本の読める店

読書日記(87)

Entry diary87

5月26日(土)

昨日、『読書の日記』の告知をしてからはたくさんリツイートであるとかコメントであるとかいいねであるとかをもらうことになって通知がひっきりなしにあった、見ているとうれしくなるし、人の喜びが、跳ね返ってくるとき、時間の厚みみたいなものが、跳ね返ってくるとき、感動するものがあった、友人がFacebookで「とても大切な友人で、大学時代の同居人で、本の読める店Fuzkue店主の@Takashi Akutsuが本を、単著を出します。僕が、こう、今自分のことのように嬉しくって、タイピングをしながらほとんど泣きかけている理由を2、3だけ上げるとまず僕が彼の文章の最初期からのビッグファンであること。」と書いていた。「一緒に住んでいたとき、小説家を目指す彼がPCでタイピングしたほやほやの原稿を、ほとんどリアルタイムに、最初の読者として読んでいた、あの夜夜を思い出す。「できたよ!」と彼が言うたびに、それは彼の新しい文章であったり、とても美味しい料理であったりもするのだけど、わわ、と言う感情、ワクワク感を思い出す。」と書いていた。「僕は彼のただの1ビッグファンとして、彼が小説家になれると思っていた。そして今、日記の形式をした、彼の小説がついに本として生み出された。その推薦文というのだろうか、コメントを寄せた3人が保坂和志、内沼晋太郎さん、そして三宅唱くん(めっちゃ良い文章!)というこの10年間の彼の歴史を形作った人々が寄せているという圧倒的な幸せ感。」と書いていた。「クマ! クマかー! という驚きもそうなんだけど、しかし厚さ1,100ページ!!というもうほとんど商売っ気を失ったようにも一瞬思える(Like a Fuzkue!)この姿に驚いた。すぐに僕の本棚から分厚そうな本ベスト3を取り出したところ、それはトマス・ピンチョン『ヴァインランド』、阿部和重『ピストルズ』、安原顕『映画ベスト1000』でそれぞれ600ページ強といった所なので、その2倍www」と書いていた。「というほとんど何を言いたいのかわからなくなってきた、その先に残るはただの熱狂感だけが残った状態だけど、とりあえず自分用に1冊を買い、目下あの人に贈りたいなという用途で1冊を購入した。スペースの関係でまずは2冊といった形だけど、私は私の大好きな人の書いた本を、また別の大好きな人の大切な日とかに贈っていきたい、という所存です。つまりあれば、本を愛する全ての人は、みんな買ってね! と言う話!」と書いていた。営業中に読むんじゃなかった、と思った、ひくひくと涙がこみあげてきて震えて、驚いた、あわてて外に出て煙草を吸った、本を出すことができてよかったというか、こういうふうにまわりの人たちが喜んでくれるというのは、あれまあ、ものすごく幸せなことだ、と知った。涙がしばらく引かず、困った。

それにしても飲み物だけの営業だと、やることがない、仕込みがない、ということはこんなにも仕事として足りないというか、やることがなくなるか、という程度に、やることがない、アンタッチャブルな指がひとつあると、こんなにもなにもかもがやりづらい、洗い物や洗ったものを拭いたりするのが特にやりづらい、ときおり、間違えて、いてて、となる、不便で、他のところに負荷が掛かる、なんでも右手でやろうとして、右側がきっと疲れる、思ったよりもお客さんが来てくださった、週末のバジェットにほぼ乗るくらいのところまで来てくださった、感謝感謝だったし、フヅクエのなにか芯みたいなものを感じるところもあった、うつくしい時間が目の前にあった、僕も、本を読んだ。

海辺に立ち並ぶ家を描いた風景画の前で、その素晴らしさにうっとりしながら、彼は立ち止まります。黄色い砂の上の青い人影、そして、太陽の光を浴びた小さな黄色い壁面。ここでプルーストは作家としての意識をあらためて検証します。「小さな黄色い壁面、小さな黄色い壁面、とベルゴットは小声で繰り返した。私はこんな風に本を書くべきだったのだ、この壁面のように、同じフレーズに何度も立ち戻り、書き直し、膨らみをもたせ、何層にも重ねて。私の本はあまりに乾いていて、少しも練られていなかった」。ここで、ベルゴット=プルーストは、ふとあるフレーズを漏らすのですが、それは彼がアナトール・フランスの弟子であるということを考えると、驚くべきものです。「ほとんど誰だかわからない画家が、ほとんど目に見えないような細部に、これほど熱心に取り組んだというのは、一体どういうことなのだろうか。おそらく誰も気づかず、理解できず、奥底までは見ないであろう目標に向けて、これほど絶え間ない努力を捧げることに、何の意味があるのだろうか。それはまるで、私たちが、調和と真実の別世界で作られた法則のもとで、正義と絶対的真実と完璧な努力を追求して、生きているかのようだった。その世界の反映が、私たちまで届き、私たちを地上で導いているのだ」。 ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(岩津航訳、共和国)p.100,101

小さな黄色い壁面、小さな黄色い壁面。ジョゼフ・チャプスキの『収容所のプルースト』を読んでいた、読み終わった、チャプスキの年表を見ると、1896年が生年で1993年が没年で、ほとんどまるまる20世紀の全部を生きた人だったと知った、ほとんどまるまる20世紀の全部を生きた人のことを読んだばかりではなかったかと思い出した、『マザリング・サンデー』の主人公の女性がまさにそうだった。思い出し、語ること、思い出し、語ること。プルーストもチャプスキも、死を目の前に見ながら、思い出し、語った。訳者のあとがきがこれもまた魅力的だった。岩津航。

時間とともに開示される意味とは、プルーストの作品の主題そのものである。そう考えると、捕虜収容所内でチャプスキが想起したプルーストこそは、逆説的に、最も純粋な読書体験の記録と言えるかもしれない。解放後に講義を再現するにあたって、あえて原文を参照しなかったのは、彼にとって最も貴重なプルースト像を、正確さによって裏切りたくなかったからではないだろうか。 同前 p.184

正確さによって裏切る。とってもいい。記憶違い、思い込み、その豊かさに触れたい。
黄色い壁面、のところはまさにそうだった、訳注に実際の文章が載っている、鈴木道彦訳のもので、こうあった。

(75)「彼は目をすえて、ちょうど子供が黄色い蝶をとらえようと目をこらすように、この貴重な小さな壁を眺めた。「こんなふうに書かなくちゃいけなかったんだ」と彼はつぶやいた。「おれの最近の作品はみんなかさかさしすぎている。この小さな黄色い壁のように絵具をいくつも積み上げて、文章フレーズそのものを価値あるものにしなければいけなかったんだ」」。『囚われの女Ⅰ』、三五五頁。 同前 p.133

いくらかの記憶違いによるチャプスキ版のほうがなにか広がりがあるような気がする。小さな黄色い壁面、という言葉がぐっとせり出して、記憶に定着して、というチャプスキの読書とその記憶という物語と時間の厚みをそのまま物語っている感じがあり、二重に豊かであるような気がする。"petit pan de mur jaune" がそれらしい。小さな黄色い壁面。
それにしてもこうやって読んでいるあいだ、ずっとプルーストを読みたい欲求が高まっていったのだが、訳者が、チャプスキがその登場人物について語らなかったことが不思議だ、といったエルスチールという画家についての「エルスチールの絵は、印象の錯覚とその修正をともに表現する。それこそが、観察者にとっての真実だからだ。プルーストもまた、ある人物についての最初の印象が次々に知識や経験によって変容していく様子を語りながら、最終的な真実とは何かということについて、考察をめぐらせていく。それこそが、この長大な小説が長大でなければならない理由でもある」というくだりを読んだら、フォークナーの『死の床に横たわりて』を思い出した、同時に、もう、強烈に読みたくなって、なったので本棚から取ってきた、ちくま文庫の井上究一郎訳。
10年ぶりとかに開く『失われた時を求めて』は、そうか、こんなふうか、というふうだった。読点、読点、でセンテンスを拡げていく、半ば強引なその拡げ方はとても好きだった、プルーストはさっそくあれこれを際限なく思い出していた。よくもまあそんなに、というほどに思い出していた。

5月27日(日)

朝、パドラーズコーヒー。アイスラテを飲んだ。夏に近づいていく。

13時49分、野球のページを見ると、日ハムと西武の試合は2回の時点で4−7の打ち合いになっていた、誰が先発だったっけ、と見ると有原航平で、まだ立っていた、1回に6点を取られ、2回にも1点を取られているところだった、見ると、その時点での球数は30球だった。どうやったら30球で7点も取られるんだよwww と思って愉快な心地になった。

ゆったり、しているので『失わた時を求めて』を読む。昨夜は寝る前にも読んでいたが驚くほどすぐに眠りに吸い込まれていった、今日も、営業中だが、眠りが手招きしてきて困る、面白い、とても面白い、と思いながら読みながら、いっぽうで眠気が立ち上がっている、面白い。ひとつの鈴の響きから、進んで、進んで、また鈴の音に戻るまでに15ページを要する、この戻ってきたときの喜びは強い。ということを、10年前に引かれた赤や青の線やメモが教えてくれる。また、線が引かれたところが、同じように面白かったり、もう特別面白くは感じなかったりするその変化も面白い。線が引かれたその直後がむしろ今は面白い、というようなこともあって面白い。

そののち私が正確に知ったスワンから、私の記憶のなかで、この最初のスワンに移るときには、一人の人物とわかれて、それとは異なるもう一人の人物のところへ行くような印象を私はもつのである。この最初のスワン——そんな彼のなかに私は自分の少年時代のかわいらしい過失を見出すのであるが、その彼はまた、のちのスワンよりもむしろこの当時に私が知った他の人々に似ているのであって、この人生にあっては、あたかも一つの美術館のように、そこにあるおなじ時代の肖像画はすべて同一の調子をもち、同一家族のように見えるものなのだ—— マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈1 第1篇〉スワン家のほうへ』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.33

かつてのある人は、そののちの当人とよりもかつて同時代を生きた人々との方が似ている、というそれに感心した。そういうことはありそうなことだなあ、考えてみたこともなかった! という感じで。
それにしても、ママからおやすみのキスをしてもらいたい、という欲望が、微細に微細に描かれ続けているのだけれども、謀略をめぐらせた末にどうやら部屋に来てくれそうだというところに漕ぎ着けて叫ぶ「ママはたぶんきてくれるだろう!」というこの叫びにこちらまで喜びを感じ、そして失敗したことを告げる「母はこなかった」というそっけない言葉に、ああ……と落胆する、させられる、この切実のありようはすごい。え、マジで、来てくれなかったの…? と思った。この、大人から見たら極めて些細なことでああだこうだ言っているように見えておかしくなってしまうようなことを、ここまで切迫したものとして描き出すこのありようはすごい。すごい、すごい、と思いながら読んでいる。暇だ。
途中で読書をやめて、ぼーっとネットを見たりしたあと、オンラインストアでの商品発送のフローをちょっと先に真面目に考えておかないと、と思っていろいろ書き出したりしていた、ひとつひとつ、どんな段取りになるのか、それを実現するためには今なにが足りていないのか、想像しうる範囲で書き出していった。それから、どうしたら効率よく宛先のシールのようなものを作れるのか、購入記録をCSVファイルで出して、それをいじって、そこからどうやったら、いちばん簡単に、ぱっとたくさんのシールを作れるのか、検討しながら、しかし、そんなにたくさんの量になると、どうして思っているのだろう、と思った。さばききれないほど売れてほしい。
そうやっていたら、どんどんむなしく、さみしくなっていった、心細さが胸のあたりにあった、いろいろなことから置いてきぼりにされていくような、なにかが遠のいていくような、感触があった、おそろしかった、指のせいだった、それから、指だけでなく体全体がなんだか、皮膚の調子が、おかしい感じがあった、ガサガサしている。
体全体がなんだか敵対してくる感じがあり、とても頼りない気分になりながら帰って寝た。

5月28日(月)

仕込みがないとまったく別の仕事になるというか、間延びにもほどがある、という程度に間延びした気分のなかで生きている、家を出る時間もずっと遅かった。なんとなく、ベランダで煙草を吸ってから出ようと思い、吸いながら、今日もだらだらプルースト読んで過ごすか、と思ってから、いやいや、今できることをやっちゃわないと、と思った、しかし、奮い立たせなければ、する気にはならないだろう、というか、今できることってなんだっけ。なんかあったっけ。

今できること。昨日の続きの、発送のワークフローをよくよく検討していくこと、それを、開店したあと、しばらくやっていた、そのあと、『GINZA』の連載の文章を書くことにして、書いた、夕方になって、書けたような気がして、よかった、そのあと、プルーストを開いた。少し読んで、それから彩流社の『ラテンアメリカ傑作短編集〈続〉』を開いて、ホルヘ・エドワーズのやつから読んだ、そのつぎにフアン・ルルフォのやつを読んだ、これは『燃える平原』に収録されているそうだ、予期していた通り、まるで覚えがなかった、そのあとでオラシオ・キロガの「ヤグアイー」を読んだ、これがとても面白かった、犬の話だった、犬が、吠えたり走ったり水を浴びたり獲物に飛びついたりしていた、読んでいて、肩が、両肩がどんどん重くなっていった、とてもうんざりした、とてもとても重かった、疲れた、なにに疲れたのか、疲れた、働きたい。
また戻って、暇で、ソファで、プルーストを読む。昔のメモや線にとらわれたりしながら、昔よりもずっとビビッドな気分で読んでいるような気がする、ずっと面白いような気がする。

そのようにして、二夏のあいだ、コンブレーの庭の暑気のなかで、私は当時読んでいた本のために、川の流の美しいある山国へのノスタルジーを抱いたのであるが、その地方には製材所がたくさん見られるように思われ、またその清らかな水辺にわけ入ると、クレッソンがかたまって生えているその根もとに、木屑がくさっていたし、あまり遠くないところに、低い壁に沿って、赤味をおびたむらさき色のいくつもの花の房がのぼりあがっていた。そして、私を愛してくれるにふさわしかったある女性への夢がいつも私の念頭にあったから、その二夏のあいだ、その夢には川の水のつめたさがしみこんでしまったし、また私の思いうかべた女性がどんな姿であっても、ただちにその両脇から、赤味をおびたむらさき色のいくつもの花の房が、補色のように立ちあがってくるのであった。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈1 第1篇〉スワン家のほうへ』(井上究一郎訳、筑摩書房) p.143

その夢には川の水のつめたさがしみこんでしまった。

5月29日(火)

前夜、カレーを食べた、その後、カレーを食べたい、と思っていた、それで、昼前に起きて、やはりカレーか、と思い、どうしようか、と思った。14時には電車に乗っていたかった、向かうのは大崎だった、どうしようか、と思った、食べたいカレーは幡ヶ谷の青い鳥のカレーだった、大崎は、幡ヶ谷からであれば、京王新線で新宿に出て、山手線か埼京線だった、でも、その経路は取りたくなかった、それで、でも、どうしようか、と思って、家を出て歩き始めた、しかし、やはり新宿駅を使うことを避けたい気分があって、立ち止まった、家に戻り、自転車を取った、それで青い鳥まで行った、青い鳥で、チキンカレーとふきと豆だったっけか、の2種盛りで食べた、やっぱり、とてもおいしかった、ご飯を大盛りにしていただいたが、普通盛りでよかったと思った、お腹が膨れた。カウンターで食べた。
テーブルには、3人組の男女がいて、よそのお店の人の悪口を言っていた、大嫌い、と言っていた、僕も行ったことのある店だった、そこの店主は、インスタでフォロワーが多い人しか雇わないということだった、見目が麗しくて、フォロワーが多い女の子しか雇わないらしかった。えげつなくて面白い、と思った。どうも3人とも、モデルであるとかそういう仕事をやっているようだった、男は最近、ある女から遊ぼうと誘われた、何をして遊ぶのかと思ったら、家に行ってまったりしたい、と言われた、そのあと、愁嘆場が演じられた、それはきつい、と女たちは笑った。そのあと、エロいおっさんがプロデューサーとかだったかで入っている現場はどうこう、とか言っていた、でもしかたがない、笑ってやり過ごす。細い、軽い、若い女の声が、ま、仕事ってことですよ、と言っていて、いくらかの凄みを感じた。そのあと同じ声が、もう干されたくないなあ、と言っていた。

自転車で家に戻る、それで置き、代々木公園駅に歩いていく、それで、千代田線に乗る、明治神宮前で降車し、原宿から山手線。これが、取りたいルートだった、穏やかで平和な、ルートだった。
大崎で降りたのは初めてだった。たくさんの高いマンションであるとかが林立していた、よく整備されたそういうあたりの道を歩いていくと、会場があって、アトリエ・ヘリコプターだった、五反田団の『うん、さようなら』を見に来た。
俳優とは、すごい存在だなあ、と何度も思いながら見た。おばあちゃんたちを描いた舞台だった。若い俳優たちが、おばあちゃんをやっていて、それは確かにおばあちゃんだった、それが、主な場面となっているある日のおばあちゃんたちの熱海一泊旅行から何年も経って、一人が呆けて老人ホームに入ったそこに一人が会いに行ったその場面で、わあ、すごい……! となった。さっきまで、機敏に動く声の張る元気な老人だったのが、突如としてまったく呆けた老人になっている、その震えや猜疑の目が、まったく老人で、わあ、すごい……! となった。なんだかすごくよかった。
俳優はすごいなあというのは、演技だけでなく、暗転してまったく暗くなったところで立ち位置を変え、あるいは退場し、次の場面に備えるような、そういう運動もまた、俳優の仕事であり技術なんだよなあというのが実感され、それは簡単そうにやっているけれど高度なことなんだよなあ、というのが実感され、すごい、と改めて思った。何度も思った。
客席は、窓外の景色となり、あるいは乱れ咲く一面のつつじとなり、あるいは海となった、彼女たちが視線をこちらに向ける、じっくりと視線を向ける、それだけで、そうなった、すごい、と思ってまた、この演劇を僕が感動しているこの感動はやはり、ここで描かれる人たちが誰一人として悪者にされていない、すべての人物が同じやさしい視線で扱われている、そのやさしさにあるのだろうなと思った。ジエン社も同じだった。僕はきっとこういう感触を得たい。

演者の一人が、とても思い出深い人だった、かつて岡山の店のときに一時期、バイトをしてくれていた、最初期で人手も足らず、とても助けてもらった、そういう人だった、上演後、トイレから出て1階のロビーに入ると、目の前にその人があって、目が合って、しばらく、数秒、目が合って、気づいて、それでいくらか話した、なにか、感慨深いものがあった。感慨深いものがあった。
じわじわと、よかったなあと思いながら、大崎のまた同じ町並みを歩き、見え方はもっとマイルドなものになった、川があって、抜けて、駅に上がった。同じルートで帰り、いったん家に帰り、それから渋谷に出た、時間がまだあったのでフグレンに久しぶりに行った、なんでだかけっこう久しぶりになった、縁側も中も、人はたくさんで、本当に人がたくさんだ、と思って、ソファが1席空いていたのでそこに座って、コールドブリューのコーヒーを飲みながら、その時に掛かっていた音楽をシャザムに聴取させたところスティーヴィー・ワンダーで、その同じアルバムをApple Musicで流してイヤホンで聞きながら、しばらくプルーストを読んでいた、するとわりとすぐに、たくさん席が空いて、ソファで楽しそうにしていた韓国語を話している女性二人も出て、出ると外で、執拗に写真を撮って、それからいなくなった、そのあとに煙草を吸いに外に出ると、縁側もほとんど空っぽになっていた、来たときは一番すごいタイミングだったことがよく知れた。
本をしばらく読んでから、丸善ジュンク堂に行った、それで外国文学のあたりをあれこれ見、しかし特にこれという気にならず、それで武田砂鉄の『日本の気配』と内沼晋太郎の『これからの本屋読本』を買って、出た、友だちと合流し、まだ少し時間があった、微妙な空き方だった、セガフレード・ザネッティに入ってビールを一杯飲んだ、そのあと予約の時間になったので台湾料理屋さんの故宮に行って、もう一人が合流して、どれもおいしかった、食べて、飲んで、眠くなって、みんなが楽しく満足して生きていけたらいいな、と思って、切実にそう思って、それで11時には家に帰っていた、もう眠いから、プルーストを開いても仕方がないからと武田砂鉄を開いたが、やはり眠く、すぐに寝ついた。

5月30日(水)

グレアム・スウィフトの『マザリング・サンデー』のことを考えていた、あれは、僕は、岡田利規の『三月の5日間』がなににもかけがえのないものとして好きで、大好きだが、あれは、いわば2016年版1924年版イングランド版の、よくわからないが、の、『三月の5日間』みたいなことだった、と、思って、それから、思った、たしかにあの小説で描かれるその一日は三月だった、ということは、『三月の1日』というタイトルでもおかしくなかったそういう小説だった、あの、「超スペシャルなこと」といわれるひとつの部屋の出来事が、「人生死ぬ前に思い出す可能性相当高い思い出になる」といわれる出来事が、同じように1924年のイングランドで、起きていた、2016年にそれが書かれた。『三月の5日間』の小説版が収められた作品集のタイトルはそういえば『わたしたちに許された特別な時間の終わり』だった。そうだった。

店を開けて少しだけ必要なメールを送ったりしたところ、やることがすぐになくなった、それで、すると、なにか甘いものをつまみながら本を読みたくなった、この欲求はまったく久しぶりだった、かつては、かつての一時期は、毎日なにかしら甘いものを食べていたが、もうずっとそういうことはしなくなっていた、食べたかった、それで、誰もいないのをいいことに「すぐに戻ります!」の張り紙をして店を閉めてコンビニでチョコレートでコーティングされたクッキーを買って戻り、コーヒーを淹れ、『これからの本屋読本』を読むことにして、読み始めた、読んだところ、本をめぐる本として以上に、本屋をめぐる本として以上に、商いをめぐる本として、我が身に引きつけながら読んでいた、テンションが上がっていくようだった、なにか、俺も、始めたい、というような気になるというか、勇気をもらう、がんばれるような気がする、もっといろいろがんばりようがあるような気がする、がんばりよう、楽しみようがもっといろいろあるような気がする、もっとやってやるぜ、という気になる、それで僕はぐんぐんと明るい気分になっていった。問いを立てる力。
それにしてもまったくの、まったくの暇な日だった、手負いで制限のある営業で、そうだからこれはしばらくは長めの休暇みたいなものだ、謳歌しよう、のんびりやろうぜ、と思っていたのだがすぐに、その暇さに飽きて、呆れて、虚しくなって、僕はソファにどっと腰掛けて本を読んでいた、コーヒーを何杯も飲んだ、虚しい、と思いながら、手元の本によってなにか照らされるような相反した感覚もあり、読み、読んでいると、途中、フヅクエが言及されている箇所があり、それで僕はなんでだか、大笑いした、なんでだか、ここで説明されている素敵な店と、この今の状況の、誰もいない、ろくでもない惨めな今の状況のギャップみたいなものがおかしかったのか、ブワッハッハ、と笑った、笑ってからまた読み、そのあとに、

少し広げて考えるならば、たとえば書店の近くで長年営業してきて、本を買った人がそのまま本を読むために訪れ、ゆっくりとした時間を過ごしていくような飲食店は、広義の「本屋」の役割を果たしてきたともいえる。本を読むのが気持ちよく、また本を読む他の客を眺めていると、ますます本が読みたくなるような店だ。たとえば「本屋」になりたいと考え、飲食との掛け算を考えている人がいるとする。いろんな案を練ったとしても、最終的にはその人にとって、店で本を売らなくても、並べさえしなくても、書店の近くで営業し、その客に本を読むことを楽しんでもらえるような飲食店をやることが、理想の「本屋」の形だった、ということもあり得るはずだ。 内沼晋太郎『これからの本屋読本』(NHK出版)p.210,211

とあって、ほんとそうだなあ、と思った。と同時に、なにか書店にパラサイトできるような場所に出せばよかった、とも思った。出せばよかったというか、いや、いいんだけど初台で、いいんだけど、そうだよなあ、と思った。思って、読み続けた、誠光社の方をまじえた鼎談が、凄みがあったというか、もし僕がこれから本屋を始めたいと思っている身だったら、ドキドキする、自分はやめておこうかな、やっぱ俺みたいなやつには厳しいよな、と思ってドキドキしそうだ、と思った。

堀部 なので、数字の目標というより、どういう生き方をするか。数字は結果にすぎないんです。ビジネスとしてはこういう資料を作るのが当然ですが、僕は作りませんでした。この数字の通りにならなくても我慢できるか、どれくらい続けられるか、やっている状態にストレスがないか、ということを重視しています。
僕なら店を始める際、収益計算の前にソフト面の話をします。それは、価値観としてどんな感じのお店にしたいのか、品揃えはどうしたいかということです。結局一年やって、僕、ほとんどお金貯まってないんです。出版社としても本を五冊出しているんですが、お金ぎりぎりまでアイデアが出てきて、やりたくてやっちゃうんですよね。
でも、それで満足というか、それが財産になっています。 同前 p.233,234

やりたいことをやることそれ自体が財産であり報酬であると、最近考えていたところだったので、財産、という言葉が出てきてうれしくなった。
閉店し、あと少しだし、と思って外は小雨だし、ミックスナッツとバナナチップスをつまみながら読んでいったところ、読み終えた、最後の章は著者のこれまでの取り組みというか仕事というか人生というかの話で、仕事を作っていく物語が描かれていて、徐々に仕事になっていく様子に、すごいなあ、仕事を一から作りあげたんだなあ、かっこいいなあ、と思った。今日の売上は3450円だった。

とぼとぼと家に帰り、フローリングに横になった、仰向けになった、夕飯を食べるのも億劫な心地だった、それでビールを飲みに行こうとタラモアに行ってみるとサッカーの試合を大きなスクリーンで流しているということだった、サッカー見ますか? と聞かれてどちらでもいいと伝えたところカウンターに通された、カウンターからも、大きくはないが十分な大きさのディスプレイがあってそこで試合が映っていたため見られた、そのため一所懸命チャントをしながら静かにビールを飲んだ、マッシュポテトとフライドポテトを、危うく同時に注文するところだったが回避した、サラダとソーセージ、マッシュポテト、食った。ビール2杯、飲んだ。試合が終わると、阪神戦の中継に切り替わった。モレノという投手が投げていた。知らない存在だった。
以前タラモアに来たとき、初めて来たとき、そのときはキャンプの時期だったのか、テレビで阪神の練習風景が流されていたんだった、そのことを思い出した、選手たちが順繰りにノックを受ける、そんな映像が流されていたんだった、テレビを通して練習を見るというのはけっこうとても面白かったんだった、そのことを思い出した。

家に帰り、途中で買ったビールとポテチを開けて、プルーストを開いた。

5月31日(木)

ポテチを開く前にシャワーを浴びた、浴び終え、指をいつものようにきれいにするべく絆創膏を剥がした、すると、昨日までとは異なる感覚があり、もしや、と思って指先、削ぎ落とした断面を見てみる、これまでほとんど直視しなかったそれを見てみる、すると、治ろうとしている! という断面がそこにあり、僕は快哉を叫んで、小躍りしながら部屋に戻った、こんな喜び、ここ何十年で一度でも味わったことがあっただろうか、というような喜びだった、びっくりするくらい嬉しくなった、生きていてよかった、というような。よほど、怪我をしてなにもできない忸怩たる状況を先の見えない感じで生きているのが気持ちを塞がせていたのかもしれない。ともかく、先が見えた感じがあった、あと数日もすれば、かさぶたくらいには、なってくれるのではないか。

それで、今朝は、9時から病院の予定だったが、よくなっていっていたら別に必須じゃないというお達しを先週の時点で受けていたので、行かないことにして、病院にキャンセルの電話を入れ、また寝た、いくら寝てもまだまだ眠りたかった、でも店があったので、店に行った、店に行って、ご飯を食べて掃除をしたら開店できてしまう、なんの準備もいらないこの営業はいったいなんなんだろう、この弛緩した営業は、と思いながら開いた店の中で息をしていた。
本を読んでいた、武田砂鉄の『日本の気配』を読んでいた、面白い。「政治は暴走する。違和感や憤怒を引きずるためには、政治家の言葉を執拗に引っぱり上げるべきだと考える。それは、失言ではなく、発言である。失言と言うから、彼らは「真意ではない」などと逃げる」とあり、失言ではなく、発言である。膝を打つようだった。膝を、終始打ちながら読んでいる。あざができそうだ。

そんなふうに、私のそばを、ジルベルトというその名が通りすぎた、一瞬前までは、彼女は不確定な映像にすぎなかったのに、たったいま、そのような名によって、一つの人格があたえられたのだ、いわば護符のようにさずけられた名であり、この護符はおそらくはいつか私に彼女を再会させてくれるだろう。そんなふうに、その名が通りすぎた、ジャスミンや、においアラセイトウの上で発せられ、みどりのホースの撒水口からとびだす水滴のように、鋭く、つめたく、そしてその名は、それが横ぎった——と同時に、他から切りはなしている——清浄な空気の圏内を、彼女の生活の神秘でうるおし、そこを虹色に染めながら、彼女と暮らし彼女と旅する幸福な人たちに、彼女をさし示し、そうした幸福な人たちと彼女との親密さ、私がはいれないであろう彼女の生活の未知のものにたいする、私にとってはいかにも苦しい、彼らの親密さの、エッセンスともいうべきものを、ばら色のさんざしの下の、私の肩の高さのところに、発散させているのであった。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈1 第1篇〉スワン家のほうへ』(井上究一郎訳、筑摩書房) p.238

つめたく、そしてその名は、それが横ぎった——
うっとりする。
夜、風呂上がり、これまで徹底して避けることだった指の直視という行為が、今度は褒美のようなものになった、まだ見ないよ、まーだ見ないからね、お楽しみは取っておくんだから、という感じでなかなか見なかった、やっと見て、ほっほっほ、と思った、思ったが、そんなに進展があるわけでもなかった。昼、Twitterのリプライで「キズパワーパッド」という絆創膏を教わり、さっそく買っていた、それを貼った、これは肘とか、そういう場所に付けるやつかしら、というような大判の包装というのか、あれで、間違えたかな、と思ったが、開けてみたらその大きなやつの中にとてもちっちゃく、それは置かれていた、間違っていなかった、それを貼った。よくなれ、と思って、ウイスキーを飲んだ、考えてみたら怪我をしてから四日間くらいだろうか、そのくらいのあいだは飲酒をしなかった、なんだか飲む気にならなかった、それが月曜くらいから飲むようになった、いいことだった、少し、プルーストを続け、寝た。

6月1日(金)

山口の居酒屋。怪しげに光る扉の映像。というか扉の一部だけがぼんやりと明るんでいて、他は真っ暗だった、気配としてはゴールデン街のような小路という感じの雰囲気だった、両脇のすぐのところに壁があるような。
そのあと、あのコンビニの改装かなにかがやっと終わったのだと聞いた、ロードサイドのだだっ広い駐車場のあるセブンイレブン。その前を通ると駐車場の横の敷地に巨大な住宅ができていて、コンビニで儲けて大きな家を建てました、ということらしい、長男一家への何かだとも聞いた。そのまた隣の敷地には新興宗教の施設もあって、このオーナーはどちらも所有しているんだったっけか、忘れた。

そういう夢のあとに起き上がって店に行った、数日前からお湯が出なくなった、二日ほど前に業者の方に来てもらったところ何かがやはり故障しているらしく、今朝、その修理に来てもらった、10時から11時のあいだ、ということだったので10時には店にいた、コーヒーを淹れて、Oneohtrix Point Neverの新しいアルバムを聞きながら、武田砂鉄を読んでいた、修理の方が来られた、修理が始まった、僕は椅子に座ったまま本を読んでいた、「文書を根こそぎ否定していた菅官房長官が何を言うのかと身構えていると、「『怪文書』という言葉が独り歩きしたのは極めて残念だ」である。卒倒する。この方々は日本語の限界に挑んでいるのであろうか」という一節に大笑いして、一節にというか、日本語の限界に挑むというところがとてもよくて、読み続けながら、切れ味にしびれる、かっこいい、泣きそうになる、と思ってから、同じ感触をそういえば、『紋切型社会』のときにも感じたことを思い出した、それで、そうだそうだ、言いたかったのはきっとこういうことなんだ、よくぞ言語化してくれた、そうだそうだ、と思って、思ったあとに、その、溜飲を下げるような、そういう自分の感覚に、いいのか? それで、わかってくれる人がいる、言ってくれる人がいる、とか思って、任せたままにしているだけじゃないか、いいのか? それで、というふうに、あのときも思った、今朝、同じことを思った。お湯が出るようになった。
修理には2万円が掛かった、泣きっ面に蜂だなとすぐ思うけど、すぐ思い直す、怪我をして縮小営業をしているこのタイミングでよかった、お湯が出なくても大して問題にならなかった、直った、次は治る番だった、早く。俺は今日も一日中、座ってダラダラするのだろう。

そのとおりにダラダラしていた。武田砂鉄を読みながら、ダラダラしていた、慣れてはいけない、こんな言葉の運用や不誠実な態度に、慣れてはいけない、いちいち言わなくてはいけない、言い続けなくてはいけない、総じてそういうことがたぶん書かれていた、「訃報をこなす感じ」という、タイトルから僕はなにか大喜びするようなその文章で、「訃報と朗報」というタイトルでまず朗報を書いて併せて訃報に触れるそういうブログを書いたスポーツ選手があった、という話で、ほんとみんなあんまり簡単にRIPしすぎと思って、でもそのもう完全にいろいろが崩壊した感のあるイッちゃった感じが面白くて、「訃報と朗報www」となってしばらく笑いをこらえながら読んでいたら、そうではなかった。

お通夜に行って悲しかったけど、その場で食べたお寿司がおいしかった、という接続は許されないし、お通夜で久しぶりに会った同級生との「20年振りの再開!!」という写真をアップすることは許されない。しかし、人は、その人が亡くなったことをしっかりと悼みながらも、この寿司はそこそこいけるとも思えるし、離れたテーブルに座っていた同級生の姿を見つけて、腹の内で喜びながら「こんなところでってのは残念だけどさ」と静かに語りかけることができる。マナーというのは、人それぞれでスケール感が異なる場面でも一つの指針を優先しなければならないという顔立ちで迫ってくるから、ただただ苦手。マナーとは、自分の中に生まれた、その時々の感情の階層を明らかにしてはならない、と強いる働きかけでもある。 武田砂鉄『日本の気配』(晶文社)p.254

そこから最後は「今、私たちが見つめ直す生と死は、もしかして彼女のうっかりブログにあるのではないか。「そしてここからは悲しすぎる訃報です」と大胆にないまぜにする展開は、人の死を体感する、程の良さを持ってはいなかったか。なかなか危ういブログだが、澄まし顔のルーティーンよりはマシに思えた」となって、いやあまったくもって、とやすやすと同調しながら感動しながら読んでいたら、暇で、なにも価値を自分は生み出していない、誰の役にも立っていない、そういうことを思っていたらどんどん悄然としていった、その気分がいちばん落ち込んだあたりでお客さんがとんとこと来てくださり、働くことになり、マジで、生かされている、と思った、帰り際に、すごくよかった、驚いた、と言ってくださった方があって、それはとてもうれしい言葉だった、マジで、生かされている、と思った。それにしても一本の指が使えない、アンタッチャブルな指が一本混ざっている、という手は、本当に使いづらい。洗い物と食器拭きのときに引き続き痛感する、つまむことしかできない、グラブができない、やりづらい、それでも今日は、洗い物があり、食器拭きがあるということがありがたかった。
読み終わってしまった。

今日はプルーストが手に取られず、武田砂鉄一辺倒になって、結果として読み終わった、プルーストを手に取るのはやはり何かしらのハードルがあるようだ、負荷が大きい、文字を追いながらも、ちょっと気を抜くと、あっけない簡単さで自分がいま何を読んでいるのかまったくわからなくなるというか、読んでいるつもりだった場面をまったく読んでいなかったことになる。昨日もそうだった、読んでいると思っていて、あれ、何読んでんだっけ、と思って引き返すと、一瞬たりとも頭のなかで像を描いたことのない場面がそこに描かれていた、ということがあった。
というそのあとはプルーストを読んだりメールを打ったりしていた。

しかし、それにもかかわらず彼らは、公爵であり公爵夫人である以上、私にとって、見知らぬ人間ではあっても、現実の存在であることに変わりがなかったとすれば、こんどは逆に、公爵という称号をもった人物が、途方もなく膨張し、非物質化して、その人物自体のなかに、彼らがその公爵であり公爵夫人であるあのゲルマント家を、太陽に照らされたあの「ゲルマントのほう」の全体を、ヴィヴォーヌ川の流を、その睡蓮とその背の高い木々を、そしておびただしい晴天の午後を、残らずふくむことができるようになるのであった。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈1 第1篇〉スワン家のほうへ』(井上究一郎訳、筑摩書房) p.288

かつて、緑色のボールペンで囲んだこの一節が、同じようによかった、というか総じて、線で引かれたところはやはりだいたいにおいては今も何かしらぐっとくるらしかった。
このいくらか前のページに、川べりの小屋に一人で住んでいる若い女のことが書かれていた。男と別れ、男が決して来ることのないであろう、そしてそこに住む人たちが決してその男のことを知らないであろう、そういう土地に引っ越してきた女ということだった、その挿話は、なんだか異物感があったというか、この先また、出てくるのだろうか、出てこないとしたら、なにかギョッとするような変な強い印象があった。そういうふうにしていたら思い出したのは、武田砂鉄の『紋切型社会』を、新宿の、あれはどこなんだろうか、花園神社よりもう少し北側というのか、あれは何新宿なのだろうか、道路が分岐して、自転車だとちょっとどう走ったらいいのか迷うようなそういうことのあった、四谷とかまでは全然いかない、そういうあたりの新宿のドトールではなくあれは、タリーズでもなく、なんだっけ、エクセルシオールでもなく、SPBS、今日はSPBSのブックカバーが巻かれた本を持った方を二人見た、明るい青、SPBS、の近くというか神山町の入り口というかのあたりにもあるあのコーヒーチェーン、160円くらいでコーヒー飲めるようなイメージの、もしかしたら全然違って220円とかかもしれないがあのチェーン、ワインレッドなイメージのあのチェーン、何新宿かわからないその新宿のそこにあったそのチェーンのコーヒー屋さんで僕は読んでいた、それでそのあとに新大久保のほうに行って久しぶりの友だちと会って、韓国料理かなにかを食べた、巨大なチヂミを食べた、肉を焼いたりもしたんだったか、そういう夜があった、それを思い出した、その友だちと会うのはうれしい楽しい予定だったが、それよりもちょっと待ってくれ、俺は今この本をもう少し読みたい、猛烈に面白いからもう少し読みたい、話はそれからなんじゃないか、そんなふうに思いながらも時間になったので待ち合わせ場所に向かったそういう夜を、思い出した、やっと思い出した、ベローチェ。

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