時間で、席につくと、向こうに食べ終えてトレイを机の奥にやってパソコンを開いている人があって、「だってここ、丸亀製麺だぜ……!?」と思って、うどんを食べた、食べ終えて立ち上がるとまだパソコン男はパソコンを開いたままで、なんというか、決まりなんてないのかもしれないけどそれにしてもそんなのは野暮すぎるんじゃないのか、と思った。どうなんだろうか。僕の感覚がズレているのかもしれなかった。それはわからなかった。 ザ・ローカルに行って、コーヒーを買って、持ってきたパソコンをリュックから出して日記を書いた、コーヒーショップで開くパソコン、うどん屋で開くパソコン、どう違うのかと言われたらすっきりとは答えられない気がするが、気がするが。
時間になり、コーヒーをもう一杯買い、イメージフォーラムに行き、フレデリック・ワイズマンの『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』を見た、ひたすら楽しいというか目が面白がり続けた。ずっと面白かったけれど、妙に強く印象に残ったのは道端で奉仕活動とかで掃除中とかのクリスチャンとかの人たちにおばちゃんが声を掛けて、父が危篤でホスピスに移るんだけど、よかったら私と一緒に祈ってくれない? という場面で、輪になって、一人がお祈りを唱えて、周りの若い女性たちも、特に手前に映っている人が、相づちを何度も打ったりなんか言葉を挟んだりして、それで、みなで、祈った。おばちゃんは祈った人とその相づちガールとハグをして、みなに感謝をして、行った。掃除が再開された。そういう場面で、これはいったいなんなんだろう、と思って、けっこうな衝撃を受けた。信仰を同じくするという共通項だけで、いきなりこんなことが可能になるのだろうか。というか、そんないきなりの依頼に対しての奉仕活動中とかの人たちのあまりに正しい振る舞い、あまりに健全な振る舞い、そういうものに、凄みのようなものを感じたらしかった。コレクト・ビヘイビアー、そんな言葉があるかわからないがそういう言葉が浮かんだ、いま調べたら、「礼儀正しい行い」という訳語が出てきた、礼儀正しいというか、なにか、社会的に正しいというか、社会的に過剰に適切というか、とにかく、凄いと思った。それで、ずっと面白かった。最後の最後、何度も出てくる場所で、小さくなったおばあちゃんがいったん映って、人々がなにか話して、ギターが鳴らされて、歌が始まった、そのおばあちゃんたちが、力強く歌っていた! 最初に映ったときはまさか歌い出す人になるとは思わなかった人が熱唱して、それで映画が終わった。感動して、それにしてもこの映画は、ひたすらに人がスピーチをする姿を映した映画だった、こんなに人がスピーチする様子を見まくる機会もまずないだろうというくらい人々は、熱心に喋っていた、元気が出た……

どうしようか、このあとどうしようか、ビールを飲みたい、ポテトフライを食べたい、それで本を読みたい、そう思って、このあとどうしようか、そう思って、タラモアに行くかそれとも、と思い、フグレンに入った、なんとかかんとかというカクテルを頼み、ソファに座った、ソファは、一人の人が三人いて、いいソファだった、そこに座り、『両方になる』を開いた、ここのところご無沙汰だったが、今日持って出るときに少し開いたときに、あれ? これ今日、俺、面白く読めるのでは? という予感があって、それで開いたら、その予感は正しかった、今までになくたくさん読んで、それで、読んだ。途中で、俺が食べたいのはポテトフライ、ポテトフライを食べながらビールを飲みながら本を読みたい、それで、だから、アイリッシュパブとかに入って読もうという選択肢が今も有効なものとしてあるけれど、でも結局、そういうところに入ると、グラスが空くと、ついもう一杯頼みたくなるというか、頼んだほうがいいような気になって頼んでしまって、なんとなくスピードが速くなってしまうというか、本当にゆっくり自分にとっていいペースで酒を飲みながら本を読んで過ごすって難しいんだよな、やっぱり家が気楽でいいんだよな、と思って、で、アイリッシュパブで俺が食べたいのはポテトフライ、ポテトフライ、と思っていたら、ひらめきがやってきた。Uber Eats!
考えたこともなかった! でも、これはかなり正しい! そうだ! 俺が食べたいのはポテトフライ! 家が気楽でいい! イコール! 家で! ポテトフライを食べればいい! そのために! Uber Eatsで注文すれば! E〜!!
びっくりした、これにはびっくりした、本当にこれが正解だと思って、アプリをさっそくダウンロードした、それで見てみたら、ポテトフライはいくらでも頼めそうだった、ふむふむと思い、飲み終わり、飲み終わったので家に帰ることにして、スーパーでビールとミックスナッツを買い、家に帰った、帰って、俺は世紀の発見をした! と遊ちゃんに告げた。つまり、Uber Eats! というところで、それは考えてもみなかったねえ、というところで、ポテトフライをどこで買えばいいのか、一生懸命探した。けっこう探しにくくて、「ポテトフライ」とかで検索をしても表示されるのは店ごとで、それよりも各店の「ポテトフライ」の結果を一覧できるようにしてくれたらいいのにと思った、探していたら疲れていって、どんよりしてきた、サンドイッチも買おうかと思ったが、なんだかバカらしい気分になって、ポテトフライをポチって、決済した。少しして、配達先の住所がフグレンになっていることに気づいた、気づかないままでも全然おかしくないような感じだった、配達の方に直接連絡をしてくださいというような解決法だったため、配達が始まるのを待ち、始まったので、表示されていた「Takuya」さんに連絡をした、住所を告げて、すいません、と思った。地図の上を、「Takuya」さんが進んでいく様子を見守った、「自転車」とあるが、本当に自転車なんだろうか、ずいぶん速い、と思いながら、見守り、ああ、あの角を曲がれば、曲がれば。「Takuya」さんがどんどん近づいてくる! 「Takuya」さんはもう家の前だ! ピンポーンとなり、出て、すいません間違っちゃって遠くなっちゃって、初めて使ったもので間違えました、と言ったところ、にこやかに「Takuya」さんは応じてくれた。
それで念願のポテトフライが手元にやってきたので、ビールを飲み、ポテトをつまみ、向かいでビールを飲みながら本を読んでいた遊ちゃんにすごい勢いで食べていると笑われながら、すごい勢いでつまみ、そうしたらあっという間になくなった。でも大丈夫、僕にはUber Eatsがあるからね。そう思って、餃子を頼もうと思った、今度は餃子だ、と思って、また難儀しながら探して、ヘトヘトになって、オーダーしようとすると、なんだか決済がうまくいかない、カードを認証して下さい、みたいなメッセージが出た、さっきはすんなりできたのに今度は認証を必要とするの? と思って、スキャンしろということだったので、スキャンさせようとしたが、いつまで経ってもうまくできない、全然ゴールがわからない、いらだち、もしかしてJCBがダメなのかな、と思い、でもさっきは決済できたのに、と思いながらMasterCardのやつを取ってスキャンすると一発でできて、しかしなんでだか、決済がうまくできない、いらだち、いらだちながらまたスキャンさせていたら、iPhoneの充電が切れた、僕も切れて、もういい、餃子はもういい、Uber Eatsもう知らんよ、と思って、やめた、ということは、僕の今日の夕飯はミックスナッツとポテトフライということになった、それもどうなのかと思ったがもうしかたがなかった、Uber Eatsが全部悪かった、それで外で煙草を吸っていたら、そうだ、InDesignをまた、となんでだか思ってしまって、ソファに戻り、ウイスキーを飲みながら、InDesignを触っていた、遊ちゃんがなにか話しかけてきた、うまく耳に入ってこなくてうまくコミュニケーションできない、遊ちゃんが洗濯物を畳み始めたのが見えた、立ち上がらなきゃ立ち上がらなきゃと思いながら、手を離せない、気分がどんどん落ち込んでいった、そもそも、俺はこの夜、本が読みたかったんじゃないのか? いったいどれだけ読んだというのだろうか。その夜を支えるための手段だと思ったUber Eatsに翻弄され、諦めたら今度はInDesignを触っている。なにをしているのだろうか。
InDesignは本当にろくでもなかった。あんなに食べたかった人間の肉に貪りつきながら、木にもたれて座って、どろんとした視線を向こうに放つ、重い倦怠に身を包まれる、サエールの『孤児』を、こういうときいつだって思い出した。

シャワーを浴びて、少し本を読んで、もう楽しさはどこにもなくなっていて、布団に入った、眠った。

11月8日(木)

朝、遊ちゃんが「滝口さんが帰国するんだって」と、滝口悠生のツイートを見たのだろう、言って、なんでだかさみしさを覚えた、なんだかなぜかさみしい、と言うと、遊ちゃんも同じように気持ちだった。3ヶ月とかのアイオワの大学のライティングのプログラムを終えて作家が帰国する、そのニュースが、なんでだろうか、その日々が終わったのだなということが、たくさんの別れというか、人との別れというよりはその暮らしていた場所との別れみたいなほうか、それが、なんだかそうかあ、さみしいなあ、という心地を与えた、不思議なものだった、日記の続きが楽しみだった、また『新潮』を買うことになるだろうか。そもそもこの会話は、今朝のものだったろうか、昨日ではなかったか、あるいはおとといでは。

店、行き、勢いよく仕込みをして、山口くんがやってきた、朝の準備は山口くんにお願いして、勢いよく仕込みをして、店を開けた、ゆったりした営業で、つまり今日もまた暇で、勢いよくInDesignを触ることにした、山口くんはいろいろを作れるようになってきた、なんかやりたいことある? と聞くとお会計のやり方とかを、ということだったので、それはまさにちょうど思っていたことだった、そのため、架空の伝票をたくさん書いて計算問題を問いてもらった、ほぼ正解で、ちゃんと理解されていることにうれしい思いをした、優秀だね! と言ったか言わなかったか。
途中、お客さんの姿がない時間があった、そこで、うつわの写真を撮りまくった、前の夜には思いつかなかったいいポジションが見つかり、そうするとカメラも置いて固定できて、バミリのテープを貼ってうつわを置いて、次々にシャッターを押していった、すごい勢いでうつわの写真を収めて満足した、それを今度はInDesignに配置だ。そうやって、マニュアルは、進化していく……たくさんのリンクが張り巡らされた……そういえばどのマグカップを使えばいいんだっけ……そんな問いにすぐさま答えを与えてくれるような……
夜、山口くん終わり、夜も暇、僕は猛烈に忙しい、インデザインデザインデザイン……
イラレからInDesignへの移行もしていかなければならない、ちょうど「そのときどきのメニュー」を新しく印刷する必要があったため、また一から作った、InDesignは、便利だなあ、と感嘆しながら、ぐったりしながら作った。きれいにできた。
閉店して、2日分、日記が書けていない、書かないと気持ち悪い、と思って書き出すも、なかなか終わらない、時間は遅い、帰って書こうか、そう思ったが、家にパソコンを今日は持ち込みたくなかった、明日の朝にしようと思って出て、霧雨が降っていた。

寝る前、初めて、読書、『両方になる』。半分ほどまで来て、面白い、開くと、大きな余白のあとに「第一部」とあり、あれ、今までのやつはなんだったっけ、と見に戻ると「第一部」とあり、ほう〜、と思い、その、新しい第一部を読み出すと、ページが1から始まっていた、ほう〜、と思い、読んでいった。最初の第一部は15世紀だったかとかのイタリアの画家の語りで、次の第一部は21世紀だったとかのイギリスの少女か少年の語りということのようだった、両方に、なっていく。 布団に入り、昨日の僕の振る舞いは適切なものではなかった、申し訳なく思っている、と遊ちゃんに謝った。Uber Eatsが悪いね、と遊ちゃんが言ったから、あとInDesignもね、と付け加えた。

11月9日(金)

雨が降ってはいなかった、急いで店に行き、いくつかの仕込みをおこない、コーヒーを淹れて日記を書いた、書いている、ここのところ日記を書く隙間というものがうまく見つけられないでいるというか、そういう隙間ができない過ごし方をしている、おかしい、リズムがなんだかおかしくなっている、というか、ここ数ヶ月ずっとそういう変な感じがあるような気がする、それは言い過ぎだが、トークであるとか、エッセイであるとかで、いつ書いているか、いろんな時間に、隙間隙間に、書いて読んで働いて、それが未分化の状態で一日がある、そういうことを立て続けに言ったり書いたりした、そのあたりから、本当にそんなふうになっているか? と思って、なっていないような気に、状態に、どんどんなっていったような気もするし、そんなに変わっていない気もする、とにかくここ数週間か一ヶ月くらいか、よくわからないことになっている、すぐに詰まっていく、そうだっけか、そんなことになっていたっけか、ちょっとよく覚えていない。

ぽやぽやと営業しながら、なにをしていたんだっけか。働いたり、していた、途中からまたInDesignを触っていた、雨が降っていた、夕方に山口くんが来た、それで、グッと使い勝手がよくなったはずのマニュアルを見せて得意な顔をした、それで、それで、なにをしていたんだっけか、夜、途端に忙しくなり、これだけオーダーが立て込んだ状況というのは習得の場としてはどうなんだろうか、と思いながら、山口くんには定食をよそってもらったり、できることをひたすらやってもらった、どうなんだろうかと思ったが、反復練習的にきっと意味があったからよかった、一気呵成に忙しい、今週初めて忙しいことになってくれてうれしい、そういう日だった、僕も疲れた、それで終わりの時間になり、練習がてらで鶏ハムのサンドイッチを立て続けに二つ作ってもらい、ひとつは僕が、ひとつは山口くんが、食べた、たしか、そういう日だった。

帰宅後、『両方になる』、読む。舞台が現代になって、すんなり面白い、15世紀だったかのイタリアが舞台のときも、なんだか不思議にすんなり面白かった、『両方になる』の組版というのかなんというのか、レイアウトというのか、組版でいいのかな、組版は変わっていて、数字は漢数字ではなくアラビア数字で、それも珍しいというか「3つ」とかならまだしも「2重」とかにもなっていて珍しくて、それから、「?」や「!」、だいたい後ろがどう続こうが1文字分のアキというのか、空白がある、というのが通常見かけるものだと思っているけれども、この本では「?」とか「!」とかのあとに「と」とかが続く場合はアキというのか、空白なしで続いている。フラナガンの『奥のほそ道』もそんな感じだった。
先日『読書の日記』の装丁をやってくださった緒方修一さんと少し話す機会があり、『奥のほそ道』のあれはどういったあれなんですか、と聞いてみたところ、あれはこっちでどうこうではなくて翻訳家の人の文章がそうなっていた、というようなことをたしかおっしゃっていた、どんなルールであれ、統一されていればそれでいいと思うんだよね、というようなことをおっしゃっていた。『読書の日記』は、僕は「?」のあとに「と」とかが続く場合は1文字分じゃなくて半角分くらいのアキにしたくて、そのことのやり取りが何度かあった、それを思い出した。きっと統一に思わなかったところがあっただろうし、僕もその文章の気分とか流れに添うことのほうを考えていた。

夕飯がサンドイッチだけだったため腹が埋まらず、お酒を飲んだらいつもより酔っ払った。早く朝ご飯を食べたいな、と思いながら寝た。

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