本の読める店

読書日記(91)

Entry diary91

6月23日(土)

朝、『Number Web』の野球の記事を読んでいたところ、「誰よりも早くグラウンドに姿を見せる」というフレーズがあり、誰よりも早くグラウンドに姿を見せる選手って各チームに何人かいそうだな、と思ってから仕事をした、ぽんぽんと、働きながら、日記の推敲をしていた、今週は長かった、1万7000字くらいあって、長かったが、推敲が終わって、つまり読んでいる時間がいくらもあったということで、終わって、終わったところ、ちょうど終わったくらいのタイミングから一気にドライブする感じなり、わわわわわ、となって働いた、働いていたところ、これは、煮物を作って、チーズケーキ焼いて、鶏ハム作って、味噌汁も必要だ、和え物も、等々、どんどん新たなタスクが出てくる感じになり、これはとても終わらないのではないか、という深刻な気分になって少し青ざめるような、そういう気分があった、そもそも洗い物が追いつかない、洗い物が追いつかない、と思いながら、どうにかこうにかやって、やったところ、1時くらいには全部終わるようなところまで持っていけた、とにかく働いた、背中がなんでだか痛いというか痛くはない、なにかじんじんと、引っ張られるような感じがある、とにかく、とにかく疲れた。

寝る前プルースト。土地の名、名、名。

6月24日(日)

昨日は開店直後に来られた方々のほとんどがドリンクの注文で、珍しいなと思った、今日はほとんどの方がご飯を頼まれて、様子がまったく違った、日によっていろいろと本当に変わるものだなと思う、思って、ずっと忙しかった、本が刊行されたあとで、露出というか、人の目に触れる機会はこれまでよりもずっと多くなっている、いま忙しくならないとしたらいったいいつ忙しくなるというの、という時期だろうから、これでありがたかった、それでも、今年最初の3ヶ月、3月までの3ヶ月と比べたらずっと少なかった、それはオペラシティアートギャラリーで「谷川俊太郎展」が開催されていた時期だった、町に来る口実、というのは、あると本当に違うんだよな、とは思うし、でも、今の方が平和だとも思った、今の方がちゃんと目指されている感覚があった、それはそうかというか、それはそうだ、と思った。
いや思い出した、平和とか嘘だった、はっきりと腹を立てていたんだった、夕方に入っていたご予約のうちの一人の方が来られ、と思ったらあとからもう一人合流して、つまりお二人で、でも予約はひとつで、それで、お話できないのはもちろん大丈夫ですよね、というと知らなかった、そのつもりじゃなかった、ということで、帰ってった。
予約のページは、予約ボタンに行き着くまでに説明書きがあって、どういう店なのか知ったうえで来てください、というのがあり、それから一つの予約はお一人として受けるとあって、それから、それから、だから、完全にすっ飛ばして予約してきたわけだった、満席状態が続いていたあとで、その予約があったことによって予約できなかった人というのがありうる状態だった、予約ページの文言の最後のほうには「また、いらっしゃってから「やっぱりやめた」とお帰りになる方がごくごくまれにですがおられます。繰り返しになりますが、「すごしかた」のページをご覧になり、フヅクエがどういった店なのかをお知りになったうえでご予約ください。席確保のために他の方をお断りしていた場合等は1,500円を頂戴します。」と書いていて、この「等」というのがミソというか気分次第で運用できる感じがしてミソなのだけど、今回は普通に「いやそれなら1,500円いただきますわ」と言っていいというか完全に妥当なケースだった、でも言えなかった、なぜなら、とてもにこやかな二人組だったからだ!

10時を過ぎて落ち着いた、昨日よりは楽だった、仕込みも特になかったから楽だった、それでやっと『『ハッピーアワー』論』を開くことができた、読み始めて、すぐに、彼女たちの姿が目に浮かんで、ゾクゾクとした、これからこの本を読みながら、たくさんの彼女たちの記憶を蘇らせていくのだろう、と思うと、それはひたすらに楽しみなことだった。

閉店して、飯食って、帰って、家の近所のバーというかパブというか的な店にサッカーを見に行った、予約をしていないと言うと、けっこうな僻地しか案内できないと言われて、予約しておくべきだったのかと思ったし、まったく構わなかった、パイントのビールを買って、地べたに座って見ていた、前半は、ガラス越しみたいな見方で、画面の左端は見えない、そんな見方だった、ゴールネットが2度揺れた、それが前半だった、後半はここ座ってもよさそうだ、というポジションがあったので座った、そうしたらずっと快適に見られた、画面の全部が堂々と見られた、パイントのビールをもう一杯買った、普段はパイントかハーフパイントかでいったらハーフで頼むから珍しかった、なにか豪快な気分だったのかもしれなかった、それで見た、するとゴールネットが2度揺れた、本田が決めたときは、すごかった、ずっと、すごく楽しかった、日本のチームはこんなに立派に張り合うサッカーをできるようなチームだったのだなあ、と感心した、弱いはずのチームががんばっている姿、という感動の仕方だった、だろうか、とにかく、楽しい試合だった、よかったなあ、面白かったなあ、と店を出た、同時に出た人たちが、徒歩で、それぞれの家に向かって歩いていく様子は、町、暮らし、という感じがあって、よかった。

寝る前、オンラインストアの発送の準備と、プルースト。

6月25日(月)

昨日のお酒が残っているらしくおでこのあたりと喉の下のあたりにいくらか違和があり、外は晴れていた、快晴というふうで、夏のような重い暑さが立ちこめていた、店に着くと時折どうしても聞きたくなるリアーナのなんとかというアルバムを大きな音で流しながら仕込みをした、飯を食った、店を準備した、リアーナの、少年みたいな絵か写真と顔のところが赤くなっているその写真か絵のジャケットのアルバムを、聞くと、というよりはこのアルバムのことを思うと思い出すのはいつだって渋谷のベローチェで『ビッグデータ・ベースボール』を読みながら涙ぐんでいたときのことで、あれはなんの時間だったのだろう、夜だった、思い出すし、思い出さないこともある。

あれ、これ、と仕込みをしたりしながら、とんとんと働いていた、やることは次から次へと出てくるものだった、だからそれをやっていった、落ち着いて、夜、『『ハッピーアワー』論』を読んだ、読みながら、見たのはもう、あれはいつだ、2015年の末、それから翌年年明け、2回見た、2016年1月からどれだけの月日が流れたのだろう、引き算、2年と、5ヶ月。2年と5ヶ月前に見た映画について、いまだに思い出すだけで感極まるのだから、これは本当に、僕は見たときはこの記憶の仕方、人物に対する記憶の仕方は実際の暮らしのなかでの記憶の仕方に近いというように感じていたけれど、つまりあんなことあったなあ、というような、あいつああ言っていたなあ、というような、のだけど、2年と5ヶ月後に『ハッピーアワー』を論じる文章を読んで湧き上がる感情を見ていると、それとはまた違うものだったのだと知った。こうは、ならない。じゃあこれは、なんなんだろうか。
等々思いながら、桜子が「ただ見てるだけや」と言って、そしてページをめくると2つの場面の写真が配置されていて、桜子のうつろな顔、路上でわっと崩れる夫、その2カットが写っていて、見た瞬間、涙があふれた。その瞬間、お客さんに呼ばれ、涙目で近づいていったところカフェオレとのことだったのでカフェオレをこしらえた。
それからなんでだか、なんなのか、どうしたのか、猛烈に忙しい夜になり、満席になり、満席が入れ替わり続き、という事態になり、なんだなんだ、これは、と思ったが、週末と違ったのはそこにあった顔ぶれのほとんどが馴染みのあるものだったことで、なんというか、よく、とか、しばしば、とか、そういった方々が一斉に集まったような、そういう状況だった、なんとなく安心のようなものを感じた、この週末は初めてであろう方を多く見た、でもそれも、不安を感じるようなものではなかった、しっくりくる感じが僕の中にというか店の空気にあった、だから初めての方で構成されていようと馴染みのある顔で構成されていようと、フヅクエという場と時間を享受しようという構えで来てくださった方で構成されている、と感じることさえできれば、どちらもナイスだったが、とにかく今日はそうだった、それで、バタバタ、バタバタ、終わらないぞこれは、と思いながら働いた。

へとへとになって帰宅した、明日発送する本の梱包をした、明日、朝、渋谷のラジオでNUMABOOKSの内沼晋太郎さんと朝日出版社営業の橋本亮二さんとお話をする、そのことを考えながらシャワーを浴びていたら、二年ほど前に一度お招きいただいたことがあって、そのときのことを思い出した、ラジオというのはヘッドホンをしながら話すのだなと知って、ヘッドホンをつけて会話をしている相手の声を聞くのは変な感じあるんだよな、先日叔父が補聴器のことを話していたけれどもしかしたらそれと少し近い、音が全部同じベクトルからやってきてしまう、ヘッドホン、いやもしかしたらラジオはそうではないのかもしれない、どのマイクの音は、この位置から聞こえて、みたいな調整がされたりしているかもしれない、とにかく、ヘッドホン、そう思った時に、そういえば先週の、B&Bで、僕は、保坂和志さんと、内沼さんと、話したり、話を聞いたりしながら、目の前にある、マイクを置く波型のクッションみたいなもの、スポンジみたいなやつのことを何度も考えていたなあ、ということを初めて思った、黒い、波型の、スポンジみたいな、なるほどこれに置けば音が鳴らないのだなあ、と思って、見ていた、それを思い出した。

寝る前、プルースト。「土地の名——」になってから、うまく乗れない感じがある、あ、すいません、今なんの話してたんですか、ぼーっとしていて、というような。

6月26日(火)

早起き。寝過ごしそうになった気がしたが起きた、自転車乗った、暑かった、渋谷に向かった、晴れていた。南口の方だった、もう少し行ったら並木橋とかそういうあたりの。少し時間があったのでベローチェみたいなところだったかベローチェだったかに寄って、ベローチェだった、寄って、アイスコーヒーを飲みながら一服して、外を歩く人たちを見ていた、9時半、人々が、どこかに向かっている、たくさん動いている、早い、みんな早い、と思うが、9時半だ、僕もかつては9時には会社にいた、それと比べたら30分も遅い、こんな遅い時間にちんたら何やってんだ! と怒られてもしかたがない、申し開きしようがない、そう言う者もいるかもしれないし、昨今はフレックスなものがもっと浸透しているのだろうから、みんなフレキシブルに働いているのかもしれない、かもしれないというか、きっとそうなのだろう、だから怒られるいわれはなかった、誰も怒っていなかった、と思ったら電話で誰かと話している若いスーツの男はわりと怒っていた、内容までは聞こえなかった、さっくりと出て、暑かった、ベローチェの入り口には「ゲーム機のご使用はご遠慮いただいております」とあった、ゲーム機とは。
すぐ近くに渋谷のラジオの建物があって、敷地に入って、入り口の前に灰皿があったので性懲りもなく一服していると橋本さんが来られた、コンビニでアイスコーヒーを買ってボタンを押して待っていたところ外国人旅行者に話しかけられて、ぼーっとしていたため話しかけられてびっくりして抽出中のコーヒーが手に触れて、熱い、となった、話しかけてきた人はソーリーソーリーと言っていた、明治神宮に行きたいんだ、彼は言った、歩いたら20分くらいは掛かるよと伝えたが、歩くさ、という様子だった、明治神宮、難しいなあ、説明が難しいなあ、あっちを越えたらね、説明が簡単になるんだけど、今めっちゃ工事中だから、説明が、ということを説明しながら、説明した、という話をうかがっていたところ内沼さんが来られた、内沼さんは素敵なTシャツを着てらっしゃった。「eat sleep read repeat」と、書かれているTシャツだった、かっこいいTシャツですね、と言わなかったが、僕が作ったやつだった、先週差し上げたやつだった、着てくださっていた。
入ると、ラジオのスタッフの方が、エビアンをくださった、エビアン、と思った、それで前の番組が終わったので中に入ると、すぐに放送が始まり、始まったのでおとなしくしていた。
1時間はあっという間で、目の前に残り時間を刻むものがあったのだけど、あっという間だなあ、1時間という時間は、と思いながら過ごしていた、掘りごたつ式のスタジオは、座り心地がよくてよかった、愉快な時間だった、あっという間に終わって、出て、コーヒー屋さんに移動しておしゃべりの続きをおこなった。愉快だった。朝からいい日だなあ、と途中で思っていた。

晴れていた、暑かった、坂を上がり下がりしながら初台に向かって、店に着いた、ひきちゃんが働いていた、その横で煮物を作った、大根を切っていたところ、昼飯は大根おろしが関係する冷たいうどんかそばを食べたい、という強い欲求が湧いてきた、きっと少し余るだろうから、持って帰ろう、と思った、すると余らなかった。あとは煮えるのを待つだけ、というところまでやって、外に出てひきちゃんといくらか話をして、家に帰る前にスーパーに寄って大根を買った、そばを茹でて、大根おろしとめんつゆで、がーっと食べたところ、それはおいしかった、たいへん満足した。
それで、『『ハッピーアワー』論』を読み続けた。せやな。わからへん。なんやねん。これか。どの言葉も、その文字を見るだけで、ああ……という気分というか思い出が蘇る。桜子は、わからへん。

この言葉は、長年の親友である純の「せやな」と好対照をなしている。純の「せやな」が、相手への肯定の意思表示、知的な見切り、覚悟、残酷な決断、等々へと結びつくものであるのに対し、桜子のこの言葉は、むしろ知的に見切ることのできないもの、言葉の余白、曖昧なもの、人間の相互関係においてはじめて生じる何か、つまり、あとになってみないかぎりわからないものを大事にしようという姿勢の表れだろう。(…)本作において桜子がまぎれもない主人公の一人であると言えるのは、言葉によって見切れないものの価値を擁護し、本作の観客へと身をもってそれを指し示す役割を与えられているからだ。 三浦哲哉『 『ハッピーアワー』論』(羽鳥書店)p.84

芙美の「これか」も、本当に印象深い。これか。マジか。本当にもう、涙ぐむ。
「主人公四人とも、別種の聡明さを持った人物として造形されており、それぞれ特徴的な台詞が発せられるすばやいテンポとともに四者四様の知性が観客には感得される。『ハッピーアワー』はまずもって四人の女性の知性を克明に描き、それを賛美する映画だ」とあり、知性という言葉で考えたことはなかったけれど、言われてみると、知性、はあ……本当にそうだなあ……と思った。

読み終え、伊藤亜紗の『どもる体』を読み、すると前からそうだったように眠りたくなり、ずっと眠かった、なぜなら早起きだからだ、眠かった体をソファに横たえ、眠った、すると水位がどんどんと上がっていく円筒形の建物の中におり、一番てっぺんまで上がって、天井のつかめるところを掴んだ、足元の水はいつの間にかなくなっていて、だからぽっかりと虚空があった、手を放して、どんな賭けがありうるのかわからなかったが、賭けだった、死ぬことになるのか、助かることになるのか、後者の可能性は確かに残っていると感じていた、ただ、まだ手は放さないことにした、そのあと、どうなったのか。
どうも、バベルの塔らしかった。日中に「ボルヘス」という言葉を口にしたことが原因のようだった。
起きて、そろそろ店に行く時間だった、起きると、眠かった、店に行って、ひきちゃんが働いていた、交代して、外で少し話して、中に戻った、働いた、いろいろとやることはあった、昨日のような忙しさはなかったというか暇だった、昨日満席だった時間に、今日は誰もいない、ということですらあった、9時半からは無人で、無人というか僕一人で、やるべきことをやってから日記を書いたりしていた。
なぜか肩が重い。両肩が重い。

11時頃、今日受け取った先日のトークの音源を再生させてみた、するとのっけから、自分の話し方に爆笑した、読点、読点、読点。それの文字起こしを少し始めた、するとのっけから、人の発話というのは本当に面白いなあ、と思って何度もゲラゲラ笑った。
家に帰り、シャワーを浴びながら、トークのことを思い出していたのだろう、人前で話すということ、そうしたら今度はワールドカップの日本とセネガルの試合を思い出し、長谷部が負傷して鼻血を出しているところを思い出した、それを見ながら何万人に見られながら鼻血を出すというのはどんな気分なんだろうなあ、と思っていた、それを思い出した、そのあと、1時間だけやろう、と思って文字起こしをしたところ1時間半くらいやっていて、4時くらいまでやっていた、面白くてやめられない作業だった。

6月27日(水)

コーヒーを飲んで家を出て、少しのあいだTwitterで猫の動画をいくつか見ていた、いずれもかわいかった、満足してリュックから『ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記』を開いた、昨日の夜、寝る前に読み始めて、編者による序文であるとかを読んだところで眠たくなり、日記にたどり着く前に眠った、その日記を読み始めた。
「しかし彼の批判は何かを助けて先に進ませるものではなく、押しとどめ、酔いを醒ますものだった」とあり、そういうのあるよな、俺もわりとやりがちな気がするんだよな、助けて先に進ませる者でありたい、になりたい、と思った。

おそらく彼が何よりも愛していたベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲の一つの最終楽章について、ここで天が開くように感じる、と彼は私に語った。そして彼がこう語ったとき、それは何かを意味していたのだ。

確かにフロイトは実にしばしば間違っているし、彼の性格はといえば、多分下劣な人間かそれに近いものだろう。しかし彼が言うことの中には、恐ろしく多くのことが含まれている。そして同じことが私にも言える。私が言うことの中には、多くのことが含まれている。

私はだらだらするのが好きだ。おそらく今ではもう以前ほど好きではないが。 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記』(鬼界彰夫訳、講談社)p.25,26

神保町に着いた、着いてコンコースというのか構内の道を歩いていると壁にはポスターがいくつもありそのひとつが「これは暴力です」という大きな文字で、3つのイラストで、人を殴る、人にものを投げつける、もうひとつは忘れた、そういうことが書かれていて、えっ、これが暴力って説明しないといけないってどういうことなの、と思った、思って、地上に上がると夏だった、ピンポイントの場所に上がれた、路地を曲がると、そのまっすぐのところにまさに行こうと思っていた餃子屋さんであるところのスヰートポーヅのファサードが見えたのでうれしくなった、ぐんぐんと近づいていく、という向かい方がうれしかった、それで入った、相席で、前の人もまだ注文の品を待っていた、餃子の定食を頼んだ、僕はウィトゲンシュタインを読んでいた、前の人に食べ物が届いた、食べ始めた、でかい口を開けて食べ物を入れるなあと、ページを越えた視界の端で見て思った、すると直後、ずずーずずー、ちゃっちゃっ、ちゃっちゃっ、と咀嚼等々の音が大きく鳴って、うわあ……と思った、まずい、目の前がクチャだ…! と思って、ウィトゲンシュタインを読んでいた、僕が食べ始めるまでに、食べ終えてくれ、と祈りながら、それにしてもずずーってなんなんだろう、中皿定食のはずだった、それに汁物は付いていないはずだった、いや付いていたかもしれないがそれとは違う気がした、その吸う音なはんなの?www 今いったいなに食ってんの?www と思って愉快だった、いや、不愉快だった、ずずー、僕のところに定食が届いた、祈りが届いたらしく食べ終えてくれたらしく、安堵した、それで食べた、うまかった。腹いっぱい食った。
スヰートポーヅ、何度か振られていた、のだった、ということを思い出した、そもそも僕が神保町に行く機会自体がめったにない、行ったら、誰かにあそこはおいしいよと教わったのだったか、行ってみたいと思って行こうとする、すると休みだったりして行けない、そういうことが何度かあった、2016年10月、11月だったか、雨の日、東京堂書店でヘミングウェイの『移動祝祭日』とジョン・ファンテの『満ちみてる生』を買った日、休みだった、2017年の8月、雨の日、東京堂書店では武田百合子の『富士日記』の中巻だったかを買った、ちょうど、投資信託とかを始めた方がいいのかなと、そのことばかりを考えている日だった、その日も休みだった、大雨、それはお盆だった、それを思い出した、今日は晴れていた。

店を出て、大通り、日は照っていた、信号待ちをしながら突っ立っていると夏の葉っぱの風の匂いが、揺られてかさかさ鳴る葉っぱの音とともに流れてきて、夏だった。
岩波ホールに行った、『ゲッベルスと私』を見た、103歳という年齢はこんなにはっきりとした話し方をできるものなんだろうか、きんさんぎんさんのイメージしか持たない僕はそのはっきりとした話し方にまず驚き、というかこれは「すごいはっきりしゃべるんだよ」と聞いていたから驚きはしなかった、改めて、というか「ほんとだ」と思い、それで、すごいなと思って、という話しはじめるその前、濡れた唇が大写しになって、舌先がちろっと出て、舐めて、話しはじめる前、いくつかの音が、口のあたりから鳴って、それから話しはじめられた、その、話しだそうとする体がある様子、話しだそうとする体がなにか運動する様子、それにときめいたし、そういうものを僕はもっと見たかったのかもしれなかった、時間が流れていないような撮り方というか切り取り方だったように思った、正しい話し方というか、テキストを読んだらいいんじゃないかという話し方というか見せ方というか、それはそういう話し方というだけで、そこには話者なりの運動があるのかもしれないけれども、画面を見ていて、喜びが湧いてくる、というものでは僕にとってはなかったらしくぐんぐん眠くなっていった、最前列で見ていた、岩波ホール、スクリーンは奥まったところにある、それで、というか客席はかなりいっぱいで、それで最前列で見ていた、僕はかくんかくんと頭を落としながら、見たり、うとうとしたり、していた、最後のほう、ショッキングな映像があって目が覚めて、体が硬直したし、せっかく目が覚めたが、直視し続けられなかった。しかしこうやって、ショッキングな映像でやっと目が覚めるという自分の救いがたさというか、それは言いすぎかもしれないが、つまらなさに、つまらない人間だなあ、と思った。

近くだったので、神保町ブックセンターに行ってみた、聞いていたとおり岩波書店の本だけが並べられていて、それはなるほどこれはいいなあ、というものだった、なるほどほんとだ、こうやって岩波の本だけの棚を見ていると、新旧関係なく目に入り手に取る感じになるなあ、と思った、なるほどこれとか岩波だったのか、そうかここらへんも岩波だったのか、等々、面白かった、ウィトゲンシュタインのやつを買おうかと思ったけれど、ペラペラしたところしんどそうだったので買わなかった、コーヒーを飲もうかと思ったけれど、煙草を吸いたかったので飲まなかった、どこか喫茶店に入ろう、ということになった、その前に東京堂書店に行った、岸政彦の『はじめての沖縄』を読みたかった、なんとなく手を出しそびれていたが、先日Facebookを見ていたら「私たちはなかなか、お互いに親切にすることはできない。なぜかというと、親切にするということは、ほとんど必ず、なにかの小さな規則に違反してしまうからだ。」という箇所を引用した投稿を見かけて、その引用箇所が僕をあきらかに惹きつけたため、読む気がはっきり立ったため、そういうところで買おうと東京堂書店に向かった。
すると、建物に沿って入り口に向かって歩いていると、見慣れた表紙が目に入ってきて、よたよたと歩きだそうとするクマの姿があった、おおお、と思って見るとそのもう少し先にも同じようにクマがいて、おおお、と思って見ると、今週のベストセラーみたいなコーナーで、4位という場所に『読書の日記』が置かれていた、すごいし、すごいことだし、わけがわからなかった、もっと売れる本がいくらでもあるだろう、と思った、だから喜び半分戸惑い半分というところで、でもいいことではあった、それにしても不思議な、見慣れない本の並ぶ不思議なランキングだった、池田大作、ゲッベルス、芹明香、1100ページの日記。
それで入って、岸政彦と、それから先日教わった『すばる』の7月号を買った、保坂和志の連載小説と、「日本映画の最前線」という特集を読みたく。で、読むことにし、喫茶店喫茶店、と思って古瀬戸珈琲店に入った、広々としていてありがたかった、そこでコーヒーを飲み飲み、『読書実録〔夢と芸術と現実〕』を開いた。

しかし、ここは考えどころだ。自然の中に生きるウサギにとってワシやタカに捕食されることもきっと天寿をまっとうすることになるだろう、それこそがウサギにとっての天寿かもしれない。ウサギたちは天敵の姿を見るとカチカチ歯を鳴らしたりして仲間に危険を知らせ、みんなで逃げるわけだが、逃げきれる/逃げきれないの枝分かれする世界で逃げきれなかったとしてそれが天寿をまっとうしなかったことになるとはかぎらない。
そこが世界の不思議というか謎というか、言葉による理解の及ばない層(または相)だ。そしてもしも本当に鈍感ゆえに天敵から捕まらずに老衰死するまで生きたウサギがいたとして、それは天寿をまっとうしたとは言わない、それは間違いない、そのウサギは何物とも触れることなく何事とも触れることなく、つまりどんな世界もそのウサギには開示されず、死がくるまで動いただけだ、それを生きたとは言わない。 保坂和志「読書実録〔夢と芸術と現実〕」『すばる 2018年7月号』所収(集英社)p.13

僕は本になってから読めばいいと思っているから、というか本になってから読みたいから、読まなくてよかったはずだったが読みたくなってしまって読みだしたところ、面白くて読んでいった。保坂和志の書き方はもうどんどん、行儀が悪くなっていくというか箍みたいなものから解き放たれていく。引用部をカタカナにしたり(これはトークのときに吉増剛造がやっていてかっこうよかったから、とおっしゃっていた)、挙げ句は訳者には申し訳ないがそのままだと理解しづらかったので適宜書き換えた、とあったりする。

と、論法の少し変形で情景ははっきり不穏になるが、さかのぼって三つ目のセンテンスで不穏はすでにはじまっている、夢でないとしても夢っぽい、私はいま夢であるかどうかにこだわるつもりはない、こういう夢を見てそれを書いたと考える方が意味を解釈しようとするバイアスのかかった読みよりずっとリラックスして、むしろ細部まで読める、これはこれとしてカフカの一日の何時間かがそれに費やされた生涯の時間の断片である。カフカは眠っているあいだは夢を見て、目覚めているあいだは小説と手紙を書いた、ただしカフカは不眠症だった。 同前 p.18

リラックスした読み。これはこれとしてカフカの一日の何時間かがそれに費やされた生涯の時間の断片。
店を出、電車に乗って移動し、電車の中、それからプラットホーム、エスカレーター、コンコースというのか構内の道を歩きながら、読み続けた、珍しいことだった、安全にはちゃんと配慮した。ミシェル・レリスの『ゲームの規則』のことがたくさん書かれていた、そうしたら『幻のアフリカ』を読みたくなった、今、気づいたが、昨日のラジオで『幻のアフリカ』のことが話題になったときに内沼さんがたしか「アフリカ日記」だったか「アフリカの日記」だったか、何度か言っていて、僕がそれを正すように「アフリカの日々」と言った、しかし今『ゲームの規則』のタイトルを確認するために検索したところわかったとおりそれは『幻のアフリカ』だった、アフリカの日々、恥ずかしい、なお、『アフリカの日々』という本は本であるようでそれはアイザック・ディネーセンのものだった。
それで、『幻のアフリカ』を読みたくなって、降りた日比谷で地上に上がると目の前が目的地だったTOHOシネマズのシャンテだったがそれより目に入ったのは東京ミッドタウン日比谷というらしいミッドタウンというか広場で、広々としており、高いビルに見下ろされている圧迫感のないなにか広々とした広場で、気持ちがいい、と思った、思って、かつて日比谷のこのあたりに来たのはいつだったか、まだTOHOシネマズになる前のシャンテシネのときで、いろいろ見た、ゴダールの『映画史』とかも見たというかそれ以外ぱっと思い出さないが、そういう、大学時代に来たのがきっと最後だろうか、という場所がずいぶん様変わりした気持ちのいい広場になっていて、記憶の感触がぶわーっと迫ってくるとともに、変容した現在の姿を愛おしむような気持ちが同時にあった。
それで、『幻のアフリカ』を読みたくなって、あったら、と思い、HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGEに行くことにして建物の中に入ってエレベーターが3階まで上がった、うろうろして、滝口悠生コーナーがあっていろいろ読みたい気持ちになったりしたのち、文芸棚に行くと小説は扱いがとても小さいようで、もしかしたら海外文学の棚を見落としたのかもしれないが、すぐ諦めた、それで広場に戻ってベンチに座って保坂和志の続きを読んでいた。風が強かった。しっかりおさえた。

時間になって、映画館に入った、なんか、小さなTOHOシネマズって初めて行った、違和感あった、しかしその小さなTOHOゆえなのか、あ、ポップコーンか、みたいな、いつもは遠くにある存在のポップコーン売り場がとても身近で、あ、ポップコーンか、みたいな気分になってポップコーンを買った、単品だったからなのか、紙袋に入れて提供され、これ、そこの箱みたいなやつに入れてもらうことはできないですか、と所望してみたがダメだった、紙袋はきっと簡単にうるさい、不満だった、それでグレタ・ガーウィグの『レディ・バード』見た。
最初に泣いたのは「Wanna dance?」といって、ダンスをするところで、途中で教師というかシスターが精霊たちが通れるように16インチだかセンチだか離れてね、と注意しながらうろうろする、離し、すぐ密着する、いたずら笑いを浮かべながら二人は密着し、踊る、そのあたりで「最高」となって、泣いて、そこからはたびたび、ことあるごとに泣いた、『タレンタイム』を思い出したりしていた、やさしい大人たち、なんというか、カメラというか製作者が人というか被写体に向ける視線がとにかくやさしい、こういうやさしさのある眼差しのあるものと僕はふれあいたいんだよな、と思って、とにかくやさしかった。人のやさしさや善良さを信頼している、あるいは信頼する意思を持った眼差しだった、最高最高最高最高と思って、たくさんのいい瞬間を目撃した、たくさんのいい時間を過ごした。
見終えて、こういう、やさしいものに触れたいんだよな、と思って、でもそんなのってなんかぬるい感じもするんだよなこの嗜好って、と思ったあとに、でも日々、生きているなかで、人のやさしさや善良さをそんなに毎日毎日目撃できるわけではない、たくさんのギスギスしたものと簡単に関わることになるわけだから、やさしさや善良さをちゃんと捉え、作品として提示するということはまったく普通に貴重なすばらしいことなのではないかと思って、だから、オッケーだった。

日比谷、有楽町のガード下あたりのエリアで、外の席で酒を飲みたくて、適当に目についたところに入ってというか外の席に座って、飲酒をした、生ぬるい夜気が心地よく、聞こえてくる電車の走行音もなにかを彩るようだった、よかった。
帰り、電車に乗っていたら、飲み会帰りの人たちがいて、ホームに残る一群にしつこく丁寧に手を振る、笑顔を振りまく、を視界から消えるまでやっていて、立派だと思った、電車に乗り込んだのは若い女性2人と年長の男性の3人だった、「渋谷、渋谷、ではい、はい、で横浜方面」。彼女は、暇すぎてこのままじゃダメになりそうなので資格の勉強をしている。

6月28日(木)

朝からケーキを焼いたりしていた、のんびりした気分もあった、開店前、『すばる』を開いて三宅唱のインタビューを読んだ、「もう二度とこんな風には作れないと思うくらい遊んだし、今まで以上に好きになりましたね。人にしろ場所にしろ、好きになるためにこの仕事をしているし、好きになる瞬間に映画作りの喜びがあります」とあった。

あと近年、東京ではない地域を舞台にすると特に、閉塞的な状況を訴えるのがリアルなんだという傾向がありますが、映画の役割はそんなもんじゃないだろうと感じていて、どういう時代、町であれ、楽しいことや幸福なことを自分たちで発見している人は当然いる。僕はそういう人の姿を映画館で観たい。恋をするとか、部屋に花を飾るとか、好きなミュージシャンのライブにちゃんと足を運ぶとか、生活のそういう側面を、こういう時代だからこそ大事にしたかったし、函館の風景がそれを際立たせてくれたと思う」 「特集 日本映画の最前線」『 『すばる 2018年7月号』 』所収(集英社)p.112

昨日の映画のことかな、というようなことが話されていて、風通しのよさ、そうだった、やさしさ、善良さ、風通しのよさ、それが僕が好きなものなんだった。のびやかさ。

店、開け、ぼんやりと働く、日記を書きながら働く、それが夕方に一段落して、『はじめての沖縄』を読み始めた、「私たち」という語りの人称についての言葉が続いて、いいなあ、やっぱりいいなあ、誠実で善良、と思ったところ、あそうだ、あれやんなきゃ、ということを思い出し、やる、やったら、お客さんがゼロになった、6時くらいだろうか、それで、あそうか、お客さんゼロか、じゃあお客さんいないときにしかできないことやるかな、と思って大きな音を出して文字起こしを始めた、笑ったり、感動したりしていた、1時間くらいやったところ、お客さんがやっと来てくだすった、それでぽこぽこと働いていた。
そのあと、また誰もいなくなり、11時からサッカーを見た、FOXスポーツで見られるのかなと踏んでいたが全然見られなかった、TVerというもので見られるということだったのでそれで見た、見ていると、アナウンサーが「われらが日本」と言っていた。なんの考えもなさそうだった。私たち、日本。私たち?

もし境界線が乗り越えられていく物語を、当の境界線を「構造的に押し付けている側」であるマジョリティの人びとが語ってしまった場合、自らが押し付けている壁を否定し、隠蔽し、その責任から逃避することになる。だから私は、私たちは、あくまでも境界線の傍に踏みとどまるべきなのである。「本土も沖縄も関係ない」という言い方は、あきらかに、沖縄の側からなされた場合と、本土の側からなされた場合とでは、政治的な効果という点において真逆の結果をもたらすだろう。
線引きをやめること、あるいは、境界線を飛び越えることが、ひとつのドラマになり、書かれるべき価値のあることになるのは、そもそもそこに境界線が実際に存在しているからだ。境界線が存在しないところでは、それを飛び越えることもできないのだ。 岸政彦『はじめての沖縄』(新曜社)p.22

前半が終わると家に帰り、後半を見た、見ていると、思った以上に日本チームを強く応援している自分がいて、ゴールを念じている自分がいて、驚いた。
サッカーが終わり、岸政彦を続けた。読もうと思ったきっかけとなった箇所に当たった。

私たちはなかなか、お互いに親切にすることができない。なぜかというと、親切にするということは、ほとんど必ず、なにかの小さな規則に違反してしまうからだ。わかりやすい例をあげよう。電車や路上という公共空間では、そもそも私たちは、見知らぬ他人に話しかけてはいけないことになっている。だから、苦しそうにうずくまっている誰か知らない人を助けようと思ったら、まず最初にこの、「他人に話しかけてはいけない」という規則を破る必要があるのだ。
私は、良い社会というものは、他人どうしがお互いに親切にしあうことができるような社会だと思う。そしてそのためには、私たちはどんどん、身の回りに張り巡らされた小さな規則の網の目を破る必要がある。
私たちは、規則を破らないと、他人に親切にできない。だから、無意味な規則というものは、できるだけ破ったほうがよい、ということになる。そして、そういう「規則を破ることができるひと」が、沖縄にはたくさんいる。
こういう感覚を、「自治の感覚」と呼びたい。自分たちのことは、自分たちで決める、という感覚。自分で決めて、自分のルールで、他人に優しくすることができる人びと。 同前 p.69,70

『レディ・バード』のことを思う、『タレンタイム』のことや、ジエン社のことや、滝口悠生の小説のことを思い出す。
布団に入り、プルースト。

6月29日(金)

なんとなく平日は、開店してからやればいろいろ大丈夫、という油断があるが、今日は真面目に開店前の時間に仕込みをできるところまでやった、吉と出た。なんだかパタパタと慌ただしい前半戦で、開店前にやっていなかったらけっこうしんどいことになっていたな、と思って、偉かった。『レディ・バード』の、素敵な大人たちのことを思い出していた、善良な世界。
夕方落ち着き、岸政彦。沖縄戦のことを語る老人たち。の話を読みながら、『奥のほそ道』のことを思い出していた。どういうふうに処理したらいいのかわからない、と思いながら読んでいたし、きっと処理しなくてよかった。それにしても聞き書きというものはやっぱり本当にいいなあ、と思った、思って、思ったところ、ちょうど前後半の入れ替えみたいなことだったのか、ぽっかり誰もいない時間が生じ、文字起こしをしようかな、と思ったところお客さんがトントコと来てくださり、

と思ったら止まらない感じになり、すごかった、閉店し、ヘトヘトと倒れ込みたかったが止まったら終わりだった、やらないといけないことをやっていった末に明朝やろうと思っていたことも勢いに任せてやったところ2時までかかった。Chance The Rapperを久しぶりに聞きながら、やっていたら、愉快だった、アメリカ。朝や昨日はフランク・オーシャンを聞いていた、アメリカ。『レディ・バード』のことを思い出しながら、聞いていた、『レディ・バード』のサントラも聞いていた、聞きながら、高校生のときや大学生のときや会社員のときや店をやっているときや、ずっと、音楽は救いを求めて聞くものだった気がした、というか、救いが必要なときに必要とされるのが小説よりも映画よりも音楽だったような気がした、いろいろうまくいかないときに、わーっと、思い出されるのは夜中にジムで走りながらわーっと、OMSBを聞いていたような場面で、そういう、救いを求めるような、鼓舞してもらうような、そういう聞き方をしていた、それを『レディ・バード』を思うことで思い出した、ここしばらく、僕は音楽をそんなに必要としていない感じがあった、のんきに生きているということかもしれなかった、あるいはただ営業時間が長くて聞く時間がどこにも当てはまらないということもあるかもわからなかった、かつては昼と夜のあいだの時間もあった、そういうものが全部なくなって、オンとオフの境目は今まで以上にあいまいになって、そうやって働いているそのせいというだけかもしれなかった。2時半。朦朧。

帰って3時、シャワーを浴び、ウイスキーを飲み、プルースト。しおりがおかしなところに挟まっていて、どこまで読んだかを探しているうちに眠くなったら、と思ったら笑った、しかしそういうことにはならず、少し読んだ。




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