本の読める店

読書日記(88)

Entry diary88

6月2日(土)

セビーチェ。営業、それは暇で、あいまあいま、牧野伊三夫の『かぼちゃを塩で煮る』を今日は読んでいる、塩で煮たかぼちゃ、野菜と豆のスープ、おからと酢締めした魚の和え物、マダガスカルの鶏肉の煮たやつ、それからセビーチェ。まで読んだ、どれもやたらにおいしそうで、こういうおいしそうに思わせる文章というのはどういうふうにできあがっているのだろう、と思う。腹減った。

腹減ったあとにプルーストを読み始めた、読んでいったところ、第一部の「コンブレー」が終わって「スワンの恋」が始まった、そもそもこれはどういう構成というか、今読んでいるものはなんなんだろう、と思って検索すると、第7篇まである第1篇の「スワン家のほうへ」の第一部が「コンブレー」だったということだった。と、「スワンの恋」が始まったとたんに忙しい夜というか、いい夜の感じの夜になり、久しぶりにちゃんと働くような感触を得ることができて、うれしがった。
今日から、食事はこの一週間まったく出していなかったが、カレーを出すところから復活することにした、するといっときカレータイムのような時間が起き、カレー、カレー、カレー、になった、久しぶりに食事を出して、出してそれでわかったのは、食事は洗い物が出るからやっぱりこれまで出さないでやっていたのは正解だったということだった、洗い物が、飲み物と甘い物だけを出している場合よりも出て、そしてそれはそれらよりも早く出て、それで作業量が増える、作業量が増えれば、手が忙しく動く、手が忙しく動けば、今日もやはりあったが気が油断して指のことを忘れて「いてっ!」ということが起きる、そういうことが起きれば、痛い、痛いのはいいが、それよりも、治るのが遅くなるだろう、それはよくない、だから、これでよかったし、ここで、だから今はカレーだけで、とどめておくくらいにやはりしておこう、と今日、思った。

それはそれとしていいとして炊いた米がなくなった、ということは、今日の僕の夕飯はなかった、そもそも、定食を作っていないということは、定食のおかずがないということだった、定食のおかずがないということは、僕が食べるおかずがないということだった、定食を作らない一番のデメリットはもしかしたらそれかもしれなかった、昨日は、冷蔵庫にあったしいたけとしめじと冷凍庫にあった豚肉とそれから玉ねぎで適当な炒めものを作ってそれで米を食べた、おとといはカレー、その前はマッシュポテトとポテチ、その前はカレーだった、今日は、ラーメンを食べようと思う、とわりと早い段階で思った、これから食べに行くことだろう。やむないが、どうなのか。早く、指が治るといい、指が治って、定食が作られるといい、定食が作られて、それを僕が夕飯に食べる日が来るといい。

なんとなく小説に戻るのも半端な気がして、半端なタイミングで読むことなんていくらでもあるから、というか営業中なんて常にそうだから、半端というのは違うのだろう、そういう気分じゃなくなったから、というところだろう、小説に戻る気分じゃなくなったから、から、というか、とにかく、何か気になったのか、『失われた時を求めて』の成立過程みたいなものをなんとなく知りたい気になって、ウィキペディアを見ていた、それによると、1908年ごろに書き始めた「サント=ブーヴに反論する」という評論から小説に発展していき、1918年までにいったん最後までが書かれ、ずーっと原稿に手を入れ続け、1922年、第5篇のゲラをいじっているところで亡くなった、ということだった、つまり14年間くらい、51歳没だから、37歳から51歳のあいだ、ずっとひとつの作品と向き合い続けたということだった、というか、書き終えてから4年間ずっと改稿を続けた、というその4年がすごい、と思ったのか、全部すごいが、その4年というのはどういう時間なのだろうか。想像がつかない。
今読んでいる井上究一郎訳のものだと、少ないながらに途中途中で改行されたり、空白行が入ったりしているのだが、空白行が見えるとここでひと呼吸、みたいな心地になるのだが、改行だけでも少しひと息つける安心感があるのだが、ジョゼフ・チャプスキの講義のやつを読んでいたときに、改行もなにもまったくなしでいきたかった、みたいなことが書かれていた、ウィキペディアにあったタイプ原稿の写真を見ると、小さな画像で文字が読めるところまでは引き延ばせないのだけど、バーコードみたいだった、原版というかフランス語版だとどういうふうになっているのだろうか。

6月3日(日)

閉店して店を出て、家に帰って、寝て起きて、戻ってきたわけだった、10時間くらいの時間が空いたわけだった、すると今これを打っているテキストエディタの見え方が、こんなふうだったろうか、なんだか今までよりもギュッと詰まっているように見えてしかたがないが、こんなふうだったろうか、となっている、まるでバーコードみたいにギュッと詰まっているように見える、なんでだろうか、文字の大きさだろうか、行間の広さだろうか、どちらもだろうか、こんなに文字文字していただろうか、戸惑った気持ちを引きずりながら朝の準備をしている。
「行の高さ」という項目を「1.4」から「1.5」に変えてみた、すると、昨日までの見え方になったような気がする。この「0.1」で見え方が全然違う。そして今度は、これではスカスカすぎやしないか? という気持ちにすらなっている。なんでだろうか、なんなんだろうか、こいつが変わったのか、俺が変わったのか。こいつが変わったのだとしたら、10時間のあいだにいったい何が起きたのか。

その10時間後が今だとするならば現在、猛烈に腹が減っている、9時くらいから猛烈に腹が減っている、今日は夜ご飯はカレーを食べることにして8時くらいからカレーを作り始めた、人参とじゃがいもと玉ねぎと豚肉があったのでそれを使うことにしてそれらをカレーにし始めたのが8時くらいだった、トマトをどうしようか、トマト缶はたしかにあるが、と思い、そうだピザトーストに使うトマトソースがある、と思い、それを使うことにした、先日見かけた、カシューナッツをペーストにして入れるとカレーはおいしくなる、という記事を思い出し、ミックスナッツを粗いペーストにして入れた、入れすぎたか。
いい、日曜日で、いい日だった、怪我をしてからはずっと看板を外には出さないで踊り場のところに置いているが、それにもかかわらず昨日も今日もたくさんの方が来てくださり、それはとてもうれしいことだった、いい日だった、腹が減った、夜、ちまちまと『失われた時を求めて』を続けた、スワンとオデットの馴れ初めみたいなものが語られつつあって、スワンがどこかの社交の会で聞いた音楽がすばらしかった、それをまた別の社交の場で聞いた、ヴァントゥイユの『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ』だった、というくだりがあり、聞きたくなり、調べると『ヴァントゥイユのソナタ』というタイトルのアルバムがあった、その説明には「マルセル・プルーストの長編小説「失われた時を求めて」には、架空の作曲家ヴァントゥイユのヴァイオリン・ソナタが登場します。爾来この曲が何を指しているのか研究され、サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ第1番か、文中に譜例が示されたフランクのソナタか、あるいはプルーストの恋人で登場人物スワンのモデルともいわれるレイナルド・アーンのソナタかと議論されてきました」とあって、ほお、と思った、このアルバムにはそれらが収録されているらしかった、あとで聞いてみようと、カレーを食いながら聞いてみようと、思った、腹が減った。
そのあと、スワンがオデットの顔を見たときに、その顔に「システィナ礼拝堂の壁画にあるエテロの娘チッポラ」との類似をみとめ、それからその複製を部屋の机に置いて眺めるようになる、そういうことが書かれていて、「彼は大きな目、まだ完成していない肌を思わせる繊細な顔、疲れを見せた頬にかかる髪のすばらしい渦巻をうっとりとながめ入るのであった」とあって、もしかして、と思って文庫本の表紙を見ると、切手大の絵がそこには置かれていて、それはどうも、大きな目、繊細な顔、疲れを見せる頬、にかかる髪のすばらしい渦巻、があるように思えた、その瞬間になんでだか妙な、大きな感動がやってきた、なんでだろうか。検索すると、それはボッティチェリの「モーセの試練」という作品のようだった、それを見た、同じ顔があり、同じように感動した、いい顔だった、なんでなのか、感動を誘う顔だった。検索するまでもなく、本を開くとすぐのところにそう書いてあったが、全体が見られてよかった、感動した。それから、そのあとの、オデットを探すスワンの場面が、ひどくいい、滑稽で、悲しいような、胸に迫るような、心地になって読んでいる、オデットをとうとう見つけた、それから馬車に同乗した。

彼女はカトレアの花束を手にしていた、そして彼女が頭を被って顎でむすんでいるレースのうすいスカーフの下にも、この同じ蘭の花が、白鳥の羽かざりといっしょに、髪に挿してあるのを彼は見た。彼女はマンチラの下に黒ビロードの長い服をゆったりと着ていたが、その服は、片前が斜にからげてあって、白の節織絹フアイユのスカートの裾を大きく三角形に見せ、おなじ白の節織絹フアイユのヨークを、デコルテの大きくあいたコルサージュに出していて、そこにもまたべつにカトレアの花が挿してあった。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈1 第1篇〉スワン家のほうへ』(井上究一郎訳、筑摩書房) p.389

そうあって、ずいぶん服装の描写が細かいな、と思うと同時に、まったくなんのこっちゃわからない、と思ってそのあと、もしかしたらこの描写をもとに絵を描いたりなんか服を何かしたりした人とかが広いインターネットにはいるのではないか、と思い、「cattleya odette proust」で検索してみたところ、それはまさに映画化された映画のなかで描かれた場面のようで、スワンがオデットの花を挿し直す、その場面があった、これはどうやら大事な場面らしく、日本語のブログが検索結果の最初にあって、このあとどうやら二人はベッドに入るらしい。

そのとおりのことになった。

カトレアの花は、その契機になったどころではなく、のちに長きにわたって二人のあいだで「カトレアをする」という言い方が流通することにさえなったとの由。クレヨンしんちゃんを思い出した。

6月4日(月)

入ると、すぐ目の前に平台があって、という言い方は適切ではなく、まず意識されるのは平台ではなくそこにピラミッド型に置かれた何本ものビールのボトルで、その空間に入る前に歩いていたのは立体駐車場のようなところだった、駐車場だったのだろう。それで扉の有無はわからないが入ると、何本ものビールのボトルがピラミッド型に置かれていて同じラベルが貼られていて「母の酵母」と書かれていた、それが商品名らしかった、その下には副題のような様子で「マザリング・ホップ」と、アルファベットによってだったかカタカナによってだったか、書かれていて、とても小さな醸造所というか一人で作っているらしかった、まさにクラフトなビールがそこにあって、それを作って、今日ここに持ってきて売っているのはどのタイミングで気づいたのかわからなかったが帽子職人の友人というか知人というかの方で、帽子はかぶっていた、髪はかつて長かったことがあったか記憶していないが「短くなった」という印象だった、それで、え〜、ビール作ってるんですか、というと、そうなんだよ〜、まあ飲んでみて、おいしいよ、ということで蓋が開けられグラスに注がれた、金を払ったか払っていないか。

昨日は久しぶりにうまく寝入ることができず、体が気持ち悪くなり、伸ばしたり、脚をわざと攣ってなにかの効果を期待したりしたが、うまく寝入ることができず、少ししたら寝ていた、寝ていた夜の次の朝、見た夢が「母の酵母」だった、脚を何度も攣ったせいか、脚が疲れていた、バカみたいだと思った、気持ちよく目覚め、今日もいい一日にするぞ、と思った、思わなかった。

ASAP Rockyの新しいアルバムを聞きながら準備したのち、店を開け、のんびりと働いていた、コーヒーを淹れていたら、ふいに、真っ昼間からコーヒーを淹れて、これが仕事なんだもんなあ、幸せな仕事だよなあ、というたまにやってくる幸福感に見舞われて、幸福だと思った、そのあと、プルーストを読んでいた、そのあと、『かぼちゃを塩で煮る』をいくらか読んでいたら飛騨高山の楪子という、ちゃつという、もともとはお皿の名前のようなのだけど、そこにいろいろをのせて食べるご馳走のことでもあるようで、そのことが書かれていて、家でもいろいろ盛ってちゃつやってます、と書かれていて、そういうのはいいよなあ、と思ったあとふと、ポテトサラダを作ろうと思いたち、じゃがいもを剥き始めた、すると、左手は手袋をしているのだけど、手袋をしながらピーラーでじゃがいもを剥くということがとてもやりにくいことが知れた、引っかかりそうになる、手袋を切りそうになる、すごくやりづらく、時間もかかり、なるほど、やはり定食復活はまだだ、手袋が必要なうちは無理だ、と思った、それに、やはり、たまに、勢いが余って間違ったところに指をぶつけてしまって、痛い、となることが、まだまだ起こる、なにもかも、ふさがってからだった、腹が今日も減った。プルーストを読んでいた。

なんとなくまた、この先どういうふうに、いやこの先ではない、わりと目下のところだ、わりと目下のところ、どういうふうに働きたいのか、どういうふうに暮らしたいのか、ぽやぽやとまとまらない頭で考えていた。どういうふうに生きたら、気持ちがいいのか。

夜、酒飲みながらプルースト。「スワンの恋」は、スワンが恋をしている話になるのだけど、社交界的な白々しい場がたくさん描かれて、面白いが、つまらないというか、つまらなさがそのまま面白い面白さで、ずっと社交界のなかにとどまられると困るな、と少し思い始めた気がする。それでも、とても、面白い。

6月5日(火)

自転車のタイヤに空気を入れないとなと思いながら、毎日一回思って忘れてここ一週間を過ごしているそれを思いながら、店に行き、ひきちゃんと歓談したのち、ドリップバッグの作り方を伝授した、今日は『読書の日記』の特典としてドリップバッグをつけるそのドリップバッグを作ることをお願いしようと思っていた、それで伝授した、最後にシーラーで止めるときのコツみたいなものを僕は掴んでいなくて、よれたりしがちだった、ひきちゃんは一発で具合のいいやり方を見つけたのでそれを教わった、曰く、袋と友だちになることだ、ということだった、優しく揉み、均す、そんな感じだった、それで教わった通りにやってみるととても上手にできて、これがコツだからね、じゃ、よろしく、と言って店を出た。
本を買おうと思い、昨日Twitterで見かけた小説が、なんだか面白そうで、本を買おうと思い、丸善ジュンク堂に向かった、松濤の住宅街を通っていると、歩いている人を見るたびに、この人は金持ちなのかな、と思う、思って、丸善ジュンク堂に行った、それでその目当てだったリチャード・フラナガンの『奥のほそ道』を取った、気になっていたイアン・マキューアンの『憂鬱な10か月』も買おうかと思ったが、なんとなく留まった、やめた、それで、そういえばと思い、前にTwitterで見かけて、面白そうと思ったと思い出し、『ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記』を取った、それでレジに向かったところ、新刊コーナーの本が目に入った、その一つを手に取ると、コタール症候群という、自分はすでに死んでいるという感覚に取り憑かれる病気のことが書かれていて、コタール、と思った、ジュール・コタール、19世紀のフランスの神経学者であり精神科医ということだった、ちょうど『失われた時を求めて』でもコタールという登場人物があった、医師だった、19世紀末、フランス、その符合に「ほう」と思って、もしかしたらコタールというのはありきたりな姓なのかなと思って、その本は取らなかった、より目に入ったのは、伊藤亜紗の『どもる体』だった、先日Facebookで見かけて、面白そうだと思っていた、それで取った、多分、『触楽入門』を読もうと思ったときに「触るとはなにか知れるのかな、面白そう」と思って読んだのと同じように、「しゃべるとはなにか知れるのかな、面白そう」と思った、そういうことのような気がした。
たくさん買ってしまった。

さてさてたらふく読むぞ〜とうきうきしながら帰宅し、うどん、食う。お湯を沸かしたり茹でたりしているあいだ、『どもる体』、楽しい。それで冷たい、ざるうどん。たらふく食った、食った先から眠くなっていくようだった、コーヒー淹れ、『奥のほそ道』を始める。オーストラリアの作家らしかった、第二次大戦、ビルマ、日本軍の捕虜、強制労働、そんな感じが語られつつあった、いい手触りだった、期待しております、と思って、眠くなり、タオルケットをかぶって寝たところ、寝れば寝るだけもっと眠たくなるような眠たさの寝方をした。店に行かないと、という時間になって行き、ひきちゃんと交代をした。
ドリップバッグは半分までできていて、残りを作った、途中で、「これは!」という効率的なやり方を見つけ出し、歓喜した。効率的で、美しく、その改善に喜んだ。
それにしても『奥のほそ道』を読もうと思ったのは、これはたぶん『GINZA』の連載であげる候補になりえそうだ、と思ったからだった、それで、ここ一週間はプルーストをずっと読んでいたが、まず、と思って読もうと思ったらしかった、今回は早いこと原稿を書いてしまったので気楽な気でいたが、次の締切なんて気がつけばすぐ目の前に来る、一ヶ月というのは本当にあっという間だ、驚く、この驚きはいくらか会社員時代を思い出す、営業で、わ、もう月末だ、今月もほんと惨憺たる数字だ、ということを繰り返した会社員時代を思い出す、だから一ヶ月はあっという間だ、そう思うと、まず、という思考が働いたらしかった、この読書はどこまで健全か。わからないが、書店で本を、特に外国文学の本を探すときに探し方が変わったところがあって、ちょっと気になったものは奥付をまず開いて発行日を見るようになった、それで日付けを見て、あまり新しくないと、読みたくなったものはもちろん買うけれど、面白いかな、どうかな、と決め手を見つけられないものはスルーされる、そういうところがある。この読書はどこまで健全か。わからないが、『奥のほそ道』はなんだか凄い気配がある。

6月6日(水)

昨夜は、玉ねぎと人参があった、あと卵があった、生姜もあった、どうしようかと思った、コンビニでキムチとサラダチキンを買ってきて、炒めて食ったら飯が進んだ。そろそろ定食を復活させるときだろう。だんだん、そんなわけもないというか、包丁が使いづらい、ピーラーとかですら使いづらい、そういうことを味わっているのだからそんなわけもないはずなのだけど、だんだん、面倒で定食を復活させていないだけなんじゃないかと思うようになってきた、そんなわけはないのだが。そんなわけはきっとないのだが。
今日はカレーを仕込むことにした、やりづらいが、できないわけではない、という、「がんばり」みたいな態度で仕込むことにした、朝、いつもよりも早く店に行った、小雨だった、歩いた、雨中の行軍、コーヒーを淹れた、今日は午前中、撮影があった、撮影隊の方々が入ってきた、大所帯だった、10人前後おられた、揃うと、少しして、モデルと思しき方が入ってきた、それで撮影がおこなわれ、とても愉快そうに撮影がおこなわれた、1時間と聞いていたが、15分で終わった、1カットだけだったらしかった、お金をいただいた。
気づいたのは昨日だった、明日は撮影だなと、確認の電話を受けて思い出し、忘れていたわけではないが改めて思い、早起きしなくちゃと思い、そのとき、ひきちゃんが、その直前に、というか電話が鳴ったところで、お湯直ったんですね、とひきちゃんが言った、それで、そうなんだよ、と言いながら電話に出て、気づいた、ほとんどちょうど、撮影の場所貸しでいただくお代と給湯器の修理代金が一緒だった、つまり、修理代金は無料になった。そのことに気が付き、大いに喜んだ。それで、撮影隊の方々が意想外の早さで帰られると、カレーの仕込みを始めた。カタログか何かの撮影だった模様で、こういった使われ方をするのはとても久しぶりだった、こういうことが月一くらいであったらとても助かると思ったが、どうやったら使われるのだろうか、編集者の方であるとかは、どうやって場所を見つけているのか。

皮膚科に行く等してから店を開け、それから本やTシャツを店で売るときに横に置くポップというか値札というかパネルというか、の作成にいそしんだのち、「至急開封してください」と表に書かれた公的ななんだかの書類が開封されずにしばらく机にあったので開封し、必要事項を書いたりしていた、なにか手続きのし忘れがあったかと思ったら、労災保険料とかの所定の書類だった、よくわからないところがあり、今度渋谷の労働基準監督署に持っていくことにした、調べたり、悩んだりするよりそちらの方が早いと思っているらしかった。
けっきょく、なんやかんやと、やるべきことをやっていたら夕方だった、そこから、今日3杯目のコーヒーを淹れ、本を開いた、『奥のほそ道』。日本軍の将校たちの狂い方のようなものに凄みがある、今、かつての、戦争前の、アヴァンチュール的なものが描かれている、スワンとオデットの恋のところでいくらかどうでもよい心地を味わった僕はここでもまた、どうでもよい心地に近いものを味わっている、戦争の悲惨を見たい、ということなのか。海ではなく、土を見せてくれ、と今、どうも思っている。
それにしても暇で、終日雨というか、終日暇なのだろう、と思って、いくらかしぼんだ気持ちになりそうになったが、いや待てよ、俺には今朝の撮影代がある、売上にこれを足せば、まったく冴えない日であっても瞬時にオッケーな日に様変わりじゃないか、と思い、それでひと安心した。

『奥のほそ道』を読んでいる、アヴァンチュールは終わった、寝取られた夫の悲しみに触れて、泣きそうになった。ずっとなにか、ヘミングウェイを思い出している、『武器よさらば』だろうか、戦争というだけだろうが。果たして本当にそれだけか。

6月7日(木)

炎天。店に行って米と納豆を食べた、店を出、市ヶ谷に行った、人と会う予定があった、電車に乗りながら『奥のほそ道』を読んだ、市ヶ谷でコーヒー屋さんに入ってコーヒーを飲んだ、オーストラリアの豆とのことだった、オーストラリアでコーヒー豆が栽培されているとは知らなかった、暑い市ヶ谷の町を歩いていた、初めて来たかもしれなかった、マンションとオフィスビルがたくさんあるような感じだった、表通りに出ると靖国神社がすぐそこだということが知れた。祭り囃子みたいなものが聞こえた、WAVEのオフィスが入っているビルやディスクユニオンのオフィスが入っているビルが続いてあった、車がたくさん通った、この感じはやはり何か東側っぽい、と思ったが、市ヶ谷は東なのだろうか、きっと東ではなかった。
WAVEって、今もあったんだな、と思って検索してみると、「費用不足のため破産廃止、法人は完全消滅。」とあった、あれはなんだったのか。WAVE、大宮にあった。ロフトの中だったろうか。高校時代、学校帰りによく行っていた。

用事が済んで初台に戻り、家に帰った、布団に横たわってうとうととした、冷たい布団が心地よかった、すぐにじっとり暑くなってきた、窓を開けたらまた涼しく心地よくなった。
起きて、家を出た、暑かった、でもましになっていた、むしろ気持ちよかった、西郷山公園に行った、入る前にコンビニで買ったロング缶のビールを飲んだ、いい公園だった。高低差の激しい公園だった。それから駅のほうに行き、指定された店に入った、鶏肉の店らしかった、家族の集まりのようなものがあった、なんで代官山なんだろう、と思ったが、姉たちにとってアクセスがよかったらしかった。そこで姪っ子をかわいいかわいいと思いながら、ビールを飲み、日本酒を飲み、日本酒を飲み、串焼きを食べた、おいしかった、肉はぷりっとしていてやわらかかった、姪っ子はどんどん人間らしくなっていた。

早い時間に散会となり、酔っ払ったので帰宅した、ソファに倒れ込んだところそのまま寝ていた、日付けが変わったくらいで起きた、頭が痛かった、シャワーを浴びて、するといくらか目が覚めてしまったようで、本を読んだ。捕虜たちはどんどん人間らしくなくなっていった、人間らしさを構成するものとはなんなのだろうか。彼らは骨と皮になり、わずかに残る皮膚は腐り、異様に飛び出た肛門は糞便を垂れ流し、汚泥にまみれ、人は、人らしきものは、茶になり黄になり緑になり紫になり赤になり、耐え難い悪臭を放っていた。彼らを虐げる日本兵たちの残虐性とバカらしさには際限がなかった。全部が無意味で、無意味で悲惨で、そういう光景をこれでもかこれでもかと見させられた、どんどん気分が暗く重くなっていった。やりきれないというか、もう本当にバカみたいだ、なんて愚かなんだ、いったいなんなんだ、となって、眠くもならなかったが、本を閉じて、寝かしつけた。いったいなんなんだよ、と思った。

6月8日(金)

朝、起きた、そのときから気分がすぐれないというか、ダウナーなところにいた、陰惨。昨日転んで打った膝がいくらか痛い、変に酔っ払ったのか頭も痛い、そういう身体的な不調が、昨夜の『奥のほそ道』の暗い暗いモードと掛け合わせられたようだった、なにか、捕虜たちが、ジャングルのなかで、どんなひどい体調であってもひたすら労働させられるその苦しさを想像したらというか、逃げられない、休めない苦しさを想像したら、地獄のようだった。もちろん、彼らが生きた地獄のうちでそれはごくごく一面でしかないだろうけれども、それがたぶん一番想像しやすかったというか、生活と、変なリンクの仕方をしてしまった、朝から暗い気分だった。久しぶりにただただネガティブだった。

店。フヅクエで働きたいと言ってくださるかたがあり、お話をする。僕自身が、どういうふうに働きたいのか、どういうふうに労働を分散したいのか、人を雇って、なにをしたいのか、店としてどうよくなりたいのか、それがなんだか曖昧なままで、曖昧な話になってしまった。
開店。今日は、怪我以来で初めて定食の仕込みをする日だった、もういいだろう、できるだろう、というところだった、それで、どうせ暇なので、暇ななかでぽやぽやと仕込みをしよう、夜から定食を出せるようにしよう、と思っていたところ、まるで調子のいい休日のような午後の時間になり、おやまあ、と思った、そのなかで、仕込みを、やっぱりまだやりづらいよないろいろ、と思いながら、進めていった。
4時過ぎ、仕込みが終わって、そうすると体全体が途方もなく疲れていた、朝からの不調が、今度は極度の疲労感のようなものに変わった格好だった、いったいこの体はなんのつもりなのだろうか、肩が変に重く、呼吸が苦しいような気配がある、疲れて、疲れたことに嫌気がさした。

そのあと、やることもなく、でもこういう体のときは本を読むよりも働いていた方が楽だったりする、と思っていたところ、夜もいい調子になって、まるで調子のいい休日のような一日になって驚いた。節々で、なんとなくあたたかいたぐいの気持ちになった。
夜ご飯、定食を食べた。やっぱりこれだよね〜、という収まる心地があった。

寝る前、『奥のほそ道』。一日、本を開いていなかったことに気がついた。戦争は終わった。捕虜たちを支配していた日本兵たちや、そういう人たちがいたことを初めて知ったが日本軍に給料をもらって参加していた朝鮮人のその後が描かれていた。逃げる者、処刑を待つ者、無罪放免になる者、様々で、どこまでも陰惨で不真面目だった。腹が立ってきた。寝た。

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