本の読める店

読書日記(84)

Entry diary84

5月5日(土)

飲みすぎたらしく、腹に酒が残っていた、体がぼんやりとしている、昨日の夜、考えていたことは全部忘れちゃった。トーキング・ヘッズの動画を見ながら、というか『Stop Making Sense』のいくつかの演奏を見ながら、最高だ、最高だ、と思いながら酒を飲み、寝た、それが昨夜。今朝、腹に酒が残っていた、ビール、ビール、ウイスキー、ビール、ウイスキー、ウイスキー。自転車を漕ぎながら、昨日の夜、考えていたことは全部忘れちゃった、と思った。

ゆっくりの始まりだったので原稿の確認をしていた、どんどん読んだ、面白い日記だなあと思った、おやつの時間くらいから忙しくなり、とても忙しい、という時間帯があった、それを終えると6時頃から猛烈に空腹を感じるようになった、8時頃から強い疲労を感じるようになった。
原稿を読んでいるあいだだけ、クリアな頭でいられる、洗い物をしているときや調理をしているとき、薄暗い考えがもたげてきて邪魔に感じる。払いのけられない。

夜、本は読まず、原稿の確認を続けた。寝落ちした。

5月6日(日)

それでもやっぱり疲れるものだなと思いながら朝ごはんを食べていた、特別に忙しいわけじゃない連休で、しかもそのうち二日はトンプソンさんが入ってくれたので僕は夜だけで、というそういう働き方でも、それでもやっぱり疲れるものだなと思いながら朝ごはんを食べていた、納豆と醤油漬けにした黄身とご飯を3杯、食べていた。眠たい。

ゴールデンウィーク最終日。激烈に暇だった、驚くほど暇だった、けっきょく、昨日の半分のお客さん数だった、それはちょっと信じがたいほどに暇な数字だった。忙しい状況を想定していたため仕込みもなかったため、ぽっと手が空き、とにかく原稿確認を、本当にひたすら、し続ける日になった。結果、暇だったのは残念だったが、結果としては、暇でなかったら、と思ったらゾッとする、原稿確認の締め切りに間に合わない、ということになっていて、ゾッとしたというか冷や汗というか嫌な汗をかくような心地だった、それもこれも、締め切り日の認識に油断があったことがまずそうだし、そしてその油断のなかで先週InDesignにとち狂い、それからTシャツのデザインを考えたりオンラインストアのことを調べたり登録したり、そんなことばかりやっていたわけだった、そんなことばかりやっていた末に締め切りに間に合わせられなかったとしたら、僕はこの確認においては補助的な立場ではあったが、それでもなお、最後の最後になんというか、最悪に無責任な振る舞いをすることになる、と思った、「最後に全部確認したい」と言っていたのは僕だった、なのに、というところで、それは最悪だった、絶対に避けなければならなかった。
というのでひたすらチェックを続けた、ひたすらひたすら原稿を、PDF上で原稿を確認していった、とても久しぶりに日記を読むことになった。時期によって様子が変わって面白かった。2月あたりは、読んでいていくらかしんどいというか、テンションがおかしかった、変な密度というか文章上おかしな高揚のしかたみたいなものをしていて、3月、パッと晴れた気がした。やはり3月は晴れる月だった、『10:04』を読み『三月の5日間』を読み、読むものが晴れると気持ちも文章も晴れるのだろうか、と思った、と思いながら読んだがそれでも3月もわりとミチミチした文章だった気もした、ところどころに、これは全体を通してだけれども、いったいなにを面白がって書いているのかさっぱりわからない寒々しい記述がいくらもあり、そういうところを読むと恥ずかしくなって消したくもなったがもちろんそんなことはしなかったし消したいとは思わなかった。まったく意味がわからないというか、まったく覚えのない、なにを書いているんだ、という一節が挟まれていたりもして、愉快だった、きっとなにかがあったのだろう。
6月は疲れていた、ひたすら疲れのことが書かれていた、もういっぱいいっぱいだったらしかった、本の原稿を書いていた時期だった、それは4月から7月くらいの時期がそれだった、ずっと週6日フルタイムに働きながら原稿を書いていた、休む間なんてなかったそういう時期で6月はそれが極まっていたらしかった、がんばって早起きをしようと試行する時期もあった、断念したらしかった。8月はその本のことで人間関係というか編集者の方といざこざが起きて苦しんでいた、辛そうだった。9月、文章全体がなにかに向かっていった。
途中途中、引用している文章を読んで泣きそうになったりした、例えば『10:04』を引いたここ。

僕が上に乗ると、彼女は目を開けた。色の濃い上皮と透き通った虹彩ストロマ。そして、自分と僕の両方を励ますように「来て」と言った。しかし、僕の知る中で最も気取らない人の声が明らかに演技をしていることに、僕はほほ笑まずにいられなかった。それから二人とも笑いだした。 同前 p.230

ここで僕はいちおうというか間違いなく営業中だったが鼻がツンとして目が熱くなるというわかりやすく涙こみ上げ時の症状に陥った。 読書日記(47) | fuzkue

それから『富士日記』。

私は湖に泳ぎに行かなくなり、庭先の畑や門のまわりに夏咲く花ばかり作った。その熱心さを気ちがいじみていると武田は笑い呆れていたが、朝や夕暮れどき、ながい間花畑の中にしゃがみこんで、花に触ったり見惚れたりしてくれた。喜ぶ風を私に見せてくれた。
言いつのって、武田を震え上るほど怒らせたり、暗い気分にさせたことがある。いいようのない眼付きに、私がおし黙ってしまったことがある。年々体のよわってゆく人のそばで、沢山食べ、沢山しゃべり、大きな声で笑い、庭を駈け上り駈け下り、気分の照り降りをそのままに暮していた丈夫な私は、何て粗野で鈍感な女だったろう。 武田百合子『富士日記(下)』(中央公論新社)p.395,396

五一年はたくさん書かれている。夫を見ながら「気持よさそうにソファで眼をつぶっている」と書く百合子のまなざしに何かほろりとする、「トラ公、やっぱり首が痛いか」と言って夜明けに妻の頭を長いあいだ困ったように撫でている泰淳の姿に何かほろりとする。泣きそうになりながら読んでいた。 読書日記(51) | fuzkue

5月7日(月)

実際はそうじゃない、日曜のあいだにそこまで行っていない、済んだのはたしか5月までくらいだった、営業中、オーダーをこなす以外の時間は全部そこに注ぎ込み、それから無性に豚キムチを食べたくなったのでコンビニでキムチを買ってきて作った豚キムチを食べて家に帰りシャワーを浴びるとお茶を淹れてまたずっとやっていた、カモミール、この日はだから酒は飲まずに、ひたすら画面を見つめていた、力尽きて3時くらいに寝た。8時に起きた。早起きをして続きをやるというのはもしかしたら前夜に読んでいた箇所で早起きがんばる習慣を見たそのせいかもしれなかった。コーヒーを淹れて家を出る時間までまた続行し、店に着いたらやるべきことをやって他の時間は同じように全部原稿チェックに当てた。
この日は休憩で外で煙草を吸う時間も読もうと思い店のiPadにも入れて、休憩しながらもずっと読んでいた、その結果、無事6時くらいに全部を読み切ることができた、やりきった感と、わりと大丈夫そうだという安堵感と、これはほんとに面白い本になるとしか思えないなあ感のあれこれが混ざった感情に見舞われて、伝えた。

この日は7時で閉店で、閉めて、雨が降っていた、店を出て電車、新宿駅はたくさんの人、高田馬場まで山手線、そこから西武新宿線で野方。西武新宿線の高田馬場駅は、戸惑った、西武線はリテラシーが必要だなと思った、人がたくさんあるのだが、どこにいたらいいのか直感的には全然僕にはわからなくて、迷った、それらしい電車を一本のがした、そのあとそれらしい電車が来たのでホームにいた駅員の方に「すいません、すいません、あの、すいません」と声を掛けて、「これって野方いきますか」と聞いたところ、発着のいろいろを見守るという状況下ではしょうがないのかもしれないけれども、本当に雑な対応をされて、あからさまな苦笑いと呆れ笑いを向けたが、もちろん届かなかった、最初から最後までこちらを見もしなかったのだから。

野方に着くとデイリーコーヒースタンドに行き、カフェラテを飲んだ、おいしかった、雨は思ったよりも降らなかった、それから友人と、野方餃子に行った、餃子を食って、ビールを飲んだ、どれもおいしかった、よかった。僕はTシャツを作りたい、その相談をした、すると解決した気がした、これでTシャツを作れる、という気分になったのでとてもよかった。早く作りたい。
餃子屋さんでは、高いところに据えつけられたテレビで黒沢清の『岸辺の旅』が無音で流れていた。正面にあったので、目にたびたび入った。この映画は無音だとその不気味さや不穏さが際立っていいと思った。実際は、冗談みたいな感動的な音楽がたびたび流される。おかしな、感動的な、うつくしい映画だった。
もう一軒行き、時間も時間という時間になったので電車に乗って帰った、最後の電車で、うたうたとし、あやうく乗り過ごすところだった、シャワーを浴びると、すぐさま寝ついた。

5月8日(火)

昨夜の時点で「そうなるかも」の連絡があったからそのつもりでいたがひきちゃんが風邪っぴきとのことでお休みとのことで、起床し、店。カレーを仕込んだりケーキを焼いたりしながら静かな営業時間を過ごしていた、外は薄暗く、それに釣られるところもあるのか、心細い、この先どうなるのかというか、どうなりたいのか、という問いが、いつものようにやってくる。どうやって働き続けたらいいのだろうか、どうやって働きたいのか、というところだった。
前から気になっていた、湯沸かしのところの溝、本棚の最上段というところになるその板と板のあいだの溝、をコーキングを取ってきて埋めることをした。これでもう、『失われた時を求めて』やフォークナーが、濡れてしまうことはきっと、ない。それで、うっすらとした悲しみみたいなものに覆われて、なんの前向きな気も起きない。本を読む気も起きない。
どうやって働くか、暮らすか。去年は疲れ切っていた、週6日フルタイムで働いて、へとへとになっていた、それを昨日、よく思い出した、同じことをやってはいけない。

夕方からまた雨。どうしようもなく気持ちは晴れないままだったが本を開くことにした、多和田葉子を開いた、もう終わろうとしていた。最後、

その時、Susanooがすうっと体重がない幽霊みたいに立ち上がって長いスピーチを始めた。口が縦横に開いて、唇がとがったり、薄くなったりし、喉仏が上下しているのに、全く声が聞こえない。声のない発言者を遮るのは簡単なはずなのに、おふくろさえ口を閉ざして耳を傾けている。ナヌークは何度もまばたきしながら、Susanooの顔をまぶしそうに見ていた。自分もいつかこんな風に堂々としゃべりたいとでも思っているようだった。Hirukoにも声は聞こえないはずなのに同意するような微笑みを浮かべ、時々うなずきながら聞いている。僕と目が合うとHirukoは肩をすくめた。多分、聞こえないけれど理解できるから不思議ね、と言いたかったのだろう。 多和田葉子『地球にちりばめられて』(講談社)p.308

という場面があって、「あ!」と思った。
お腹が減った。寒い。眠い。パンを食べ、米を少し食べ、お腹が減った。そのあとは目の前にあった、とても久しぶりに武田百合子の『あの頃』を開いていた。

お帰りのお客さんと外で長々と立ち話をして少し元気を取り戻した。しかし総じては悄然だった。夕飯を食べながら野球の記事を読んだ。栗山監督がアルシアのことを賞賛する記事だった、そのなかで「野球をやる時に、野球にだけは噓つかないと必死にやってもらうというのがこっちの思いなので」と言っていた。僕も、野球にだけは噓をつかずに必死にやっていきたい。

夜、『あの頃』を読んでいったら読み終わった。年譜を見ていたら「五月、鈴木家を出て、神田で武田泰淳と同棲。小川町の不動産屋の階上や西武線沿線野方の商人宿などを転々とする」とあり、「お、野方」と思った。1948年、23歳のときだった。
やっぱり武田百合子の文章を読んでいると本当にいい、と思い、急いで『犬が星見た ロシア旅行』をポチった。年譜によればこれは『富士日記』の2年後1979年に刊行されている。読売文学賞を受賞している。武田泰淳と竹内好と行ったその旅行は、10年前、1969年との由。
寝るまでは『酸っぱいブドウ/はりねずみ』を開き、寝た。合わない気がする。と思ったが、判断するもなにも、すぐに眠った。

5月9日(水)

ぼんやりとのんびりと仕事。いくらかの仕込みを済ませるとTシャツをとりあえずで3パターン作ってみることにして、オーダーした。ボディ、というらしい、どのメーカーの何オンスのやつにするか、という選択があり、「オンスなの…!?」という身であり、先日相談した友だちにまるまる相談した、その結果、アルスタイルというやつとユナイテッドアスレというやつで作ってみることにした、楽しみだった。
わりと溜まっていた経理の作業をして、その他こまごまとしたことをこまごまとやっていたら、忙しい日ではなかったが、働いているんだよな、ということがわかった。特にぼーっとしている時間はなかった。実際、夜に交代の日だって、映画に行ったり本を読んだり昼寝をしたり好き勝手はやっているけれど、なんらかの働きをしている時間が占める割合は高く、なんやかんやとやること、やりたいこと、やらないといけないこと、というのはあるものだな、と思う。家で働くか店で働くかの違いでしかないようなところがある。噓で、店では昼寝ができないわけだった。でも店にいると家にいるときのようには眠くならないから構いはしなかったが。

夜、『犬が星見た』を読み始める。のっけからいい。

昭和四十四年六月十日 晴
朝七時半、毎日新聞社の高瀬さんが迎えにきて下さる。玄関に入ってきた高瀬さんの喉のところには、ちり紙をちぎって貼りつけてある。三ヶ所貼りつけてあって血がにじんでいる。貼りつけてないところにも点々と血がにじみ出てかたまっている。高瀬さんの自宅は遠いので、遅れるといけないから昨夜は本郷の知合に泊ったのだという。今朝あわてて顔と喉を剃って血が出てしまったのだろう。ワイシャツの襟にも血がとんでいる。七時四十五分に出る。横浜大桟橋に九時十五分前に着く。 武田百合子『犬が星見た ロシア旅行』(中央公論新社)p.5

夫婦のやりとりも、やっぱりいい。いとおしい気持ちになる。

「百合子。面白いか? 嬉しいか?」ビールを飲みながら主人が訊く。
「面白くも嬉しくもまだない。だんだん嬉しくなると思う」と答える。 同前 p.9

五時からサロンで映画会。私は眠りたいので行きたくないが「一緒に行こう。一緒に行こう」と主人が誘う。
「きっと文化映画だよ。タメになる映画だよ。眠いから行きたくない」と言うと、
「さっき船に乗ったばかりの癖に、もうバカにする。そんなこっちゃいかんぞ。何でもバカにしてはいけない」とにらむ。 同前 p.10

しばらく読むと、「あそうだ」と思い出し、友人に教わったとおり、パッケージ通販でいろいろなもののサンプルを取り寄せることをした。本当にいろいろなものが売っているのだなあ、と思った。そのあと、シーラーについて調べた。シーラー。いろいろとあり、どれならいいのだろうか、なんかめっちゃ高いけど……と思ったりしていろいろ検索していたらコーヒー屋さんのブログにたどり着き、これでいけますよ、という記事が書かれていた。安いやつだった。こういうのはものすごく助かる。助かるし、最悪、というかいつでも、と思っていたけれど、友人に聞けばいいと思っていたけれど、知っている人に教わればいい、というのが僕のスタンスだから、それでよかったのだけど、知っている人がどこにいるのかわからない、という状況はいくらでもあって、そういうとき、本当に困るよな、ということを思った、情報というものには、価値があるよな、というような。
そのあとは、これも教わったものだ、アスクルでいくつかのものを買った。アスクル、僕は名刺を作ったりするのに何度か使っていると思っていたら登録した痕跡がどこにもなかった。よく見ると、名刺を作っているのはラクスルだった、アスクルとラクスルがある、ということはこれまでどうやら考えたこともなかった。
それにしても、なんというか思うのは、お店屋さんごっこ、という言葉を思うことはしばしばあって、今日もそう思った。お店屋さんごっこ、それは、楽しい。

一日、なんとなく気分が明るかった。
寝る前、武田百合子。

5月10日(木)

朝、トンプソンさんに来てもらう。感謝の意を述べる。あれや、これや、たくさんのことがよくなった。トンプソンさん加入以前の、たとえば去年10月の店を今見たら、どうしてこれでいいと思ってんだ? どうしてこれで混乱せずやれるんだ? と思うだろう。たくさんのことが変わった。いつだって不可逆だった。そういう話をした。それから、出汁のとり方と米の話をした。いいことを聞いた。
あとで、SNS用に、といってこれまで撮ってくれていた店内の写真をいろいろと送ってくれた。きれいでかっこよく、これはかっこいいお店だなと思った。いくらか色味であるとかの加工もされているのかもしれない。
さて、と思った。

ぽやぽやと、いくつかのことをしながら営業。ゴールデンウィークの終わりのところで、本の原稿チェックと、原稿仕事の締め切りがあり、済んでしまった。InDesign狂いも済んでしまった。なんだか突然ぽっかりと空いたような感覚がいくらかあって、暇、と思った。退屈、とも思った。忙しくなってくれ、と思った。が、ならない。

武田百合子を読んだり、それでもなおという感じでInDesignを少し触ったり、しながら、暮らした。武田百合子を読んでいたらふいに「あ、チェーホフ読みたい!」と思った、ロシアに触れていたからだろう、と思って、それで前に保坂和志のやつで引用されていた「中二階のある家」を読みたくなり、検索した、いろいろ検索した結果、未知谷のやつをポチった。保坂和志のやつは小笠原豊樹訳で、未知谷のは工藤正廣訳だった、小笠原訳がどれに収録されたものなのかはよくわからなかった。『新訳 チェーホフ短篇集』という沼野充義訳のものもあったが、ジャケ的に未知谷になった。
それで満足し、武田百合子に戻って再開した、中断した箇所はこうだった。

三四七号室。三階の四七号。
窓から中庭がすっかり見下ろせる。 武田百合子『犬が星見た ロシア旅行』(中央公論新社) p.77

おそらく、中庭の「中」と三階の「二階」が混ざって目に入ってきて、庭は家みたいなもので、もちろんロシアということは念頭にずっとあって、それで「あ、チェーホフ読みたい! 中二階のあるやつ読みたい!」となったのではないか。

先日、バールボッサの林さんに取材していただいた。そのときに「小説は書かないんですか?」という問いに対して「僕は今は日記が面白いです」と答えたところ、「先日、フヅクエさんのところに取材に行ったところ、オーナーの阿久津さんが「最近は日記が面白いなって思ってるんです」というようなことを仰ってました。(…)それで、「僕も書きたいな」って思った」とのことで、日記を始められた、それを見て、「僕もnoteで日記を書きたいな」って思った。林さんは一日ずつ書かれていて、単品100円、月300円で売っている。僕もそうしようかなと思った、つまり、1日だったら100円ですが、月々だったら300円(10円/日)です、なお、フヅクエのWebでは全文無料で公開されています、という、よくわからない形になる、というところだった、もしかしたら、300円払ってでもnote上で読んじゃいたい、noteの中にいたい、プッシュされて知らされたい、みたいな人もいるかもしれないし、なんだろうか、noteにしかいない人との接点みたいなものとかもあるとかだろうか、回遊するイメージがnoteにはないが、僕がしないだけでする人はするのかもしれないし、というところなのか、キャッシュポイントを増やした方が楽しい、みたいなところもあるのか、それはオンラインであれこれ売るぞ、ということも完全にそうなのだけど、だから、noteで売って、買ってくれる人がいたとき、誰も損をしないんだから、それはよい、ということでなのか、等々思って、思うよりも先に、というか思いながら、ずっとほったらかしにしていたnoteを整備していった。マガジンなるものを作った、300円だ!

と思って、思いながら、働き、仕事が終わり、いやしかし300円って安いというか、安いというかなんだろうな、と思った、どうせ無料で読めるんだから、1000円でいいんじゃないか、と思って金額を1000円にした。そうしたら、思いついたというか、たとえば300円、1000円、10000円とかで、まったく同内容で値段の違うマガジンを3つ作るとかどうだろう、というような。

よくわからなくなって、1000円のまま放って帰った。
寝る前、武田百合子。1969年、ロシアの地で、物怖じもせずに、さりとて驕りもせずに、変わらないような振る舞いをする武田百合子の姿を見ているととても気が清々しくなる。かっこいい。

便所の番を待っていた二人の少女が、
「旅行者? どこの国の人?」と小さな静かな声で問いかける。
「日本人」
二人の少女はうなずき、二つある便所の片方を指して、先へ入れとゆずってくれる。しかし、この扉が、やっぱりまたかたくて、いくらひっぱっても開かないのだ。二人の少女と三人がかりでひっぱると、扉は勢いよく開いて、三人は重なり合って壁にぶちあたった。用を足して出ようとすると、やっぱりまた開かないのだ。ドンドン叩いたら急に開いた。勢いよくとびでた私は、待ちうけていてひっぱってくれた二人の少女もろとも、また壁にぶちあたった。手を洗う私を、二人の少女は左右にきて、よくよく観察している。私もよくよく観察させてあげる。美人だなあ、と思っているのかもしれない。そうだと、いい気持だ。
「ああーあ。何だかとてもおかしかったね」そういうロシア語を知らないから日本語で少女たちに言った。少女たちは「バジャールスタ」と言った。少女二人も孫娘も、黒い髪、黒い眼、浅黒い肌だった。 同前 p.93

5月11日(金)

晴れて、清々しい。郵便ポストを見るとなにかが入っていて、『GINZA』が届いた。今月号からリニュアールしたそれは、かっこうよい様子だった。
煮物、カレーの仕込みを始めながら店を開け、それからも仕込み等をずっとやっていた、17時半、これが済んだらタスク全部消化だ! となってとてもテンションがあがり、済み、喜んだ。
白和えを、いつもはヘラで豆腐を潰して作っていたが、フードプロセッサーでいろいろを混ぜてガーッと回す作り方をやってみた、豆腐とかを混ぜる前に白ごまと花がつおを砕いて、ということをやった、するととてもよかった。ほうれん草と、刻んだみょうがを白和えにした。この場合、みょうがも和え衣と捉えたほうが適切かもしれない。冷奴の薬味みたいなものはなんでもおいしいと思っている。ネギはその限りではないというかネギは試したことがない、これもおいしいかもしれない。とにかく、ほうれん草のいつもとは違う作り方バージョンの白和え、これはとてもよい、と思って喜んだ。

先日サンプルを注文したいろいろのパッケージというか平袋であるとかが届いて、見たことのない、大きな、そして薄い、ダンボールで届いた。変なの、と思って開けると、いろいろのパッケージというか平袋であるとかが入っていて、あとは郵送用の紙袋とか、入っていて、見ていると、僕は郵送ということについてのリテラシーがまったくないから何もわからなくて不安だったが、見ていると、イメージが湧いた感じがあり、あとは、住所のシールであるとか、送り状みたいなものであるとかがあれば、それっぽいものになりそうな気がして、楽な気になった。それはそうと売れるのか。いままで本であるとか、コーヒー豆であるとか、売ろうとして、売れた試しがなかった。オンラインなら売れるとでもいうのか。どういうつもりなのか。やってみなければ、わからない。

完全なるひと段落、と思った、そのタイミングでお客さんがゼロになった、その直後、扉が開き、入ってきたのは岡山時代の知り合いというか、だった、僕は「おおおおお」と言った、岡本さんという、「流しのCD屋」としていろいろの店を回って視聴させてCDを買わせる、そういう方で、僕も店に来てくれたときいつもソファに、土間の一階の、対面のソファの席に座って、ヘッドホンをして、いろいろの音源を聞いた、そしていろいろ買ったものだった、今フヅクエで掛けている音源の少なくないものが、岡本さんから買ったものだった、その岡本さんだった、で、「おおおおお」と僕は言った。
それで少しのあいだ話していたところお客さんが来られて話はやめて、視聴用のiPadを借りてしばらく片耳にイヤホンをして視聴したところ、ジャケがまずよくて、そしてそれぞれ数秒しか聞いていないけれど「これは!」と思ったため2枚買うことにした、と、決めたあたりでとんとことお客さんが来られて、埋まったりした、金曜夜、よかった、と思いながらヒーヒーと働いた、なんだか気持ちが清々しかった、岡本さんはしばらくゆっくりされてから帰っていった、帰り際にCDを買った、本当にちょうど隙間のタイミングだったなあ、と思った。
買った2枚は、U TIN『Music Of Burma - Burmese Guitar』、AUNG KYAW MYO『Music Of Burma - Burmese Piano』だった、Burmaってなんだろうと思ったらビルマだった、ミャンマー伝統音楽との由。今、検索したら、紹介のページにあたって、録音した方(エンジニアというのかな)の文章が引かれていて、「スマートフォンやパソコン、ラジカセなどの非高級オーディオで「少し小さいかな?」と思うくらいの音量で聴いてみてください。」と書かれていて、面白かった。

結局11時半くらいまで座ることのほぼない一日になった。仕事があるということは幸せなことだ。疲れながら、ビールを飲みながら、買ったギターのほうを聞いて、気持ちよかった。 帰宅後、武田百合子。

「しゃあ……」老人が、おどろきの声をあげた。
「銭高はん。これはネアンデルタール人いうて、猿が人間になりかかったころのお人ですわ」古代人の顔の置物を、江口さんはもの静かに説明した。
一人で見物している私のところへ、老人は思い出したように、ときどきやってくる。
「御主人は気分がわるいだけですかな。病気ではありませんかな」
「朝からお酒を飲んで、陽にあたりつづけましたでしょう。それで気分がわるいのです。マホメット様の罰があたったのだと、自分で反省しております」
「暑気あたりのときは休むがええ。それがええ。そうじゃ。そういうもんじゃ。わしゃ、よう知っとる」
老人は肯いて離れる。また、やってくる。
「さっきのおにんぎょさん、わしらによう似てまんな」
中庭を横切って次の棟へ。緑色のベンチ、白い石畳、水飲み場から水が滴り流れている。くっちゃくちゃにこぼれ溢れ咲いている真夏の花々。つきぬけるような青磁色の矩形の空。遅れまいと小走りに歩いていた老人がふっと立ちどまった。
「わし、なんでここにいんならんのやろ」老人のしんからのひとりごと。
私もそうだ。いま、どうしてここにいるのかなあ。東京の暮しは夢の中のことで、ずっと前から、生れる前から、ここにいたのではないか。 武田百合子『犬が星見た ロシア旅行』(中央公論新社) p.91

このあとも、「わし、いつからここにおるんやろ。なんでここにおるんやろ」と言っていて、読みながら声を出して笑った。銭高老人を、どんどん好きになっていく。夫のことを書くとき、動物のことを書くときと同じように、武田百合子の持つ対象への愛着が、文章からあふれている。

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