本の読める店

読書日記(108)

Entry diary108

10月20日(土)

昨日は結局、4時近くまで起きていた。今日が暇だったから、明日も暇だと決めつけたらしかった。ここ数週間の週末がだいたい忙しいことをすっかり忘れて、今日が暇だったからという理由を取り出して、それに乗っかったらしかった。バカなのかと思った。

朝、天皇が出てくる夢を見た、透明の、ポチ袋というのだろうか、透明の小さい四角い僕はポチ袋だと思った袋というかケースというかに折り曲げたお金を何枚か、それは千円札だった、入れていて、それをうやうやしく、机の上で押し出すように、出した、誰かに差し上げるということのようだった、そういう夢を見ていたから、そのあと、皇后のお言葉だったかお達しだったかを、はてブ経由で読んだときは、お喜びがあった、それにしても美しい文章だった、美智子様、ちょっとびっくりするくらい、美しい文章だった。で暇な始まりだった、とても暇な始まりで、昨日が暇だったから、今日も暇だったら、あれ、どうしよう、また下降するの? と思っていくらかそわそわした、先週の日記の推敲をしたあと、7月分の日記の読み直しをしていた、日記日記。
暇な時間が5時くらいまでだったか、これはダメな土曜日だ、と思っていたところ、そこから一気にドライブが掛かり、働き通しの時間になった、とは言え始動が遅すぎる、間に合わないだろう、と思ったら、わりに早々とバジェットは超えて、どういうことだったのだろうか、途中、7時くらいか8時くらい、物悲しい気持ちになって、悲しかった、暗かった、先週の土曜日と同じ気分になりながら働いていた、そういうとき、どん底みたいな心地になる、あれは、なんなんだろう。

閉店まで1時間くらい、InDesignを触っていた、7月分、12時になったら、眠くなって、睡眠時間がやはり足りなかった、夕飯を食べながら、大谷翔平特集の『Number』を読んでいた、大谷は、いい。

「確かに9月2日の試合では150km台後半のストレートは普通に投げられていたんですけど、でも、あれが自分のピッチングかと言われれば、そうではないと思っていました。投げていて違和感があったんです。(スピードを)出すつもりがないのに、ゲームの雰囲気に乗せられて出てしまっただけで、腕は振れてなかった。まだ24歳で、思い切り、自分の100%のパフォーマンスを出せる状態じゃないまま、不安を抱えてマウンドに上がるというのはしんどいなと思いました。やっぱり100%で相手と勝負したいし、このヒジでも160km近く出ちゃうんなら、もしかしてケガをしてなかったら170kmくらい出てたかもしれないと思ったくらいです」 Number 963号 大谷翔平 旋風の軌跡。』(文藝春秋)p.16

「8月はブルペンだけで、実戦の強度では投げていないので、その段階では何も感じられません。実戦で96マイルとか、そういうボールを投げたときにどうなのかということがわからなかったんです。ただ、投げていて張りはずっと感じていたし、復帰することになったとき、本当にこれでいいのか、このまま投げていくことが楽しいのかどうかを最終的に確認したかった。バッターを抑えられるのかどうかもそうでしたけど、この状態で投げていて、自分の中に楽しいイメージが湧くのかどうか……それは打球が右手に当たったこととは関係ありません。試合前から違和感はありましたし、それは普通なら試合で投げられる程度のものでした。その原因が靭帯にあるなら、そういうピッチングが楽しいのか。今までも張りを感じたときに球速が落ちるなと感じたことはありましたし、これから先発ピッチャーをやっていく上で、それではこっちのバッターを抑えられません。あの試合、投げていてそういうイメージしか湧かなくて、これは楽しくないなと思ったんです。(…)」 同前 p.16,17

楽しいか、どうか。大谷の言葉はいいよなあ、いいよなあ、と思いながら読んでいた、楽しかった。眠かった。家に帰って、早く寝ようと思ってから、プルーストを開いた、すぐに眠くなるだろう、と思って読みだしたら、ぐいぐいと面白くて、そもそも、家に帰る時、帰ったらプルーストだと思ったらウキウキした、休日とかに、ひたすらプルーストを読んだりして過ごせたらいいのになとそんなことを思いながら帰っていた、寒かった、そろそろ寸足らずのズボンではなくてちゃんとした長ズボンを履かないといけないだろうし、セーターなんかも、そろそろだろうか、セーターの前に、ジャケットを着るようになるのだろうか、今は、遊ちゃんがやたらゆるっと羽織りたかったらしく買った女性用のXLサイズだったかLサイズだったかの羽織るやつを、羽織ってみたらちょうどいいサイズで、それを、どうしてだか僕がずっと着ている、着たくなったらいつでも言ってね、とは言ってある、それで、ウイスキーを読みながら、そのときはパジャマだ、ウイスキーを読みながら、プルーストを読んでいたら面白くなって、どんどん読んでいた、いつもよりもずっと長い時間読んでいた。

一瞬、彼女のまなざしが私のそれとすれちがった、まるで、嵐の日に、速度のおそい雲に近づき、それに沿い、それにふれ、それを追いこしてゆく、あわただしい空の雲脚のように。しかしそれらの雲脚は、おたがいに知りあうこともなく、はなればなれに遠ざかってしまう。そのように、私たちのまなざしも、一瞬間、まともに向きあった、そしてそれぞれの行く手にある空の大陸が、将来どんな約束と脅威とをふくんでいるかを知らないのであった。ただ、彼女のまなざしは、ちょうどそれが私のまなざしのなかを通った瞬間だけ、その速度はゆるめないままで、かすかにちらとかげった。そのように、晴れた夜空に、風にはこばれる月は、ひとひらの雲のなかを通り、一瞬のあいだかげり、すぐまたその姿をあらわすのだ。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈3 第2篇〉花咲く乙女たちのかげに 2』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.282

プルーストの語りの、手のひらをコロッコロと返す、即座に返す、その様子はおかしくて、現金で、それはコメディだった、僕は悲しいこともおかしいことも一緒くたになったそういうモードのものが好きで、どのトーンと規定できないような、次の場面にどのトーンに流れるのか予測がつかないような、あらかじめ決められてはいないような、そういうものが好きで、『キングス&クイーン』とかが僕のなかではそうだったし『運命のつくりかた』もそうだった、その二つがよく浮かぶ、『タレンタイム』もそうだろう、プルーストもそうだった。
エルスチールが、真剣な調子で1ページ分くらい、しゃべる、いいこと言ってるなあ、と僕は思いながら読んでいたら、そのセリフが終わって、それを受けて語り手はなにを言う、なにを思うのかと思ったらなにも言わないし思いもしないというか言及せずに違うことを考え出す、ちょっと、敬意を払いなさいよ!w と思って、すごくおかしい。いつのまにかソファでうたうたと寝ており、慌てて起き上がり、布団、寝。

10月21日(日)

開店するまではわりといくつかやることがありワタワタと準備し、開けたらゆっくりだった、今日も暇だぞ、これ、とうとうなんか調子いい感じの時期が終わったのかな、と思いながら、一日を過ごしていた、結果、数字上というかお客さんの数は十分というかバジェットに乗ったから問題はないというか悪いわけではない日曜日だったはずだけれども体感はひたすら暇で、ずっと日記の見直しをしていた、7月が済んで、8月に入った、滝口悠生の『死んでいない者』を読んでいるところ、保坂和志の『ハレルヤ』を読んでいるところが、面白かった。

今日はだから、自分の日記と、山口くんの小説をずっと読む、というそういう一日だった。
いつもお帰りの際に話す、それを僕は楽しみなこととしてずっと持っている、もうだいぶずっと話すスズキさんがいて、スズキさんと話すのは饒舌に話すときも訥々と話すときもどちらも「会話ってそういうもんだよね」というコンセンサスが取れている感じがして楽で、会話って失敗したりもするよね、こうやって失敗するんだよね、たくさん失敗するよね、というコンセンサスが取れている感じがして楽で、それで話す、僕はスズキさんにはなんでも話してしまうなあという、新井田千一とタムラックスのような、そういうスズキさんがいて、スズキさんが昨日の夜に来たときに、帰るときに話していた。あたらしい人が決まったんですよ、ツイッター、この人、調べてみてくださいと、僕はなんでも話すスズキさんだから話したのが金曜日だった、そうしたら土曜日の昨日も来られて、それはごくごく珍しいことというか記憶にない連日だった、それで昨日も帰るときに話していたら、昨日教わってツイッター、見てたんです、そうしたら小説あって、読んだんです、それが僕はすごく好きで、朝までずっと読んじゃいましたっていう、今日はそれだけ言いたくて来た感じです、どこかの帰りというわけでもなくて、日中はジムで体を動かしていました、ジム行ってるんですか、いいですね、最近それが楽しくて、ともあれ、小説が面白かった、わあ、そうなんですね、僕はちょっとしか読んでないな、と思って、そのちょっとしかのときはずっとツイッターをさかのぼっていたときで、意識はツイッター優先だった、ツイッター掘っていきたいの、それが楽しいの、と思って、だからnoteで小説が書かれているそのリンクに行ったときもちょっと読んで、ツイッターに戻った、その小説をスズキさんは朝まで掛けて全部読んだ、とにかくよかった、そう言っていて、じゃあ僕も読んでみようかなと思って昨日、読み始めたら、これが面白い、面白いというか、すごい、これは、すごい、面白い、と、ずっと読んでいった、そうしたら一日が終わった。デリケート。
すごい、すごい、と思いながら、この人に嫌われない人というか、この人に「ダサっ」と思われない人であるといいなというか、彼から見たら僕は大人だった、顔向けするのが恥ずかしくない大人でありたいなというか、そうじゃないとな、と思った、これだもんなあ大人はずるいよなあと思われない人でありたいなというか、そうじゃないとな、と思った、ちょっと、怖かった。

閉店後、西武の辻監督が頭を抱えて泣く様子を見て、こんな監督とともに戦ってきた選手たちはなんというか、誇らしいだろうなと思った。

10月22日(月)

今日も暇。フヅクエの調子いい時期、終わった説がある。
いくらか仕込みをして、空いている時間はずっと、昨日と同じで、日記の見直しと、それから山口くんの小説を読む、を交互にしていた、交互というか、休憩している時間はずっと山口くんの小説、というようだった。全力で歌がうたわれる場面があった、そこで、泣いた。この小説は、とにかく、やさしい。人間に対してとにかくやさしい。真摯だと思う、というこういう感覚は、滝口悠生を読んでいるときに思う、ジエン社の演劇を見たときに思った、それと同じ、やさしさ、真摯さ、誠実さだった。

夜、xxxさんから教えてもらって、すごくいい場所だよって、と言って来た方があって、おー、それはうれいしな、と思った、そうしたらその方はパソコンを開いて、ずっとなにか作業していた、途中からタイピングが目立って、あ、ダメだ、タイピングしすぎ、と思って、すいませんこれ読んでくださってますよね? タイピングちょっとしすぎ、それはなし、と伝えたところ、すぐに荷物をまとめて帰っていかれた。
どんな店だと聞いて、どんな過ごし方をしたくて、来たんだろうな、と思った。
がっつり本を読みたい人と、本は読まずともフヅクエのありかたやそこで過ごす他の人たちのありかたに十全な理解と共感を持とうとする姿勢を持った人以外、この店は僕は俺は相手する気まったくないんだわ、と思った。この店に立っているとき、そういう人たち以外に回す愛は俺には一切持ち合わせていないんだわ、と思った。

そのあと、昨日買ったブラウンのハンドブレンダーみたいなやつにつけるアタッチメントみたいなやつの泡立て器を、使う機会が訪れて、使ってみた、ホイップを立てるために。そうしたら、ものすごくうるさいという音ではなかったけれどそれなりにうるさく、そして、長いwww という感じで、立つまでが長く、でも、とてもきれいなホイップができて満足だった、今度からは外に出てやることにした、これまではタッパーに入れてひたすらシェイクという方法をとっていて、疲れるんだよな、という課題があった、疲れるし、オーダーされたときに忙しいときとかだと、あ、ちょっとつらい、と思うときがあって、そういうのはよくない、という課題があった、これで、解決された。とても満足した。

閉店して、小説を読み終え、うっとりとして、いやあ、これはマジで立派な小説だぞ、どうやったらこんなふうに書けるんだろうか、どういうふうに書いてるんだろうか、すばらしく細部が響き合う、こんなことってできるもんなんだろうか、すごいな、と思って、日記の見直しは9月半ばまで進んだ、あと少しで終わる。水曜日に内沼さんと会うから、それまでに終わらせて、会ったときに、内沼さん、日記の見直し、終わりましたよ! と言いたいのだろう。

帰って、山口くんの小説の話をして、それからプルースト。プルーストがずっと面白い。ドストエフスキーもそうだけど、いかにも難しい世界の大文豪という感じだけど、そういうところももちろん確かにあるのだろうけど、どちらもけっこうゲラゲラ笑っちゃうような面白さがいくつもあって、それはこの面白さは、本当にテキストをずっと読んでいくことでしか経験できない知ることのできない面白さで、だから、あらすじで読むプルーストみたいなものは、本当にダメだよね、ほんと無価値だし無意味なんだよね、ということを改めて思った、思って、遊ちゃんと話した。 音楽を、サビのメロディだけ抜いて聞かせて、それでその曲を聞いたとは誰も言わないはずで、あらすじで読む、というのはそういうことだった、いや、言うかもな、サビで、聞いた、っていうのは、言うかもしれない、では絵画か、絵画で考えると完璧だった、たとえば『モナ・リザ』を、輪郭をトレースしたペン画があったとして、それを見て、私は『モナ・リザ』を見たことがありますと言う人はいない、それが実際の作品を見る経験とまったく違う経験だということを理解しない人はいない、いないかは知らない、知らないが、それが、あらすじで読む、とか、漫画で読む、みたいなものだった、言葉で構築されたものは圧縮することができると思っている人がきっと世界にはたくさんいるが、語り手がエルスチールの立派な演説を聞いて、一語も反応しないで女の子たちに会えなかったことが惜しまれる、みたいな地の文を続けるときの面白さ、笑っちゃう面白さは、それを読まないと味わえない、カギカッコのあとに、改行も何もなく、語り手の非情でろくでもない語りが続くそれを、それ自体を見ないと、味わえない。
だから、その部分を遊ちゃんに朗読して聞かせて、寝た。

10月23日(火)

起き、出。副都心線、また間違えていつのまにか練馬にいないよう、ちゃんと和光市行きの電車を確認する、電車を待ちながら時刻表を見ると、西武線になる副都心線がたまにあることがわかり、これらはトラップであることを僕は全身を持って理解したのでもう二度と同じ過ちはおかさないだろうと思う。
乗り、プルースト。ここ数日、自分の日記と山口くんの小説とプルーストしか読んでいない、プルーストを読む時間がやたらに楽しくなっている、今日も楽しい、花咲く乙女たちに囲まれて、ついに囲まれて、語り手はとても楽しくなっている模様。もう、サン=ルーもエルスチールも、眼中にない。

地下鉄赤塚で乗り換え、ときわ台。仕事先から直接向かっていた遊ちゃんが7分後に着くようだったので、駅のところで待った、細かい雨が舞った。合流し、鈴木さんの物件に。解体が昨日から始まって、階段を上がった、側面のところの壁をぶち抜く。そうすると気持ちのいい吹き抜け感が一気に出る、そうするために、解体が昨日から始まって、まずはお昼ご飯を食べましょうというところで、松屋で食べましょうかと言っていたが、キッチンときわに行った、すばらしい町の定食屋さんだった、四人がけのテーブルに座ったら、こっちの広いところを使ったら? と定食屋のお母さんに言われ、そちらに移った、こっちならテレビも見えるし、ということだった、テレビでは、サウジアラビアの記者の事件を放送しているらしかった、詳細は僕は何も知らなかった、遊ちゃんは着替えてくると言ってトイレに行った、僕はオムライス、遊ちゃんは親子丼、鈴木さんはハンバーグライスを食べた、向こうにいたおばあちゃんと娘くらいの母子らしき二人はおばあちゃんがきれいな格好をしていて、二人は、チャーハンと餃子と麻婆豆腐を頼んで、シェアしているようだった、食後にはアイスコーヒーとコーヒーフロートを飲んでいた。もうひと組みは仕事中と思しきスーツの中年の男性と若い女性の二人で、ハンバーグライス的なものを頼んでいて、男性は、ライスは僕はいいです、とご飯が来たときに言って、いいの、そうなの、と定食屋のお母さんは言って、厨房に戻りながらライスひとつなしでいいそうです〜、と言った、厨房を見ると二人の男性が立ち働いていた、そのあと味噌汁を持っていって、そのときは女性の分だけしか持っていかなかった、男性は、味噌汁は飲むのでほしいということだった。どちらのテーブルも、なんだか僕は好きだった。 少しすると、まずカトラリーが運ばれ、それから頼んだものが運ばれ、それから、味噌汁であるとかが運ばれた、オムライスを食べたのは、ここのところ少しオムライスを食べたかったからだった、面接のときに、そういえば玉ねぎのみじん切りって、できるっていうことですけど、玉ねぎのみじん切りってなに作るときに作るんですか、と聞いたら、オムライスとか、という答えがあって、その工程をちゃんと入れたオムライスを作るという丁寧さにいくらか感動したというか、作るならちゃんとチキンライスを作ろうという意志というか気分に好ましいものを感じて、それ以来オムライスを食べたかった、それで食べたオムライスはとてもおいしかった。遊ちゃんは先月だったかに鈴木さんの母校である東北芸術工科大学に遊びに行っていて、すばらしく好きな場所だった、それを鈴木さんに話した、初対面だった。

ご飯を終え、鈴木さんは夕方に仕事があるので3時半くらいまでだった、僕はもっと早く来たかったが起きるのが遅くなり遅くなった、残された時間は2時間ちょい、これじゃあ冷やかしに来たみたいなものになっちゃったかな、と思ったが、取り掛かった、マスクとゴーグルとバールを用意してくれていたので、着用して、脚立にのぼり、壁は、軽い金属の柱みたいなものが組まれたところに石膏ボードが固定されているというもので、その石膏ボードをとにかく落としていった、バールで、叩いて、叩いて、叩いて、落としていった。気持ちがよかった、遊ちゃんももう少し離れたところで同じことをやっていた、小さな細い体とはそんなにそぐわないように見える立派な勢いで、壁を壊していた、彼女は解体作業を好きだった、どうしてそんなに何回も解体の現場に行っていたのか僕はよく知らなかったが、そのよく解体をしていた時分には解体用の着るものセットを持っていたというから、それはけっこう頻度があったことを知らせた、僕はこの日は、履かない、デニムのパンツを履いていた、帽子は取った。
叩いて、叩いて、叩いて。大きな音が反響する、たくさんの粉塵が舞う、壁が、崩れ、落ちる。バールは2本だけだったので、鈴木さんはトンカチでやっていたが、やりにくそうで、途中で、借りている身で言うことでもなかったが、ホームセンター近いんですよね、バールもうひとつ買ってきたほうがやりやすいんじゃないですか、と提案したところ、鈴木さんはそうするということでいったん出た。引き続き、壁を落としていった、すると、鈴木さんが戻ってくるまでのあいだにほとんどの石膏ボードを落としきることができて、僕と遊ちゃんは満足だった、バール、要らなかったね、と笑った。戻ってきた鈴木さんは驚いていた。ただバールを買うついでにインパクトも買ってきていたので、無駄足ではなかった。
少し休憩して、次は軽金属の柱というか、それを取り払う。ビスで固定されているからそれをインパクト等で外して、柱を緩めて、としたら抜けるかな、と思ったが、それでもいけたし、それではいけない部分もあって、バールでバチンバチンと叩いて曲げて、取ったりした、長い柱が、ぶらーんとゆるんで、倒れてくる、何度か、ヒヤッとした。バールを振るうとき、とにかく気持ちよかった、生きている手応えのようなものといえば大げさだが、手応えがあった。途中で施工管理の荒井さんが来て、午前中に見に来たときは厳しいかな間に合うかなと思ったが、一気に進みましたね、と言った。役に立った。
柱も取れて、そうすると一気に、一気に見通しが出た、やっぱりこれは壊して正解でしたねえと言い合って、あとは天井の同じような骨組みを取れば、ほぼさっぱり、というところだったが、これがどうやったらいいのかわからない、そもそも、それは階段の頭上の天井であり、ということは、足元は階段だった、奈落で、どうやって作業したらいいかわからない、わからないので無理くり脚立の上から叩き落とすようにまたバールを振るっていたら、思った以上に落とせた、おおむね、きれいになった。たくさん出たゴミというか廃材を見て、手伝いに来たの今日でよかった、と思った、片付ける作業は、途方に暮れるたぐいの作業になるだろうから、破壊の日でよかった。

外に出ると寒かったが、汚い体できれいなシャツを羽織るのは気が引けて、半袖のまま家まで帰った、シャワーを浴びて、さっぱりして、5時過ぎだった、少し昼寝してから店に行こうと布団に入って目をつむっていた、うとうとしているとシャワーを済ませた遊ちゃんの「さっぱり!」という声が聞こえたような気がした、眠った。
起きて店に行き、ひきちゃんと歓談ののち、働いた、働こうとしたが、働かせてはくれなかった、極端に暇な日だった、僕はほとんど何もしていない気がした、『新潮』をご持参で読んでいる方がまたあって、ちょうど他に人がいないタイミングだったので、その『新潮』読んでる方をなんかよく見かけるんですけど、どうして読んでるんですか、と尋ねてみたところ、その方は「いかれころ」だった、新潮新人賞の受賞作ということだった、また、町屋良平の「1R1分34秒」も目当てだった、でも、今回のが多く読まれているとしたら、高橋源一郎のやつじゃないですか、と言っていて、ああ、そうか、と思った、それはあるかもしれない、けどそうじゃないかもしれない、どうなんだろう、どのみち、読みどころが多い号ということのようだった、僕は「アイオワ日記」です、僕はこれからです、めっちゃ面白かったです、そういうやり取りがあって、なんだか気持ちよかった、お会計のとき、オーダーされたものを間違えて150円多くいただいてしまったことにあとで気付いて、次に来られたときに返さないと、と思った、それで、だから暇で、ほとんどの時間は日記の見直しに費やした、9月14日、残り16日だった、17日だろうか、とにかくそのくらいだった、で、進めていった、閉店時間を迎えるあたりで、終わった。終わった! と思って、今は月ごとになっているシートを、ひとつのところに統合しよう、それがしたかったの〜、ということをやろうとしたら、何度もフリーズするから、家に帰ってからやろうと思って、ご飯を食べて家に帰って、腹一杯で、それでやった、そうしたらできて、ページ数を見たら、どのくらいになるだろう、月ごとのときにページ数を足してみたら1236ページとかだった、書き足したりもわりとしていたから、1300ページ近くになったりして、それはさすがにないか、1250ページくらいかな、と思っていたら、1176ページで、あれ、どうしてだろう、なにかがおかしい、減るってことはないはずなのに、と思ったら、月ごとのほうのファイルが、1ページ16行でテキストが流されていて、本当はというかもともとの雛形のほうだと17行だった、どうしてそうなったのかわからない、InDesignのことはまったく理解していない、ともあれ、1行ずつ違ったらそうなるわね、と思って、だから、満足だった、満足したあとは今度は、山口くんの小説を、noteの全32回のテキストをいったん全部エディタにコピーし、それをInDesignに流す、ということをなぜかやり始めた。やったところ、230ページほどだった。僕は何をしているんだろうか。それにしてもこの小説は、本になったりするべきものなんじゃないのか。と、僕はここ数日、思っているらしかった。

それでやっとInDesignに満足し、ウイスキーを飲み始めた、プルーストを読み始めた、ずっと、面白い。語り手、楽しくなりすぎ。

10月24日(水)

いわば彼女らは、その一人一人がかわるがわるに小さな彫像となるのであって、彼女らは、それぞれ、はしゃぎとか、きまじめとか、甘ったれとか、びっくりとかいった名で呼ばれる、率直な、完全な、それでいてはかない、そんな印象に型どられた、若々しい小像なのだ。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈3 第2篇〉花咲く乙女たちのかげに 2』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.365

びっくりとかいった名——

一度起き、もう一度眠れ、と念じながら、眠りのポーズを取っていたところ無事眠り、起きたら12時過ぎだった、たくさん眠れた。起きて、コーヒーを淹れ、ここ数日、日記の見直しにかまけて日記を全然書いていなかった、昨日の分とおとといの分の日記を書いて、満足した、それからうどんを茹でながらプルーストを読み始めた、鍋に貼り付いてしまうとなかなか取れなくなるので、混ぜながら、蒸気で手が熱くなった、もう片方の手で本を開いてプルーストを読んでいた、食べた。食べて、満足した、読んで、夕方まで読んでいた、そろそろ家を出ようと思っていたところ遊ちゃんが戻ってきて、丸善ジュンク堂に行くと言うと一緒に行こうということになり、行った。
アリ・スミスの『両方になる』を取り、それから、ナカムラケンタの『生きるように働く』を、読んでみたい気がしたため、探した、あって、ふむふむと思っていたところ遊ちゃんがやってきて、そのエリアを一緒に見ていたら、キャリアアップとか自己啓発本とかのエリアで、タイトルを見ていたら、どんどん元気が吸い取られるような気分になった、肩がずっしりと重くなりすらした、げんなりして、悪い冗談みたいだった、それで、棚から離れた、歩きながら自分が手に持っている2冊の本を見やると、生きるように働く。両方になる。と2つ並ぶと、『両方になる』が突如、パラレルキャリアとかの指南書みたいに見えてきて、その変容が愉快だった。

フグレンに行った、ソファに座れたためソファに座った、コーヒーを飲み、『生きるように働く』を開いた、ソファで隣に座っていた男女がつまらなかった、お店の人がアイスアメリカーノ、アイスアメリカーノ、みたいな、アイスアメリカーノできたけどどなた〜、という呼びかけをしていてそれを二人だけに聞こえる小さい声で繰り返して、さっきの人は日本語っぽく言ってたね、てことはあの人は英語担当、英語話すのが仕事、あとはどれだけ仕事してるっぽいふりして突っ立っていられるか、それがあの人の仕事、って俺ディスりすぎ、性格わる、みたいなことを言っていて、つまらなかった、ディスにもなっていないし性格悪くもなれていないし、せめて面白くディスれよ、どうしようもないよそれ、と思って、『生きるように働く』を読んでいた、隣の二人のやり取りに気を取られ、あまりはかどらなかった、『アニー・ホール』でウディ・アレンがダイアン・キートンと並んでベンチに座ってセントラルパークで、通り過ぎる人たちを指してジョークを言ってゲラゲラ笑い合う幸せな場面を思い出した、せめて幸せになってくれよ。

夜、もともとは武田さんと内沼さんと飲む予定だった、『寝ても覚めても』の話をしようというところからの飲む約束だった、先日友人が『寝ても覚めても』の最初の焼肉屋はあれは渋谷の百軒店の焼肉屋のどうげんなんじゃないかと言っていた、そうなのかな、どうなのかな、と思った、なのでどうげんでどうでしょうか、と言っていて、予約でいっぱいということで、あれま、どうしましょうか、なんでもいいや、とやり取りをしているうちに武田さんの体調が悪くなったようで、キャンセルになった、あらま、と思って、飲みたかったので、内沼さんに「よかったら軽く飲みませんか」とメッセージを送ろうとしたところ、「軽く飲みますか、どうしますか」というようなメッセージが来て、面白かった、軽く飲む、という言葉がどちらからも出てくるのが面白かった、本来いるはずだった人への慮りというかなにかだった、軽く飲むことになり、時間になり、フグレンを出て、代々木八幡で、ということになった、予定の時間に少し遅れるとのことだったので先に入ることにして、勝手に店を決めて入って、ビールを頼んだ、入ったのは居酒屋俊だった、武田さんは武田俊なので、いつか武田さんとここで飲みたいなと前に思った記憶があったそこに、今日はここしかないでしょ! と思って入って、内沼さんに、ここの地下一階にいます、とグーグルマップでピンをつけて、だから店名はわからない形で、送付して、ニヤニヤと楽しんだ、ビールを頼み、飲み、『生きるように働く』を読みながら待った、この、先にお店に着いて先に飲み始めて待ちながら本を読む、という時間が僕は好きだった、できたら毎回そうしたいくらい好きだった、それで、来られ、僕はまず『生きるように働く』と『両方になる』を出して、『両方になる』が被る意味の変化をヘラヘラしながら見せて、それから飲んだ。
今度入ることになった山口くんという人の小説がなんだかすごくよかったんですよという話や、鈴木さんの店の話、『読書の日記2』の話等々、あれこれ話し、つまり僕は話したいことがいろいろあったということだった、話して、楽しく、飲んで、いい時間だった、僕は、内沼さんと話しているのはいつも気持ちがよかった。
店を出て、駅で別れ、とことこと歩いて帰りながら、楽しかったなあと思って、この、清々しい、楽しかったなあという感じ、これはなんだったっけかなと思ったら武田百合子の『犬が星見た』のトイレで少女たちとゲラゲラ笑って、楽しかったねえ、という場面の武田百合子のそれだと気づいた、新版が出る、というのをhontoからのメールで見たのは、その前だったか、後だったか。コンビニで、おにぎりとビールを買って、おにぎりを食べて、家に着いて、家の前で、ビールを飲んで、煙草を吸って、家に帰った、今日は月がきれいだったということで、見忘れた、遊ちゃん、月を見に行こうよと誘って外に出た、見上げると、雲が広く出ていて、月は隠れているようだった。

10月25日(木)

今週が暇だったからフヅクエは暇になってしまった、ちょうど人が入るというところで、暇になってしまった、と思っていたら、今日は忙しかった、忙しい金曜日くらいで、今週の凹んでいた分を取り戻せたのでよかった、パタパタと働いていて、途中、お客さんが「読みました?」と言って、滝口悠生のエッセイがある、よかったらどうぞと、貸してくださった、『ちゃぶ台』というミシマ社の雑誌ということで、お、ミシマ社、と思った、それで、手が空いたときにエッセイを読んだ、チャンドラモハン、で合ってたっけ、それのことが書かれていた、「アイオワ日記」で触れられていたことがもっと書かれているということだった、とても、よかった。

営業中にうまく本を読めない、日記もうまく書けない、なんだか世界の箍が外れてしまったというか、リズムがおかしくなった、いい日だった、わ〜、はじめまして〜、ということや、おわわ〜、ひさしぶり〜、ということがあって、人とよくしゃべる日でもあった、終わって、ご飯を軽く食べて、3杯、食べて、帰りながら、ダミアン・ライスの「デリケート」を聞いていた、いくつもの場面が勝手に浮かんできた、音楽とともに見える景色が流れていくと、映画みたいだった、そういう鳴り方をする曲だった、バックグラウンド・ミュージック。

帰って、『生きるように働く』をしばらく読み、布団に移り、プルースト。今夜はどうやら、アルベルチーヌとヤれそうだ!

「およしなさい、ベルを鳴らすわよ」とアルベルチーヌは、私が彼女にとびついて接吻しようとするのを見て叫んだ。しかし私は自分にいうのであった、——叔母に知られないように手筈をして、若い女がこっそり若い男を呼びよせるのは、何もしないためではない、それに、機会をつかむことを知る人間は、大胆に物事をおこなって成功するのだ、と。熱狂した私に、アルベルチーヌのまるい顔は、終夜灯に照らされたように内面からの火に照らされながら、くっきりと浮彫になり、旋風の、目くるめくばかりの、不動の渦のなかにのみこまれようとするミケランジェロの諸人物さながらに、燃えさかる天体の自転にしたがいながら回転しているように見えるのであった。私はこの未知のばら色の果実がもつ、匂を、味を、知ろうとした。私は、突然けたたましく、長く鳴りひびく物音をきいた。アルベルチーヌが力のかぎりにベルを鳴らしたのであった。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈3 第2篇〉花咲く乙女たちのかげに 2』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.412

このあと空白行があって、これはこの小説においてはものすごく珍しいというか、今まで一度でもあったっけな、というものだった、この展開といい空白行といい、完全にコメディで、プルーストもバカバカしい場面として書いたのではないだろうか、どうなのか、ともかく面白く、笑った、寝た。

10月26日(金)

起きようとするも、眠くて、今日はまた重度の眠さだなあ、と思いながら、立ち上がった、めまいがした。

来週、ワイズマンを見に行きたい、と思って、上映時間を調べたら、そうだった、メカスをやるんだった、という、だから来週はイメフォはワイズマンとメカスというすごいプログラムで、すごっ、と思って、ワイズマンはしばらくはやるよなあ、きっとやってくれるよなあ、ということで、だからメカスだろうか、『ウォールデン』。いつか見てみたかった。この日、眠たくなければいいなあ、と、今からそんな心配をしている。

眠い、暇な日で、ずっと座っていたせいか、眠い、『生きるように働く』を、読んでいたところ、読み終えた、僕は、生きるように働いていると思うところもあるし、労働するように労働していると思うところもある、楽しく生きたい。楽しく働き生きるためには、僕は、どん詰まっていないといけないタイプだったりもするような気もしたしそんなことはないような気もしたが、爽やかに生きたい、疲れた。

夜、誰もいなくなり、『両方になる』を開いて、エピグラフを読んだところでそうだ、ホットサンドを作ろう、とちょうど煮込んでいたカレーがあったのでカレーとチーズでホットサンドを作り出したところ、それを合図にしたように忙しくなった、よかった、ホットサンドは1時間後に食べた、しんなりしていた、おいしかった、よかった、どんどんどんどん元気がなくなっていった、ちらっと見かけた記事のせいかもしれなかった、作品とかそういうものをコミュニケーションとかビジネスとかの道具としてしか見ていない人、見ていないという自覚すらない人、愛も敬意も欲望も熱狂もなにもない人、そういう手合いは作品とかそういうものに関わってこようとすんなよ、自分たちの領域に引っ張り込んで同じような手合いと「いいね!」とか付け合っていいねとか言い合うことに忙しくて一瞬も作品とかそういうものそのものに真面目に対峙していない、真剣な眼差しを送っていない、対峙していない送っていないという自覚すらない、そういう手合いだけで群れて村でも作ってその中にとどまって一生気分よく生きててください、と思ったら、なんだか、悲しみと苛立ちでどんどん元気がなくなっていった、今、道端で喧嘩を売られたら、自分の非力さとかをすっかり忘れて猛然と殴り掛かりそうだった、なにかを強く殴打したい、と思い、また解体したいなあ! バールを振り回したいなあ! と思った、やっぱりあれはヘルシーだった。ゲラゲラ笑った。死んでろ。

けっきょく、ほんとに、けっきょくでもないけれど、真面目な人なんて少ないよなと思うというか、摩擦みたいなものを恐れて、ちゃんとやりきろうとする人なんて少ないよなと思うというか、諦める、おもねる、手を抜く、そんなのばっかりだよなあというか、そういうことをしている自覚すらなさそうなのが怖い、なにかをよくしていこうということよりも、機嫌を損ねないようにしよう円滑に進めようみたいな、そういう姿勢が優先される、その不真面目さに気づいていないように見える、と書いていて、自分もマジでそういうことにならないようにマジで気をつけないとマジで怖いなと思った、思った。
バカみたいな気持ちになった、なっている、ラーメン、ラーメン食う必要がある。

ラーメン、餃子、大ライス、野球の記事読みながら食って帰って、遊ちゃんと話した、上記の話をし、こういう、元気がなくなる、悲しくなる、不機嫌になる、そういうとき人は、往々にして、本当の原因を直視しないために、手近にある不機嫌になれる材料を取り出して、こねくり回して、嬉々として安心してネガティブな思考と戯れる、ということって、あるよねー、と言った。あるある、と遊ちゃんは言った。
寝る前、プルースト。

私ははじめから、私の夢想は肉体占有の希望とは無関係だと思っていたのだったが、その夢想は、それ自身が肉体占有の希望から養分を吸収しなくなると、たちまちアルベルチーヌから離れた。この晩から、夢想は、ふたたび自由をとりもどし——いつか以前に、私がある少女に見出した魅力、とりわけ、その少女に愛されると予想した可能性やチャンスが、ふたたび活躍しはじめて——アルベルチーヌの女友達の誰かに、そしてまず最初はアンドレのほうに、私の夢想は移った。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈3 第2篇〉花咲く乙女たちのかげに 2』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.413

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