本の読める店

読書日記(90)

Entry diary90

6月16日(土)

真紀さんは最近は長いものばかり読んでいるらしい。理想は『特性のない男』で、どうしてああいう長くてたんたんとした本が少ないのかしらと言った。『ローマ帝国衰亡史』だとか『失われた時を求めて』だとか長い話(あるいは "長い長い話" )のいいところは読み終わるのに時間がかかるから次に何を読もうかと迷う頻度が少なくてすむことと、どうせ一気に読めないと思っているから読むのが中断されることに何の抵抗も感じないこと、それに長い話の方が緩くできていて自分の生活のテンポに合っているんだというようなことを言い(真紀さんはドストエフスキーはダメだと言った。ドストエフスキーは真紀さんにはおもしろすぎてやめられなくなってしまうらしい。もっともドストエフスキー程度の長さはいまの真紀さんにとって "長い話" のうちに入らないだろうけれど……)、ぼくは半ば冗談で、「読み通すのに時間がかかるのがいいんだったら、哲学の本もいいんじゃないの?」
と言った。
「そうなのよ。いいのよね」
真紀さんは哲学の本も読んでいたのだった。
「ああいう本って、ページめくるのがゆっくりだから、重し置いて、手ェ放して読んでいられるのよ」
ぼくは笑ってしまった。本を読むのに一つとても幼稚なことだが、ページをめくる満足感のようなものがあるが、真紀さんにはそれもないのだった。というか、真紀さんはことさら自分の読む本は内容で選んでいるのではなくて、つまり読むのにかかる時間で選んでいるんだと言おうとしているみたいで、「だからニーチェなんかはよくないのよね」と言った。
「アレ、けっこうすらすら読めちゃうじゃない。
それにニーチェって、一瞬にしてわかるかそうじゃなかったら、ずっとわからないかみたいな書き方でしょ? 違うのよね。ヘーゲルとかハイデガーなんかの方がねちねちしてていい」 保坂和志『この人の閾』(新潮社) p.67,68

昨日、保坂和志の本を何冊か、ペラペラとしていた、そのときに、長い本がいいというくだりでは、なんの本がいいって書いてあったんだっけか、と思って、「この人の閾」を読み始めた、『読書の日記』に収録されている一年のあいだに僕は2回この箇所について言及していて、そこでは「ドストエフスキーみたいな」というように書いていた、それを校正の方が「ドストエフスキーはダメだ、とあります」と指摘してくださって、でもその記憶違いはそのままがいいからそのままにしていた、そうしたら『失われた時を求めて』の名前が出てきていて、おお、と思った。こう続いた。

随想や日記や書簡集もたまに読んでみるが、哲学と違って展開がないから最後まではつづかないと言う。いかにもたいして内容をあまり気にせずにだらだら読んでいるようなことを言ってるくせに(実際だらだら読んでいるのだろうが)、最低限の筋だけは必要らしいところがおかしかったが(それとも日記や随想は日常というものに近すぎるのだろうかともぼくは想像してみたが)、いずれにしろ真紀さんの読み方は読書感想文に代表されるある種の義務から最も遠い読み方で、ぼくはだいたいそんなことを言った。
「だって、もう読むだけでいいじゃない。何読んだって読書感想文やレポート書くわけじゃないんだし。読み終わっても何も考えたりしないでいいっていうのは、すごい楽なのよね」
つまりいつのころまでかは知らないが、真紀さんにとって読むということは読んだあとに何かをまとめることと結びついていたということを意味しているのだが、いまはそれがなくなった。そしてこの人はふつうの人がなかなか読もうとしない長い長い話や哲学のなかでもしつこいタイプのものを読んでいる。
真紀さんは人にビデオは見ると言っても本を読むとはあまり言ってないだろうと思った。「あれ読んだ? あたしも読んだ。良かったわよね」とか「あれ読んだの? 良かった? ふうん。じゃあ、あたしも読もう」という種類の会話で出せる本ではないから言ってもしょうがない。
ぼくは言った。
「真紀さんはこれからずーっとそういう本読むとしてさ、あと三十年とか四十年くらい読むとしてさ——、本当にいまの調子で読んでいったとしたら、けっこうすごい量を読むことになるんだろうけど、いくら読んでも、感想文も何も残さずに真紀さんの頭の中だけに保存されていって、それで、死んで焼かれて灰になって、おしまい——っていうわけだ」
「だって、読むってそういうことでしょ」 同前 p.68,69

読書感想文に代表されるある種の義務から最も遠い読み方。こんな記述があることを全然覚えていなかったけれど、大きく影響されていたんだろうなあ、と改めて思った。僕は、でも何かを書きつけることはどうしてもしたいらしい、読んでいた、という時間を残すというか、記述しておきたい。貧しさのようなものも感じるし、これでいいとも感じる。月曜日にきっとこの話もするのだろう。するのだろうか。わからないが、昨日はそれで帰って、その月曜日に会場でTシャツを売りまくるぞという魂胆があるため、Tシャツを畳んで袋に入れる作業をしていた、OPP袋という袋に、A4サイズに畳んだTシャツを、入れていく、というそういう内職だった、だんだん手早くできるようになっていって、人は成長する、と思った。

朝、プロ野球のニュースを見にいくと、阪神の藤浪に関する記事があり、昨日、一年以上ぶりに勝ち星を上げた、そのことに関するわりと情緒的な言葉で書かれた記事で、「何度、自宅の壁を眺め、歯を食い縛っただろう。藤浪が住むマンションのリビングに、大日本帝国海軍連合艦隊司令長官、山本五十六の言葉が飾ってある。」とあって、なんだか笑った。
開店して、なんとなくドリップバッグの作成作業をしていた、13時まで誰も来なかった、そのあと、23時まで座ることはなかった。久しぶりの、ヒイヒイ言いながらやる忙しい日になった、ありがたかった。余計なことを考えないで済んだ、という点でもありがたかった。
最後のお客さんが、帰り際、2011年ごろ、岡山のモヤウにしばしば行っていた、それでそれから大学で東京に出てきて、初台で始めたことを知って、行ってみたいと思っていて、今日、来れた、という話をしてくれて、「へえええ!」って思ったしそう言った。「へえええ!」と。高校生のときに来てくれていたのかあ、というところで、高校生のお客さんなんてそんなにいたっけな、と思った。僕が覚えているのはひきちゃんくらいだった。ひきちゃんは、学校帰り、制服姿で、同じ友だちと二人でモヤウに来てくれていた、大学生になってバイトの面接に来てくれて、ああ、あの子ね、というところで、即採用で、モヤウで働いてくれて、それから、東京に来て、フヅクエで働いてくれた、くれている。なんというか、すごいなあ、歴史みたいなものを感じるなあ、と今、いくらかの感慨にふけった。

ワールドカップのニュースやつぶやきを見ていたら、多分に漏れない格好でサッカーを見たくなった。どこかできっと大きなスクリーンでみたいなことをやっているのだろう、見に行こうか、見に行きそうだ、と思った。

6月17日(日)

夜は、ウイスキーを2杯、水割りで、飲みながら、ソファでプルースト。それから、布団に入ってワンモアプルースト、そういうふうになっている。それを昨日もそのように実行したのち眠り夜は終わり朝になって起きて、店。『週刊ベースボール』を開いて松坂のインタビューをいくらか読んで、開店。
そう忙しい感じでもないような感じがあり、ぽやぽやと働き、途中、座っている余裕もあったので保坂和志の『試行錯誤に漂う』を開き、読む。読み始めたらずっと読み続けていたくなった。

中学高校の頃の方向づけられていない騒音状態とか試行錯誤の中に作品が漂うというのは似ているような似ていないような考えだが、何かを何かが似ていると思うとそこに真理があるように感じる心性、あるいは物理法則や宇宙の法則がシンプルな数式で表しうると期待する信念、私もまたそれについ寄りかかりそうになるが、小説を書くこと、何かを作ることは、むしろそういう統一をほどいていくことなのではないか。問題は強い共鳴ではなく、ごく弱い遠い響き合いだ。 保坂和志『試行錯誤に漂う』(みすず書房)p.24

なんのかんの、とても忙しい日になった、いい週末だった、よかった。閉店後、今日はワールドカップはどんな調子かな、と見に行くと、「[ライブ配信]ドイツvs.メキシコ - NHK」とあり、ライブ配信? とクリックをすると、ライブ配信されていた、え、ネットで試合見れんの!? となって、見始めたら、ずっと見続けていたくなって、見ていた、メキシコ。メキシコの選手や、途中途中で映し出されるスタジアムの観客を見ていたら、ボラーニョの『野生の探偵たち』が思い出されるというか、『野生の探偵たち』の人たちはこういうふうだろうか、と思うような気分があった。あの双子の姉妹は。あの詩人たちは。こんな顔だろうか。メキシコ。そのメキシコがゴールを決めて、決まった瞬間、自分でもびっくりするような声で「お〜〜〜」と大きな声を出していて、ゴールというのは気持ちのいいものだと思った、サッカーというのは見続ける以外にどうしたらいいのかわからないような競技だな、と久しぶりにサッカーを見て思った、目を離せない。前半戦が終わって、それでご飯を食べた、『週刊ベースボール』を読みながら食べた、食べ終わったころにパソコンを見ると、ハーフタイムが終わりそうな雰囲気だった、なんとなく慌てた気分になって家に帰って、後半戦を見た、メキシコがそのままのスコアで勝って、泣いている選手もいて、観客も泣いていて、あるいは大喜びしていて、なんだかいいものを見た気になった。
そのあと、メキシコというのは今ランキング的にはどういう位置のチームなんだろうな、とFIFAのランキングを見に行くと、ランキングを見ていた、そこでカーボベルデという国があることを知った、アフリカの火山群島の国とのことだった、地図を見ると、北側の左だった、アフリカ大陸の右の方よりも南米大陸の方がずっと近いようなそういう位置だった。

饂飩。スタジアムの、フィールドを囲う、刻々と変わっていく広告を見ていると面白く、「饂飩」みたいな字が見えた、中国企業と思しきものが多かった、カタールエアラインなんかも意外性を感じた、饂飩。
するとなんと、3時からのブラジル対スイスの試合まで見始めた。客席が、なんだかガラガラに見えるのは気のせいだろうか、前半の途中で眠くなった、ハーフタイムの終わりの頃、選手たちが出てきて、練習をしていて、あんなに走ってこれからまた45分やるのにまだ練習するの、疲れないの、と思った。スタジアムから見える、矩形に縁取られた夕焼けの空が、あまり見ないような薄紫の桃色みたいな色合いで、刷毛ではいたような水色の雲が流れていて、きれいだった。
外が明るくなってきた。

6月18日(月)

昼過ぎ起き、本の梱包と発送の作業をする。添え状と本をOPP袋で包み、ドリップバッグ2個を紙袋に入れる。レターパックに宛先を印刷したシールと送り元住所のシールを貼り、底部を折って、マチができるようにする。本とコーヒーを入れ、閉じ、補強のため透明テープを巻く。これをたくさんつくった、途中でドリップバッグが足りなくなり、それまで作った分を持って外に出て、郵便局で渡し、店に行った。昼間にB&Bにいたらしい友人から、『読書の日記』が積まれた写真が送られてきて、おお、と思い、フヅクエでも明日から売るので並べておこう、と思って並べる。それから上の階の大家さんのところに行き、一冊差し上げる。喜んでくださる。家帰る。
引き続き作業をし、もう一度郵便局に行き、送った。家に帰る前に外で煙草を吸って、深呼吸をしていた、僕は、もうこの頃は、波のように緊張感が高まったり落ち着いたりしていた今日のこの頃はもう僕は、どでかい深刻な緊張の中にいた、そろそろ家を出ないといけない、家を出て、ご飯を食べて、コーヒーを飲んで、臨まないと、というのでそろそろ家を出ないといけない。という時間で、歯磨きをして、トイレに入っていたところ、緊張が押し寄せ、何度かえずいて、涙目になって、気持ちが少しおさまった。僕はダメだなあ、こういうのは本当にダメだ、何年か前にやはりB&Bでのトークに呼んでいただいたときも、始まるまではとにかくひたすら緊張して、数日前から、緊張して、当日となればこうなる、人前で何か、とか、今日はとても緊張する人と会う、とか、そういう前はこういうことになる、それは知っていたから、自分が緊張していくここ数日の状態を見ながらも、まあしょうがないよ、緊張するよ、と思っていたし、今日えずきながらも、久しぶりだなあこういうの、と思った、思ったが、いいものでは別になかった、さてさて、そろそろ、と思って、家を出た。
電車を待ちながら、『試行錯誤に漂う』を開いていた、開けばいつだって、面白かった。ランボーはアフリカから家族にあてて手紙を書いていた、それが残されていて、出版されている、残されていない手紙もきっとランボーはアフリカでいくつも書いたのではないか、アフリカに住むランボーという名の商社マンであるとしか知らない人たちにも、手紙を書き、送ったのではないか。そう書かれていた。

この全集の家族宛、アデン、一八八四年九月十日の手紙を読み出すと、「皆さん、(改行)長いこと、お便りをもらっておりません。万事好調なん」までで、四一一ページの二段楽の下段が終わり、ページをめくると、「でしょうね。」につづいて、
「実りゆたかな秋を祈ります。」
という一文が、あざやかに私の目に飛び込み、私は、一九九三年九月二十三日、秋分の日の昼前、もうすぐ遊びにくる妻の昔からの友達とそのダンナを迎える準備で、家の前の坂をおりて遊歩道を二分ばかり行ったところにあるセブンイレブンにビールを買いに行って、そのとき買ったのがはじめて買ってみたキリン秋味だったのを思い出した。 保坂和志『試行錯誤に漂う』(みすず書房) p.63

下北沢。先週に続いて、となった。降り、丸亀製麺でうどんと天ぷら食う。そのあとトロワ・シャンブル。丸亀製麺もトロワ・シャンブルも、先週とまったく同じ席に座った。『試行錯誤に漂う』を引き続き読んでいた、するとやはり先週下北沢で会った友人からちょっと話したいことがあって、という連絡があり、彼は今晩のイベントにも来てくださる、それで、僕は今トロワ・シャンブルですよ、よかったら、と送った、送ってすぐ、いやいやいや、俺今めっちゃナーバスなんだけど人と喋ったりとかできるかしら、なんで「よかったら」とか送ったんだろう、と思った、いやもしかしたら人と話したかったのかもしれない、いやそんなこともない、とはいえ「よかったら」と送った、すると来た、合流すると、ボックス席の方に移ることになって、僕はカウンターで隣も空いていたからそこでいいのかなと思ったら、あちら空いてますよと言われて、「あ、むしろ移動した方がいいってことなんですね」とお尋ねしたところそうなんですというところで、なるほど、トロワ・シャンブルのカウンターというのは一人客にしか提供していなかったのかと初めて知った、そうやって守ってくれていたのかと知った、それで今までこの場所に来て快適に過ごせていたのかと知れた、なんだか感動して、それで奥まったボックス席に移った、コーヒーのおかわりをした、話をした。
そろそろ時間だ、と思って出る前、トイレに行ったところ、また緊張して、えずいた。鏡を見ながら笑った。と思ったが、鏡があったかどうか覚えていない。出、コンビニに寄り、そう、これが今の俺には必要なの、と思ってフリスクを買った、すぐに口に2粒入れた、スウスウと、深呼吸深呼吸、それで、坂道を下っていくと、向こうにゆらゆらと、「本」という字の看板が見えたり、消えたりして、ああなるほど、こうやって見えたり消えたりするのか、と知って、着いた、降りた、イベント時はなるほどこうなるのか、という形だった、内沼晋太郎さんがおられ、こんにちはをして、控室に入って、控えた。簡単な打ち合わせというところで、今日のことや、今日のことではないことなどを話した。内沼さんと話し出すと、というかB&Bに入るときには、緊張はだいたい雲散していて、話していてえずきそうになる、ということはなかった、そういうものだった。7時半過ぎに保坂和志さんが来られ、握手をした。保坂さんは座るなり、『読書の日記』をバッグから取り出して机に置いた、その本には3本のスピンが挟まれていて、100本入りとかで売っている、何本か必要だなというものには、カバーの背のところでボンドで貼り付けてしまうのだそうだ、僕は、保坂さんが、自分の書いたものに、スピンをそれも複数、挟んでいる、という光景にまず感動して、保坂さんはそれを置いて開口一番に「今日自分から言いたいことはあるの?」というようなことを聞いた。僕は特になかった。お聞きしたいことはいくつかあった。保坂さんはノートを取り出し、メモがいろいろと書かれていて、メモがいろいろ書かれている、と思った。ビールが運ばれてきて、飲んだ。
僕はしきりに肩を回したりしていて、落ち着きがなく、それで途中で首を寝違えて痛いんです、ということを言うと、ストレッチを教えてくださった。その流れで大谷の名前が出て、野球の話をした、野球に関する文章をどこかに書いたりはしていないのですかと聞いたところ、横浜が優勝した年に中央公論で数十枚の原稿を書いたことがあったというが、それくらいだということだった、そうだったのか、と思った、というか、出版社は、どうして依頼しないのだろうか、『Number』とか、なんで依頼しないのだろうか。僕は保坂さんが書いた野球の文章を読みたかった。

8時になって、始まった。たくさんの人が目の前にあった。緊張みたいなものは、予期していた通り、そのときにはまったくなくなっていた。だから緊張とは関係なく、最初のほう、僕は調子がわからず、調子がわからないなあ、と思いながら話していた、聞いていた。1時間ほど経っていったん休憩で、その時間、うろうろしながらいろいろな人とこんにちはをして、なんだか幸せだった。後半、僕は気が楽になっていったところもあったのか、調子もつかんだのか、つかまれた調子がどのようなものだったのか、僕にはわからないが、どんどん楽しくなっていって、途中、話している保坂さんの顔を見ながら、幸せだなあ、と、なんだか噛み締めたりしていた。これはもう、俺にとっては抜群の、素晴らしく幸福な夜だ、と思った、質疑応答になり、そのあと、時間まだ大丈夫なんでしょ、まあなんか適当に続けようよ、と保坂さんも言ってくださり、なんだかラフなスタイルで、立ったまま、なんだか、話した、昔から、それこそはてな時代から僕の文章を読んでいました、という方がいたりして、どういう質問があって、どう答えたのか、もうまったく覚えていないが、すごい! と思った。保坂さんも、フヅクエ以前の僕が書いていたものを存在として知っていたとのことで、すごかった。滝口悠生さんが来てくださっていて、保坂さんが「滝口さん何かないの」と振って、そこでされた発言に、感動した。びっくりした。
ということを翌日、昼間、書いていると、だんだん、そのときの自分はもうちょっと油断しまくってはしゃぎすぎていて、まずいことになっていたのではないかという「翌日の例のやつ」がやってきて、ちょっとソワソワし始めた、恥ずかしいというか、苦々しい気持ちになってきた、どうだったのか、いやそんなつまらない反省はやめたい。反省にもならない反省なんだから、やめたい。 とにかく、幸せな、ちょっと、ああこれはなんかもう、ご褒美、今晩は俺のご褒美、という夜になった、もう閉店だということでおしまいになり、最後にこの日5杯目くらいのビールを、ボトルビールを買って、飲みながら、最後まで残ってくださっていた方とぴゃあぴゃあと話し、出た。階段を上がると下北沢の夜の町が目の前にあって、 5時間ぶりくらいの外の空気を、大きく吸った。

6月19日(火)

外に出てからもじわじわと高揚した気分に覆われていて、高揚と、解放感に包まれていて、それから幸福感にも、包まれていて、うわあああ、という気分で、駅でもそんな感じで、電車でもそんな感じで、降り、ラーメンを食って帰った。寝る前、解放感、と思いながらプルーストを開いたが、まったく頭に入らず、寝た。
それが昨夜だった、起きて、コーヒーを飲み、昨日の日記をいくらか書き、それから店に行き、もう開店していて、ひきちゃんにこんにちはをして、ほんの少しだけの用事を済ませて出て自転車に乗って下北沢にまた向かった。昨日友人からもらった花をB&Bに置いていってしまっていて、取りに行った、せっかくなのでなにか食べようと思って茄子おやじに行ってカレーを食べて、きのこのカレーを食べた、おいしかった、それからB&Bに行ってお花を受け取った、そのまま帰った。帰って、昨日の夜に立て続けにオンラインストアで本とTシャツが買われたのでその梱包をして、郵便局に出しに行った、今日の送り先は京都、福島、静岡、岡山だった。
もう夕方になっていた。コーヒーを淹れて、昨日買った友田とん『『百年の孤独』を代わりに読む』を読み始めた。これはなんというか憧れるような企てというか、僕も一時期、いくつかのことに触発されて「『若い藝術家の肖像』を読む」というなんか読み続けるやつをやろうとしたけれどもつまらなくなって頓挫した、それが最後まで貫かれたきっとそういう本だった。冒険小説を読み出す前みたいななんかワクワクした感じがある。

店。ひきちゃんとバトンタッチをして、働く。悪くない感じの日だったが、9時になる前に誰もいなくなった、笑った。日本代表の試合がある夜だった、9時から。その影響なんてうちにあるの? と思ったが、その影響であってほしかった。仕方がないので僕もサッカーを見ながら、いんげんを茹でたりドリップバッグを作ったりして暮らした、サッカーは、面白かった。そのまま閉店した。
寝る前、『『百年の孤独』〜』。どうしたって、『百年の孤独』を読みたくなる。それから、途中でよしながふみの『きのう何食べた?』への言及があって、読みたくなった。

作品の初期段階ではふたりの価値観にズレがあり、それらが露呈するたびに大きな衝突が起こった。そこにあるのは、ふたりであるという孤独だ。そして、価値観の違いを埋めることは容易ではないが、代わりに傷つけてしまった相手に料理を作ることでかろうじてバランスを取っていた。ところが、7年後の第9巻では、信頼関係を築き、互いの抱えている問題や異なる価値観を理解し、相手の身になって考える余裕が生まれている。ふたりであることで生じる問題は変わらないが、まわりには家族以外のコミュニティが形成されており、それが少しずつ孤独を癒してくれている。ドラマとして考えれば、当初の一触即発の状況の方が面白いかもしれないが、大事には至らないいまの方が読んでいて心地よく感じるのは私だけではないだろう。 友田とん『『百年の孤独』を代わりに読む』p.29

大事には至らないいまの方が、読んでいて心地よく感じる、というところが、なんだかよかった。僕もそっちの方がいい、と思った。そういうものに触れたいというか、そういうもののなかにいたい。

6月20日(水)

雨。開店前、郵便の配達の人が入ってきて、入ってきた時に立てかけていた看板を倒した、割れたらどうするんだと思った。雨粒をぼとぼとと床に落としながら、発送したものが発送先住所に発送先氏名の人は存在しないということで返してきた、僕は、ぶっきらぼうに応じながら、応じていたが、やっぱり気に食わない、と思い、看板、せめて謝るくらいはしないんですか? と質問をした。そうしたら謝った。気が晴れるわけではなかった。不機嫌。

ずっと仕事が終わらない、なにかがまったく落ち着かない、そういう感覚で過ごしていた、途中、原稿仕事の仕上げというか、推敲をして、送った、オッケーとのことで、心からほっとした、ずっと、なんだかずっと働いていた気がする。仕込みというものはなんというか、本当にライブだなと思った、もし鶏ハムがあと1食出たら、もしチーズケーキがあと1個出たら、みたいな無数の「もし」のあとに仕込みというものは控えている感じがあり、昨日はその「もし」がいくつか重なって、これ今日やることになるとは思わなかったな、という仕込みが、夜になって発生して、驚いた。がんばってやった。
昨日からエゴサーチの要領を変えた。これまではTwitterで「フヅクエ OR fuzkue」で検索していたが、昨日からは「フヅクエ OR fuzkue OR "読書の日記"」になった。それをブックマークバーに置いているので、それをしきりに開いた、開いて、リツイートをしたりしていた。なんというか、これまではエゴサーチしても出てくるのはたいがい自分のアカウントのツイートだったが、本の発売というタイミングで、様子が違っていて、面白い。
面白い、面白いのだが、本屋さんのツイートがいくつもあって、新刊案内ツイートがあって、それを見て最初は「ほ〜ありがたいなあ」と思っていたのだけど、少し経つと、そういえば一日何百冊と新刊は発売されるんだよな、全部が入荷されるわけではないにしてもいずれにしても毎日たくさんの新刊本がきっと新たに届くんだよな、そのなかで「この本について案内しよ」って選択って、けっこうな選択ってことなんじゃないか、こういう場で取り上げていただけるのってけっこうすごいというか、どの本でも取り上げられるわけではないことなんだよなあきっと、と思って、感動した。
で、エゴサーチを続けていると、今日くらいから「読んでる」系のツイートが出てきて、おお、読まれている! と思うと、けっこうこれうれしいものなんだなあ、と思った。なんとなく、反応はどっちでもいいような気がしていた。僕はこれは面白いと思うし、それは誰がなんと言っても変わらない気がする、だから面白く読まれてもつまらなく読まれてもなんなら読まれなくても、なんでもいい気がするなあ、と思っていたが、いやこれ、うれしいものなんだなあ、と思った。ブログが読まれるのとはなんだか質がぜんぜん違う感じがある。これはなんでだろうか。ブログだと記事単位で、読んでいるというよりは読んだ、であって、本だと、特にこの本はバカみたいに分厚いし、今、読んでいる、どこまでいつまで読むかはわからないが、今はこれだ、という、時間が流れていく感じがあるのだろうか。その人の暮らしに、自分たちが作った本が並走させてもらっている、というような。この本が、読む人の暮らしや読書の記憶を喚起したらうれしいし、そしてこの本を読む時間が読む人の暮らしや読書の記憶のひとつになったら、とてもうれしいだろうな。と思った。

等々思いながら、なんだかリズムが作れない、とにかく何かやることがある、という感じで、日記を書くのも後手後手になる感じで、なんだか調子が狂う、と思いながら働いていたところ、お客さんにひとつ噓をついた。ソファに置かれたトートバッグが、見覚えのあるものだった、あれ、なんだっけ、と思ったらそれは、STRAND BOOK STOREのトートバッグで、色も形もたぶん一緒だった、同じものを持っていた、今調べたら、「ニューヨークの本屋といえば」みたいな「お土産に大人気」みたいなところみたいなのだけど、僕はさっぱり知らなかった、店名も今どうにか漕ぎ着けた、なので「おお、一緒だ!」とだけ思った、そのためお帰りの際に、そのバッグ、と指さして、あの、そのトートバッグ、僕も持ってて、と言った。その方はニューヨークで買われたとのことだった、いい書店だったとの由。僕はそれで、僕は、いとこからお土産でもらって、と言った。これが嘘だった。本当は姉夫婦だった。今だったら姉夫婦と言えた気がするが、そのときはなんでだか義兄な気がしていて、口頭で「ぎけい」というのはちょっとどうなのだろう、とたぶん判断した、いとこだったら音も素直に伝わりやすいし、伝えたい内容は僕もそれを持っている、人からもらったものだが、ということであって、いとこだろうと姉夫婦だろうと関係なかった、と、そこまでそのとき考えていたわけではなかったが、いとこ、と言っていた、それを僕は面白く聞いた。そういえば『どもる体』で、吃音の人が言いにくい言葉をとっさに言い換える、「飛行機」を「航空機」にしたり、「利き手」を「ふだん使っている手」にしたりする。面白かったのが、それが多くの場合は半ば自動的に処理されているというところだった。

Nさんは言います。「最初は苦手だな、という感じがあって意識的に言い換えていたと思うんですが、もう無意識と意識の中間のような感じでやっているので……。たぶん言い換えのパターンがあって、いまはほとんど意識せずにやっていますね」。
難発が対処法でありながら自分からするものではなかったように、言い換えも「代案の言葉」が出てくるのは自動的です。Nさんは、言い換えてから、「あっ、いま言い換えたな」と事後的に気づくこともあるそう。外国語を話すときのように、「この言葉、どう言い換えられるかな?」と悩むことはありません。 伊藤亜紗『 どもる体 』(医学書院)p. 126,127

今日も、働きながら、月曜の保坂さんとのトークを思い出している。あの質問、ああ答えたけれど、本当はこうだったんじゃないか、等々、くよくよ思ったりしている。ミスったな、とか、話すという行為はおそろしいものだな、とか、思ったり、いい場面を思い出して、あれはよかったなと思ったり。こういうのは普段は翌日で済むものだけど、今日も反芻している。なんだか笑ってしまうけれど、笑ったあと、いや、そりゃあまあ、大きな出来事だったよな、10年以上思い続けた人とお会いしたんだ、そりゃあまあ、大きな、忘れられない出来事だったよ、と思うと、この状態のままでいていいと思った。

夜まで本を取ることもなかった、取る時間もなかった。帰宅後寝る前、友田とん。明日、『百年の孤独』を読み始めようかな、というおそろしい気分が起こる。

6月21日(木)

朝から、夜が楽しみだった、リュックに何冊か本を入れて店を出た、今日は7時閉店で、7時からどこかで本を読もうという算段だった。こういうふうに構えているときほど、読めないものだった、下手をしたらサッカーを見始めるのではないか、と思った。

夜まではだから、まじめに働こうと、まじめに働いた。そうやることもないような気もしていて、午後から読書の時間になって、夜にはもう読み飽きたりしていて、などともどこかで思っていたが、そうはならず、まじめに働くことになった。手が空くと、日記を書いた。6月20日の分だった、昨日はパソコンに向かっている時間がなく、書かなかった、珍しいことに、書こうと思ったことをメモしていた、アンカーとして使うみたいなことだった、珍しいことだった、日記を書くことに躍起にでもなっているのだろうか、とにかく、それを頼りに書いていったところ、予定していなかったことも書き始めて、そういうことが大事だった。保坂さんもトークで、引用のところを書くときにそのあとに書くことをメモしたりするが、引用部分を書き写しているうちに、どうこう、ということを話されていた、それを思い出した。どうこう、のところが大事な気がするが、なんだったか。
昨日の夜、『『百年の孤独』を代わりに読む』を読んでいたところ、ウルスラが息子に何かの治療法を伝えたところで、それにしても老婆というのはどうしてこうも民間療法が好きなのだろうか、みたいな流れで、著者の祖母のアロエの話に展開されて、なんでだか、そこで感動した、それも思い出した、一つの読書が、読書である必要はどこにもない、なにかが、なにかの想起のスイッチとして働くとき、なにかそれは感動的ななにものかだなあ、と思う。

今日初めて、『読書の日記』がフヅクエで読まれている場面が生じた。帰り際、いやあ、変な感じですよねえ、フヅクエ成分でお腹いっぱいになっちゃいそう、と話した。愉快だった。それで閉店した。なにか、最後までしっかり働いていたためか、7時で閉めてもすぐには動き出す気が起きずに、ダラダラと店にいた。腰が重かった。どうにか持ち上げて、店を出た。
それでビールを飲もうとタラモアに行って、キルケニーとピクルスとポテトフライをお願いして、カウンターの端の席で、本を読むことにした、リュックには『失われた時を求めて』『どもる体』『『ハッピーアワー』論』『ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記』と『『百年の孤独』を代わりに読む』が入っていて、『『ハッピーアワー』論』を読みたかったが、読みたい気分が強かったが、それよりも『百年の孤独』の気分が勝ったので続きを読んだ。
前半は読みながら愉快がりながら『百年の孤独』を読みたいスイッチが刺激され続ける感じだったけれど、途中から、代わりに読むことを試行しながらなかなかうまくいかない人の物語への興味に読むモードが完全に移り変わって、この試みは失敗に終わるのだろうか、それとも、と引き込まれていった、小泉今日子のあたりでテキストが、それまで以上に自在に交互に行き来するようになって、すごいグルーヴが響き始めて、うわわわわ、と思いながら、そしてA子が登場して、端役かと思ったら重く満遍なくせり出してきて、うわわわわ、と思いながら、A子さんの恋人、僕は断然A君派、と思いながら、うわわわわ、で読み終わった。最後の方、泥に腰まで浸かりながらグイグイと強引に力強く前に歩くみたいな様子に、なにか泣きそうになりながら読んでいた、それは家でのことだった、その前、ヤバイIPAを2杯めのビールとして飲んで阪神対ソフトバンクの試合を流していたテレビはデンマーク対オーストラリアの試合に変わって、きれいなシュートがひとつ決まった、前半がそろそろ終わろうとしていた、そのあたりで店を出て、スーパーに寄ってハムと惣菜のポテサラと、ビール2缶を買って家に返って、スーパーの惣菜のポテサラというのはおいしのだろうか、と半ば疑いながら買った、食べたところおいしくて、ポテサラはいいよなあ、と思ってつまみながら飲みながら読んでいって、それで終わった。

『『ハッピーアワー』論』に行こうかと思ってまた開いた、目次を見た、それだけで胸いっぱいになるところがあったが、今日はもう酔っ払っているし、また明日からにしようかと思い、数日ぶりにプルーストに戻った、すると、それまでいくらか鼻白みながら見ていたスワンの懊悩が、なにかビビッドなものに響いてきて、面白い、面白い、と思ってしばらく読んでいた。

彼の残酷な嫉妬は、オデットの告白によって彼に痛撃をくらわせるために、まだ何も知らない人の状態に彼を置きなおし、そして数か月後には、古いこの話が、はじめてもらされた事柄であるかのように、依然として彼の心を転倒させるのであった。スワンは彼の記憶のおそるべき再創造力に感心するのであった。彼がそうした拷問の苦しみの鎮静を期待することができるのは、この母胎が衰えて、多産な繁殖力が年齢とともに減少するのを待つよりほかにはなかった。しかし、オデットのいった一つの言葉に、彼を苦しめる力がやや衰えたらしく見えると、それまでスワンがさして気にとめていなかった、ほとんど新しい一つの言葉が、たちまち交代にやってきて、元気な力で彼に痛撃をくらわすのであった。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈1 第1篇〉スワン家のほうへ』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.621

元気な力。

それにまた、彼に見やぶられたのではないかと彼女が想像して自分のあやまちをスワンに告白すると、彼にはその告白そのものが、古いうたがいに終止符を打つというよりは、むしろ新しい疑惑の出発点になるのであった。なぜなら、その告白はけっして彼の疑惑にぴったりとあうことはなかったからである。オデットがその告白からもっとも肝心な個所を削除していても、なんのことはなかった、付随的な個所に、スワンがいままで想像もしなかった何かが残されていて、それの新しさで彼を圧倒し、彼の嫉妬の問題の限界を変更させようとするのであった。 同前 p.624

嫉妬の問題の限界。

網戸にしていたら、外で男が怒鳴りまくっていて、途中で女が何度か泣き叫んだ、怒鳴るのはそれでもしばらくやまなくて、しばらくすると声はなくなった、スワンとオデットの不和を考えた、考えなかった、眠った、ぐっすり眠った。

6月22日(金)

朝、パドラーズコーヒー。冷たいラテ。気持ちいい。朝、パドラーズコーヒー、に行くと、一日がなんだか晴れやかになるような気がする。

経理の作業が貯まっているというか全然していないなあ最近、とここ数日思っている、Excelと触れ合っていない、
と打ってから、触れ合おう、となって、貯まっていた伝票の入力作業をした、ひと月分貯まっていた、これはけっこうな貯まり方だった、最近興味がなさすぎる。お客さんが一人もいない時間が長くあって、そこでずっとタンタカタンタカExcelと踊っていた。疲れたし、早くおしまいにしたい、と思いながらやっていた、俺は今日は『『ハッピーアワー』論』を読みたいの、と思いながらやっていた。終わって、終わったら、そうだ、ブログを書かないと、となってブログを書いた、先日届いた『CAFERES』で、バールボッサの林伸次さんにインタビューをしていただきました、というお知らせのブログだった、書いたところ、書けた、書けたので更新した、そのまますぐにシェアをしようとしたところ、それが7時ぐらいだったか、そこから一気に、畳み掛けるようにお客さんがいらして、ヒイヒイ言いながらひたすらこなしていった、なんだかすごかった、そのままひたすら働いていたところ閉店時間になった、今日は店頭で本が3冊売れてうれしかった、あ、マジっすか、買ってくださるっすか、という感じで、うれしかった。閉店後、先にカバーを掛けておいた方がオペレーション的に楽だということが昨日思われて、それでいくらか巻いていたのだけど、もっと巻いておこう、と思って巻いた。クマたち。クマが並ぶ。アニメーションみたいに見えたりもする。クマよ、よたよたと歩きだそうとするクマよ、犀の角のようにただ独り歩め。
と思ったら、独り歩もうとしているのか、青山ブックセンターでは3面で展開されていて、東京堂書店では入口横に平積みになっているとのことだった。なんというか、こんなふうなことは想像もしていなかったんだよな、何を想像していたかといったら何も想像していなかったのだけど、すごいなあ、と思った。

帰宅後、プルースト。「スワンの恋」が終わった、辛い恋が終わったらしかったが、このあとスワンがオデットと結婚することは最初の章で言われている、それだけでも胸が詰まりそうだった。それで、「土地の名、——」になった。このタイトルだけで、なんかご飯3杯くらい食べられそう。寝た。



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