読書日記(37)

2017.06.17
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#6月10日 ドッ業いびだった、と終えtもあゆっくりなスター後えyっくり本でも読もうかなrと思っていたといか本を読む気はなかったのd変え土いゆっくり仕事をしてようかなと思っていたとkろ3時kルアイから言い聞かせ印い来られててんやわんやしたあtドエ』落ち着いてm,ろれでなたパシオとをしたり仕込みをしたりそういうことそうぃていたらあ夜になってなたまtあどどおdちと億クアンがんさこれら得て既往の夜から腰wがうsこいピキッという家事手痛くなっていtあおそえが居はいt日いあって、腰をkぐりぐりとお指rであるとかでおs対tリしながらウド知恵いたいた、真面目ない今日も当たら一重あおt、お立ったらわ~面とぉためい以降kたという気もいしたいたが湯hなんはあら~目tンは食べつにアーロtランドをのねでsまえた。お腹たgおっとえも凄いた。
日ハムが買った。
kのrころmずっと負けチエルあいs,なこちにあhなんかrdか色々ろtkビイr仕のかな落気持ちs血ああ気もしていたが居は私費アリスBリに買った。一番に座った大田泰示あ先生のホールmランを打ってずとt苦しいタア飽きを続けてきた中田翔がyg化雨天の2点打お打った、中田は今日は3番だったようだ。なんというかこの二人が活躍しての久s部位rにrの勝利問いうのはなんだかとtめお嬉しい気がしてはいラチオの動画とインタビューを見て、インタビィーは見るのが面倒になって見るのをすぐにあtまえた。僕タイアthが空きrt前田はいけないんだと、なんdか首相に灯った。
夜中tお、時点h差を漕いでいると気持ちがいい。固執回s道を走っていると車がおいくるtも走っていt夜にはいsって要る車を見るのは好きだった。タクシーは等にとうでおもおも穴井ワケお度、あくしーではないふつのくルマを見ると、この車に乗っている人はおこかだ着てm,どこに向かっているんどあろうか、どんな言うんてんをしているのだろうかと思うとなんというか切ないようなk持ちになる。sつな血というんhとは違う、不思議な、徒歩もないというか、なんdかあグッとくるものがある。穂中のいぼkモア非朝br苦運転なんてしていないけどレドも、どこかに目指してでも前座なあなくてでもいいけれどなんとなくjん点をしていたいようなキア知的た。ァ和えw@熱tで』k師をやs見た。明日は楽になっているどあるか、。『k性も語るものがないねかれば」を魚見ながらレイぶおのnッキ過ぎた部屋で眠った。
##6月11日 なんだかヘトヘトに体が疲れていて腰がぴきぴきと痛いので親指で頻繁にぐりぐりと押しているがそんなことで楽になるわけでもなく、なんだかヘトヘトに体が疲れていてどこでこんなに疲れがたまったのだろうと考えてみるが思い当たるふしもなく、なんだかヘトヘトに体が疲れていてなんで自分で決めて自分でこんなふうに自分を追い込んでいるのだろうなと思うとバカらしい思いも湧いてきて、なんだかヘトヘトに体が疲れていてそれでも仕込み等まじめにおこなうのだから問題はないといえば問題はないというか店に迷惑を掛けてはいないというか店にその疲れのしわ寄せみたいなものがいっていないことについてはひとつ安心できることであり、なんだかヘトヘトに体が疲れていて朝からぐったりとしていたが気分は特に暗いわけではなくてはてブのホッテントリにあった恋人が自殺した話と過労死の話を読んで過労死の人がどれくらい働いていたのだろうと記事を見たらそれは凄まじい時間働いていて、なんだかヘトヘトに体が疲れていて自分はそれよりもずっと短いからじゃあ問題ないとかそういう話ではなく疲れというのはどこまでも個人的なものだからなんだかヘトヘトに疲れていて悲しみや怒りや苦しみ、ここでは苦しみを特に強調したいが疲れも苦しみもどこまでも個人的なものだから誰かが疲れや苦しみを表明したとき僕はそれをそのままのものとして受け止めたいと頭ではいつも思っているしなんだかヘトヘトに体が疲れていてそのうえでどうするか自分にできることできないことがあってそれはしっかり切り分けて考えたいしなんだかヘトヘトに体が疲れていてズッキーニを塩もみすることを最近は頻繁にやっていて塩もみすればいいと思い始めたのか昨日はカブを塩もみして今日はナスを塩もみしていてなんだかヘトヘトに体が疲れていてカブは大葉とお酢とゴマ等々で和えてナスはやはり大葉と辛子等々で和えようと思っていてギュッと絞ったときの水分がとことこと落ちる調子を見るのがなんだかヘトヘトに体が疲れていたとしても好きだ。
それでとてもだから忙しい日曜日になって体はヘトヘトで、と思ったら最後に来られた方が来られたのが19時20分という、そういう日になって、夜がだからつまりまったくぱったり完全に暇だった、8時半くらいでさーっと引けてそれから長い時間お二人だけという状況で、さすがにやることもなくなって本を読んだり何かをしていたりしていたら疲れでなんだか泣きそうな気になった気がしていたはずが暇すぎて泣きそうな気になったような気がして気持ちの動きが忙しかったような気がしたが別に泣きそうだったわけでもなかったし、ただ今日の疲れは極まっていた。原因がわからないのが困った。ゴールデンウィークの最後の方と同じくらいに疲れている気がして、ゴールデンウィークは休日が五つとか続くウィークだったのでそれで疲れるのは道理だとしてなんでもない6月の週末になんでこんなに疲れを感じなければならないのか、それがわからなくていささか混乱している。
ぼんやりとしながらもうダラダラしようと、それでひさしぶりに営業中に本を読んでいたというか『奇跡も語る者がいなければ』を開いていた。イギリスの小説で、アメリカの小説だと思って買ったかどうか忘れたがどこかでイギリスだとわかった小説で、ティーン。てぃ〜ん。同じティーンが描かれていてもアメリカのティーンだと思って読んでいるのとイギリスのティーンだと思って読んでいるのだといろいろと印象というかなにか見ている気分が変わることに気がついた。ティーン、に別に限った話でもなく、印象がなにか変わるというか気分が変わる。勝手かつ浅はかなイメージでしかないが。驚くほどに浅はかなイメージでしかないが。曇っていそうとか。それに伴って暗そうとか。マリファナじゃなくてそれはやめておきなよ〜というようなものをやっていそうとか。
営業時間が残り1分となった。先ほどから鼻水が出てきて困っている。
営業が終わった。日ハム対巨人のハイライト動画を見た。大田泰示が今日もホームランを打った。しかも吉川から打った。村田透が勝った。しかも巨人から勝った。
そのあとに楽天対広島のハイライト動画を見たらなんというかどちらのチームもすごく躍動しているように見えた。特に楽天の選手の感情を露わにするそのしかたがなんというか、勢い、みたいな感じだった。みんなすごいそれによって腕が抜けちゃうんじゃないかというようなガッツポーズのしかたをしていた。最後のアウトの送球を受けた一塁手のガッツポーズのしかたはあまり見たことのない勢いのもので、誰だこのファーストは、と思って見たら銀次だった。今年の楽天はどこまでいくのだろうか。そういえばオコエ瑠偉はどうしているのだろうか。「おこえるい」はすぐに出るかと思ったらそうでもなかった。それは「オコエ類」から始まった。
##6月12日 6時起床。起きたら体が完全に元気になっていた。疲れは一ミリも残っていない。部屋の掃除と洗濯を済ませて近所のコーヒー屋さんに行って朝のコーヒーとベーグルと読書。『奇跡も語る者がいなければ』がだんだんおしまいの方に近づいてきた。老夫婦の夫が祖父の臨終の場面を妻に語るが語りたいのはその話ではないその場面に朝から涙ぐむ。
10時店に到着。今日はカレーの仕込みくらいなのでカレーの仕込みと掃除等をおこなう。西武の辻監督が就任後初めてマウンドに行ったそうで、最近救援を失敗した増田が四球でランナーを出した、スコアは1−0という、見ている方としては非常に不安になるピンチと呼んで差し支えのないそういう場面で辻監督はマウンドに行った、そこで「大丈夫だ」と言った、と増田が話した。試合後にこの場面について問われた辻監督は「一度、マウンドに行きたかっただけなんだ」と話したらしく、それに対してコメント欄で「あだち充チックやなw」と書かれていてそれで僕はそれからあだち充の漫画のことを考えていたというか、読んだことがあるのは『H2』と『タッチ』なのでその二つの漫画のことというか、記憶もいろいろとあいまいなので漠然とあだち充チックな絵柄でものごとを想像していた、そのあいだずっと涙ぐむようななんというかボワッとした気持ちが押し寄せてきていた。なのでひさしぶりにあだち充の漫画を読みたいような気になってきた。『H2』か『タッチ』をなにかこう全巻で揃えるみたいなこともまた、よいことではないだろうか、そんな気になってきた。
12時に開店、今日も元気いっぱい。そう思って「H2 漫画 全巻」のような調子で調べてみるとそういったセットが売られており、しかもお値段3000円にもいかないとかでびっくりした。海外文学だったら一冊でこの値段でも何の違和もないようなそんな値段で17冊の漫画が買えるとはどういうことなのか。ただ問題は置く場所だった。ただでさえだんだん置き場に困りつつあるのに、17冊一気に増えるというのはどうなのか。考えるとワクワクしてきた。
夕方、とても元気なのでインターネットを見ている。野球やサッカーの記事を読んでいる。スポーツ以外の記事も読んでいる。とても楽しい。すごく気持ちが明るい。一日がブリリアントなものになっている。世界に祝福されたような心地がずっと続いていて、生きていてうれしい。全方位的に感謝してこの生をまっとうしたいし、この調子ならそれができると思う。感謝しか湧き上がる気持ちはない。どんなネガティブな気持ちも生まれない。ひたすらにうれしい。全部がうれしいのでずっとうれしい。何をしていてもうれしい。喜びに満ちている。満ちみてる生がここにある。今日も明日もあさっても、元気いっぱいに暮らすことができることを神および全方位に感謝し、自分自身をひたすら言祝ぎたい。
カニエ・ウェスト夫妻が日本に旅行にいってマクドナルドを訪れたというニュースを見て大歓喜した。僕の毎朝のアラームで鳴る曲のひとつがカニエの「We Major」で、この曲を聞くと朝から元気いっぱいで活動開始することができるからだ。ふつふつとやる気がみなぎってくるのが毎朝はっきりと感じられ、そして目覚めとともにカニエやNasたちと一緒にWe Major, We Majorと歌うのが毎朝のルーチンだ。しかし今日は早く目が覚めたためアラームの必要はなかったからアラームはむしろそのあと鳴らないようにオフにしたから、聞くことができなかった。いつもと異なり触れることのなかったカニエ・ウェストという存在に、ネットの記事を経由して会うことができた。それで僕は大いなる喜びを覚えた。これは運命だと思ったし、引き寄せの法則が発動されたものだと解釈している。先日とても尊敬している方から西方にパワーストーンを置くといいよと言われてそのようにしていたことが早速功を奏したようだ。これは特別に格安で買わせていただいたもので、値段以上の価値があるとはっきりとおっしゃっていて、そんなものを譲ってくださるなんてと驚いたしとても光栄だった。それにしても考えてみたらカニエ・ウェスト、蟹江・西。西方。Say Ho。そういうことかもしれない。グルには本当に感謝だ。今晩は仕事が終わったらグルとチャットでいつものセッションをおこなってもらう予定だ。一日がこれだけ楽しく嬉しく愉快なのに、その終わりにグルとのセッションがあると思うと「こんなに幸せでいいのかな?」という気持ちになってくる。本当に助けていただいている。「どんな苦境に陥っても感謝の気持ちだけは忘れてはならないよ」。僕が駆け出しのときにおっしゃっていた言葉だ。僕はそれを言われてから毎日かぶっているキャップのつばに「感謝」と書いて毎日見るようにしている。そうすると不思議なくらいに力がみなぎってくるのを感じる。それをグルに伝えたころ、それを書いたときのポジティヴなヴァイブスが手を通して物理的にインクに定着していて、それが見るときに空気を伝って網膜に届く、それで元気になるんだよ、という説明を親切にもしてくだすった。それを聞いてすごく納得したのを覚えている。前にとてもお腹が減ってお金がぜんぜんなくて食べ物を買えないことがあって、そのときに見てみたらまったく空腹がなくなったようなこともあった。本当に、感謝の気持ちさえあればいつまでも笑顔でいられそうに思う。それくらい大事なものだ。今日の営業はあと6時間。ここからもたくさんの感謝の気持ちをひとりひとりにしっかりお伝えして、みなさんに元気になって帰ってもらえるように努力努力だ。笑顔でがんばろう。がんばろうというか、純粋に楽しもう。ジャストエンジョイ、だ。
先ほどすごく素敵な記事を読んだ。「「ちょいワルジジ」になるには美術館へ行き、牛肉の部位知れ」というタイトルで、美術館で鑑賞中の女性に声を掛けて知識を披露してそのあと牛肉屋に連れていきイチボとはどの部位かと尋ねられたら君のこのあたりかなと言って尻をツンツンとする、ということが中高年男性へのナンパ指南として書かれていてた記事で、それに対するブコメを見ていたら「牛肉の部位を知る前に恥を知れよ」と書かれていて、僕はつい「プッ」と吹き出してしまった。おかしくっておかしくって、それでとても愉快な気持ちになった。インターネットは本当に愉快で笑顔を与えてくれる。今日もビル・ゲイツに感謝だ。
雨は降り、目の痛む男の子に降りかかっていて、男の子は自分の二階の窓から身を乗りだして、雨をポラロイドで撮っていて、何枚も何枚も、角度も変えず、焦点も変えず、つぎつぎと生まれてくる画像をカメラから引っぱりだして、まだ乾いていないそれらをわきに並べ、それらはフレームは同じでも絵は毎回違っていて、雨は逃した機会のように、ファインダーの向こうを上から下へと通りすぎていき、彼は眺め、シャッターを押し、彼は瞬きをせず、そして
雨は降り、二十二番地の屋根裏の、
ジョン・マグレガー『奇跡も語る者がいなければ』(p.272)
雨は降り、そして、雨は降り、そして、雨は降り、の箇所でぐーっとぐーっと持ち上げられてその数年後に机に広げられるいくつものポラロイド写真のくだりでぐーっとぐーっと収斂されていって女友だちとの電話でぐーっとぐーっとやさしい気持ちになった。目に涙がにじんで熱さが、痛みみたいな熱さがあふれた。仕事中に、と思って笑ったのち、それにしてもこの小説が愛おしかった。こんな小説に出会えて本当にうれしい。
いいよ、とわたしは言い、微笑んで言い、外で待ってて、いくつか持ってくものそろえなくちゃいけないから、とわたしは言い、わたしはドアを開けてあげ、車まで歩いて行く彼の後ろ姿を見おくって、わたしは奇妙な感じ、頭がくらくらする感じがする。
わたしはバッグを拾いあげ、わたしはコップに一杯水を飲み、ボトルにも水を詰め、わたしはもう一度花を見て、表に踏みだし、光の中に踏みだして、待ちうける車へとわたしは向かう。
ジョン・マグレガー『奇跡も語る者がいなければ』(p.286)
それは本当か? と夫は言い、本当なのか? 本当に本当か? ありがたい、と夫は言い、嬉しいぞ、ありがとう、ありがとう、と夫は言い、夫が自分に向かって言っているのだと彼女は気づき、そこで彼女は声を立てて笑い、こちらこそありがとう、ありがとう、だぶだぶズボンの旦那さま、と言い、夫も声を立てて笑い、ふたりは抱きあい
ジョン・マグレガー『奇跡も語る者がいなければ』(p.293)
なんだか僕はやさしい歌が好きで、やさしい声を、できればそれだけを聞いていたい、そういう声がこれらにはあって、ぎゅっと感謝の念が芽生えた。やさしいはうれしい、というのはだいたいほんとうにそうだった。と、ずいぶんぎゅっときてぐっときていたのだけど、ここからそういえば悲劇が待ち受けていたのだろうか。そんなことは起こらないでほしかった。それでも僕はビル・ゲイツに感謝だ。今夜を捧げたい。ほんとうに、そのくらい感謝してる。
今晩で読み終わりそうなので読むのをやめて閉店後に読み終えることに決めてそうしたら楽しみでうれしかった。それからこれはフヅクエブックスで売ろうということにしたためポチって、それからポップを制作していた。ポップに「保坂和志の一つだけ英訳されている『プレーンソング』のレビューに「日本のジョン・マグレガーだね」とあった、と教わって読んだのですが、保坂和志とは違うよなと思いつつ、」と書いたのだが、そう書きながらひとつ思い至ったのは『プレーンソング』のあの美しい海の場面と、この小説の先ほどの「雨が降り、そして」の反復あるいは「わたしは〜して、わたしは〜した」のようなやはり反復が、見た目としてなんだかそれ自体が絵みたいになっているというか、というそういう部分は共通するかもしれないと思った。モアレ、という言葉を思ったのだがこの言葉の意味することを僕は知らないので調べたら「干渉縞ともいい、規則正しい繰り返し模様を複数重ね合わせた時に、それらの周期のずれにより視覚的に発生する縞模様のことである」とあり、ではきっとモアレではなかった。モアレというのはラッパーのKOHHのリリックに関する『ユリイカ』で読んだ論考で出てきて知った気がする言葉で、KOHHの場合は簡単な言葉を反復させることでどこかでなにかがワッとなる、というようなことが書かれていたか書かれていなかったかしていたことを記憶している。そういうのと何か、通じるだろうか、と先ほどジョン・マグレガーと保坂和志のことを思いながら思ったがわからなかったし保坂和志から受けた影響というか敬愛してやまないので感謝なんていう言葉では保坂和志に対しては足りなくて、それでも実際に僕にできることは感謝なので、具体的に感謝し続けている。
滝沢カレンのインスタが面白いとうかがったので見に行ったらとても面白くて、こんなにも世界には面白いことがあふれているのだなと思ったらほんとうにうれしい気持ちになった。たくさんの人に生かされているな、と今日も実感する一日だった。本当に感謝以外の感情というものが僕の中にはもうどこにも見当たらなくて、徳を積んだら死に顔も笑顔になる、という話を教わったことがあるとおり、そういった顔で僕もいつか天に召される日が来るのかもしれないと思うと喜び以外の感情というものが僕の中にはもうどこにも見当たらなくなる。生きていて本当に楽しいというか、生きていられて本当にうれしいというか、生きるということをさせていただいていてなんてラッキーだったんだろうなと思う。万物に対する感謝の気持ちがあふれて今晩は抑えられそうにない。セッションでは今日はこのことを話そうと思っている。グルはどんなふうなお話を今夜は聞かせてくださるのだろうか。ワクワクがずっと止まらない。最近は寝ているときですら楽しいような気持ちになる。僕は本当に幸福でしかたがない。
##6月13日 夕方から休みで、それで夜に予定があった、そのあいだに三時間があった、その時間を有効に使いたかった、それで買おうと思っていた本があった、『本の未来を探す旅 ソウル』と『ピンポン』だった、まるで韓国が大好きみたいな二冊だったが、韓国の小説を読むのはたぶん初めてで楽しみだった、それで、だから、新宿の紀伊國屋書店に行って買って、喫茶店に入って、でも今日は仕事をしようと思っていた、なんのため買いたかったのか、でも買いたかった、でも時間を有効に使うためには紀伊國屋書店まで行かない方法があればそれもよかった、それでルミネの中にあるブックファーストに電話をして在庫を問い合わせたところ『ピンポン』はないということで、ないとしたら『ピンポン』だろうと思っていたのでそうがっかりもしなかったががっかりもした、どうしようか、考えてみたらそもそもそんなに時間があるわけでもない、であるならば本屋は行かないでAmazonでポチることにしようか、そういう考えが出てきた、昨日『奇跡も語る者がいなければ』をポチったけれど、それはそれで後悔とかではなく、そのときにどうせ翌日書店に行く時間が潤沢にあるというわけでもない状態で行くということがわかっていたのだからポチればよかった。なんでだろうか、読む本は書店で買いたい。
「セブンイレブンは「街の本屋さん」」とセブンイレブンに貼ってあったそれを今思い出した。「うるせーよwww」くらいしか思うことはないが。
そういうわけで途方に暮れている。四時から来るスタッフのひきちゃんに「今日ってどこからくるの?」と連絡した。都合のいい場所にいたら買ってきてもらおうという算段だった。ジタバタしている。
いや夕方に仕事を
それから目的駅の書店にあれば一番いいじゃないか、ということに初めて気がついたので阿佐ヶ谷の書店を検索したところ書楽という書店があったので問い合わせてみたところ一冊ありそうと言われて店頭在庫見てきますねーと言われて数十秒後にありましたーと言われて、取り置いておきますねーと言われて、なんというか、その方の電話対応がすごいよかったというか、特別なことは言っていないのだけど口調が普通というか、むしろちょっとルンルンというか、取り置いておいちゃいますね〜みたいなトーンがあるような感じがして、なんだろうか、僕はとてもうれしかったしここで買えることになってよかったと思った。
それで阿佐ヶ谷までのルートを、もちろん新宿乗り換えでいいのだけど、調べたらバスもあることがわかった、電車だと21分だがバスだと35分だった、本当に21分くらいで初台から新宿乗り換えして阿佐ヶ谷まで行けるものだろうか、といぶかる気持ちもあったし、なんとなく、新宿を通るよりもバス一本で行けたほうが気持ちがいいことは間違いがなかった。時間を有効に、だったのではなかったのか。有効かどうかの判定には満足度も関わってくる、と返答があった。
##6月14日 バス停に行くとバスが出るのは12分後で、完全に電車の方が早いということになったので電車に乗ることにして電車に乗った。阿佐ヶ谷はほとんど初めてだったけれどなんだか面白い町で夜になってひとつ入ると活気というかにぎわいみたいなものがあって、sucicaのカードの期限が切れたのでみどりの窓口で聞くとビューカードのATMで残金の引き落としができる、新しいカードはもうそのまま使えるはず、オートチャージの設定が見られるから見てみるといい、なっていなかったら有効にしたらいい、ということを教わり、変更しにいった。
それで書楽で二冊を買い、喫茶店で韓国本屋の本をいくらかペラペラしながらナポリタンを食べて、でもパソコンを広げるような感じでもない気がしたのでスタバに行ってパソコンを広げた。僕はちょうどよくソファの席があいていたのでそこに座ったがすぐ目の前が向こうに続くカウンター席で、びっしりと座った人たちはほとんどみなパソコンを広げていて、そうすると横の人と肘がぶつかるんじゃないか、というように見える近さだった。あれはなんというか非人間的な近さだった。
帰りに電車に乗ったところエスカレーターの右側を歩いていく人たちが見える角度を歩いたところ横から見ているとエスカレーターの右側を歩いて下りていく人たちのその落差というのはすごい大きいのだな、ということがわかった。ひとあしでそんなに落ちる?というような落差があった。それに感心して、早く寝たら3時に目が覚めて、だからそれは眠っていたというよりは気を失っていたような感じだったのかもしれなかった。目が覚めてしまった。iPhoneではてブの記事であるとかをずっと見ていて2時間が経ち、さすがにバカらしいと思って本を読むことにして東浩紀の『ゲンロン0』をやっと開いた。それで1章と1章の次のやつを読んで目を閉じたら眠ったのでよかった。起きたら眠かった。
##6月15日 明日は日本生命セ・パ交流戦 2017 ヤクルト対日本ハムの試合を見に行くため前々から非番申請を上司に出していたため明日は休みのため今日のうちに何をやっておかなければならないのか、それをよく考え、実行していくそういう日だった、なんでだろうか、金曜日に休むのは少しそわそわする。もちろん忙しくなる可能性がある日だからということもあるのだが、なぜかそれ以上に仕込みの調子がいまいちわからない気になっているこれは、本当になんでだろうか。ところで天気予報を見たら晴れと雨のマークがスラッシュで区切られていたがこれはどういうつもりなのか。本当にそうなのか?だとしたら困るし、困るし悲しい。
仕込みをやって仕込みをやって仕込みをやって疲れて暇になったので床に横になって『本の未来を探す旅 ソウル』を読んでいた。
これは韓国にどしどし新しい書店であるとか出版社であるとかが登場しているらしいそういう動きをいろいろインタビューとかで紹介する本だけどなんというかつまり、だから、なにかを始めた人たちの物語集みたいな感じで読んでいる。そうすると一気になんだか臨場感が出て、ほお、と思いながら読んでいる。
一人で出版社をやっている方のインタビューで「将来どんなに人口が減ったとしても、人類が文明と社会を維持していく条件として、知識と知恵の蓄積・再生産は必要であり必須です。そして、それがもっとも洗練された形にまとまった成果物が本なのではないでしょうか。」とあって、なんかこの定義の仕方はなんだかよかった。本というものを何か特権的なものとはみなしたくはないが、成果物、という言葉が好きだったのかもしれない。その少し前にあったこの発言にぐっときた。
——ひとり出版社、というか、小さな出版社の強みはどこにあると思いますか?
決めるのが早いところです。1人なので当たり前ですが、これをやろうと思ったらすぐできる。その反面、すべての決定に淋しさがあります。
内沼晋太郎、綾女欣伸『本の未来を探す旅 ソウル』(p.45)
ぐっと来たというか、すべての決定に淋しさがあります、という言葉がなんだかすごかった。決定と淋しさ。淋しい決定。最近お店をやっている友だちと話していたときに人を雇う話になって、僕ももう少し仲間みたいな存在がほしかったりチームみたいなものがほしかったりするのかもしれないと思ったその夜はビールとワインとウイスキーとカクテルでぐだぐだに酔っ払って早々に眠くなった。それだけ深く孤独を味わっていたのかもしれない。以上はすべて嘘偽りだった。
孤独にさいなまれたのはむしろこの夜で、僕のなかのなんというかネガティブな気分が真っ黒い気分がどんどんと煮詰まっていくようでグラスを壁に放り投げて全部割るという失態をおかした。黒いやつは煮詰まって煮詰まって最後にはタールのようなどろどろのものになった。ところでタールっていったいなんだったか。ろくでもなく酔っ払って僕はだからろくでもなく酔っ払って僕はだからろくでもなく酔っ払ってそのまま床に転がって眠ったしいろいろが臨界点に近づいてきたため幸福でしかたがなかった。
##6月16日 休日だったので午前中から昼に掛けて取材を受けてそのあと渋谷に出てカフェに入って数時間仕事をした。僕はとにかくひたすら全身全霊で幸せですべての存在に感謝したいそういう気持ちに毎日なるようになって僕はだからとても幸福で幸福でしかたがなかった。カフェの前にラーメン屋に入ってラーメンと炊き込みご飯と油淋鶏を食べた。夜には雨が決して降らない。