本の読める店

読書日記(71)

Entry diary71

2月3日

暇というわけではないはずだが妙になにか暇な気がする土曜日で、いや忙しかったのかなそれなりには、で、座っている、日記の推敲をして過ごしていた、それから武田百合子を読んでいた、『あの頃』、随所によかった、SNSSNSと思ったため本のたくさん折り目のついている様子を撮って各種SNSに投稿した、インスタグラムで、最近はハッシュタグをいくらか付けることに対して抵抗がなくなってきたので付けているが、「#fuzkue #初台」みたいな具合だったのだが、「#fuzkue #初台 #本の読める店」にしたほうがいいのではないかと思って、なにがいいのではないかなのかはわからないのだが、思って、それでそうした、今まではなんとなく投稿本文に入れることはあまりしないで、コメントで入れることが多かった、ふと、これは本文に入れるべきなのではないかと思った、そうしたら、この場合「#fuzkue」と「#本の読める店」は、前者はあれで、後者は数が少なすぎて、外に出る力は弱いが、「#初台」は外に向いた言葉で、それで「#初台」からやってきた人がいた場合、この「#fuzkue #初台 #本の読める店」がコメントの中に隠されている状態と、本文に地続きにある状態では、宣伝としての効果が違うというか、ほうそうか、初台にはフヅクエという本の読める店があるのだな、と知ってもらうことができる、と、これはもしかしたらものすごく常識的なことなのかもしれないけれども、初めて考えた、「そうか!」というふうだったので、コペルニクス的転回だった、コペルニクス的転回とはどういう意味なのかはわかっていなかった、しかしWikipediaを見たところ「物事の見方が180度変わってしまう事を比喩した言葉」とあるからそう間違いでもなかろう、つまり、これまでハッシュタグというものは流入のためのものだと思っていたのだけど、ある種のプロフィール欄、自己紹介欄としても使えるということだった、だから、本文には毎回「#fuzkue #初台 #本の読める店」を入れて、その他の「#読書」であるとか「#武田百合子」であるとか「#naparbier」であるとか、そういうなんか流入目的みたいなものはコメントとして入れる、のがいい、ということだろうか。「だろうか。」と打って笑った。だろうかじゃないよというか。まあいいか。

閉店して、疲れていて、なんでか、エアコンのフィルターの清掃をおこなっていた。半年前くらいだろうか、短いホースを買ったのだが、ホースというものはものすごく便利だ、ホースがあればエアコンフィルター清掃なんてへっちゃらだった、ぴゃー、で終わりだ。
ジンを飲んで、ジンを飲んで、それからバーボンを飲んで寝た。百合子とともに……

2月4日

昨日はピンチョンではなく武田百合子を持って帰って読みながら寝た。

あの頃はボールペンなどなく、武田はGペンにインクをつけて、ひっかくように原稿を書いていました。昆虫の肢みたいにはね上る癖の字体で、あの頃は部屋数も少なく、武田が仕事をしているすぐそばにふとんを敷いて私は寝ていました。夜中に眼がさめて、ペンのきしむ音をじっと聞いていると、武田が千里の彼方に遠ざかって行く気がしました。 武田百合子『あの頃』(p.250)

15時、満席だった。16時半、お一人だけになった。変な日だ。
結局は悪くはないが体感としてはとても暇な日曜日になった。やることもなくなり武田百合子とピンチョンを読んで暮らしていた、余力があったので帰って髪を切るというか刈った。ここ10日ほど今日やろう今日やろうと思いながらずっとなにか逸していたのでやれてよかった、いつになく伸びた。

2月5日

ここ数日、皮膚がまた悪い状態になって、前回は風邪のあとの何かバランスが崩れたのかと思ったが現在は元気だから、これはなんだろうとなった、とにかく薬が必要なので早起きをして皮膚科に行こうとしたところ、早起きにならなかった、しかしやはり今日薬が必要だと思ったため意を決して皮膚科に行った、診察室にはどうやら製薬会社の営業マンがいるらしかった、先生の機嫌を損ねたのか、何度もすいませんと言っていた、営業マンと交代するかっこうで診察室に入った、先生はいつもよりも何か説明をしてくるというか、持論を展開するような調子があった、いくらか高ぶっているようにも見えた、営業マンに不満かなにかをぶつけたところ話すことが勢いづいたのかもしれなかった、持論を拝聴した、それで薬を処方してもらって隣の薬局で受け取り店に行き、急いで準備をした、コーヒーを淹れる時間はなかった、コーヒーを飲めない朝なんて朝じゃない。であるならば、僕が過ごしたそれは、なんだろうか。

そういう日に限って始まりにトントコお客さんが来てくださり、おやまあ、と思った、いくらか慌てたりしながら過ごしているとすぐになにもなくなった。煮物も作り、和え物も作り、味噌汁も作り、今日はそれでいいかと思っていたが、妙に眠く、しかたがないのでカレーの仕込みを始め、チーズケーキも焼くことにして材料を出したりしていた、勤勉だった。

2月6日

昨日の夜、ふと、というか前からなんとなくは思っていたことだったが、昨日の夜に腰が勝手に上がり、メニューというか説明書きを作り変える作業を始めた、作業というか、わりと文章を一から書くようなところもあり、けっこうなことだった、それを昨夜始めて、始めてみればそうなることは自明だったがドハマリして、帰宅後も遅い時間までやっていた。
今回の変更の主眼は、より「本を読める店」を求めて来てくださった方に向けた言葉、どうぞいい時間を過ごしていってくださいという、そういう言葉で満たすこと、それを推し進めること、明るく突き抜けること、明るく突き抜けた結果としてこの場所での時間に興味を持つ気のない人を無力化させること、みたいなところだった。けっきょく、先週の諍いみたいなものが尾を引いているということだ。読まなかった? 知るかよ。あなたが読もうとしなかっただけだろ。それをよりはっきりと言えるようにすること。というよりは、ということではあるが、というよりは、最大の防御は攻撃のような、最高の復讐は幸せになることのような、そういう感じで、白痴のような顔をして、え! なんですか! だってほらみなさん、いい時間過ごしてらっしゃるじゃないですか! あなたもいい時間過ごしていったらいいじゃないですか! とってもいいですよ! ここは!と言い放つこと。
露悪的だ。これはやっぱり半分か半分以下だ。花束のような、言葉を、向けること、だ。前向きな変更。明るく強く開かれること。
これまでも、3年半くらいか、年月を掛けて、少しずつ説明書きはブラッシュアップされていって、変更ごとに「見違えるほどわかりやすくなった! これで誰しもに十全に伝わる!」と思っていたわけだけど、そして毎回、これで完璧、これ以上にわかりやすくかつちゃんと余さず伝えられる様式は見当たらない、と思ってやっているわけだけど、毎回、まだいけたんだな、となる。今回はけっこう大きく、パッと見で変わった。
というその作業を、今日も開店前から気づいたらイラレをいじっているような感じで、店が開いてからも、幸か不幸か、いや不幸だ、昨日の夜もひどかったが引き続く感じでからっきしの暇な日で、ずっと僕はパソコンにへばりついていた、かなり長時間やっていた、夜になって、やっと、これでいいのでは、というところまで辿り着いた。
プリンターのトナーがたぶん終わりかけで、いくらかかすれるようなところが見られたので昨夜、替えのトナーをポチった、それが届いたら、印刷し、まとめ、差し替える。早くそうしたい。

それで、そんなものだから、昨日の寝る前は寝入るためにというので武田百合子をいくらか読んだが、今日も読書というモードには当然、ならなかった。夜、やっと手から離れて、それで手はすいていて、というところでピンチョンを開いた、最初のうちは「あ、そういえばあの箇所」と思い出してまたイラレに向かうような、そういうことを繰り返していた、取り憑かれているな、そう思っていが、驚いた、シュプリンガー救出翌日の女将の船の場面から、アヌビス号との対面、そこからどういった経緯なのか全然わかっていないけれど突撃、船の乗り換え、探索、元の船への帰還、という展開になり、そこがひたすら面白かった、かっこよかった。

調理室の外でジャガイモを剥くコック。フロックコート姿のまま飲んだくれて雨の甲板で眠りこんだ者が、船の揺れるままにツーッと滑る……ああ—— ヤー、ヤー、彼女の肘の脇には大きな青い花器に入った千切りポテトが、窓が、螺旋の茎の上に咲く白一色の銑鉄の花が、流し台の下から届くキャベツと布巾の微かな匂いが、彼女の腎臓の辺りできっちり快く結ばれたエプロンの結び目が、脚の周囲の子羊の肉が、オー、ヤー、あの小さなリトル ——ああ——来るぞ、来る来る、あのかわいいリトル——AHH——
オットー! 船はアヌビス号に激突した。凄惨きわまる、耳も裂けよとばかりの呼び声・・・
「スタンバイ」シュプリンガーは立ちあがっている。プロカロフスキーがアヌビスの向きを逸らし、エンジンの回転を上げた。グナープ女将が追いすがる。みずからの航跡で船体を揺らしながら相手の右舷をうかがう。オットーが引掛け錨を手渡す。(…)

スロースロップはハッチをくぐりラダーを降りて、機関室へ向かう。どこか頭上で三つベルが鳴った。ゆっくりとした、やや空虚な、かすかにエコーのかかった響き。それが告げるのは遅い、遅い、時刻。・・・ここはどこだ? 記憶が戻った。 トマス・ピンチョン『重力の虹』(p.252~256)

めっちゃかっこいい。笑っちゃうくらいかっこいい。かっこいいかっこいいと思うたび、ほんとすごい翻訳だなと思う。すごい。

閉店時間が近づいてきて、腹がひたすら減った、食べるものはいろいろあったが、なにかもう一品食べたい気がした、ナスが1本あり、椎茸が小さいのが2つあった、それでなにか、と思ったらチーズでみたいになって、フライパンにクッキングシートを敷いてナスを切って椎茸をちぎって、長ネギも入れちゃおうと思って長ネギも切って、まな板は使わないで直接切り落としていった、まな板を洗うことを面倒臭がるなんて。それで蓋をして、火が通った感じになったら全体的に裏返して味噌とオリーブオイルと醤油と味醂を混ぜたものを掛けて、チーズを掛けて、蓋をして。というものをこしらえた。検索したら出てきた作り方だった、それはケチャップとかだったが。
クッキングシート。夕方は餅を食べた、そのときもフライパン&クッキングシート&蓋だったが、クッキングシートというものと今まで親しんでいなかった身なので、クッキングシートとはいったい何者なんだ? という気になる。ずいぶん便利な者だ。という答えが帰ってきた。ありがたい。

2月7日

昨日の夜は妙に、明日はゆっくり寝ていられる! と思ったら眠るのが惜しくなった、酒を飲み、ピンチョンをたくさん読もう、と思っていたらなんでだかネットを延々と見ていて、はてブのホッテントリの記事をいろいろと読んで暮らしていた、糖尿病の診断をされた若い芸能人とその食生活を監視し助言する医師の記事を読んでいたらいたたまれない気持ちになっていった、3時半を過ぎてやっと、ピンチョンを開いて、そうしたらすぐに寝落ちした。

11時前に起きると最初に、イエジー・スコリモフスキの『早春』、これは僕は見たことがなかったものだろうか、それを調べるにはEvernoteが手っ取り早い、と思ったらログインできなくて、予告編を見たらよかろうか、と思ってYouTubeで予告編を再生したら、最初のカットでこれは見たことがないはずだ、とわかったため止めた、おすすめのようなところでKid FresinoとSeihoのライブのMVがあり、それを見、次のおすすめでC.O.S.A.のインタビューというものがあったので見た、インタビュアーはKid Fresinoだった。地方に行くと地元に思いを馳せる、パーティーが続く限り自分は朝まで遊ぶ、そういう暮らしをしている自分の歌は地元の友だちに届くのだろうか、彼らは家庭を持って、夜遊びはしなくなっている、申し訳なさじゃないけれど、俺の歌が届くのだろうか、そう思う、というようなことをC.O.S.A.が言っていて、やっぱり好きだった、それに対するKid Fresinoの返答もまたよくて、仕事とは思えないですか、というものだった。この二人はやっぱりとてもなにか好きな二人だと思った。これだけじゃ、食えてないからさ、とC.O.S.A.は言った。

それはまだ布団の中だ。『早春』の席を取り、やっと起き上がり、外で煙草を吸い、コーヒーを淹れた。飲んだ。家を出た。
恵比寿はなにかやや遠いような印象があったが、富ヶ谷の交差点のところで建築中の高層のマンションが青いカバーをぴっちりとまとっていて、その背景の空も真っ青だった。建物になるものの脇には工事の人たちを乗せるためのエレベーターが設えられていてそれが上昇していた。
まっすぐ、走っていけばだいたいそれでよかった。道玄坂のてっぺんのところを抜け、代官山を通り、信号でなめらかに右に曲がって左に曲がれば恵比寿があった、ガーデンプレイスの駐輪場に自転車をとめて歩きだすと、ママとちびっこという組み合わせがいくつもあった。久しぶりのガーデンシネマだった、いつ以来だろうか、まったく思い出せない、ガーデンプレイス自体は写真美術館や恵比寿映像祭で何度か来てはいたが、ガーデンシネマにはずっと行っていなかったような気がした。それで『早春』を見た。

頭がとろけた15歳が主人公の映画だった、まあ、とろけるよなあ、というふうだったが、だんだんもういい加減にしろよ、と思ったりもしながら、映画を見ている! という喜びを強く感じながら見ていた、そういう強い豊かな映画だった、それは、あともどりのきかない映画だった、赤いペンキで塗り直される壁、積もりはじめの雪道につけられる車輪の跡、宝石の紛れ込んだ雪を溶かす作業、どれもあともどりのきかないものだった。
それにしても最後はだいぶ少年は鬱陶しかった。いやいやいや、せっかく宝石見つかったのにそんなんしてたらまたなくすから! とハラハラしながら見ていた。美しい、悲痛な、いやしかし痛みなんてそこはあったのだろうか、ラストシーン。すごかった。
上映前にチラシを見ていたらダイアン・キートンの映画が春頃にやるらしく、ダイアン・キートンだあ! と喜んでいたあとだったのだが、『早春』のヒロインの女性はなにかどこか僕にはダイアン・キートンだった。いい顔。

映画館を出て逆方向にガーデンプレイスを歩いていると谷間というか階段をおりたところに広場があってその上に巨大なガラスのアーチが掛かっていて、その向こうがわりと広い空だった、そんなにビルに邪魔されないような、そういう空があった、それで自転車を取って進んだことのない方向に進めていると、恵比寿のこのあたりというのは一段標高が高いところだった、丘だった、ということが始めて知れた。だからあれだけ広々見えたのかと、坂をぐんぐんくだりながら気持ちがよかった。
うつわ屋さんに寄って、それから駅前のそば屋さんでかき揚げそばを食べて、家に帰った、ピンチョンをいくらか読んで、ソファに仰向けに寝そべりながら読むには重い本だった、寝た。
起きて、店に行き、仕事をしていた、シロップを作ったりピクルスを作ったりしていた、だんだん気分が塞いでいった、ガサガサした、刺々しい気分にもなっていった、それで11時過ぎ、誰もいなかった、ショートブレッドの生地を作りながらC.O.S.A.のEPを聞いていた。やさしい。

2月8日

塞いだ気分は続いていて昼から延々とノンストップでひたすら仕込みをしていた、お客さんはとんとこ来られた、なんだかしっくりこない日だった、けっこう、猛烈な勢いで仕込みをしていた、そうしたらヘトヘトに疲れた。
夜は映画にまた行こうかと、恵比寿にまた行こうかと思っていたが、ガサガサしたピリピリした塞いだ気分は違うことを欲していた、友人に連絡したところ捕まった、飲むことにした、飲みに行く前にコーヒーを飲みたかった、おいしいコーヒーを飲んで、なんだかリセットというかおろしたかった、首のあたりの、喉のあたりの、胸のあたりの、気分を、すーっと、おろしたかった。飲むのが新宿だったため、渋谷だったらフグレンに行けばよかったが、新宿だったため、どうしようか、と思い、ポール・バセットに行くことにした、それで入った、入り口がわからなくなった、ポール・バセットは夜はこんなにもというくらいにほぼピザ屋で、ピザ屋なのかわからないがイタリアンかなにかで、コーヒー飲めるのかなこれ、と思ってコーヒー大丈夫ですかと聞くと大丈夫だという、ドリップコーヒーをお願いした、そのやり取りも、声が通らないほどだった。
コーヒーを飲みながらピンチョンをいくらか読んで、それから飲みに行こう、と思ったのだが、持ってきてよかった、これは小説に入れる状況じゃない、武田百合子を開くことにした、と、思ってから、まずパソコンが開かれ、昨日の日記とここまでの日記が書かれた、ている。
先ほどふと、いや、『わたしたちの家』また見たいな、という気がムラムラとあがってきた、それで友人に「見ました? 行きませんか?」と送った、自分の欲求で約束をひっくり返す。と思ったが、自分の欲求以外、いったいなにが必要だというのか。

2月9日

『わたしたちの家』を見た、新宿から渋谷に自転車で移動して、北だと思っていたら西だった西参道のところから明治神宮と代々木公園の敷地というのか、に沿って下っていくと気分がよかった、道はなんだか妙にデコボコしていた、お腹が減っていたのでファミチキを買って食いながらユーロスペースまで向かった、先日見たときはセブンイレブンでなにかチキンを買って食いながらユーロスペースまで向かったから、似たようなことをやった、それで上映開始まで30分くらいあったのでベンチに腰掛けて武田百合子を読んでいた。
近くで立ち話をしている3人組があって、卒制が落ち着いたらどうするの? と女が男に聞いていた、男は後輩のようだった、大学の助手の話はあって、それか今からなにか探すというのもありえるし、あとは起業ですね、ということだった。起業は、もう一人の男が考えていることらしかった、そこにだからジョインするというそういう話で、「xxxがいるなら俺はついていきたいです。こんなこと言うのもあれですけど、xxxのことは人生で出会った人のなかで一番信頼している」と言った。いい場面を見ることができたと思った。
友人らと落ち合い、それから期せずしてこんばんはというのもあり、それから映画を見た。
やっぱりひたすら面白かった。鏡が前半、やはり目によく入ってきた。せりが化粧を落とすところまでどんどん鏡が高ぶっていって、それ以降は一階の最初鏡だった引き戸の一部もすっかり褪せて、鏡として機能することはなくなった、ような気がした。花瓶は、僕はまるで見えなかった、映画のあとに聞いて興奮した。せりの家のぽてっとした花瓶がある一方、さなの方には似た形のしかし細い、花瓶があったという、それが、あの緊密なクライマックスで割れたあと、だから最後、台所に白いまったく違う花瓶が現れていたという。花瓶のサスペンス、僕には全然見えなかった、そういう、それぞれ見ているものが違うというのは本当に面白かった。

映画が終わり、自転車を引きながら複数人でぽやぽやと、ああだこうだと、渋谷の奥のほうに向かって歩いて、アイリッシュパブに入ってビールを飲んだ、志賀高原IPA、キルケニー、湘南ビールの黒いIPA、よなよなリアルエール。酔っ払って、なんだかとても愉快な楽しい時間だった。結果として、正しい向きに着地した、正しい楽しい向きに着地した。映画を見たくなってよかった。見られたよかったし見たくなってよかった。
日記の話になった、いろいろな日記の名前が出てきた、思い出せない、『天文台日記』、『ウォーホル日記』、あとはなんだったか、『遊覧日記』、
『遊覧日記』は友人がそのときに持っていたものだった、武田百合子。見させてもらうとエッセイのようだった、『あの頃』では今はテレビ日記みたいなコーナーを読んでいるが、これは冒頭が「x月x日」となっていて、それがあるかないかだけで僕の構えはそうとう違うみたいだった、日付けに囲まれていてほしい、日付けに囲まれたものが読みたい。
武田百合子といえば、なにかムック本が面白いと言っていたな、と今調べたら『KAWADE夢ムック 文藝別冊 武田百合子』というもので、ポチった。読むかはわからない。

今日は店に行ってショートブレッドを焼いて、トンプソンさんと歓談したのち家に帰った、うどんを食べようと思い、うどんはあったので、スーパーに行って豚肉と長ネギを買ってきて、フライパンに豚肉はそのまま、長ネギはまたまな板は使わず宙で切って落とし入れて、冷蔵庫にあった白菜はちぎって、それで蒸し炒めにしてから調味料とお茶パックに鰹節を詰めたものを入れて簡単な出汁を取るみたいな感じで、入れて、煮て、それでうどんを大量に茹でて食べた、腹が膨れた、昨日映画館で買った『『わたしたちの家』について』を読みながら食べた、昨日は一人がその本を買っていて、「なんですかそれは」と聞いたら、「なんだかわからないんですが」ということで、わからないまま買って、またひとりが「なに?」と言って、「や、なんだろう、なにか」と答えると買って、というだれも何かわからないまま買う連鎖が起きていた、僕は買うときに「サントラってあったりするんですか」と何の気なしに尋ねたらあるということだったので、なんとなく勢いがついてサントラも買ってしまった。
昼食を終えるとソファに横になってピンチョンを開いた、下巻に入ってから素直に楽しいというか、上巻はいま何が描かれているのかまったくわからない、みたいなこともしばしばあったのだけど、下巻に入ってからはそういうことが少なく、素直に楽しい、うれしい。

夜、暇、主に仕込み。閉店後、ご案内文章の推敲をして印刷をした、途中でコーヒーを淹れて飲んだ、途中でトナーを替えた、替えた途端に「トナー切れ」のエラーが出てしばらくうまくいかなかった、印刷を終えると3時になっていた、眠くなった、ホチキス留めして製本テープを貼って差し替えるのは明日やることにした、それで帰った、それにしてもこの勢いというか、また出た、こうあるべきだ、と思ったら、そうではない現在の形があまりに不完全なものに思え、一日も待つことができなくなる、不完全な形のまま営業してはいけない、恥ずかしい、そういう気分になる、それに突き動かされてこうなる。毎回、これで完璧だ、これ以上の形はない、と思う、それは毎回、次のものが出るたびに、不完全だ、こんな形ではやっていられない、となる、この、何年にもわたるアップデートの連続というか、そのつどの「これだ!」という全身での完全な理解みたいなもの、の連続は、なんというか、強いなと思った。
という、満足な気分のなかで、ウイスキーを飲み、武田百合子をいくらか読んで寝た。

真昼間、大快晴の荒野で馬車が襲われて老人が死に、娘が犯される。耳がつんぼになったかと思われるほどの静かさの中で、そんなことがぽつりと行なわれる。馬が倒れる、人が倒れる、土煙をあげて馬上の人が去って行く、近づいてくる、——ふわふわ、ふわふわと、静かである。 武田百合子『あの頃』(p.342)

テレビで見た映画の描写だけでなんというかこんなにもいい。とってもいい。 「テレビ日記」ではペキンパーの映画のことが何度も出てくる、ペキンパーがたくさんテレビで放送されていた時代があったのだなと思うと新鮮だった、でももしかしたら僕が小さいころの平日午後の洋画劇場みたいなものでもやっていたのかもしれなかった、荒野感はある映画がよく流れていた気はした、知らずしてペキンパーを見て風邪で学校を休んだ日、過ごしていたのかもしれなかった。

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