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読書日記(68)

Entry diary68

1月13日

手の壊れ方が尋常でない、いつもは指の節というのか手というよりは指がパクっと割れるのだが今回は甲が広く変におかしくなっている、これはあかぎれではない、ただの肌の失調だろう、あかぎれでも失調でもどちらでもいいが痛い、お湯に触れたあとなどは広く赤い手がある、思い出す顔がある、どうしているだろうか、どうやって生きているだろうか。

忙しい日だった、ヘトヘトになる様子で働いた、それでも原稿直しを60枚やったし経理の作業もやっていたから感心なところだった、どうしてそれができたのかがわからない、チーズケーキは2台焼いた、スープも作った、よく働いた。
よく働いたなかで昼間に起こった怒りに震えることはすっかり印象の奥に埋没した感があったが思い出した、予約をしていた女性が来られて見ると後ろに男性がいてだから二人で、席はあったからまあ別にそれはよくて、おしゃべりできないのは大丈夫ですよねと念のため確認すると大丈夫だとおっしゃるのでお好きなところへどうぞと言ったところ、そのときはちょうと二つ続けて座れるところはなかった、するとその女は「予約したのになんで離れ離れなんですか」と言った、やや笑いながらだった、「え、予約はxxxさんでしか受けてないですが」と答えた、なにも言わないまま二人は帰っていった、僕はそちらを見もしなかった。この「予約一つで二人で来て結局帰る」という場面は年末にも見たし日記にも書いたなと思い出した、帰る人間を見もしないという僕の反応も同じだった、気にしてもいないような、気づいてもいないような顔をしながら僕はコーヒーを淹れ始めたが手は怒りに震えて、「震えている」と思ったら笑いそうだった、全部が腹立たしかった、後悔した、「どうして二人分席を用意しなくてはいけないんですか」と笑いながら言えばよかった。「どうしてあなたの予約を見て僕が「ご予約だ、よーし、二席確保しておくぞ〜」と思わないといけないとお思いなんですか」。あいつらはどうせ感じが悪いとか不親切だとかそういうことを出たあとに言ったのだろうけれどもあいつらが間違っているということを僕はちゃんとわからせたかった、わからせられなかった自分にも腹が立った、それから予約をして来て無言で出ていくという完全な非礼をあいつらは非礼とも思っていないのかもしれないけれどもそれがどれだけクソみたいな人間がするクソみたいな振る舞いなのかをちゃんとわからせたかった、わからせられなかった自分にも腹が立った、席が空き次第横並びになればいいとは思っていたが、どうしても二人で並んでじゃないと成り立たないなんていう過ごし方しかできない二人組なんてそもそもお呼びじゃないんだよ、どこかに行ったんだろうけどよそでさくっと代替できるような場所をやっているつもりはないんだよ、と思った、クソみたいなあいつらの一日がクソのようなものになればいいと積極的に思った、
というそういうことを震えながら思いながらコーヒーを淹れて、深呼吸をして、それから働いた。忙しくてそれらの怒りはすぐに忘れた、覚えている価値もなかった、とてもいい一日だった。どの人もみな、静かに一人のいい時間を過ごされていた。本当にこの場所がつくる光景は美しいなと思った。ここに立っているとき、こういうふうに過ごしてくれる人たち以外に回す愛は持ち合わせない。

それにしても、このような、怒り、こういったものを、

1月14日

ここのところ目覚めが悪い。風邪を引いてからは家の酒を切らしていることもあるがアルコールを摂取しないで寝る夜が多いのだが、目覚めが悪く、なかなか目が開かない、この調子を見るにつけ酒は夜はちゃんと飲んだほうがいいのかもしれないと思い昨夜はシャワーを浴びたあとにコンビニに行って、しかしなにを飲めばいいのか、と思い機能上の理由から250ccほどの白ワインにした、おそろしく甘かった。それでピンチョンを読みながら寝た。今、しばらくスロースロップの話が続いている。今までなかった持続だった。これはスロースロップの物語になるのだろうか、ともあれ面白い。昨夜はだから酒を飲んで、これでいい朝が迎えられるかと思った、しかし今朝もまた目覚めが悪かった。酒を飲んでも飲まなくても目覚めが悪いなら今は別に飲まなくてもいい時期なのかもしれない。

それよりもずっと強い懸案は手だった、手が痛い、これはひどい、というか風邪を引いて以降、全身がなにかアトピーらしい様子に久しぶりになっている、皮膚が全体になにか薄く弱い傷つきやすい状態になっているような感じがある、お腹であるとか肩のあたりであるとか、ここのところなかったような箇所に炎症が起きている、少し搔くとポコッと小さく穴が空いて血が滲む。手の壊れも体全体のおかしな状態のあらわれのひとつなのかもしれない。
朝、店に着いて最初に尹雄大を読んだ。

忙しい日となって快哉を叫んだ。なにかとスムースに運行した感じがあった。途中途中で、これはやはり知っていたけれどもそれにしてもなんてすばらしい美しい場所なんだろう、とやけに感動するタイミングがあった。こうやって3年以上も毎日のように立ち続けていてなおもこの場所に感動できるということにまた喜びを感じた。いいことだった。
それにしても全身がボロボロだった。終わり、ヘトヘトになり、もう体と関わりたくないと思い、嫌気が差し、ビールを飲んで帰った、それからピンチョンをいくらか読んで寝た。

1月15日

仕込みが思った以上にあって予定がいくらか狂った、予定は午前の診療時間中に皮膚科に行って、というところだったがそれは午後にすることにした、バスに乗った、尹雄大の『やわらかな言葉と体のレッスン』を読んだ、バスを降りるまでに読み終わった。南台交番前から島忠ホームズまでを歩いた、これまでは自転車で来ていた場所だったが、木材を持って自転車を漕ぐことへの不安というよりはとても軽いというものではないだろうものを持つことで手に負担を与えることを恐れたというか、手に仕事をさせたくなかった。ポカポカとしていて日向に出るとあたたかだった、日陰にあっても気分のいい空があった、そば屋さんがあって電光掲示板というのか文字が流れていく看板みたいなやつで、「当店」とあって、次に「3つの」とあった、「こだわり」と出て、それから「そば」と出て、「うどん」と出たところで笑って「にコシがある」でその下を通過した。今のが1つ目だろうか。それとも2カウントだろうか。道路をまたいで右手には車両基地があって電車が寝ていた。地図で見ると線路がふぁーっと広がって木のようになっていた。
ホームセンターでは板を買った、ラワンかと思っていたがパイン材かなにかにした、カットしてもらっているあいだに下穴を開ける錐みたいなやつとサンドペーパーをカゴに入れた、買った、取っ手をつけてもらった、板を機械のうえに置いてボタンを押すと白い硬いやつがビーッと出てくる、それを板の上に回して下に通して、輪っかの下に手を置いてまたボタンを押す、手が軽く締めつけられて見ている僕はビクッとする、それで取っ手をつける遊びをつくるらしかった。それを二本やって、取っ手をつけた、片方が板が2枚あってもう片方が1枚で、だから重い2枚側の方に近づけて取っ手をつけた、「こっちですよね?」「え、ですよね」というやり取りを経てのことだった、取っ手をつけたやつを渡してきながらおばちゃんは「あれ、やっぱり逆だったかしら」と言い、「え、これで大丈夫じゃないですか」「大丈夫ですよね」と言った。またバス停まで歩いた。
帰りのバスでは『AM/PM』を読んだ。

降りて、皮膚科に寄って、皮膚が全体的に弱くなっている旨を伝えた、珍しく体を見せた、いつもの処方と変わらなそうだったのでなにか内服薬はもらえないかと言ったところビタミン剤を処方してくれるとのことだった、B2、B6。
そば屋の表示を見て呼び水となったのかそばを食べたい気になりそば屋に入ってかき揚げそばを食べてから店に戻り、屋上に行って板のヤスリがけをしてそれから塗装をした。荷物置き場にオイルステインが残っていたのでそれを使えば、と思ったが、意想外に少ないようだった、最初に開けたのはオスモカラーのサンプルのものだった、それが2つあった、これで意外にいけるんじゃないか、と思っていたが、最初の一袋を開けてウエスで伸ばしたらまったく伸びず、ぼつぼつと汚れただけみたいになって笑った、それで缶の塗料を適当に撒いて、それを伸ばしていった、それも片面を済ませたらほとんどなくなって、裏面はだから極めて適当にやった、それから表面にまた戻してしつこく塗った、薄い色のついた板ができた、薄かったしそれで構わない気はしたが、設置してみてあまりおかしいようだったらコーヒーでも塗ってみたらいいのではないかと思い満足した。

時間がまだあったのでドトールに行った、隣の席でネットワークビジネスらしいミーティングをしていた、Facebookを通してなにか勧誘するらしかった、MAとはなんだろうか、誘おうとした人のSNSの投稿を見たらあっちも多分人脈作りをしている人らしく、そういう人を誘ってもいいのか、そんな相談。若い女はせっせとメモを取っていた、教える立場らしい女は「宿題、OK? そしたらよろしくね」といって颯爽と帰っていった、ネットワークビジネス界の颯爽wwwと思った。ドトールでは原稿直しを1セットおこなった、それから物販コーナーに置くパネル用のデータをイラレで作った、結局ずっと仕事というか、仕事みたいなことをしている。夜、暇だった、一日通して暇だった、印刷してハレパネに貼りつけてカッターで切ったらとても見たことのあるやつができた。そうか、こういうものはこうやって作られていたのか、ということが知れた。学び、喜び。それから原稿直しをもう1セットおこなった。1,040ページまで済んだ、残りは1セットだった、60ページ。
閉店後、やはりやりたくなったため板を設置した、設置したといっても夜中にビスをバキバキ打つわけにもいかないので下穴を開けて軽く留めるというくらいに打った、そこに照明を当て、パネルを置き、本とコーヒー豆を置いた。するとそれは売り場だった。とても満足して、それからなにか寂しい気持ちになった。

1月16日

朝、物販コーナーのビス打ちをちゃんとした。昨夜ビスを漁っていたら黒染めされたいい感じのビスを見つけたので、それは必要以上に長かったが、それを打ち込んだ、それはズドドドドドドという音を立てながら中に挿入されていった、つまりV2のように。黒染めビスは劇薬によって作られる。東急ハンズで身分証を出して買う薬剤に、きれいなビスを浸けこむと黒い褪せたビスが生まれる。3年以上前の話だった。それを打った。
朝、煮物を作っていたらふいに□□□ の「いつかどこかで」を聞きたくなった、それまでは朝やはりふいに「Fuck Your Ethnicity」を聞きたくなってケンドリック・ラマーの『Section.80』を流していた、止めて、□□□を流した。昨日こねて一枚の平たいやつにして冷蔵庫で寝かせていたショートブレッドの生地を包丁で切り分け、フォークでショートブレッド的なしるしをつける作業をしながら、聞いた。そうしたらなにを思うわけでもなかったのにどんどん感動してしまって、目頭が熱くなり、それから涙があふれ、こぼれ、それから止まらなくなった、小刻みに動く肩を制御する必要に迫られた、曲が終わって深呼吸して、再生を止めた、もう音楽は要らなかった、というか上書きしたくなかった。横にいたひきちゃんが「なんですかこれは、いい曲ですね」と言うが、しばらくなにも返せず、声を震わせながら「いやあ、もう」としか言えなかった、ダメだ、「俺はこれ聞くとどうにも感動しちゃってさ」と言った。まさか泣いているとは思わなかったのか、ひきちゃんはどう反応したらいいかわからないような反応を見せた。それから曲名を教えた。あとでLINEで改めて問われたので改めて教えた。

昼過ぎ、店を出た、器○□まるかくに行った、スープのハーフサイズを出そうという話が前からあって、それにちょうどよさそうな、いやこれは大きいだろうか? というかっこいい器があったからそれと、箸置きと、スープスプーンを買った、それからすぐのところにあるフレンズに入った、レストラン喫茶フレンズ、ナポリタンを食べた、友人のインスタで見かけたことのある店で、メニューがおそろしくいろいろあった、なんとなくナポリタンにした、この店の正解はなんなのだろうか、食べるべきものは、と思った、夜その友人に会った際に聞いたところ、答えは「ナポリタン」だった。ご名答だった、おいしかった、お腹もそれなりに膨れて東急百貨店の丸善ジュンク堂に入った、まず行ったのは文具コーナーでマスキングテープをいくつか取ってカゴに入れた、それからどうしようかと、しばし考えたが、考えはほとんど先に決まっていたようなものだった、武田百合子の『あの頃』を取った、それで会計を済ませた。
それから自転車にまたがりSPBSに向かった、PUNPEEのアルバムが流されていた、あれこれ見て、岡田利規の『三月の5日間[リクリエイテッド版]』が目に入ってそれを買った。小説、戯曲、DVD、そこに戯曲その2、だった。「三月の5日間」はコンプリートされるべきものだった、僕にとって、それは大事すぎるものだった。そうだった、二人はここまでは来なかった、円山町だか道玄坂だかのホテルにとどまり、途中で行ったのもセンター街だった、神山町のほうには彼らは出なかったし、出る用事もなかった。でも僕は知っているけれど渋谷から神山町の方向に帰るというのは、二人の旅行と同じ方向感覚だった。僕はそれを知っていた。この経路を辿るときに何度もそう思ったから、僕はそれをよく知っていた。

またフグレンだった。またフグレンに入って、おいしいコーヒーをもらって、ソファが空いていた、座った、そこでパソコンを出して送るべきメールを2通作り、それから「ひとの読書」の企画書を作った、次に話を聞きたい方に送付した、それでもう夕方だった、その前に一服しに外の縁側に出て座ると、黄色い、乳白色の、光が、わーーーっと建物のあいだから面として差しこんできて、それはひとつ感動的な光だった。夕方だった、おかわりをもらって武田百合子を開いた。のっけからパンチラインが続出した、武田泰淳の死のわりと直後からの文章だった、エッセイのなかで百合子は泰淳と生きていた、胸が苦しくなるような感動があった。
一度家に帰り荷物を置き、ミックスナッツを貪ってから家を出て電車に乗った、高田馬場まで出てスタバに入って紅茶を飲んだ、『重力の虹』を読んでいた、なんなんだよ唐突にSMかよwwwと笑って読んでいたらそのままスカトロに突入して、はっきりと気持ち悪くなった、それから、最初からそうだったが、体がだんだんモヤモヤしてきた、体がどこにも落ち着かない、据わらない感じがあった、肩がずどんと重い。どれだけ首を回しても、コリコリと指で押してみても、腕をストレッチしても、その気持ち悪さは消えなかった、この感覚はよく知っていた、夜になってスタバを出て歩いた、歩きながら今度は呼吸が苦しくなってきた、喉が狭くなるような感覚だった、そうなることもすでに知っていた、この感覚がこの強度で持続するならばパニックになるだろうなと思った、落ち着けるために横断歩道と横断歩道のあいだの広場の喫煙所で煙草を吸った、気分は悪くなるだけだった、これは普段は夜中に陥るものだった、夜7時に、これは珍しいことだった、そのまま線路沿いに折れて木々家に入った、よく飲む友人と、とても久しぶりのいくらか年上の友人がいた、それからもう一人来る、それもよく飲む友人だった、よく飲む三人がこの三人でよく飲むようになったきっかけというか関係の根っこにいるのはいくらか年上の友人だった、十分に大人になって、こうやって親しくできる友人ができたことを僕は祝いだ、しかし体は気持ち悪かった、アルコールを入れたらリラックスしたら治るだろうか、と思ってビールを急いで飲んだ、途中から忘れた、つまり消えた。代償として早く酔っ払った、眠くなった、船を漕ぎながらそのままいてもしかたがないし途中で切り上げようかとも思ったが、ある程度は目も覚めたし、なにより愉快な時間だったのでそのままいた、いい夜だった。

一年前の今日、1月16日、吉祥寺で酒を飲んだ。それを思い出した。
帰り道、今ぼくはこれまででいちばん幸せに生きているかもしれない、とふと思った。

1月17日

寝る前に武田百合子を読んでいた。日記という枠組みがなかったら僕はどこまで楽しめるのだろうとわりと不安だったのだが、どんどんよかった。すごい。

朝、それにしても起きられない、8時間くらい寝ている気がするが全然起きられない、それでも起きる、店に行って、仕込みをいくらかした、済んだので出た、雨が降るということだった、はらり、とたしかに雨が顔に当たったから降るのはたしからしかった、眠かった、天気がよければ家に帰っていただろうが、天気が悪いのだったらその往復は面倒なものになった、だから帰らないで、どこにいたらいいだろうか、というのでオペラシティのアートギャラリーで谷川俊太郎の展示がおこなわれているということだったので、なんとなく見ることにして歩道橋をわたって向こうに出た、それでエクセルシオールに入って、まだ1杯しか飲んでいなかったがなんとなくコーヒーはもう要らなかった、紅茶を頼んだ、原稿直しをした、最後の60枚、今までは校正の鉛筆が入っているところ以外はほとんど見ないで進めていたが、今日はなんとなくちゃんと読んでみたりもしながらゆっくりやった、終わった、ひとまずお尻までチェックと反映が済んだ。1100枚。終わるものだ。

それで夕方だった、雨はたしかに降り始めたらしかった、濡れないままオペラシティアートギャラリーまで行った、展示を見た、最初が「小山田圭吾(コーネリアス)の音楽とインターフェイスデザイナー中村勇吾(tha ltd.)の映像による、谷川俊太郎の詩の空間」とのことで、とのことだった。とても気持ちがよくてかっこうがよくてテンションが上がった。それから「自己紹介」という広い展示があり、あれこれあった、この展示のために作られたと思しき大判の本が開かれて置かれていて、そこに詩が一編、印刷されている、それを読んだ、こうやって詩というものを絵や写真を見るのと同じような調子で、つまり歩き、立ち止まり、しばし目を注ぐ、というリズムで読むというか見ることをこれまでしたことがなかった気がした、詩というものとどう接したらいいのかわからなかったが、これは正しい接し方の一つのような気がした。なんというかたぶん、僕は本はぴらぴらとめくりめくり進みながら読むものだから、詩の場合、その一編から次の一編へ、とどんどんと進んでいくのは、詩に対して誠実ではないのではないか、みたいな思いがあるのだろう、それで、というかそれも多分ひとつの要因で、詩を読むという習慣のようなものがこれまでつくられなかった。それがこうやって一編ずつ、ゆっくりと触れる、ということをやっていると噓ではないような気がした、よい時間だった。展示のボリュームもちょうどいい塩梅だった、絵でも写真でもそうだけどそんなに一度にたくさんのものを受け止められないから、ちょっと少ないくらいが多分よかった。たに・しゅん。

雨が降っていて、そもそも甲州街道をまたいで北側つまりオペラシティ側に出る機会もめったにないのだけど、心理的にとても遠いから、ないのだけど、それでもまたぐとしたら歩道橋を上がって歩いて下がってという経路だった、自転車のときは大きい交差点まで出て渡るから、より遠回り感があった、歩きの今日、雨、傘も持っていなかった、少しのあいだ降られることも特にやぶさかではなかったが、下を通ることにした、つまり駅のところを通り過ぎていくという行き方だった、これは極めて珍しい経路だったし、通ってみればとても合理的な経路であることもわかった、一番近そうだった、展示を見終えてからまた体というか肩のあたりが重く、気持ちが悪い感じになった、昨日とすっかり同じ感覚だった、呼吸もいささか苦しかった、喉がせまかった、うんざりだった、まだ時間があった、甘いものを食べることが体にとって必要な気がした、ドトールに行った、コーヒーとブリオッシュショコラを買った、ピンチョンを読んでいた。500ページをやっと過ぎた。やっと、というか気がついたら、というか。

甲州街道といえば昨日武田百合子を読んでいたら甲州街道が出てきた、『富士日記』でもしばしば出てきたというか、富士の山荘に向かうときは赤坂の家から、どういう道なのか僕はよくわかっていないが、甲州街道を通った、だから『富士日記』読者としてはなじみのある道だが、甲州街道が出てきて、それから水道道路という言葉も続いて出てきた、僕が知る水道道路はそれこそオペラシティ側の、甲州街道と並行して東西に、初台、幡ヶ谷、と通っていく道だが、あの水道道路だろうか、椎名麟三の葬儀に出席するときのことだった、甲州街道から水道道路に入ったら大渋滞だった、ということだった、葬儀をした場所はわからなかったが椎名麟三の住まいは世田谷区の松原とウィキペディアを見たらあった、松原を地図で見ると甲州街道上は代田橋駅と下高井戸駅までで、ほとんどが甲州街道以南だったが、以北も申し訳程度にあった、そのあたりだったのだろうか、というか自宅が葬儀会場というわけでもないかもしれないし寺がそのあたりにあるのだろうか、と思ったら椎名麟三は「キリスト教へ入信」とあるから、寺でもないのだろうか、ともあれ「椎名さんのこと」というその短いエッセイもまたとてもよかった。

葬儀のあと、締め切りの迫っている追悼原稿を口述筆記でした。口述の間、二度ほど武田は絶句した。ふらふらと立上って窓のそばにゆき、裏の神社の森の木のあたりをしばらく見ている恰好をしていたが、机に戻って、また口述を続けた。そして「美しい女」から、夫婦の会話を引用し、そのあと「——こう書いたとき『神様』ではなくて、神がその哀れな会話にまぎれて、椎名氏の身近に降りてきつつあったのかもしれない」と、震えてきた声で口述し終ると、涙をたらたらとこぼした。鼻水も長くひいて垂れ放題となり、半開きの口の中に一緒くたに入った。立て膝に首を落としたまま、「椎名はよくやったなあ」と言った。
椎名さんの熱心な愛読者で、親しい友人の一人だと、いつも思っていたけれど、いまになって気がついた何かがあって、その永い間の自分の不明を恥じ、詫びているように、椎名さんの仕事への惜しみない拍手のように、それは聞えた。
椎名さんも武田もいない。淋しい限りのことだ。 武田百合子『あの頃』(p.28)

夜からフヅクエ。なんだかそこそこと忙しい日中だったようだった、夜はすっかり暇だった、ジンジャーシロップを作ったり、ブログを書いたりしていた、なんだか何もやらない店主のようなそんな後ろめたい気持ちがいくらか湧いたが、それは拭っていい錯覚だった。

体がやはりモヤモヤしていると思いながら家まで向かっていると進む先の方から非常ベルの音が聞こえてきた、というかその音に体が近づいていって、大きくなっていった、いちばん大きくなったところは僕の住まいと同じブロックのマンションで、寝間着姿の女が一人、外に出て腕を抱えて立っていた、通り越すと、音は小さくなっていった、どこかからサイレンの音が鳴って重なった、僕は曲がり、もう到着というところで減速し始めていると向こうからビニール袋片手に必死に走ってくる男があった、その人は腕を大きく振って走りながらときおり非常ベルの音の方に顔を見上げていた、サイレンの音が大きくなってきた、止まった僕は、その方向を同じように見やった。その、寝間着姿で外に突っ立っている人のありよう、普段見ないような懸命に走る人のありよう、それから止まって高いところを見上げるというその見上げ方、そのありよう全体がなにか何事かめいていた。なんだったのだろうか、そのあとはしばらくのあいだ外がにぎやかだった。僕はピンチョンを読んで酒は飲まないで寝た。

1月18日

変わらない、体全体が重く、ダルい。いくら寝ても眠い。おかしな疲労感。今週はまったく働いていない。謎。
必要な買い物をして店に行って必要な仕込みを済ませると店を出て、体はずっとダルかったし気持ちはなにか悲しかった、朝ごはんを食べそびれたせいだろうか、お腹が減った、本当は朝昼飯なんていうのは店で食べたい、米と納豆でそれでよかった、そんなものにお金を使いたくなかった、しかし食べそびれたから仕方がなかった、中華料理屋さんに入って丼物と半ラーメンのセットを食べた、お腹いっぱいになったが体はダルかった、家に帰って原稿直しの見直しをした、それからちまちまとイラレを触ったりしていた、それからコーヒーを淹れて、ソファで、数ページ武田百合子を読んだあと、ピンチョンを読んだ。
途中で案の定眠くなり、次は指がなにか重いものに挟まれていて痛い、というその痛みで目が覚めた、当該の指はピンチョンのページのあいだに挟まれていた、それが重かったようだ、それからブランケットをかぶってアラームをセットしてちゃんと寝た。すっかり寝た。いくつもの夢を見た。
起きて、目を開けて、ブランケットが鼻頭にあるのが見えた、その向こうに垂れている照明の光があった、それを見ていた、光の中心が石鹸をどうかしたようなオイリーな膜を張った色に見えて、それがチカチカしていた、その周りがレーダーチャート的な多角形の面になっていてふわふわあった、孔雀等の羽のようにも見えた、絶えず震えている、羽の長さは固定されることなく変わり続けていて、ときに車のワイパーがひと動きするような動き方をしている、それをしばらく飽きないで見ていた、起きて、店に行った、体はずっと疲れたままだった。
店は日中、忙しかったようだった。今週は総じてよいみたいだ、どうしたのだろうか、うれしい誤算だった、僕が立ってしばらくするとそれまでおられた方は帰っていかれ、店はからっぽになった、カレーを仕込み、寝かせられていたパン生地を丸めて焼き、漬け物をつくり、チーズケーキを焼き、ということをしていた、夜はまったくの暇だった、なんだか何もやらない店主のようなそんな後ろめたい気持ちがいくらか湧いたが、それは拭っていい錯覚だった。

夜だ。ところで気圧だ。レーダーチャートという言葉は知らなかった、なんというものなのか、あの多角形の、選手であるとかの能力を表すあれは、と思って調べたらレーダーチャートという言葉を学んだ、僕の指から最初に出てきたのはバロメーターだった、でもレーダーチャートという。ではバロメーターとはそもそもどういう意味なのだろうと思って見るとそれは気圧計だった。気圧計。ちょうど今日僕はこの今の、今も続く体の変調、気持ち悪い、重い、この状態は「気圧のせい」という理由を見つけ出したところだった、気圧が今どうなっているかは知らないが、これは気圧のせいだ。僕もついに気圧を感知できる男になった、そういうことだった。バロメーター、気圧計、つまり今俺の体はバロメーター化しているということだった。
夜だ。なにも起こらないまま閉店時間を迎えた、本は開かなかった、店のこまごまとしたことをやっていた、そうしたら閉店時間を迎えた、カレーを小分けにしながらC.O.S.A.の去年出たEPを聞いていた、ここ数日よく聞いていた、音が流れた瞬間、泣きそうになった、夜、どこかで大きな音のなかで踊りたいような、そんな気が起きたが、クラブなんてもう何年も行っていなかったし行きたいとも思わなかった、行ったら楽しいだろうか。

夜だ。悄然とした。バーボンを飲みながら『AM/PM』を何ページか読んだ。気分にフィットしなかった。全然うまく生きられない、と思った。お前さっきからいったいなんの話してんの?

1月19日

昨夜はビールのロング缶を買って帰ってピンチョン読みながら飲んだ、そうしたらお腹も膨れ、酔いもまわり、寝た、でも家についてしばらくしたら体のこわばりは消えていたからビールは飲まなくてもよかった、しかし飲んだ、今朝もまた、目覚めが悪かった。
朝、そういえば、と思い最近の気圧はじゃあどうなってんのと調べてみた、すると数字の羅列を見てもよくわからなかった、平均気圧というものを見る限りは特にどうというものでもなさそうというか、ここ数日が低いということではないようだった、気圧のなにかを知りたいときなにを見たらいいのかわからない、ということを初めて知ることができてよかった。また、気圧の上下で体調が悪くなる人向けの「頭痛〜る」というアプリがあることが知れた、そういえば友人でも最近気圧のあれでさ、と言っていた人があった、かつてはヒゲ、ドレッド、サングラス。煙草はラッキーストライクで好きな音楽はパンクでバンドマン、楽器はドラムス、ビールはもちろん黒ラベル。そんなワイルドだった男が、穏やかに、やさしく、しおらしくなっていく。それは強くなっていくということでもあるのかもしれない。そういえば最近結婚したんだって?

ふいに疑問形にするみたいなことが連日起こっている。これはなんのつもりなのだろうか。ピンチョンのなにかしらの影響な気がする。自由気ままな語り、あれを訳出するのってなんだか、そういう箇所に当たるたびに思うけれど、すごいことのような気がする。油断がならなくてとてもいい。
のんきにそんなことを言っていたら今日は前半はとてもよかった、前半というのは6時までの6時間だ、昨日もおとといもよかった、これはなんなのだろうか、それでふと思ったのが谷川俊太郎展効果のようなものはありえないか、ということだった。人は初台に来る用事を持たない、しかしオペラシティアートギャラリーやICCで見たい展示があれば別だ、あるいは新国立劇場の、なんというのか、見たい、演目? があれば。谷川俊太郎展はきっと多くの人を初台に招くのだろう、週末なんて大変なのではないか、知らないが、谷俊がどう求められているのか僕は知らないが、そうではないか、だとしたら、それで、そこからどこかで、というところで、という動きはありえるのではないか、全員に聞きたい、谷俊帰りですか、と問いたい。
6時まででよい調子で、まるで第一部終了みたいな調子でそこでどーっと引けて、武田百合子を僕は読んでいた、ことごとくよかった。
そのあとで今日はよかったことに第二部が始まって、つまり盛況な夜となった、総じてとても忙しい日となった、とても働いた、よかった。
終わって、少し武田百合子を読んでから帰った、

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