本の読める店

読書日記(78)

Entry diary78

3月24日

朝、ナンバーガールを久しぶりに聞こうと、あのはじまりの歌を、と思い、『School Girl Bye Bye』を掛けた、すると一曲目、あのはじまりの歌を、と思ったそれはまさかの、たぶん札幌のラストライブの最後の曲、として流れた、異様な熱気が伝わってくる音源で、それはそれで、簡単にグッときたのだけど、俺が聞きたかったのはその終わりの歌ではなく、はじまりの、あの録音だった。アップルミュージックを使っているとこういうことがたまに起きる。勝手にデータを忖度すんな!というたぐいの。いやになる。
と思いながら、そのあとはなんでかJ Dillaの『Donuts』にして、仕込みをいろいろとやり、11時ごろに両親が店に来たので仕込みをいろいろとやりながら話したり、コーヒーを淹れたりして、見送り、店を開けた、谷川俊太郎展、ラストラン、という感じで、今日も忙しい土曜日だった。
夜、座ることができ、日記の推敲をしていた、『夜のみだらな鳥』をAmazonで検索したところ、76年に集英社の「世界の文学」シリーズで出て、それから84年にやはり集英社の「ラテンアメリカの文学」シリーズで出ていたらしかった。
やることが終わり、11時過ぎ、ドノソを開いた。しばらく読んでいた。この、やることが終わり、お客さんがまだいて、あとは閉店を迎えるだけ、という状況で本を読んでいるときはすごく幸福な感じがある。あ、じゃあ、僕もちょっと参加させていただきます〜、お邪魔しま〜す、みたいな感じで、なんだかいい時間感がとてもある。まだ帰らないで! 12時までやってるから、どうぞいてください! 僕も本読みたいので、そのまま読み続けていてください!みたいな気持ちになる。一緒に読みましょう!は言い過ぎか。

本を読んでいたら、今日は、食べていいものがない、終わったらラーメンを食べて帰ろうかと思っていたが、チャーハンが食べたくなった、チャーハンなら作れるか、コンビニでキムチを買って、キムチチャーハンにしようか、ネギはあるしベーコンもあるし、なんか他にもある、それでキムチチャーハンを大量に作って夕飯にするか、と考えていた、ラーメンよりもチャーハンが食べたくなったということもあるが、なんとなくただ腹を埋めるためだけの夕飯に、この夜の夕飯に、1000円を出すのが惜しい気になったみたいなこともあるらしかった。
それでチャーハンを作ることにして、チャーハンを作り出したらすごく疲れていることを思い出した、なんでこんなに疲れているのに料理してるんだろう、と思いながら、作った、食べた、大量に食べた、劇的においしかった。満足した。

寝る前『夜のみだらな鳥』。

3月25日

最終日、と思いながら、いくらかナーバスになりながら開店を迎え、そうしたらやっぱりというか、忙しい日になった、忙しいというか、かなり長い時間満席の状態が続く日だった。それぞれの方はゆっくりされていても、来られた時間もバラバラなので、意外にちょこちょこと動きはあるものだ、というのがこれまでの実感なのだけど、今日は膠着状態が長かった、膠着し、入れ替わり、膠着し、入れ替わり、8時くらいまではずっとそんな感じだった気がした。
へとへとに疲れ、11時、チーズケーキを焼いたりも済んだし、座るか、と思ったところ、明日の仕込みの下ごしらえをいくらか進められる、その分明日の朝が有利になる、みたいな感じで、けっきょく閉店頃まで仕事をしていた。終わり、今日も減らして大丈夫なおかずがない、今日こそラーメンだ、と思っていたが、明日全部作ることは確定だし、作って開店を迎えないといけないことも確かだったため、むしろ食べてもいいということになり、煮物の残りと和え物と、それから下ごしらえで余ったカブの葉があったのでベーコンと卵で炒め物にして、食べた。なんでこんなに疲れているのに料理してるんだろう、と思いながら、作った、食べた、大量に食べた、劇的においしかった。満足した。

寝る前『夜のみだらな鳥』。

3月26日

昨日で定食のおかずがどれもなくなったので開店までに全部作らないといけない、という日で、朝からがんばった、すると間に合って、それで店を開けた、今日はもうあとは特にこれというものはない、という感じで早い時間から本を読もうかと思っていたが、なんとなく他のことをやっていた、経理であるとか、細かいタスクであるとか。

なしくずしに、煙草を外でまた吸うようになっている。プルームテックを買ってしばらくのあいだは営業中の明るい時間はプルームテックを階段で吸っていたのだけど、ああなるほど、ニコチン中毒というのはこういうことか、という程度に、足りない、という感じがあり、足りない、プルームテックじゃニコチンが足りない、となり、それで暗くなったら外に出て吸う、ということをやっていた。暗くなったら、というのも根拠は薄弱だが、吸っていたら怒られた、だからプルームテックを買うきっかけになった女性と出くわしたのが明るい時間だったから、明るい時間に通る人なのかな、じゃあ暗い時間ならいいかな、というところで、そういう適当なルールを自分で定めて、いた。が、だんだん、出くわさないし、まいいや、明るい時間から吸っても、鉢合わせる確率めっちゃ低いでしょ、みたいな気分に少しずつ、なっている。今日は午後2時にまず吸った、これだけ浅い時間に外で吸ったのは久しぶりだった、本当になし崩しという感じだった。それから経理をやり、終わり、ひと段落、と思って、まだ2時間も経っていないけれど、と思いながらもまた吸いにおりようかな、と思っていた、そのタイミングでなんでだかエゴサーチをしたところグーグルの口コミであたらしいのがついていて、「1時間前」とあるから、たった今、という口コミで、そこには「店主が毎日路上喫煙し、周辺に迷惑な店。早く退店してもらいたい。」とあった。なんというタイミングwww と思った。やってしまった…… と思ってドキドキした。もういっそ吸いまくって、もうどうしようもなくヘビースモーカーな人、みたいな立ち位置を獲得する方向に努力するほうがいいかもしれない。なんだかシュンとした。自業自得すぎて笑った。
どうしたものか、と考えながら、トイレに入った、すると妙案というか、思った。厨房の奥に扉があって、そこから外階段があるのだが、そこではなく路上に出て煙草を吸うのはお客さんが新たに来られたときに気づけるからで、吸っていたら階段を上がろうとしている人が視界に入って「あ、すいません店の者です、今上がるんで、どうぞ、すいません」みたいなやりとりをすることはしばしばある。これが外階段で吸っていたら気がつけない、というところで路上で、床屋さんの壁に張り付くようなポジションで、吸っているわけだけど、考えてみたらトイレに入って数分不在になることはあるわけだった、それでトイレから出たらお客さん来られていて、あ、すいません、こんにちは、みたいなことはいくらでもある、と思えば、外階段で吸って、それでいいじゃないか、ということだった。というわけで外階段で吸う、ということを試すことにした。それにしてもなんというか、こうやって口コミというルートで公開で糾弾されるまで行動を改善できないというのは、情けないものだなと思った。

しかしそれはそうと、外階段だけで吸っていて本当にいいのか。外階段で完結していたら、床屋のおばちゃんと顔を合わすことがなくなってしまう、それは著しく寂しい。床屋のおばちゃんとのコミュニケーションは、取りたい。だからやはり、夜分は路上、ということかな、と思った。また怒られる。

しばらくのあいだ、『夜のみだらな鳥』を読んで過ごした、2章ほど読んだ。そのあと、「入稿用」と題された原稿のファイルを受け取ったので、原稿の確認をし始めた、なんとなく緊張を覚えた、ずっと確認を続けた、きっと入稿というのは、どこまでもおぼつかない心地で、これでよかったんだっけか、まだあるんじゃないか、そういう心地でおこなわれるのだろう、と思った。

それ以降の喫煙は外階段でおこなった、夜になっても路上ロードには出ず、外階段で吸った、粛々とニコチンを摂取した。
今日からポスト・谷川俊太郎展の日々であり、一気に暇になるのか、どうか、と思っていた、そもそも、ポストもなにも、会期中も休館日である月曜は暇なことが多かった気がするから、すでにそれは谷川俊太郎展のおこぼれでお客さんが来ていた、ということの傍証といってよかった。その月曜日だ、なぜか、忙しいというか、平日としては忙しい日になった、バジェットに対する達成率でいえば125%だったから、完全に上々だった。明日は、どうなるのか。手が、バキバキに壊れている、洗い物をもうしたくない、できるかぎり水と関わりたくない、という様子になっている。

悲しい。

3月27日

日記本には何人かの方から推薦文をいただくことになっていて、そのひとつが今朝、開店前の時間、届いた、読んだところ、感動した、涙が少し出た、報われるというかうれしい。報いというのは違う、全然違う、報いとかではない、この本は報いというものは僕はまったく必要としていない、なぜならこれは労苦の果てにできたものではないからだった、ただ生まれたものだから、そういうものは欲していない、と思っている。それはそれとしてとてもうれしく、元気が出た。

ジエン社の、『物の所有を学ぶ庭』の、当麻先生、のことを思い出す。へらへらした人間だった、僕はたぶん当麻先生に強いシンパシーみたいなものを感じているというか、当麻先生的な態度以外に僕に取れる態度、真面目に生きるとして、真面目であればあるほど、当麻先生的な態度以外に僕に取れる態度、なんていうものはないんじゃないかと思う。ヘラヘラしていなかったら、かしこまった顔をしていたら、僕にとっては不真面目だ。
と、思いながら働いていた。真面目な顔をすることが真面目な態度だと思っていることは本当に不真面目な態度だと思う、というこういうことは多分、保坂和志が書いていて、あまりにそうだなあと思ったので、染み込んだ考え方だった、たしか、『考える人』の短編小説特集で、たくさんの人が3つ大好きな短編を挙げるみたいな企画で、そこで保坂和志は中原昌也の短編を3つ出して、そういうことを書いていた気がする。

……「近隣の保育園ママの間で話題の最低の店。
店内は禁煙のようですが、1階の路上で店員が喫煙し
子供が通っても煙をふきかけ放題
住宅街の入り口に位置している、歩きたばこ禁止の地域との理解もないようです。
タバコが吸いたければ、自分の店内を分煙にして店内で吸えば良いのに
店内は禁煙、路上では喫煙、初台には相応しくない店です。」

これは……。
もうたいへん反省。もちろんちびっこに吹きかけるなんていうことはしていないけれど、たいへん反省。返信した。両方に返信しようとしたら昨日のやつは消えていた。
「わ~、すいません…
長らく不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳ありません。
休憩がてら5分×1日数回であれば構わないかな、というつもりでいたのですが、そのような思いをさせてしまっていたことに想像が及んでいませんでした。とても甘かったと、情けなく思っています。
(なお、店外に灰皿を設置している他のお店や路上で喫煙をされている方の名誉のため(ろくでもない名誉かもしれませんが…)、渋谷区の分煙ルールでは、初台において路上で立ち止まっての喫煙が禁じられているエリアはありません、ということだけ記させていただきます)

このたびのお叱りを受け、これ以上近隣の方に不快な思いをさせてはいけないと強く実感しました(実感が遅くて本当にすいません…)。今後は二度とあの場所で喫煙しません。もし万が一また吸っている姿がありましたら、そのときはぶん殴ってください。
これまで本当に申し訳ありませんでした。」

なんというか、なにも言えない立場ですが、明確に憎しみみたいなものをぶつけられるとつらいものだな、と思った。昨日からインスタグラムのストーリーズへの投稿をやってみようという気になっていて、佃煮の様子を投稿した。

夜までよく働いた。夜は花見に出かけた。まずはコーヒーが飲みたかった、リトルナップコーヒースタンドで買おうかと思ったが、もう閉まっていた、それで少し寄り道だけどフグレンに行くかと歩いていたところ、代々木八幡駅の新しくできた歩道橋のところから明かりが見えた、スイッチコーヒーが、7時までかと思ったらまだ電気がついていて、8時までということみたいで、それでコーヒーを買った、歩いた、代々木公園のほうに、なんとなくグニグニ路地を曲がりながら歩いていくと、はっ、と思い、もうずっと思い出してもいなかった、あれは2014年の5月だった、2014年の5月に参宮橋に用事があって、その前の時間になんとなく代々木公園に行ってみることにして、どこから来たのかも覚えていないが、暑い天気のいい日で、ビールを、ファミリーマートで2本買って、公園に入って、人がたくさんいて、思い思いに過ごしている様子が広がっていて、これは実に気持ちがいいものだな、と思いながら芝生であるとかに座りながらビールを飲んだりうとうとしたそんな午後があった、そのことを思い出した。いつもと異なる方角から代々木公園入り口の、交番のある交差点、を見たからかと最初思ったが、視線の高さの違いかもしれなかった、いつもは自転車にまたがって通る場所だった、今日は徒歩だった、4年前ももちろん徒歩だった、その影響なのかもしれなかった、それから意識の方向もあるのかもしれない、4年前と同じく、代々木公園に入ろうとしているそのモードがなにか重なったのかもしれない。
代々木公園のあいだを通る坂道を上がって進んで、両サイドを結ぶ歩道橋のあるところで中に入った、左側に入った、屋台がいくつも出ていて、テーブルが並んでいた、人々で賑わっていた、お祭りだった、缶ビールとジャンボフランクを買って、飲み飲み歩いていった、バラコーナーのあたりは光はなく、人もあまりなく、桜もなかった、人の流れている方向に進んでいくと、桜があり、シートを敷いて酒盛りをしている人たちがたくさんいるエリアに出た。僕はなにか代々木公園の浮足立たなさみたいなものに感動した、外灯はぽつぽつと置かれているが、これは普段と変わらない明かりがあるだけで、夜桜用にライトアップをするみたいなことは一切していなかった、だから、花がたくさん咲いているところでも薄暗いところばかりで、シートを敷いて歓談をしている人たちのたぶん少なくない割合の人が、花は大して見えないし、手元も暗くてあまり見えない。そのままやりますよ、という公園の、その媚びのなさみたいなものはなんだか好ましかった。適当な縁石みたいなところに腰掛けて、手近にあった桜を見つめた。
それからふらふらと、公園をふらふらと歩いた、奥のほうに行くと、こっちのほうがずっとよく花見ができそうだ、シートを敷いている人たちは少ないが、こちらのほうがよほど、というスポットがあったりした、ふらふらと歩いた。すると遠くから、野太い声が聞こえてきた、それはやむ気配なく、繰り返し繰り返し、何人もの男から発せられる声だった、次第に声が大きくなってきた、それはほとんど入り口のあたりだった、これはきっと、と思ってその声の出どころに行くと、開けた場所があった、外灯は一つだけだった、黒い影が8つくらい、あちら、こちらに点在したり、1人が他の1人に走り寄ったり、しながら、大きな声を断続的にあげていた。応援部のようだった。寄り集まった3人が、30秒や1分の沈黙を挟みながら、わーーーっと同じ声を出す。彼らとは別の場所にいる1人が、両手を横に前に振って、四股を踏むみたいな姿勢の足を振り上げ、おろす。その動きを何度か繰り返し、やめる。また外灯のあるところはベンチと屋根があって四阿あずまやみたいになっている、そこに座っている1人が立ち上がり、のそのそと前に進み、それからふと姿勢をただし、大きな声を出す。ふっとやみ、立ち去る。3人が、走ってくる、立ち止まる、大きな声を合わせて出す。1人が直立で腕だけをぶんぶん動かしながら応援歌をがなりたて、その横の男は激しく動きながら間欠的に野太いサイレンのような声を出す。役目を終えて四阿に戻ったものたちのうちの何人かが着替えて白くなり、また登場する。駆け巡る3人が、向こうから四阿のほうにゆき、止まり、大きな声を出す。四阿にいるその他全員は、ゆっくりと歩き出す、そぞろ歩き、といった調子で、芝生を横切り、公園の舗装された道のほうに向かう、3人は、直立したままその背中を見つめる。
どうやら終わったらしかった。15分ほどだろうか、あるいはもっとだろうか、ずっと見ていた。薄暗いなかで繰り広げられる、なにをキューにして動きが始まったり、やんだり、しているのかまるでわからない、見えない規律で動き続ける男たちの運動を、踊りを、ずっと見ていた。途中途中で弛緩する、オンからオフに、また、オフからオンに、地続きに流れていく運動の持続はひたすら魅力的だった。これがすべて何かによって動きが規定されているような、マスゲーム的な、キビキビとしたものだけで構成されていたら感じ方はまったく違ったものになったはずだけど(それはそれでかっこうよさそうだが)、この、絶えず規律のあわいみたいなところがある同時多発的な舞台は、おそろしく強靭で充実していた。まったく期せずしてなんていいものを見たのだろう、とよろこんだ。
彼らは雑談をしたりするのだろうか、どういう調子で話すのだろうか、ということが気になったらしく、おそらく下級生であろう3人を残してゆったりとしかしけっこう速く歩いていく学ラン姿の男たちの集団に付き従うような位置を歩いた、すると「あそことかでよくない?」みたいな相談がいくらかあり、また四阿的なところのある暗がりのその下に、芝生を突っ切って歩いていった、さすがにそこにまではついていけなかったが、彼らを見ることのできるいい位置にベンチがあったのでそこに座った、やはりただ規律がある、というだけではない集団らしく、整列するでもなく、なんとなくみな近くに立っている、という立ち方をしていた。10分ほどしてから、小さな光がともった。たぶん、先ほどスマホで撮影している人があったから、それを見ているのではないか、と思ったが、どうか。

もうしばらく公園内を歩き、屋台のところに戻ったのでビールをもう1本買い、歩道橋を渡って向こう側に行った、そのままNHKが横にあるけやきの並木道を歩いて、向こうに渋谷の光があった、そこには向かわずに、税務署のほうに折れてくだり、少しざわめきをかすり、神山町の根元、みたいな、東急百貨店のあたりに出た。いま、神山町とはしかし実際どこからどこまでなんだろうと思い調べてみると、神山町はアップリンクのある交差点からアヒルストアのところまでだった、フグレンはもう外れていて、住所を見ると富ヶ谷1丁目ということだった、あそこは富ヶ谷だったのか。
その、神山町の通りを歩き、焼き鳥を食べたくなっていた、歩き、SPBSがあったので入った、特に本がほしかったわけではなかったが、あかりに吸い寄せられるような調子で入った、すると文庫の平置きコーナーというのか、のところで『最後の喫煙者』というタイトルが目に入って、筒井康隆の小説だった、そしてそのすぐ上の本の帯に「おたがいもう少し言葉を費やしてみましょうか。」とあった、堀江敏幸の『燃焼のための習作』だった。愉快な気分になって、この2冊を買った。俺はわりといつだって、言葉をもう少し、もう少し費やしたいって思っているよ。それが、わかりあうためには、わかりあえないことをわかりあうことも含めて、わかりあうためにはやっぱり、必要だって、俺にはこういう方法しか取れないんだって、俺はそう思っているよ。

3月28日

焼き鳥を食べて帰った、焼き鳥屋の店員はわりとろくでもなかった、ビールと日本酒を飲んで、帰り、少し『夜のみだらな鳥』を読み、ウイスキーを飲み、寝た。起きたら朝だった、トンプソンさん発熱により休みとの知らせ。
買い物をして店に行き、準備をして、11時から取材を受けた、そのあと開店して、どうもいろいろと仕込みがあることが次第にわかり、カレーを作り、煮物を作り、スープを作り、チーズケーキを焼き、等々を、やる。今日は仕込み祭りだ、と思っていたら意想外に、お客さんが途切れないような調子で来られ、夕方くらいにはだいたい埋まっている、みたいなタイミングが生じたりもしていた、それでずっと働いていた、夜になって落ち着いて、仕込みも落ち着いて、座って、原稿のチェックをやった、仕込みをいろいろ完了させた、そうしているうちに閉店時間になった。今日は140%、昨日が108%、おとといが125%。おや? おやおや?? おやおやおや???という、ポスト谷川俊太郎展の3日間になっている。
いい言葉やリアクションをいくつもいただいた、いい日だった。泣くかと思った。

閉店後、ショートブレッドの生地をつくりながらC.O.S.A.とKid Fresinoのアルバムを聞いていた。そのあと、だから今、ものすごく久しぶりにジム・オルークの『みずのないうみ』を聞いている。これはほんとうに美しい作品だなと、思いながら聞いている。ビールを、飲んでいる。今朝の取材でビールの撮影があり、最初はそのまま撮られていたが、栓を抜いた状態がいいとのことだったので抜いて、4本、栓抜きでパシュッ、とやるたびに、チャリン、チャリンと、いいのかなこんなことでお金いただいて、みたいなお代が発生して、ライターとカメラマンのお二人には飲む時間もなかったし何よりこれからまだ取材がいろいろある、という状態で飲めるわけもなく、栓が抜かれただけの4種類のビールがあった、いいやつだった、ラップして冷蔵庫に入れておいたものを、順繰りに飲んでいる、普通に泡も立つし、まるきりおいしい気がするし、おいしく、順繰りに飲んでいる。 3本飲んだ。寝る前に少しだけ『夜のみだらな鳥』。

3月29日

引き続き疲れている。朝からはっきり疲れている。今日は仕込みもあんまりないしのんびり、と思っていたところ、最初の一時間であわや満席ということになっておどろいた、うろたえた、よろこんだ。まるで忙しい休日のスタートダッシュみたいな始まりだった、夕方まではコンスタントにお客さんがあり、夜はすっかり暇だった、けっきょく仕込みはいろいろとあり、真面目にずっと仕事をしていた、座っている時間は原稿のチェックに当てた、つまり、大真面目に一日を暮らしていた。
それから経理の作業もしていた、今月のここまでの数字を出したというか、数字を本日に追いつかせた。たぶん、このリアルタイムな感じで数字を把握しようとしているのは、疲れているからで、この疲れの対価を知ることで、そりゃあしょうがない、がんばったんだ、それにこうやって報われるんだ、疲れた分だけ売上があるんだ、よろこぼう、と思いたかったのだろう。

原稿チェック、4,5,6月のあたりを今日はやっていた。するとこの時期はすごく疲れているみたいで、疲労困憊し続けている。シンパシーを覚えた。

3月30日

とうとう野球が始まる!
これでシーズンオフまで退屈することなく生きていくことができる、と思ったが、シーズンオフのあいだも晩ご飯を食べているあいだ野球の記事を読む、ということにはまったく足りるだけニュースは配信され続けていて、そもそも退屈していなかった。野球の記事が退屈だった時期は日本シリーズであるとかの野球、ほぼ終わる、という時期と年末年始だろうか。ほぼ終わるの時期は2チームのことしかほとんど話題に上がらない感じで退屈だったんだっけか、年末年始は記事数が少なかったんだっけか。
そういうわけで野球が始まる。先に海の向こうで始まって、大谷がヒットを打ち、田澤と平野が登板し、イチローがイチローコールを浴びた。

朝、パドラーズコーヒー。桜は終わりかけで、もう葉っぱが出ていた。外のベンチでその黄緑やピンク色を、幹や枝の黒を、手前の植わっているもみじみたいな赤を、空の白と水色を、見ながらカフェラテを飲んでしばらくゆっくりしてから店に行った。なんというか、すごくリフレッシュできた感じがあった。

パンを焼いた。家賃を払った。
今日も日中はそれなりにコンスタントに来られた。夜はゆっくりになっている。
ふとまたエゴサーチをしたところ(病気)、Googleの口コミの件数が減っている。見ると、先日の口コミがまた消えていた。罵詈みたいなものはなにかに引っ掛かって消されるのだろうか。よかったような、あのままだったほうがよかったような、わからないが、とにかくなくなった。それでふと、前から思っていた、好きな店には口コミというか、星を付けるだけでいいから、付けよう、なぜなら、ひとついい口コミや評価がつくだけでなんというか、勇気みたいなものというか、なにか、支えが増えたような、そういう心地になるから、SNSで書かれるのもうれしいけれどどうしても流れていくもので、固定された、しかも数値化されてしまう場所で、星5みたいなものをつけてもらえるとそれはなんというかとてもありがたい、うれしい、助かる、そういうものだから、だから自分もそういう振る舞いをしよう、と思い、まずフヅクエから、みたいな感じで、フヅクエを星5つで評価しました、好きな店に星5つをつけていった。
と、そんな星付け作業をしていたところ8時くらいから一気に忙しくなって、満席近くになった、快哉を叫んだ、今朝リフレッシュできたためか疲れみたいなものを感じることもなく、最後まで健やかに清々しく働いた。
それにしても平日5日間、ずっと調子がよかった。3月の先週までの平日の達成率は102%で、今週は123%だった。谷川俊太郎展が終わって、NADiffのビニール袋を手に来られる方がなくなって、なぜ増えているのか。明日、土曜日。どういう日になるのか皆目見当もつかない。

寝る前『夜のみだらな鳥』。気づいたら子どもが生まれていた。

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