本の読める店

読書日記(67)

Entry diary67

1月6日

36度1分。全快。
しかし病み上がりだしというところで働くのは明日からにして、準備だけいくらかやり、営業は一日トンプソンさんにお願いすることにした。まったくもって助かった。「まったくもって」というよりは「まっっったくもっっっっっって」の方がずっと実感に近かった。インフルエンザであったり治らず寝込んだ場合は3連休全部をトンプソンさんとひきちゃんに任せて営業するところで、そうならなくてよかったと同時に、それが可能だったということにすごいなんというかなにか可能性のようなものを感じたというかとにかくありがたかった。

なので、元気は元気なので、久しぶりの食事として家でうどんを大量に食べてから代々木八幡宮に初詣に行った、行列ができていた、参道の両脇に小学生の書道の作品が貼られていた、銅賞であるとか金賞であるとか八千代銀行賞であるとか、そういう作品もたしかに上手なのだが、というかそういう作品は上手なだけで、そもそも筆の選定がおかしくないか? というような線の細いものであるとか、めいっぱい大きく書かれたものとか、お手本であるとか上手さみたいなものに寄ろうとする気配がそもそも見られないもののほうがずっと面白かった。逸脱の多様性。正解の退屈さ。
それで思い出した名前があった、高校の同級生で、変わり者的なポジションにいる人だった、なんとなく僕らが彼を笑っていたと思っていたのだけど、彼こそが僕らを笑っていた、と思った、と思って、なんとなく気になって名前を検索してみたら行政書士になっていた、23歳で独立して事務所を構えたらしかった、と思っていたら懲戒処分の記事が出てきて半年間の業務停止命令を受けた旨が出てきた、もうひとつ懲戒処分の記事が出てきて3ヶ月間の業務停止命令を受けた旨が出てきた、ちょうど今も業務停止中のようだった、それからもうひとつ出てきて2ヶ月間の業務停止命令を受けた旨が出てきた、のびのびと暮らしていそうで何よりだった、笑った。

代々木八幡宮の横の出口から急峻といって差し支えのない坂をおりていった、かつてはその坂を自転車で上がり下がりすることを頻繁におこなっていた、踏切を渡り、リトルナップコーヒースタンドに行ってカフェラテを買って、道路の向かいの腰の高さくらいの石のところに腰掛けてそれを飲み、煙草を吸った。フヅクエを始めた最初の年の冬、やたら頻繁にカフェラテを飲みにきていたことを思い出した、それは救いの一杯みたいなところがあった、初めてそれを飲んだときなにか深く致命的に感動して、助けられて、涙が出た。それを思い出した。あのころいったい何に追い詰められていたのだろうと思うと思い当たるふしがなくて笑った。

フヅクエはものすごい忙しい日だったらしかった。
夜、『重力の虹』を読んでいた。寝ようとして布団に入ってさらに読んでいたが眠くなれなかった。困って、困って、困って、寝た。

1月7日

8時半に起きて店に行った、パンを焼きケーキを焼きスープを作り定食のおかずを作った、フルスロットルで夜まで突っ走った、病み上がりのリハビリには最適な日だった。今日が僕はフヅクエに立つ今年最初の日で、立ち初め、という言葉を思いついたらゲラゲラ笑い出しそうになったがお客さん方は静かに過ごされていたのでそういうわけにはいかなかった。それにしても、本当にいい店だな、と思いながら働いた。
夜になってやっと落ち着いて、座った。腹減った。困った。

しかし落ち着かず、変な勢いが出たらしく閉店後もいろいろとやっていた、インパクトドライバーを取り出してちょっとだけウィンウィンいわせたりであるとか、そういうことをしてから帰った。白湯を飲んで寝た。

1月8日

より忙しい日になった。カタカナの「ヒ」をInDesign上で打とうとしたがF7を押すと違うなにかが出てしまうので愚直に変換したのだが、それで出てきたのは「匕」で、このフォントだと変な形の「ヒ」になるのなと思っていたが今やはり「いそがしいひ」と打って変換したところ「匕」が出てきて、これはやっぱりおかしい、とちゃんと変換したら「匕 ひ さじ さじのひ」とあって、漢字だったのか。
より忙しい日になった。いっしょうけんめい働いた。すると夜にはすっかり疲れた、やっと座れたのは10時ごろだった、経理なんてやっている暇はないというか、やっている暇は本当にはあるだろう、しかし今の僕の興味はExcelちゃんにはないんだ、たぶん売上が悪い時期が続いているからだが、ないんだ、と思い、それで今までよりも効率的に経理作業をできるようにならないかと、Squareのデータをエクスポートして見たりしていたが、どう考えてもSquareのデータじゃ取りたいデータがまるで取れない、全然役に立たない、と思い、帳簿を改良しよう、と思ってExcelをいじりだした、するといろいろ触りたくなり、ああすればどうだこうすればどうだとなった、急いで夕飯を食べて家に帰るとコーヒーを淹れて改良作業を続けた、4時になった。

1月9日

ライフをうまく積み上げられない、と、ERAが歌うのを聞いたのは昨日だった、久しぶりに聞いたERAはやはり温度がちょうど合っていた、とても心地がよかった、「変わる気はある」というのは最強に情けない最強に切実な最強のパンチラインじゃないだろうか。
昨夜が雨だったから歩いて帰ったから歩いて店に行き、ひきちゃんと歓談し、いくらか仕込みをし、お昼ご飯はどうしようかな、カレーを食べたいな、と思った、するとカレーを仕込んでおいたほうがいい気が起き、明日やる気ではいたが、ふと「ひきちゃん作れるようになりたい?」と聞いたところ「なりたい」とのことだったので急遽カレーの仕込みを教えるというコーナーが始まってしまった、といっても2時から予定があった、時間があまりないのに、なにも考えずにカレーを仕込み始めた、どうにかなった。
店を出て、Numabooksの事務所に行って内沼晋太郎さんとこんにちはして原稿直しの進め方について話したり、これまで直しているなかで迷った箇所をひとつひとつ相談したり、そういうことをしていた、そうしていたら高揚していき、テンションが上がってきたぞ、とまた思った。とても楽しい。とても楽しみ。

帰宅してミックスナッツを食った、腹が減った、税務署が閉まる時間が近づいたので慌てて税務署に向かった、源泉所得税のどうのこうのという書類を出した、それからひとつ聞きたいことがあって質問したらなにもわからない答えが返ってきた、わかっていない人になにかを教えることに対して思慮がまったくなさそうな署員の方だった。
無印良品で落ち綿のふきん等を買い、すっかり暗かった、渋谷は明るかった、青い光をまとった木が立っていてその向こうに来月オープンというホステルの建物があった、そこに沿って曲がって歩いていくとまた別のホテルだかなんだかがあり、このあたりにはそんなに宿泊機能が求められているのだろうかと思った、気分がどんどん悲しくなっていった、悄然としながら自転車を走らせた、まだご飯を食べていなかった、6時になる、フグレンに入ってコーヒーを頼んだ、ソファが空いていたので座った、休日がすり減っていく、ご飯を食べたい、本を読みたい、映画を見たい、なにもできない、ライフをうまく積み上げられない、どうも、リズムみたいなものが見当たらない、どうやって暮らしていくかの、リズムみたいなものが見当たらない、途方に暮れた、パソコンを開いて日記を書いてExcelの改良作業を続けた。

そのあとはブログを書いていた……そのあとは店の椅子が壊れたとの連絡を受け、閉店時間に合わせて店に行くことになった……せっかくなので散歩することにしてぷらぷらと歩いた……駅の近くの中華料理屋さんが26時まで開いていることを初めて知った……11時、この日初めての食事をとった……麻婆豆腐ご飯みたいなやつ……辛かった……おいしかった……店に行くと椅子は倒れて背板が取れてしまったとのことだった……協力してもらいながらインパクトをウィンウィンいわせると直った……歩いてまた家まで帰ってやっと、やっとピンチョンを開いていくらか読んだ……ソファで、ふともものあたりに本を置いて、そうやって読むとこの本は一番快適に読めることがわかった……それから布団に移って、いくらか読んで、すぐに眠くなって、寝た……

1月10日

朝から仕込みをいっしょけんめいおこなって営業を開始した、それからいろいろと店のことをしていた、風の強い日だった。
ひと段落したところで新しくなったExcelに伝票の入力をしていた。快適だった。
夜、ブログを書いていた。去年読んだ本ベスト10的なやつだった。12月の振り返り記事も書かないといけない。いけない、なんてことはないのだけど書かないと済まない。振り返り飽きてきた。過去ではなく未来を見たい、とかそういうことではない。

何度も、何度も、「そしたらピンチョン読むかな」となりかけた。そのたびに「あ、あれやっとかないと」となって本が開かれない。閉ざされた『重力の虹』のうえにはiPhoneとコーヒーの入ったマグカップ。

寝る前、少しだけピンチョン。

1月11日

真面目に働いていた。忙しい日ではなかったが仕込みをしたり、なにをしていたのだったか、なにかをしていた、ブログを更新した、それから原稿直しをやろうと、と思ったらWebをお願いしている友達から連絡が入った、買い替えてデータを移行したことに伴って設定かなにかがなにかになっているはずの僕のパソコンでWebいじりができる環境を再設定してくれるとのことだったのでお願いしたところTeamViewerというアプリのスクリーンショットを送ってくれとのことだったので送った、少しすると画面が変調したと思ったらカーソルが勝手に動いた、僕は僕で動かせたから拮抗した、やりとりをしていたLINEの画面に勝手に文字が打たれた、僕も打った、「はいりました」「えっとあああ」「www」「わたしです」「わたしはsうっっs」「すごいーーーー」という、やり取りではないすべて僕の発言として、明るい緑色の吹き出しに、それは打たれた、それで「それじゃ」といってお任せしたところiTermかなにかが立ち上げられてずんずんコマンドが入力されていってあれこれが確認されているようだった、しばらく他のことをして暮らした、見るとデスクトップの中央にテキストエディタが開かれて、完了の旨を伝える置き手紙が入力されていった、その勝手に入力されていく文字を不思議な新鮮な心地で見ていた。
それで済んだので原稿直しをすることにして今日は2セット、正月は1セット60分と決めてそれで60枚くらいが消化できたので、しかし仕事中で他のことをすることも起こるだろうからというので60枚1セットと考えて、午後と夜に1セットずつ合計2セット120枚ほどの直しをおこなった、また、こうも暇だったら今日やってしまおうと夜になってパンとチーズケーキを焼いた、つまりとにかく、真面目に生きていた、そうしたら一日が終わった。ピンチョンは開かれない。リュックから取り出されもしない。僕はピンチョンを楽しく読んでいないのだろうか?

2017年のベスト10冊ブログを更新していたらいろいろ読みたくなっていった。武田百合子のエッセイを読んでみたい、講談社文芸文庫から出ていそうな島尾敏雄くらいの時期の日本の小説も読んでみたい、『ネバーホーム』も読みたい、なんか短編とかも読みたい。読みたい。僕は本を読みたい。

夜寝る前ピンチョン。やっと2部に入った。『異邦人』のような奇妙に明るい浜辺があり、それから不穏な夜が訪れた。面白い。面白い、と思って寝た。

1月12日

朝、パドラーズコーヒー。寒かったので日向になっているところに座ったが、建物に対して斜めになっているところで、いつもの正対する席のほうが落ち着く気がした。カフェラテはいつもどおりおいしかった。今年も何度もこの朝を過ごす。

店を開け、やるべきことをやっていった、早い時間から原稿直し2セットに取り掛かった。1セット終わって、そのまま2セット目もたちまちやった。まだ2時にもなっていなかった。煮物等も仕込み終わり、今日やっておくべきことは全部済んだ。あとはお客さんが来さえすれば、というその状況は僕はすっきりした心地で好きだった。
それでピンチョンを開いた。営業中に読む初めてのピンチョン。

彼は肩をすくめる——どうしようもなく痙攣的に肩が動いて、ふたりの上に飛沫がかかる。「ここ以外、どこに行っていいのかわからなくてさ」。彼女の顔に微笑みのさざ波が拡がった。奥深い部屋へのしきいを、慎重にスロースロップは跨ぐ——これはドアなのか、それとも高い窓なのか、どちらだかもうよくわからない。 トマス・ピンチョン『重力の虹(上)』(p.392)

どこを読んでいてもかっこいい。登場人物が多く、場面の転換も多く、持続しない感じがあり、あるのはただ「かっこいい」の連続という感じで読んでいる。かっこいい。
それから別のものもと尹雄大の『やわらかな言葉と体のレッスン』を開いた。正しさや正解みたいなものの硬直から逃れて、やわらかでしなやかな体で思考し言葉を発したいですね、というようなそういう本だろうか、そうだよなあ、そうだよなあ、と思いながら読んでいた。「僕は無知と野蛮と無理解と腕を組んでラインダンスを踊りたくはないのです」。この泰然としながら決然とした言葉にグッと震えるところがあった。勤勉で、できるかぎり善良で、気遣いのある人たちは踊ってくれ。

しばらくすると読書にいくらか飽きて、物販のことを考えていた。年末年始にショーゾーに行っているときにふと「そうだ、物販コーナーを作ろう」と思い立ち、それで作ることにした。入り口すぐの自転車を置いているところに棚を置いて、そこでなにかを売ろうという算段だった。棚をどうしようかと思ったがすぐに解決した、奥行き30センチくらいの板を一枚渡したらそれでいい、というのが行き着いたところだった。幅は140センチ取れた。それだけあれば、いや足りないか、まあとりあえずはいいか、そもそも今は売るものといっても本とコーヒー豆くらいしかなかった。物置きを漁ったらオイルステインはあった。ビスもある。長さは確認していないが大丈夫な気がする。であればあとは板を買ってきてヤスリがけして塗って留めるだけだった。早くホームセンターに行きたい。
それで、売るならば値段とか商品名とかが書かれたパネルを置かないといけない、あの、少し厚みのある、白い、あれはなんというものなのだろうと、思いつく言葉で適当に検索を掛けていたらスチレンボードであるとかハレパネであるとかそういうもののようだった、あまり大きすぎないちょうどよさそうなものをAmazonでポチった、それからそれ用にイラレでつくって一枚印刷してみた、よさそうだった、これで売れた。楽しかった。楽しかったし、これまでずっと「あれはいったいなんというものだろう」と思っていたお店で見かけるあの白いやつの正体が知れて、なんというか「なるほど、店とはこのように作られていくのか」というような、発見というか、ものに名前が与えられた感じが気持ちがよかった。ひとつひとつ、物知りになっていく。

それにしても暇で、暇で、暇でしかたがない。夜になるまでお客さんに対しておこなったことといえば定食を3食出すことだけだった。

アメリア・グレイの『AM/PM』を開いた。1ページに収まる掌編というか断章というかひとつの場面みたいなものが、右ページがAM、左ページがPMとなって書かれていく、らしい。原書だとこれはどういうふうに見えるのだろう、インスタ映えするレイアウトなんじゃないか、だからインスタを探せばすぐに見つかるのではないか、と思って検索したが意外に出てこないものだった、そもそも#ameliagrayも3,000件くらいしかなくて、そんなものなのか? と思った。それにそのタグでも本とかよりもなにかゴージャスな女のようなそういう様子が多く、見るとAmelia Gray Hamlinというモデルがいるようだった、両親は俳優、16歳。ということだった。
ともあれ、まだいくつかしか読んでいないが、この感じはなんとなく好きそうだった。好ましい、というような、なにかをジャッジするような思い方をしている、なんでだろうか。なに勝手に高をくくっているのだろうか。なんのつもりなのか。
ところでアメリア・グレイのWebがあったので見た、すっきりしたかっこいいつくりだった。驚いたのはそこにはどこにも『AM/PM』の文字がなかったことで、作品の情報は「New Work」のコーナーで最近の発表作品が書かれているだけで、最初から最後までのバイオグラフィというものはなかった。このこだわりのなさみたいなものが信じられないというか僕だったらむしろ美しい充実したバイオグラフィをつくるためにこそ作品を発表していきたいくらいに思いそうなものだけど、網羅したくならないものなのだろうか。それともこれはあれだろうか、僕は『AM/PM』を最初から勝手になにかインスタだと思っているので、このストックせずにフローさせていく感じもまたインスタっぽくていいのかもしれない、など思った。手元の本の奥付けを見るとこの作品の発表年は2009年だった、ずいぶん前だった。インスタ以前。
とか思いながら読んだりやめたりしていたらすぐにページをまたぐ章があらわれて右AM左PMは崩れた。

勝ったチームはきみの財布を取り、負けたチームを誘う。誰も場所を教えてくれなかったので、きみはジムの駐車場に一人座り込むはめになる。
きみは家に帰ると、バスケットボールの映画を見る。裏庭に廃材で間に合わせのコートをつくり、戻って来て欲しいと、全員の留守番電話にメッセージを残す。きみは毎晩裏庭に行き、一人でシュートゲームをやったりして、彼女たちが戻って来るのを待ち続ける。きみはTシャツチームの時はTシャツを着て、上半身裸チームの時はTシャツを脱ぐ。 アメリア・グレイ『AM/PM』(p.22)

これは16:PM。とてもよかった。左ページのAM:17もとてもなにかグッとくるものがあった。今はPM:7。誰もいない。誰もいない時間がもう5時間くらい続いている。5時間はさすがに言い過ぎか。4時間半だ。
『AM/PM』を読んでいるとなにか、『奇跡も語る者がいなければ』をいくらか思い出すところがあった、ちょうど原稿直しで引用しているところを見かけたこともあったかもしれないし、引用部分を見ていたら改めてあの小説を読んでいるときのなんともいえない心地よさを思い出したりもしていた、その温度みたいなものをなにか『AM/PM』は思い出させるところがあった、翻訳の調子が似ていたりするのだろうか、それとも他のなにかだろうか、とにかく、悪くないそれは心地だった。
PM:8になってからやっと営業が始まったような日になった、起死回生というところまではいかなかったし起死回生していたらそれは猛烈な忙しさとなにか歯車が狂ったようなお客さんの入れ替えみたいなものが生じるということだから起死回生はなくてよかったのかもしれないが、だから起死回生ということまではいかなかったけれどどうしようもなく惨憺というものではないところには着地してくれて安堵した、安堵しながら、やはりそれだけの余裕はある程度の忙しさだった、尹雄大を読んだりしていた。

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