本の読める店

読書日記(73)

Entry diary73

2月17日

一日、なにか漠とした悲しみみたいなものに覆われながら働いていた。僕はどうやって生きていくんだろうなと、なにか薄暗い気持ちがずっとつきまとっていた。向こう3年くらいはどうにかなるような気はするけれど、5年、10年の先、どうしているのだろうか、暗闇がぽっかりと向こうに広がっている、そういうことで暗い気持ちだった、のだろうか? そんなあまりに自明のことで?

ビール、ビール。ふと「ひとの読書」を読み返していたら、なんとなく明るい気持ちになれた。大丈夫、というような。なんでだか。
ウイスキー、ウイスキー。寝る前は『新潮』の日記を読んでいた。飴屋法水、いしいしんじ、の続く流れで、両方に「コロちゃん」という名前が出てきてハッとした。響き合う日記たち。

2月18日

今日もなんでだか一日うっすらと悲しいような気持ちがあった。どうしたのか。前半、6時までは数字上は忙しく、体感は忙しくもなく、でも数字上はあきらかに忙しく、なにか僕のセンサーみたいなものは狂ったのかもしれないと思った。
夜はおののくほど暇だった。ほとんど誰もいないような感じだった。感じだったというか、そうだった。

3年はやっていける気がしている。5年後はわからないし10年後はもっとわからない。なんていうことはあまりに自明で、と思ったあと、この「向こう3年は大丈夫そう」をそのつど積み上げていくしかないというか、いけばいい、と思ったら、なんとなく、悪くない心地だった。

郵便受けに入っていたマンションのチラシというのかが、代々木八幡のあたりのマンションで、代々木八幡宮の裏で、高いところからの写真があって、それを見るとたしかにこのあたりは代々木公園のわさっとした広々とした緑エリアと、その向こうに一気にビル群という、なんだか僕は好きだねというビューがあるのだけど、「代々木5丁目 2つの資質が融合する地。」とあった。「都心に貴重なオアシスを提供する代々木公園。傍らには新宿・表参道・渋谷等点在する都心スポット。その潤い・文化・未来を生活圏に携え、間近な2駅で通勤・レジャー等の利便性も充足。その資質がこの地の魅力を物語る。」
全体に、わかるようでわからないようでわかるような感じだけど、資質という言葉がなんだか不思議。資質。

閉店後、ビール、ビール。本を少し開こうかと思いながらはてブの記事を読んでいったらサンドウィッチマンのコントの動画を見ることになりそれから笑い飯の漫才を続けていくつも見た。面白かったのでよく笑った。

寝る前、『新潮』。どの人にも暮らしがあってどの人も一日一日を生きていた。

2月19日

昼からNUMABOOKSで内沼晋太郎さんと打ち合わせおよび原稿のチェック。『新潮』の日記を読んでいると作家の人が多いためゲラがどうのこうの、みたいな話がしばしば出てきて、初校ゲラみたいな、人は簡単に専門用語みたいなものを身につけていくのだなあ、と思う。
今日は台割の話し合い、というのか、ほら出た、台割、台割の話し合いというのか、をした。すると楽しい話になった。それから投げ込みの、また出た、投げ込み、投げ込みの内容を話し合った。すると楽しい話になった。この本は、グングン楽しい話になっていく。
それから二校ゲラの、うわまただ、二校ゲラ、という言葉でいいのか知らない、今日もそんな言葉は出てきていない、二校ゲラでいいのだろうか、二校ゲラのチェックというのか。だからたぶんこういうことだ:
装丁の緒方修一さんが組んでくだすった初校ゲラに、校正のかたの赤ペンや鉛筆のあれこれが入って、それを見ながら僕がInDesign上で修正していって、内沼さんが確認して必要なところをまた修正して、僕らでは手の届かないところ、手を付けないほうがよさそうだったところ、を緒方さんにお願いして修正していただいて、それで送っていただいた二校ゲラ、その二校ゲラと初校ゲラを見比べながら、初校ゲラにピンクのマーカーで線を引いたところ、あるいは緑のペンで囲んだところ、が内容が変わっているはずで、無事変わっているのかどうか、を見た。それに伴って気づいたところを書き入れて、ポストイットを貼って、ということをした。内沼さんが先に読み、僕が次に読み、ということで3時間やって200ページだった。つまり、初校の修正作業が僕は1ページ1分だったのだけど、同じペースになるということだった、あと900分あれば終わる。900分。

4時。家に帰ろうかとも思ったが眠く、体が寒く、家にいったん帰ったら出る気が著しく起きない気がして、初台に向かった、ドトールに入って『ミッドナイト・イン・パリ』のサントラを聞きながらピンチョンを読んでいた。500ページまできた。あと200ページだ。カウントダウンが始まるなあ。

夜、営業中、『新潮』。ときどき、というか何度も、どうしてこの人の日記はこのタイミングで書き始められたのだろう、どうしてこの週を編集者は任せたのだろう、ということが起きる。一週間ずつの日記を52人の人が書いているという体裁なわけだけど、ちょうどなにか大事なことが起きている一週間なんじゃないか、と見えることが何度もある。新作の発表だとか、いろいろ。
蓮實重彦のところで強く打たれた。

なんとなく悲しい気持ちが続く。『新潮』を読んで、なにか耽るような状態になっているときだけ、その薄暗い気持ちが和らぐことに、本から顔を上げて本を置いて洗い物であるとか仕事に戻るたびに気づく。本は大切。

2月20日

悲しいくらい眠い。1時ごろまで寝ていて、起きて近所のそば屋さんにお昼を食べに出、戻り、コーヒーを飲みながら『ぴんちょう』とシンチョン読み、すぐにまた眠くなったのでそのまま1時間ほど寝た。10+1時間。まだ眠い。どうなっているのだろうか。

昼寝はアラームをセットしていて、だから安心して眠るのだけど、起きて目をうっすら開けると夜になっていて暗い天井とオレンジの光。閉じる。次に開けると白い光、まだ昼間だった。また眠る。ただいまの声。寝てる夢見てた、と言う。目覚めると誰もいない。

結婚式かなにか。高校のそうしゃべったことのない背の高い同級生と連れ立って歩いていた。かなり大回りで螺旋状に降りていく階段で、たぶんガラスの天井はあったが屋外だった、気持ちのいい光が満ちていた。歩きながら「すまんね、やっぱり都合がつけられなくて行けない」ということを伝えた、「そうだとは思っていたので大丈夫」ということだった、昔から聞き分けのいい人だった気がして、弱い記憶のなかのその印象と重なり、合点がいくというか、しっくりとした気持ちになった。階段が終わり、どうやら式場の入り口らしいところを横目に過ぎて、ちらっと見えた垂れ幕みたいなものに「司会、戻るように」ということが書かれているのが見えた、今一緒に歩いているやつが司会のようだった。しかし横目に過ぎて、その隣の大学の階段教室に入って、講義を少し聞いていこう、ということになった。入ると教室の前方というのか教壇側で、体をかがめながら机の前を通り、階段をあがって空いている席を見つけて座った、同級生が先に座り、その横も空いていたがなにも隣り合うこともないと思い前に座った。映像を流しているところだった。スタジアム。映っているのは観客席で、たくさんの歓声が聞こえた、うっすらと日本語も聞こえたが多くは英語のようだった、いや英語だとは思わなかったか。後ろから同級生が肩を叩いてきて、なにか愉快なことを言ったのかもしれなかった。振り向かなかった。映像を見つめていた。
昨日、高校の同窓会の出欠ページを見ていたことがわかりやすく影響した夢だった。しかしこの階段状のものの連発はなんなんだろうか。なんなんだろうかというか、なにによって見たものなのだろうか。『わたしたちの家』の階段だろうか。あの広々とした屋外感は恵比寿ガーデンプレイスだった。

夜から店。体がバカみたいに疲れている。これだけ眠っておいてなんのつもりなのか。疲れた。掃除をしたりしていた。
本を読む気にもならず、はてブの記事を延々と見ていた。

帰宅後、『新潮』の日記特集が終わった。最後は柄谷行人だった。

十二月三一日(日) 大晦日なので、書類・書籍の抜本的な整理を行う予定であった。が、簡単に挫折した。古い本を見つけて読み始めてしまったのである。しかし、お陰で、そこから、「力」に関して、大きなヒントを得た。 新潮 2018年 03月号』(p.96)

2月21日

昨夜いくらか飲み過ぎたのか起きたらいくらかそんな具合があった。ビール、ビール、ジン、ジン、バーボン、バーボン。
夜もたくさん夢を見た。屋上から射殺されるだかするだかの夢。いや射殺されもしなければしもしなかった、たぶん遠巻きに見ていた。同じシーンが何度か繰り返された。

懸命に仕込み活動をおこなっていた。煮物、パン、チーズケーキ、カレー。完遂。
夜、バトンタッチ。7時前から酒を飲んでいた。幡ヶ谷の水無月。前に一度連れて行ってもらったことのあったお店で、なにかとおいしかったし心地がよかった記憶がありまた行った、いちごとナッツの白和えが「わあ!」だった、どれもやっぱりおいしかった。よく飲む友人、岡山の友人、その恋人というか彼女というかパートナーというかの方、と4人で飲んだ。岡山。
とてもいい夜だった、口が滑らかで、喋るのも食べるのも飲むのも滑らかで、気づいたら眠くなっていた、もう眠いからそろそろ辞そうと思っていたところ眠いことがバレ、散会となった。10時過ぎ。
普段とことこと上がる坂道を、下って帰った。気持ちがよかった。

話しているなかで、幡ヶ谷ということもあったのか、関係なかったか、コーヒー屋さんの話になったのだったか、パドラーズコーヒーはとてもいい店だと思う、という話になった、言い出したのは僕ではなかった、それを聞いた岡山の友人とその彼女というかの方の二人は明朝、行ってみる、と言って、それで僕は「あ、でもね」と言いながら手を出したが隣の友人が続けたので待機していると彼が続けたのは、いい店だし、一度行ってもちゃんといい店だと思うけれど、でももしかしたらおしゃれなカフェ、というふうにしか見えないということも起こりうる、しかしそういうことじゃないんだ、一度行ってどうとか、そういうことではないんだ、町のなかにどう存在しているか、暮らしのなかにどう存在しているか、ということなんだ、そんなことだった。
僕は聞きながら「そう、これ、俺言いたかったのこれ」と身振り手振りで前の二人に言っていた。先日見た笑い飯の漫才でも似た場面があって、雑巾もってこい、というリフレインがあって、そこに至るところで、一人がまくし立てている横でもう一人が「そう、それ、ほんとこれ」という感じでうなずいたり指差したり苦い顔をしたり、そういうことをして「雑巾もってこい」のセリフだけ合わせて発話する、それをしばらく繰り返す場面があってとても面白かった、それと似た動きではあった。僕が言いたかったのはそう、それ、ほんとそれだった。
僕は今の生活のなかにある店でパッと思い浮かべる好きな店というのはパドラーズコーヒーとフグレンで、なんとまあ、シティというか、なんとまあという2つが出てきたものだ、という感じが、するのだけど、好きだし、僕はどちらもとてもいいお店だと思うから、だから行くのだけど、でもそこをじゃあ旅行者の人にすすめるかというとわからなくて、どちらのお店もたしかにおいしい、しかしどう見てもかっこいい、おしゃれ、嫌な見方をしたらしゃらくさい、そういうふうに捉えられやすそうで、というか僕が岡山に暮らしていた時分に東京に旅行にいって、そのときに寄ったら、きっとそう感じて終わっていた気がする。でも店という存在が暮らしに接続されたとき、それは全然違う輝き方をすることを僕は知っているというか体感している。かっこいいんだけど、全然それだけじゃないんだよ、暮らしのさまざまなシチュエーションのなかで、あ、パドラーズに行けばいい、あ、フグレンに行けばいい、と思えることは僕にとって豊かだった。

2月22日

グングンと眠かったはずだった、シャワーを浴びても眠気はまったく薄れず、それですぐに布団に入ったわけだったけど、朝見たら枕のところにピンチョンがあったから、読もうとしたらしかった、開いたのかどうかも覚えていない。小雨。

無気力。

長い時間、ピンチョンを読んでいた。カウントダウンが始まる。少し緊迫しながら読みながらも、残りこれしかないのに、まだこんな調子の話を出してくるのかい! みたいな、ぎこちないツッコミを入れながら、ズラップの話を読み、準備完了。

ところで読んでいると、こうやって一日、かなり長い時間、営業中に本を読んでいると、今と違う状況だったとき、つまり週6日間まるまる店にいて名目上は長い長い労働時間で生きていたとき、どうやって小説を読んでいたんだっけ、こうやって小説を読んでいたんだっけ、どうだったんだっけ、たとえば『10:04』とか、どんなふうに読んでいたんだっけ、と思い、日記を遡ってみようという気になったりして、でも今はピンチョンだ、ピンチョン読むんだ、というか離れられない、クラール? 準備完了。

2月23日

昨夜『重力の虹』読み終え。こんなにも最後までなにが起こっているのか、なにを巡っているのか、さっぱりわからないまま、場面場面の面白さや強さであるとかに引っ張られて読み続ける小説もめったになかった。最後、ロケット、ゴットフリートって誰だっけ? エンツィアンたちのロケットはどうなったんだっけ? スロースロップは、バラバラになってしまったんだっけ? カッチェはいつ最後に出てきたっけ。ロジャー・メキシコたちはなにしてたの? なんか4人くらいの精鋭部隊みたいな、なんかチームみたいなの結成されたけどどうなったんだっけ? ドイツの技師だかなにかの娘を取り違えながらバカンスに行った男は? ブリツェロって誰だっけ? ヴァイスマンって。 わけがわからないそのままに、ゴゴゴゴゴゴゴゴとなって終わった。ナウ、エヴリバティ——

早起き。読書日記本。ページがいくらか余るし、あると読む人がイメージがつけやすくていい、というところで写真を入れることが決まったのが月曜で、それで今日は撮影だった、フヅクエのWebの写真をお願いしている齊藤幸子さんというかさっちゃんにお願いして、NUMABOOKSの内沼晋太郎さんもいらして、撮影。僕はコーヒーを淹れてパンをこねた。
撮影終了後、内沼さんとてくてく歩いて事務所にお邪魔し、原稿の直し。次に出るという本を見させていただいた。それは見たことのないつくりで、恐る恐る触った。本というものは面白いものだなあと思った。あれも本でこれも本だった。500円の文庫も、5000円のハードカバーも、13000円の見たことのないつくりの本も、本である、というこの本の多様なありかたは本の面白さだなあと思った。

3時ごろ終わり、辞し、丸善ジュンク堂に。ピンチョンが終わったので次の小説をと思って、なんとなく「フィクションのエルドラード」シリーズの未読2冊のうちどちらかだと思っていたが、バルガス=ジョサか、キューバのやつ、ダイアモンド的な、やつのどちらかとのつもりでいたが、ピンチョンのあとにバルガス=ジョサとか巨匠続き過ぎる気もしたし、ピンチョンの次にSF的想像力とユーモアが交えられているという本もどうかと思い、ホルヘ・フランコの『外の世界』にした。それからなにかエッセイみたいなものも買おうかと思い、エッセイかどうかも知らないのだけど武田泰淳の『目まいのする散歩』にしようかと思ったら在庫なく、そのままレジに向かっていたところふと目に入った國分功一郎の『中動態の世界 意志と責任の考古学』を、ああ、今がこのタイミングか、みたいな気になる感じで目に入ったので、取った。
前からずっと気になっていたが、ずっと手を伸ばしていなかった、それが今日伸ばされたのは、その前まで原稿直しをやっていて、1〜3月くらいをやっていたのだけど、その時分にこの本のことを知って、という、それがぼんやりと、意識はしていなかったけれど、原稿直しをしながら、その時分全体のことがきっと思い出されていた、それできっとチャンネルが合ったのだろう、とあとで気がついた。

丸善を出た。眠かった。朝から何も食べていなくて、うどんが食べたかった。なか卯でうどんを食べてフグレンで読もうか、と思ったが、なんとなくこの眠い、ろくでもないコンディションで取る昼飯に、というかこのときの僕に、500円の価値はないような気がした、それでそのまま家に帰ってうどん2玉を茹でて、昆布と鰹節で出汁を取って適当に味を付けてハサミで切ったネギを入れて適当なつけ汁を作って、鍋から直接つけながら食べた。途中で飽きて、というか途中で味を変えるためにとスタンバイしてもらっていた生姜をすりおろして、それで食べた、おいしかったし満足した。
うどんを食べるときから『中動態の世界』が開かれて、読まれ始めた。面白かった。眠気に引きずられるような状態にはならなかったが、眠りたかった、それでいくらか眠った。

薄暮、店。忙しい日中だったようだった、バトンタッチして、そのあとも忙しかった。ノンストップで動き続けていた。働いている、という実感があった。そのまま閉店を迎えた。明るい気分のいい一日だった。

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