fuzkue(フヅクエ) - 一人の時間をゆっくり過ごしていただくための静かな店

読書日記(52)

Entry diary52

9月23日

今日はフヅクエは暇ですかねと夜に連絡があり「めっちゃ暇。もう終わりだ!」と返したところ友だちがやってきたのは9時くらいだった、これまでは閉店時間にやってきてダラダラと話す、ということを半年に一回くらいする、というのが彼にとってフヅクエでの過ごし方だった、「暇とはいえ、お客さんが一人でもおられる以上は話したりできないのに、こんな時間にやってきてどういうつもりだろうか」と思ったら本を読んでいた。『ビジネス・フォー・パンクス』を読んでいた。
閉店すると僕はビールを開けて、ソファに座って歓談した。本がよく読めた、本を読みたくなったらフヅクエに来ればいいのかと思った、と言って、やっとわかりましたか、と言った。気づいたら2時半くらいになっていて、帰ることにした、彼はタクシーで帰るということだった、僕は夕飯をそれから食べてビールを飲んで、雨のなか帰った。『富士日記』を少し読んで寝た。もうほんとうに終わってしまう。

それが昨夜で寝るのは4時近くになり今日はだから完全に眠かった、ちょんぼをしないように気をつけなければと思っている。
Peatixが昨日、チェルフィッチュの『三月の5日間』のリクリエーション公演のチケットが土曜に発売になるよ、とメールでお知らせをくれた、だからチケットを取った。12月。たいそう楽しみだった。

昨日は暇だったが今日は輪をかけて暇だ、というのを開店から1時間半の時点で言っているのもバカみたいではあるが、始まりとしてはおそろしくまずい。本当にアップダウンがはげしい。メリハリという言い方はそぐわない。昨日は暇だったが暇のなかにもきらりと光る面白さがあり、昨日はなんでだかアッサムの煮出したミルクティーがたくさん頼まれた。それから一万円札での支払いがやたら多かった。重なること、というのはしばしばあり、先週の土曜だったか日曜だったかはとにかくサンドイッチの日だった、これまでにないくらいにサンドイッチが出た、そういうときなんだか愉快に思う。今日は眠い。

変な日だ。週末にちょこちょこ来てくださる方で千葉ロッテファンの方がいる、だいたい開店直後に来られるので一番最初で、それであるときからひとまず野球の話をしばらく楽しませていただく、ということをやるようになって、だから今日もそうした。涌井はどうするのか、そして地味にFA権を獲得する唐川は。というような。
そのあと誰一人として来ず、ちょっちょっちょ、と思っていたら3時近くになってやっと次の方が来られた、ロッテファンの方がトイレに行っているタイミングだった、その方は席につくと「夜は神宮なんですよ」とおっしゃるので、野球ですか、というところで、阪神ファンとのことだった。たしか日ハムですよね、と言われてよくご存知でというと今年はご愁傷様で、ということだった。変な日だ。そもそもしゃべらないコミュニケーションが生まれない店のはずなのに、今日は野球談義居酒屋みたいになるかと思われた、そのとき、カープファンのあの子は——

なんとなくぼんやりと悲しい。暇すぎるからだろうか。ぼんやりと悲しい。今日は夜から今日こそは阿波踊りが繰り広げられ大騒音になるので夜も厳しいだろう。そうすると今日は度し難く暇な日ということだった。このぼんやりとした悲しみは、いや、暇だからではなく阿波踊りだからのような気がする。外の通りの祭りっぽいにぎわいから隔絶された、無関係に生きている感じがなにかさみしいのかもしれない。さみしがりやさんみたいになっている。金土いずれか休みにすればよかった気がしてきた。どうせ暇になるし、と思っていたのだけれども売上ほしさに結局営業することにしたのだった。
去年は、どうしたのだったか、一日は覚えている、休みにして、ひきちゃんがちょうど10月からフヅクエで働くことになったのでその練習というか、いろいろ伝授みたいな日にして、同時にWebのリニューアルをしようとしていたタイミングだったので作った飲食物の写真を友だちのカメラマンにお願いして撮ってもらう、そういうことを一日やっていた、暗くなって、終わりにして、すだちサワーはいかがですかであるとかの声のなかを駅まで歩き、ひきちゃんは用事があったのか帰り、友だちと四谷に出てひつじやでご飯を食べた。四谷からどうやって帰ったのだったか。もう一日は覚えがない。カレンダーを見るとどうも二日とも休みにしている、22と23。なにも思い出さない。いや22はもしかしたら休んでいないのではないか。すごい音の中で営業をしていたんじゃないか。なにも思い出さない。

阿波踊りがクライマックスに向かってアガっていく様子は聞いているだけでも高揚するもので、すごいすごい、と思いながら、大音量もすぐに慣れてしまうものだなと思いながら、阿波踊りはいいものだ、と思っていた、それが9時ごろ終わって、そうすると祭り囃子の音はなくなった代わりに祭りで浮かれた人たちなのか、踊っていてテンションが高くなった人たちなのかが大きな声で叫んだり、下手くそな指笛をしきりに吹いたり、ゲラゲラ大笑いをしたり、そういう音が聞こえるようになった、その音を聞いているうちに僕はわりとしっかりとした憂鬱に沈みこんでいった。なにかよくないものがのさばっている感じ、相容れない怖いものどもが徒党を組んででかい声を出して我が物顔で闊歩している感じ、そういうものに強い抵抗感みたいな忌避感みたいなものが生じたのかなんだったのか、とにかく不愉快で憂鬱だった、嫌な日だと思った。漠然とした絶望感を抱いた。

かつて私は絶望感を抱いて生きるのはとてもかっこいいことだと思っていた。パリで過ごした二年間、いや、実を言うとごく最近までそう思っていた。この八月までその誤った考えに取りつかれていた。
(...)
その時はじめて私は、かっこよさというのは自分がこれまで思ってきたものとはまったく違ったもの、おそらく自分が不死だと感じられる方法のひとつ、つまり今現在の歓喜の中に生きることこそかっこいいのだということに思い至った。
(...)
この八月にそのことに気づいた。以来、喜びの中にかっこよさを見出すようになった。《何度か形而上学を研究しようと試みたが、至福感のおかげで中断してしまった》とマセドニオ・フェルナンデスは書いている。今の私は、生きる喜びを経験せずにこの世界に身を置いているのはかっこいいどころか、実につまらないことに思われる。フェルナンド・サバテールは、スペインのことわざ「物事を哲学的に受け止める」というのは、諦めをもって受け止める、あるいは真剣に受け止めるという意味ではなく、喜びをもって受け止めるという意味だと書いている。たしかにそのとおりである。つまるところ、絶望したければ永遠にそうしていればいいのだ。 エンリーケ・ビラ=マタス『パリに終わりはこない』(p.83〜88)

9月24日

昨夜未明、『富士日記』ラストラン。昭和51年9月9日に山荘を出、それから帰京後は赤坂の住まいでも日記をつけた旨の附記が挟まれ、9月15日からの日記が始まって、それから終わった。終わった瞬間に「あっ!」と声が出て、急いで外に出て煙草を吸った。涙が次から次に目からこぼれていって、なにに泣いているのだろうと思って笑った。しかしこの涙はなんなのだろうか、豊かさへの、すばらしい家族の夫婦の記録の豊かさへの反応なのか、悲しみへの、ひとつの生の終わりの悲しみへの反応なのか、惜しさへの、2ヶ月ともに過ごした人々と別れることへの惜しさへの反応なのか、ってそんなのは全部がぐちゃぐちゃに混ざりあったものだということはわかりきっている。
胸がいっぱい。すばらしい本に出会えてよかった。気持ちがさわさわしてしばらく寝つけなかった。

店を開ける前の時間にあとがきと解説を読んだ。それだけでこみ上げるものがあるようだった。ところでその年の12月号だからきっと11月発売とかの文芸誌『海』に昭和51年の分の日記が掲載され、それから昭和39年から順繰りに掲載され、翌年には書籍化されたということが知れ、そのスピード感を意外に思った。意外に思ったが、たしかに附記で書かれた言葉を見るとまだなにかなまなましい感情のようなものが見られていた気もして、腑に落ちるものでも同時にあった。

準備もせずにあとがきを読んだりぼんやりしていたところ開店までいささか慌ただしくなり、まあでもゆっくりだろうと、根拠のない考えのもと構えていたところ一気呵成だった。昨日が3時までにお一人しか来られなかったわけだけど今日はその時間までに16人の方が来られた、どうしたら16人も収容できるのか、全10席の店で、というところだが、パズルみたいにはまったということだった、これは別段いいこととは言えないだろう、滞在時間が短い方がおられたから成立することだった、4時には二人になっていた、今日はどの方も短い、ということでやはりいいことではなかった、売上が立てばいいというものでもない、へとへとになるまでバタバタした。

左肩が痛くなっている。疲れだろうか。バカみたいだ。

左肩がどんどん痛い。なんだろうかこれは。バカみたいだ。
右手首も痛くなってきた。

夜、『パリに終わりはこない』。
営業中は一切読まなかったので今日の読書は寝る前だけ。『富士日記』が終わって、寝る前に何を読んだらいいのだろうと思ったが普通にというか、読み進めた。

9月25日

ひたすら詰問される。正しい答えなど存在せず、新たな詰問を生むだけ。うんざりしていく。

東京ドームで試合中に地震が発生し選手たちはマウンド付近に集まっていった。するとマウンドのところで円形に地面が割れていって、マウンドと周囲のグラウンドのあいだに大きな亀裂が発生して、その中に何人も落ちていった。屈強な男たちが右往左往していた。照明が高い天井から落ちてきて、客や記者を潰した。壁が吹き飛び、それに押されるように同じ速さで飛ばされる人間を見た。砂塵がもうもうと舞った。それを僕はテレビ画面を通して見ていた。
自転車に乗って、病院に行った。先生と話したかった。話せたのだったか。待合室でインスタを見ていると地震のときの祝勝会場で倒れた人が酒とともにブルドーザーで寄せられて山になっている様子が何枚かアップされていた。炎上必至だった。それからまた自転車に乗っていた、晴れていて静かだった、文京区にいるようだった。地震はそれではどこで起きたのか。古本屋のウインドウに知ったなにかがいろいろと並べられていて、かっこいい雑誌かなにかだった、そのなかにテジュ・コールの『Blind Spot』があって、「あ」と思った。それから千葉の親戚の家にいた。この惨状のなにかを誰かに伝えようとしていた。猫が散らかった部屋のなかを歩いていった。散らかりと地震は関係なかった。地震はどこで起きたのか。

午後、仕込み等が済んだので『パリに終わりはこない』。
最初の小説を書こうとしていた若いときに住んでいた屋根裏部屋の大家はマルグリット・デュラスで、あるとき小説を書きあぐねている、といったところデュラスは部屋に戻って一分ほどして現れて一枚の紙を渡してきた、そこには「1、構成の問題。2、一貫性と調和。3、プロットとストーリー。4、時間的要素。5、テキストの効果。6、本当らしさ。7、語りの技法。8、人物。9、対話。10、状況設定。11、文体。12、経験。13、言語使用域。」とあり、若き作家は「ふーむ、そう言われたところでなあ」と思うのだけど、読み進めていたら《以前、デュラスがいい小説を書くための心得を原稿用紙に箇条書きにしてくれた》とあり、原稿用紙、と思った。フランスの原稿用紙とはどんなものなのだろう、マスとかはきっとというか当然ないのだろう、ノートパッドとどう違うのだろう、原稿用紙、なんという単語なのか。

なんとなくぼんやりしているのか疲れが溜まっているのかいくつかミスをする。水のグラスを倒した。運よくお客さんのものを濡らすことはほぼなかったからよかったもののだいぶ運がよかっただけだった。グラスを倒して水をぶちまけることは半年に一回くらいやる気がする。四半期に一回くらいかもしれない。いや三ヶ月に一回くらいだろうか。あ、同じだった。気をつけないと、とやったあとに思うが、気をつけないと、と思うことを忘れた状態になるから起こることであり、あとで気をつけないとと思っても意味がない。

バスケスの『密告者』のAmazonのページを見て下にスクロールしていたら「チリ夜想曲」とある。ボラーニョが出るらしい、しかも9月26日だった、これはなんというか大変な事態だ、ボラーニョ、バスケス、滝口悠生。が一気に出る。ビラ=マタスがまだまだ途中だ。大変だ。
ボラーニョコレクションはいつ以来だろうか、今年の1月終わり、日暮里の喫茶店で読んでいたのは『ムッシュー・パン』だった、それから、何かあっただろうか、あった、『第三帝国』があった、この日記の最初のほうで日記を始めたのは『プリズン・ブック・クラブ』の影響だとばかり思っていたが『第三帝国』を読んだことも影響しているのかもしれないと書いていた、『第三帝国』を読んでいたのは夏の終わりごろだったろうか、青山のあたりの喫茶店で読んでいた場面を覚えている、それからイメージフォーラムで映画を見て、見終わって、小説のなかで描かれていたのを見てあっけなく影響を受けてサンドイッチとビールで夕食としたいと思って、たくさんサンドイッチを作って夜、食べたのだった。だからきっと『チリ夜想曲』は『第三帝国』以来だった。そろそろコレクションも終わりだろうか。

わ、さらに柴崎友香の新作も10月5日発売なのか。読書の秋ラッシュなのかこれは。たいへんだたいへんだ!

9月26日

『チリ夜想曲』でボラーニョコレクションは終わりだった。ボラーニョの終焉。

今日はひきちゃんが予定があったため夕方に交代する日で、だからそれまで真面目に労働して、夕方から休んだ。
丸善ジュンク堂に行って、うろうろとしていた、もともとの夜の予定が全部なくなったこともあり時間もいくらでもあるような気になって、長い時間、慌てもせず、鷹揚な心地でうろうろしていた、それで『WIRED』のアフリカ特集のやつを取り、それから『チリ夜想曲』を取った、買った。
どこで読もう、ということが昨日からずっと頭にあって、それを考えると緊張を覚えるくらいだった、どこで読んだら心地よく読んでいられるだろうか、まったくわからない! それで久しぶりにフグレンに行った、ボラーニョを持ってフグレンに行くと、いつかもフグレンでボラーニョを読んでいたことがあったような気がしてきた、あれはいつだったろうか、そもそもその記憶は正しいだろうか。
カフェラテを頼んでソファががら空きだったのでソファに座って、『パリに終わりはこない』を開いた。次第にわりとまっとうに若い芸術家の肖像が描かれていくようで、正しく懊悩しながら作家になる男は小説を書こうとしていた。作家になる、とはしかしどの時点でのことなのか、本を出したら作家なのか、書いていたらもう作家なんじゃないのか。とにかく男は小説を書こうとしていた。パリ。『移動祝祭日』のことを何度も考えながら、小説を書こうとしていた。パリ。カフェ・オ・レ。パン・ド・ミ。 座っていた席は入り口のすぐ横で、扉はずっと開け放たれていた。だからずっと外気に触れていたわけだが途中から「寒い」という感覚になって、冷房による冷えを別にすればこれは今年初めてのものだった。 その入り口から、周辺視野が捉えた情報によれば背の高いすらっとした女性が颯爽とした足取りで入ってきてそれまでソファで静かになにかを眺めていた男性に「サヴァ?」と声を掛けて、ひとことふたこと話したあとにお店の人と日本語であれこれをしゃべって、それからソファに戻ってきて座って、非常に早口のというか完璧なフランス語で男性とずっとしゃべっていた。完璧なフランス語。マルグリット・デュラスのような? そう、デュラスのような。と思い、僕は俯いたまま、シャワーのようにフランス語を浴びながらスペイン人が描くパリでの暮しを読んでいた。どんどん読んだ、読み終わった。
読み終わるとお腹がすっかり減っていて手にしびれを感じていた。困った、と思って居酒屋に行って、そこでビールとポテトフライと太刀魚のなめろうを頼んでボラーニョを開いた。じっくりゆっくり読もう、と思って読み始めた、神学校を出たチリ人の男が文芸批評家になったらしかった、ホルヘ・エドワーズやホセ・ドノソといったチリの作家の名前が出てきた、エドワーズは大使としてキューバに行ってそれで『ペルソナ・ノン・グラータ』を書いたわけだけど、そのあとで出てきた話で大使としてフランスに行っていたチリ人作家の出来事が書かれていて、あのころ、ラテンアメリカの作家はみんな大使だったのだなあ、と思った。カルペンティエールもたしかそういう一人だったはずだ。みんな、と思ったがカルペンティエールしか浮かばなかったが。
それからハイボールと白ワインを飲んで、帰ってからも白ワインを飲んで、大の字になって目をつむっていたら朝になった。でたらめに酔っ払った。

9月27

27日。明日には滝口悠生とバスケスが出る。昨日でビラ=マタスはやっつけた。次はボラーニョをなぎ倒せ。と、思っていて、とにかく本を読むぞ、幸か不幸か今日は昨夜まったくの暇だったようでやるべき仕込みもなにもない、さあ読むぞ、と思っていたが、せっかくのラストボラーニョをそんなふうにこなしてしまうのは気が進まない。だからコツコツと他の仕事ををしようか、という気に昼の今、なっている。しかし平日、暇な日が本当に多い。困った。

「周辺視野」で検索すると実況パワフルプロ野球の記事から出てくる。もしかして僕は間違った言葉を使ったのだろうか。

ボラーニョを読んでいたら、いたらというかその前から、度し難い眠気に見舞われた。ボラーニョは面白い、山の谷間に英雄たちの墓を作る靴屋の話と、ヨーロッパの教会で鳩の糞害対策で神父たちが鷹匠として鷹を駆使して鳩を駆除というか駆逐する、そういう話が書かれている箇所を読んでいた、度し難く眠い。昨晩は10時間近く眠った。休日明けはとにかくしっくりこないということか。しかし夕方からのバトンタッチの日を休日と呼んでいいのか。体も重い。休みとは。

わたしはギリシア人の本を再読しよう。伝統の命じるままに、ホメロスを皮切りに、ミレトスのタレス、コロポンのクセノパネス、クロトンのアルクメオン、エレアのゼノン(実にすばらしい)と続け、その後、アジェンデを支持する軍の将軍が暗殺され、チリはキューバとの国交を復活させ、(...) わたしはスパルタのテュルタイオス、パロスのアルキロコス、アテナイのソロン、エフェソスのヒッポナクス、ヒメラのステシコロス、ミティレネのサッポー、メガラのテオグニス、テオスのアナクレオン、テーバイのピンダロス(わたしのお気に入りのひとり)を読み、政府は銅を国有化し、次に硝石と鋼鉄を国有化し、パブロ・ネルーダがノーベル賞を、ディアス=カサヌエバが国民文学賞を受賞し、フィデル・カストロがチリを訪問し、 ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』(p.92)

眠気、読書、仕事、それを繰り返していたところ読み終わってしまった。すごかった。そうだよな、チリにもアジェンデの登場に苦い思いをして、ピノチェトのクーデターと軍事政権を黙認したむしろ歓迎した勢力というか知識人たちというのがいるのだよな、ということをなんだか初めて知った気がした。ピノチェトたちにマルクス主義とはなんぞの講義をおこなう批評家兼詩人兼神父。これに解決策はあるのだろうか?
それにしても読み進めていくなかで「あ、これは終わる、終わるぞ今晩」と思ってからは読んでいる頭の片隅というか30%くらいの場所には「どうしたらいいだろうか?」という問いが浮かんでいた。『高架線』、それから『密告者』。今日は27日。もう発売しているだろうか。今夜店が終わったら蔦屋書店に行ってみたらいいのだろうか。それともAmazonでポチるのがいいのか。どうしたらいいだろうか? それを考えながら読んでいたら、終わった。そのあとには、糞の嵐が始まるのか? どうしたらいいだろうか? どうしたらいいだろうか?

どうしたらいいか。答えはきっと簡単だった。店が終わったら蔦屋書店に行って買ってくればいい。雨が降りさえしなければ、の話だが。と思い、発売前夜だがもう置いている可能性は十分にあるだろう、と電話で在庫をうかがってみたところいずれもなかった! いったいどうしたらいいだろうか? 明日ポチる、明後日届く。それもいいかもしれないが、では明日は? 明日は何を読んだらいいのだろう? しかも予報は終日雨だ。完全な読書日和じゃないか! いったいどうしたらいいだろうか? 途方に暮れる。雨でさえなければ、開店早々の丸善ジュンク堂に行くということもできたかもしれないが、雨となればそういうわけにもいかない。これに解決策はあるのだろうか?

一日激烈に暇で、今日はもう終わりだな、誰ももうおらんし、と思っていた22時半から珍しいことになった。久しぶりに来られた方がまずパソコンを机に置いたので、あ、パソコンだいぶ使えなくなったんですよ、詳しくは読んでいただくとして、今夜はどうなのか、というところなんですけど、これから新たにお客さんが来ることはわりと考えにくく、で、この状況であれば別段好きに使っていただいてもいい、が、万が一でお客さんが来られたらルールに則っていただく、という感じになるんですけど、というところで、諾、というところで、それでオーダーされたものをお出ししてわりとすぐだった、万が一だったお客さんが来られて、ありゃーなんか諾とはいえ申し訳なさ感じる局面〜と思っていたところ、その方もパソコンを机に出された、それで、あ、パソコン、だいぶ使えないんですけど、で、それは読んでいただくとして、で、今あちらの方パソコンで、で、今日ご両人ともにパソコンなんで、なので好きに使っていただいていいですよ、と言って、で先ほどの方のところに行き、あの、さっきお伝えしたことなんですけど、あ、でも、あちらの方もパソコンで、なので今日はもうオッケー、という感じで、とお伝えした、で、二人に向かって、ただ、ただ、万が一ほかのお客さんが来られたときはルールに従っていただく感じになりますんで、という、はーい、という、極めて珍しいことが起きた。今、だからフヅクエには、今では通常まったくありえない、マウスのクリック音がぱちぱちと鳴らされる、そういう状態になっている。久しぶりにクリック音を聞きながらやっぱりこの音は凶暴だよなと思いながら、それはそれとしてこの夜の展開を面白く思ってもいる。
雨が降り出した。降っていなくても蔦屋書店には『高架線』も『密告者』もないから、どのみち今日は買えなかったわけだけど、降ったことで、よりどのみち代官山に行くという選択肢はなかったのだ、と思うと、しかしそれはいったいどんな慰めとなるのだろうか。明日は何をして過ごしたらいいのだろうか。
そう思ってからAmazonを見ると、『高架線』は残り13冊となっていて、もう発売されているようだった。明日中にお届け、のような記載は見当たらなかった。いつ届くのか。天気予報を改めて見ても明朝丸善ジュンク堂に行くことはやはり無理なような気がしたので、どのみち、と思ってクリックしてみた、すると「9月28日木曜日に到着予定」となった、夕方、だろうか。OK、と思った。夕方までは仕込み等に勤しもう。それから画面の下部の「最近閲覧した商品とおすすめ商品」に『北海道日本ハムファイターズ流 一流の組織であり続ける3つの原則』があって、それは内野守備走塁兼作戦担当コーチである白井一幸の本であり、おそらく少し前に栗山監督の本を検索していたことで出てきたのだろう。先々週くらいだったかお客さんが読まれているのを見かけて「これはw」となった本でもあった、馴染みのある方だったのでうかがってみると会社の研修かなにかで課題図書かなにかになっているので読んでいるということだった。小説ばかりだと疲れてしまうし、と思ってポチった。明日ががぜん楽しみになった。

9月28日

『パリに終わりはこない』で語り手の母親が数字を見たら足し合わせなくては気が済まないということが書かれていて、これはカポーティがインタビューで言っていたのと同じだよな、と思ったため確認してみた、『パリ〜』では電話番号、ホテルのルームナンバー、ある種の数字は絶対に回避する、その番号には電話を掛けないしその部屋には絶対に泊まらない、そういうことが言われていた、それから灰皿に煙草の吸い殻が三つある状態がダメで、尼僧が二人乗った飛行機には乗れない、金曜日には何かを始めたり終えたりは絶対にしない、そうあった、それは全部カポーティの話とぴったり一致していて、だからオマージュみたいなものなのだろうけれども、微妙なオマージュすぎてよくわからない。と思った。
そのあとカポーティのインタビューを読んだ『パリ・レヴュー・インタヴュー』のことを検索していたらそういえば読んだのは「1」で、「2」もあるんだったよなということを思い出した、「2」は見てみるとヘミングウェイ、ガルシア=マルケス、ヴォネガット、ソンタグ、という話で、「1」よりもよほどそもそも親しみのある名前がある、ヘミングウェイがどう話すのかを聞いてみたい気も起きる、近々読んでみようかという気になっている。

午後2時過ぎ、『高架線』と日ハムのやつが届いた。ただまだ何かもったいなくて開いていないでダラダラしている。午後が静かに過ぎていく。日々は静かに発酵していく。

一度も本を開かない、いやそれは正確ではない、『Wired』は開いて少し読んだ、それ以外はまったく開かない、そういう日になった。忙しかったわけではない、ただ『高架線』を始めるのはなんとなくもったいない気がしたままで、それでずっとパソコンを見つめていた。

9月29日

朝、パドラーズコーヒー。今日もまだ冷たいラテ。外で。たいへん気持ちがいい。30分くらいのんびり過ごすと辞去し、秋晴れ的な空気を感じながら自転車で店に向かいながら「気持ちいい!」と思っていた。とてもいい。

今日も本を開いていない。月末で家賃を払ったり、経理の作業をいくらかやったり、あとはパソコンを見つめたりしていた。そうしたらしばしばそうなるようにこれから自分はどうやって生きていくのだろう、という不安にわりと芯から襲われ、塞いだ。どうやって生きていくのだろう。生き続けなければならない、というのはなかなか大変だった。

夜までずっとパソコンと向き合っていたら六時過ぎくらいから肩がバカみたいに重くなった。呼吸するのも苦しいというくらいに重くなってパニックを起こすかと思った。ている。パソコンを見ていることはこんなに重篤な疲労をもたらすものだったのか。ちょっと怖いくらいに肩が重い。

金曜日? だっけ? という、激烈に暇な日になってしまった、もう9時になる、これはひどい日だ。検索して調べて首周りのストレッチをおこなった、パソコンから手を離した、そうしたら改善した、あとは働くだけだ、さあどんと来いと、そう思っていたら誰も来ない、激烈に暇な日になってしまった、月末金曜日、ということだろうか、理由なんて求めてもしかたがない、それにしてもひどい、何もすることがない、だから日ハムの本というかコーチングの本を読んでいる、まだ滝口悠生は開いていない、そろそろ限界だ、読もうか、何が限界といえば暇なのが限界ということだった、そろそろ限界だ、頭がおかしくなりそうだ、それは嘘だ、肩が楽になったのでかなり気も楽になった、パニックするかと思ったから本当によかった、

あまりに暇で悲しくなっていった。どうやって生きていくのだろう。へらへらとニコニコと生きていくだけだなんの心配もいらない。たいしたことではない。

「(…)たいしたことではない」
突然、そう言ってしまったあとで、それはたいしたことではなくなった。一瞬のうちに、ストーナーはみずから発した言葉の真実を感じ、この数ヶ月で初めて、自分でも意識しきれていなかった絶望の重みから解き放たれた。笑いだしたくなるような浮き立った気持ちで、同じ言葉をくり返す。
「たいしたことではないよ」 ジョン・ウィリアムズ『ストーナー』(p.221)

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