本の読める店

読書日記(60)

Entry diary60

11月18日

昨日の閉店後にショートブレッドを焼くときに流していたPUNPEEのアルバムを今朝も聞きながら開店準備をしていた、するとこれまで聞いていたときよりもぐっと感動的なものになった。愉快で決然としていてとてもいい。

スープをコンスタントに作っていくにあたり、いつでも作り始められるようにするためには肉を常備していないといけない、しかしいつ作ることになるかわからない、そうするとやはり塩漬けみたいにしておくということがいいのだろうか、パンチェッタとかいうほどのものでなくていいけれど、なにかそういう、と思い、豚バラのブロックを粗塩とローズマリーで塩漬け的にすることにした。そうすると、目下のところやるべきことがなんだったか、わからなくなった。
次はその豚肉とキャベツを一玉使うくらいの使いっぷりで、クタクタにして、というそういうスープを作りたい、しかしまだ作るタイミングでない。スープの本をペラペラしていた。この感じは覚えがあった。お菓子をあれこれ作っていた時期に似ている。あの時分も、これなら作れそう、というようなお菓子を見つけては作って、ということを楽しくやっていた、だんだん簡単そうなものがわからなくなって、同じものを作るようになった、すると作らないといけないものになっていって、つまらなくなっていった。同じことが繰り返されないことを祈りたかった。

『ピダハン』を読んでいた。それの死は続いていた。それだからわたしはそれをまた撃って、肘を砕いた。それを犬と一緒に入れろ。彼は犬を亡き者にした。彼はだからすでに。
すごい。面白いだけじゃダメなんだ、美しいもの、美しくて強いものに触れたいんだ、と思っていたら、触れた。するとピダハンはパンサーをひどく恐れる。よろしい、わたしは済んだ。すごい。イビピーオ。「ピダハンの関心を引いているのは、消失することであり出現することであって、消えたり現れたりする人物の正体ではなかった」。楽しい!

夜、「Taylor Deupreeが……!」という興奮が仮に生じたとする。あの地下室で。そのとき、その興奮を誰とであれば共有できるのか、一人として浮かばない。と思った。しかし、では、ラテンアメリカの小説だったらどうか、と考えても特には浮かばないから、なぜドローンのときだけ、テイラー・デュプリーのときだけ、そう思ったのか。共有なんてそもそも必要なかった。
それで結局、イラレを長い時間触っていた。メニューを書き換えるであるとか、他にもあれこれ。3人のあいだでの情報共有の仕組みをどう整えるか。コンセンサスの取り付けをどう可視化するか、みたいなことを考えていた。
寝る前『ピダハン』。ピダハンは直接体験しか語らない。未来のことは話さないし、大昔のこともまず話さない。見たもの、聞いたもの以外に価値はない。語りには実証が求められる。物語は持つが、創世神話のようなものは持たない。彼らにとって夢で見たものも直接体験であり、だから夢で出会った精霊たちはまったくのリアリティを備えている。

11月19日

朝、パドラーズコーヒー。とうとうホットのラテを飲んだ。朝の10時くらいからめいっぱいお客さんがいて、びっしり座っていた。外の席は誰もいなかった。いつもそうするように、そこで飲んだ。
魚喃キリコの漫画の映画の公開を記念した写真展のようなものがおこなわれていて臼田あさ美と太賀の二人が写った写真が展示されていた、臼田あさ美というのはとても人気がある人らしくて、臼田あさ美という字面はこれまでにも見たことがあったが、それが水川あさみとは別の人だということは今朝知った。太賀はてっきり金八先生に出演していた人だとばかり思っていたが、今調べたらそういう情報は出てこなかったから、なんの記憶違いだったのか。『桐島、部活やめるってよ』だった。バレー部の男の子だった。人間はかっこよくなるものだなあと思った。『桐島』をまた見たい気になった。大好きだった。『散歩する侵略者』の東出昌大もよかった。

日曜日。今日はトンプソンさんが入る日だったので僕は静観みたいな過ごし方をしていた、そこそこ忙しい日中で、自分が動いていないと時間の感覚がおかしかった、なにかが歪んだ。
昨日、看板が届いた。カッティングシートが届くのはおそらく22日あたりで、早く貼り付けて、外に出したい。それをしない今は前もあったこの感覚、「フヅクエ(仮)」という感じになっている、去年の暮れに「来年になったら昼から営業する」と決めて、それが実装されるまでのあいだに覚えた感覚だった。それ以外にも、こういう感覚が芽生えることは何度もあった。そういうタイプなんだから仕方がない、と思うようにはなった。
今日もまた店のことをいろいろ考えていた、思いついたことがあった、ほぼ束見本みたいな白い本を作りたい。
夜、『ピダハン』をいくらか読んだり、イラレをいじったり、スプレッドシートに何かを書き入れたりしていた。今日はなんだかエモい日というか、いい日だった、なんだかうれしくなるようなリアクションをいただけることが多かった、うれしい書き置きを複数いただいたり、チャキチャキしたしゃべり方の方が「予想以上にすばらしかったです」と笑いながらおっしゃって、僕もカラカラと笑ったり。きっとなにか全体にいい空気が流れていたのだろう。そういう、お客さんからいい反応をいただいたときに生じる喜びはシンプルに原動力みたいなものになっていく。

11月20日

朝にスープを食べて、それを写真をつけてツイッターに投稿した。夜にブログを更新して、それを写真をつけてツイッターに投稿した。昨日トンプソンさんから「SNSはインスタがメインという感じなんですか?」と尋ねられ、いや、僕はむしろツイッターの方が好きなんですが、と答えたところ、昨日見てみたのだが過去の記事の自動投稿が大変であとはインスタ連携の投稿で、と返ってきて、あ、荒野みたいな感じでした? と言った。そうだ、ということだった。もっと、定食の内容であるとか、スープのこととか、いろいろと投稿してもいいのでは、ツイッターなんてどうせ一秒も見てもらえないんだから、こまめにやったほうがいいのでは、インスタ連携はツイッター軽視だ、墓場なのか、と言われた、嘘だ、墓場なんて言葉も軽視なんて言葉も出なかったが、意訳した、それを受けて「なるほど! そうしよう!」とたちまち思ったため、スープとブログ更新の投稿を、今までよりもきれいに見えるというかツイッターとしてちゃんとやっていますよというふうに見えるように投稿したところ、なんだかタイムラインをきれいにしていきたくなった。一度過去記事の自動投稿をオフにして、それも再考したいと思った。

夜から休みだった、変則的な日だった、夕方までトンプソンさんが入り、夕方からひきちゃんが入るという多分これからもめったに起こらないような日で、二人のシフトを一時間だけかぶらせて、その時間でレモンシロップの仕込みをひきちゃんがトンプソンさんに伝授する、そういう日にした。3時にひきちゃんがやってくると店には3人のスタッフがいるというおかしな状況になって僕はそそくさと退散した。しかし、と思いたち少し店に残ることにして客席に座っていくらか仕事をしていた。それから店を出た。休日が始まった。
寒く、驚くほど寒かった。新宿に着くまでに体が冷え切っていた、伊勢丹の地下に行きモルトンブラウンのハンドウォッシュを買った、スタッフの方が覚えてくれていて買ったハンドウォッシュと同じジュニパーベリー&ラップパインの、ボディウォッシュの小さいやつをつけてくれた。楽しみにしてくださっていたので。使う状況が違うと香りの広がり方が違う。同じコーヒー豆でもドリップで淹れるのと、カフェオレにするのでは、あるいはコーヒー畑のなかにいるのではまったく違うように、違う、それを楽しんでみてください、ということだった、ありがたくちょうだいした。
5階に行きキッチンのフロアでホーローの容器を見た、野田ホーロー。トンプソンさんにスープの保存はストウブにするのではなくて香りの移りにくいホーローの容器でしたらいいのでは、そうしたらストウブを空けて使えるし、冷蔵庫もすっきり使えるし、いいのでは、と言われ、「なるほど! そうしよう!」とたちまち思ったため(それにしてもひとつひとつの意見のなんとありがたいことか)、そのままアマゾンで買ってもよかったのだけどなんとなく一度実物を見てみようと思って見て、それで思った通りのやつが思った通り買うべきものだったとわかったためエスカレーターで下におりながらアマゾンでいくつか注文した。伊勢丹の高いところから低いところにくだっていくと、3階あたりの宝石かなにかの売り場で宝石かなにかを眺めている黒いコートの全体に黒い様子の女性が目に入り、なんというかすごくかっこうよく見えた。凛として見えて、宝石かなにかを、あの人は、どういうつもりで、どういうものとして、検討しているのだろう、眺めているのだろう、と思った。一階までいくと様子が違って、人が蠢いているようだった、旅行者であるとかが、疲れて座り込んだりしていた。なんなんだここは、と思って出た、無印良品に入っていくつか店に必要なものを買ってから喫茶店に入ると『ピダハン』を読もうとしていくらか読んだが、それよりもブログの更新をしたり、そういうことをしていた。Webも少し手入れしたい。

お多幸でおでんを食べた、日本酒を飲んだ、それから昴ではなくイーグルという、近くの、同じサントリーラウンジの店に行ってウイスキーを飲んだ、会社を辞め、本屋とカフェが一緒になっている店を始めようとしている人と飲んでいた、こういうのがこういうふうになっているような店だったら町みたいなものに向けてやる意義があるというかけっこうそれは感動的なことになりそうですよね、というような話をして、それを想像していたら楽しかった。
炭水化物を食べていなかったため帰る前にお腹になにかを入れようと思い、吉野家で牛丼と豚汁を食べた、食べ終わり、野球の記事を読み終えて店を出ようとしたところお腹が痛くなった、そういえば新宿を出る時に少し感じていたような気がした、大丈夫、家まではすぐだ、大丈夫、と思いながら出、落ち着け、落ち着け、と思いながら家に向かった、家の建物に入ったとき、慌てるな、最後に慌ててことを仕損じるな、と深呼吸して努めてゆっくり進んだ、帰ると一目散にトイレに向かい、それからしばらくそこで過ごした。『ピダハン』をいくらか読んだら寝た。

11月21日

いつもよりいくらか早く目が覚めたので早く店に行き、特に有意義な時間は過ごさなかった。昼、キャベツを一玉、と思ったら半分使ったらめいっぱいの量になって、これは一玉使うものじゃないとわかった、千切りにして、玉ねぎとにんにくとセロリと、粗塩とオリーブオイルで和えてじっくりと蒸し炒めにした、2時間火にかけたところ1/3程度までかさが減った、マッシュルームも入れた、そこに水をだいぶ入れ、ローリエと胡椒をやり、それからゆっくり煮ていった、その横で3日目でだいぶ引き締まった感じのする塩豚を切り分けてフライパンで焼き色をつけ、白ワインを注いで煮詰めた、それを鍋に合流させた、それから白いんげん豆を入れ、また1時間くらい煮た、するとスープができた。
今日はやることが見当たらない気がした。それでツイッターの自動投稿のやつをきれいにすることにして、登録してあった170ほどの記事を順繰りに開き、本文のなにか「ここでは」という箇所を選んでそれをツイートするようにする、その作業をしていたところ、つまりこれは自選のフヅクエ名言ボットを作っているようなものじゃないかと思い、とても恥ずかしい気がした、けっこう面の皮を厚くしないとやりにくいことだった、こことか、よくないですか、どうですか、そういうことだった、おもしろ系であれ、いいこと言ってそう系であれ、恥ずかしいことだった、しかしいくつもの久しぶりに開いた記事はそれ自体が恥ずかしいものもあれば、なにかきらめきを感じさせるものもあり、それを目の当たりにすること自体は面白さがあった、やり続けたところ100ほどは済んだ、もう夜だった。
『ピダハン』を開いた、やはり、ピダハンの人たちの言語の妙であるとかが文化の驚きであるとか、そういうことが描かれる部分のほうが面白くて、著者のアマゾン体験的な語りが続くところではエキサイトしないのか、折られることのないページがしばらく続いた、第二部、「言語」に入った。

これまで「一人の時間をゆっくり過ごしていただくための静かな店」を標榜していたが、看板のデザインを考えているときに「もうここはスパッと行こう、長いと収めづらいし」という、どちらかというとというか完全に長いと収めづらいという理由から「本の読める店」にすることにして、ショップカードも同じことにした、それに伴うことにして、今日Webまわりの表記をすべて「本の読める店」に統一した。3年かけて、単刀直入の言葉を謳うことにたどり着いた。

カッティングシートが今日発送された。早く看板を替えたい。看板になにを期待しているのだろうか。

夜、ゴミの日だったのでいろいろの片付けをしようと思い、いろいろを片付けていたらはりきってずいぶんいろいろを片付けた。Kid Fresinoをシャッフルで聞きながらやっていた。今度バンドセットでワンマンライブをやるというニュースを見たからだった。どの曲もかっこよかった。終わったら1時半近くになっていた。それからビールを飲みながら、放心したような心地でいた。店の内部はなにか整頓されていく感じがある。それで? と、いや、そんなことは思うものじゃない。

11月22日

やることがあれば、それをやっていれば、現実を、現在を、見ないように見ないように仕向けられれば、いい。
どれだけ来年から本番、今年は諦めた、と言ってみても、日々、目の前に迫ってくる空白を受け止める時間を味わい続けていると、それを意識から追い出すことは、難しい。本番なんて永遠に始まらないのかもしれない、等思ってしまう。
今日が休前日であることが信じられない。休前日でここまでのことになるということが、信じられないことはないが、半年前の自分に知らせたら愕然としたはずだ。だってその水準って……、と言葉を失うはずだ。今日はなにをしていたのだったか。最初のうち、たくさん仕込みをしていた気がする。煮物を作った。和え物を作って味噌汁も作ってそうだパンも焼いた。チーズケーキも焼いた。それから、それから、なにをしていたのだったか。
ショップカードが届いた。きれいにできた。開店直後の時期に作ったときと同じ紙を使った、そうだ、こんな感じだった、と取ってみて思った。それはきれいな紙だった。カッティングシートはまだ着かない。発送元は京都の会社だということが知れた。であれば明日だろうか。というところで、着いたらすぐに貼れるように、看板を出してきて位置を確定させることをしていた。高さを合わせて、マスキングテープを横に渡して、中央の位置を探して、ということを店の外でやっていたら体が寒くなったが心は寒くはならなかった、愉快だった。慣れない姿勢で細かいことをやっていたためか体がこわばったのか腰がどこかでピキッといった。しかし愉快だった。早く届いてほしい。

それにしたって、こんなにも、いや、とはいえ。

「本の読める店」に拡張子を変えたというブログを書いていたところ、この拡張子がどれだけいいかということがわかり、というか、これまでの「一人の時間をゆっくり過ごしていただくための静かな店」ではどういうことが起こっていたかということに思い至り、愕然とした、もう「本の読める店」以外ではとうていありえない、という気持ちがよりせり出した、なんだか一歩突き抜けた感じがあってテンションが上りながら帰路についた。寝る前は昨日に続いて『波止場日記』を読んでいた。ホッ・ファー。

11月23日

今週は多くの人がそうなるのだろうが曜日の感覚がおかしくぐでんぐでんに酔っ払っている。なにかと変則的な週で、今が木曜日であることが信じられない。土曜日でなければおかしい。それなのに木曜日とは。金曜日ですらないとは。明日が金曜日で、あさってが土曜日で、しあさってが日曜日なんて、まったく受け付けられない。理解不能。

忙しい日になった、よかった。夕方までトンプソンさんが入っていて僕はできるだけ傍観するか洗い物をするかぐらいに留めるような働き方だったわりに、体感は妙に忙しさ、気ぜわしさがあった、夜はゆるやかだったが、いろいろの仕込みが詰まっていって、今日明日に一気にいろいろな仕込みが詰まっていった感があって、それを考えたら途方もない気分になった。途方にくれるほど暇だった昨日と、仕込みを考えて途方もない気分になる今日と、いずれにせよ途方にくれないとならないらしかった。夜、パンを焼き、スープを作った。それから閉店後、カッティングシートを貼りつけることをした。
カッティングシートの貼りつけは3年前に入り口の扉に「fuzkue」を貼ったとき以来で、仕組みもすっかり忘れていた、それにしても楽しい作業だった、ケラケラ笑いながらおこなった、遊びだった、まったくもってすばらしい看板ができた、2時を過ぎていた、外に置いて、少し遠くまで歩いてから歩いて近づくという遊びをおこなった、まったく愉快だった、それは看板だった、完璧に看板だった。

11月24日

朝ごはんを食べそびれた、一所懸命働いていた、あたらしい看板を出した、まったくもってすばらしい看板だった、ずっとなにかしらの仕込み等をしていた、それをずっと続けた、10時になった、仕込みはまだあった、それからイラレをまたいじったりもしていた、まだまだやることはあるような気がしている、そうすると本当に本が手につかないものだった、また寝る前にホッファーを数ページ読む、それだけになるだろう。

帰宅後、ホッファーにすら至っていない。シャワーを浴びるとパソコンを開いてブログを書き始めた。寝る前にホッファーを読む、そのくらいはするのだろうか。

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