本の読める店

読書日記(20)

Entry blog fuzkue442

2月11日

にがつじゅういちにち。どようび。ごごさんじろっぷん。やることがなくなったので今週の分を書き始めたけれど今週が始まってまだ5時間しか経っていないから特に書くこともないから書かなくてよい。土曜日。本来、いや本来とはしかしなんなのか。本来、いやしかし、本来、もう少し、いやしかしだがしかし本来。アルフォート食って生きる。腹が慢性的にいっぱいになっている。それはたしかに私が望んだ正月の実家っぽさなのかもしれない、一週間ちょっとやってみてだらだら働き続けるのは大変で、だからある程度忙しくしていたいとわかった、なぜなら、僕の座るこの場所にはこたつはないのだし、なぜなら、僕の過ごすこの時間のあいだはうたた寝はできないのだし。だから、一定の、いやしかし本来、本来とはしかしだがしかしたしかに、それはあるようでない、ないようであるわけではないし内容ははなからありそうにもない渋谷、複雑な歩道橋を渡る、夜、階段をあがっておりる、暗い淀んだ川をまなざし、煙草を吸っていた。

2月12日

船尾、甲板、海上の言葉はわからないのだけど進行方向とは逆のフェリーの後ろのところの立っていられる場所に立って少しずつ小さくなっていく宇野の町とうしろの山とを見ながら山は山だと言って、真下を見下ろすと二本の白いラインが八の字を書いて宇野方向に流れ、マットな質感の濃紺の海面はどこまでも広がっていた。
とまた豊島の

疲れた眠い

2月13日

朝から野方まで自転車を漕いだところ気持ちがよかった、立正佼成会のだだっ広い敷地というか各種の建物があって佼成病院も見当たって、それはだから先週読んでいた植本一子の『家族最後の日』を思い出させるのに十分だったし帰りには中華料理屋さんであるところの代一元の前も通って「ここか」と思ったが、代一元はもしかしたら別かもしれない、自転車でだから朝から野方まで走った、地図で見たところ最短ルートで8.5kmだったのできっと9kmくらいにはなっているのだろう、ちょうど30分というところだった、き・は・じ。
6時くらいまではお客さんもとんとこ来られて「調子がいいですね」だったし仕込み活動もいくつかあったので「やることがありますね」だったのだけど6時くらいで全部がひと段落してしまってお客さんもぱったりまったく来ない、やることもない、ブログ書いてた、ブログ書き終わった、じゃあ本でも読めば?と思うのだが今日は本に向かう感じがしない。『ビリー・リンの永遠の一日』しか今はないから、いきなり営業中に小説に向かうというのはもしかしたらどこかハードルがあることなのかもしれない。

「いろんな試練を受けてきているのよね、わかるわ。でも、多くの場合、そういうふうに事は進むの。人生がすごく暗くなって、すべての光が消えてしまったと思うんだけど、光はあるのよ。いつでもあるの。ドアを開けるだけで、その隙間から光は入ってくる」。彼女は微笑み、頭を少し下げて、恥ずかしそうな笑い声を出す。「私たち、記者会見のときずっと見つめ合っていたでしょう?私はこう考えていたの。これだけたくさんの人がいるのに、どうして彼は私のことを見つめ、私は彼のことを見つめているんだろう?だって、あなたは可愛いし、素敵な目をしているし……」。彼女はくすくす笑い、それからまた真剣な表情になる。「でも、いまは理由がわかるわ。本当にわかる。神様が今日、私たちを引き合わせようとしたのよ」
ビリーは息をつき、瞬きを繰り返す。頭をひょいと上げると壁にぶつかり、控え目なドンという音が鳴る。おそらく彼女が言っていることはすべて本当なのだ。
「私たちはみんな、この世で神様の光になるように求められているの」と彼女は続け、ポンポンを彼の腕にこすりつける。そして彼女がイエス・キリストとどのように個人的な関係を結んだかについて三十秒間しゃべったところで、彼は無言のままゆっくりと、そしてしっかりとポンポンの下に手を伸ばし、彼女の手をにぎる。 ベン・ファウンテン『ビリー・リンの永遠の一日』(p.198)

なんだろうな、なんで引用したんだろうか。ゲラゲラ笑った。ということが言いたかったのか。ゲラゲラ笑ったといえば大谷翔平をストーキングする女性の記事の記事全体の醜悪なトーンは置いておいて「私と翔平君は生活のリズムが似ていて、翔平君はお風呂で読書をするんですって。私も翔平君を待ちながらゴルフの素振りをしたりするので、“ながら”が好きなのが一緒だなって。DVD観賞が好きなのも一緒。二人は似ているところがすごく多いんです」という発言がすごいなと思ってゲラゲラ笑った。「ながらが好きなのが一緒」。すごい。

2月14日

夕方に吹く風が冷たくなくてあたたかだったが新宿のほうまで歩いていたら都庁であるとかを見るあたりで寒くなったために道を聞かれた。日本語を母語としないらしい男性がハイアットリージェンシーに行きたいと言う、GoogleMapで見たら方向がわかったし歩いて数分であろうこともわかったがiPhoneを持ちながら僕はくるくると回転していた。男性はタクシーで行くわ、と言って去っていった。とても丁寧でにこやかでフレンドリーな方だった。ハイアットリージェンシー。勝手に超高級ホテルだと思っていたため今ググったところそういうものでもないような感じなのだろうかと思った、僕が泊まることはないだろうが、僕が泊まらなくても僕のかわりにあの男性であったりが泊まってくれるから、うれしかった。それでひと通り喜んだあとで野村證券ビルの地下にあるポール・バセットに行ってカフェラテを飲んだあとにホワイトフラットを飲んだ。ホワイトフラットとはなんなんだろうなんか聞いたことがあるうえに飲んだこともある気がするのだけど、と思って教えを請うとカフェラテと中身はまったく同じだそうで、ラテは透明のグラスに入れて提供されてホワイトフラットは取っ手のあるカップで出される、そういう違いだそうだった。どちらもおいしかった。それで久しぶりに島田潤一郎『あしたから出版社』を出してつまみ読みをしていた。これはかつて読んでいた夜に下北沢のなぜかマクドナルドでポテトを食いながら泣いた覚えがある、そういう本だった、それをぱらぱらと読んでいた。
そのあとで彼はメキシコ料理を食べて主にビールを飲んだが途中でテキーラやラムを飲んで気づいたらずいぶん酔っ払っていた、モレポジョという鶏肉にチョコレートのソースを掛けた八角の香りが強くする食べ物がとらえどころがない、というお話を伺った。今ググったところそれはモレポジョではなくポジョ・モレであるようだった、そのためそう伝えて電車に乗って必要のない見た目が愉快なだけの飲料を買って薄い坂道をあがらずに右に折れてぐるっとちょうど煙草1本分の回り道をして帰ったところいくつかの愉快な木が立っていた。そのことはとっくに知っていた。

2月15日

本を読もうと思うのだが眠くて読む気が起こらないため読まないでいる。
と打って止まる程度に眠い。
と打って止まる程度に眠い。

2月16日

とても遅い時間というかとっくに昼過ぎてから起きてこんなに遅くまで眠ったのは久しぶりのことだったしあたたかな町をぷらぷらと歩いていたらそれは「春、新生活」というタイトルが浮かんでくるようだった、コンビニでコーヒーを買って橋の欄干に置いて水のほとんど流れていない川を見下ろしながら工事の音を聞きながら晴れた空の水色の光を浴びながら煙草を吸ってあたたかだった。休みの日だった。夕方に区役所の派出所みたいなところでマイナンバーの記載された住民票を発行してもらうとフヅクエに行って確定申告の用紙を埋めようとしたがたいしてはかどらなかった。いくつかの項目がわからない。ひとつ一番わからないのは繰延損失金みたいな、一昨年の大きな赤字で今年の薄い黒字をほとんどなしにできる算段でいるのだけどそれをどこに書いたらいいのかがわからない。なので吉祥寺に行った。
吉祥寺に行ってジュンク堂に行って上間陽子『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』を買いたくて行ってそれと前に何かで見かけてなんとなく読みたい気になったブコウスキーの『パルプ』、飯間浩明『三省堂国語辞典のひみつ: 辞書を編む現場から』を買ってくぐつ草に入った。くぐつ草に入るのは1月16日以来だったから1月ぶり3回目というところだった、1月16日はちょうど1ヶ月前だった。くぐつ草は吉祥寺に行って時間があったら行くことになっている喫茶店で僕はとても3回も行っているということは好きで気に入っていた、それでコーヒーとパンプディングのセットを頼んで『ビリー・リンの永遠の一日』をあと少しだった読もうとした、読んでいた。スーパーボウルのハーフタイムショーに駆り出されたイラク戦争の英雄として一時帰還し見世物にされ続けている兵士たちを襲う愛国的な狂乱というか狂気みたいな歓喜みたいなものが頭おかしくてあとがきにイラク戦争版『キャッチ=22』とあってなるほどと思った。ビヨンセたちが歌っている。

本物の兵隊さん、私のために現れる
そう、本物の兵隊さん、兵隊さん
兵隊さんが私とねんごろになる
そう、本物の兵隊さん、兵隊さん

彼女らは下の階層のブラボーたちに向かって歌っている。上品な猫のような足取りで歩き、いちゃつき、"してちょうだい" という切ない思いを短調の震える声で歌う。ステージ全体にエアロビクス的な前戯が広がる——ロケットのような勢いの動き、セックスの真似、腰と尻を波立たせ、この中間の階層ではダンサーたちがブラボーたちに股間を擦りつける。ブラボーたちはただまっすぐ立っているほかに何もできない。これは4千万人の前でポールダンスのポールになっているようなものだ。こんなのおかしい。誰もこんなことになるとは言ってくれなかった。実生活ではちょっと恥ずかしいで済むことが、テレビによって猥褻さと敵意を帯びてしまう。ビリーは母と姉たちがこれを見ているとは考えたくない。すると、一人の男のダンサーがビリーに近づきすぎ、くるりと回って、おしゃぶりするかのようにうずくまる。あなたのペニスを見せてって感じじゃないか! ビリーは彼を睨みつけるが、男はにやにや笑い、くるりと回って離れていく。それからまた戻ってくるので、ビリーはできるだけ感情を込めて歯の隙間から声を出す。
くたばれ。
男はまた去っていく。音楽のリズムが速くなり、プレーリービューの鼓笛隊が行進して階段を下りてくる。ブーン・ラッカ・ラッカ、ブーン・ラッカ・ラッカ・ラッカ。模範演技チームはアン女王式の敬礼をし、両脇のダンサーたちは微笑みながらカンフーのように派手な動きをしている。下の階層ではサイクスが泣いている。ビリーはそれを見てもなぜか驚かない。ただ、ブラボー全員が正気を失う前にこれが終わってほしいと思うばかりである。デスティニーズ・チャイルドは中央ステージにまた集まり、ライトと花火の光が嵐のようにここに集中して、最高潮に向かっていく合図となる。サイクスの背中はすすり泣いているために膨らんでいるが、気をつけの姿勢を保ち、顔を上げて胸を突き出している。ビリーにとって、サイクスがこのときほど勇敢に見え、また愛おしく感じられたことはない。 ベン・ファウンテン『ビリー・リンの永遠の一日』(p.313,314)

西荻窪に移動して駅前の広場みたいなところと道路の境にある自転車等が通り抜けられないようにしている∩の形のものに座って読み終えたのでシューベルに行ってカレーを食べたらおいしかったしとても気分のいいいいお店だと思って帰って寝る前にいくつかの箇所を読み返したためいい夢を見た。

国家を歌い終わって大喜びするときほど、アメリカ人が酔っ払いの集団のような声を発するときはない。恍惚として拍手喝采ている真っ最中、十数人の中年女がビリーのところに集まってくる。一瞬、彼女らに四肢を引き裂かれるのではないかとさえ思う。彼女らの目は狂気の光を発し、アメリカのためなら何でもしかねないように見える——拷問も、原爆投下も、世界規模で民間人死傷者を出すことも。神の国のためならすべてを受け入れるのだ。「素晴らしいじゃない?」と不動産業の女は叫び、彼をギュッと抱きしめる。「グッとくるわよね? 誇り高い気持ちにならない?」
実を言えば、彼はこの瞬間泣きたくなっている。どうしようもないくらい誇り高い気持ちだ。しかし、これは彼らの "誇り高い" と同じなのか?我々はここで同じ言語をしゃべっているのか?誇り高い——もちろんだ。彼はシュルームとレイクのこと、あの日の血にまみれた真実を考える。そして "誇り高い" を原子のレベルにまでさかのぼって分析し、その証拠を捜し始める。はい、奥様、誇り高いです。山を動かせるほどの、衝撃で月の相を変えられるほどの "誇り高い" をブラボーたちは成し遂げた。しかし、教えてほしい、どうして試合前に国歌を演奏するのだろう?ダラス・カウボーイズととシカゴ・ベアーズはともに営利目的の民間企業であり、契約した従業員たちが試合をする。だったら、すべてのコマーシャルの最初に国歌を演奏したっていいではないか。すべての重役会の前に、あるいは銀行で金の出し入れをする前に、必ず国歌を演奏したらどうだ!
それでもビリーは話を合わせようとする。「胸がいっぱいです」と言うと、女たちが叫び声を上げ、ふわふわした体ともみ合いになる。抱きしめられたり、撫で回されたり、携帯電話で写真をたくさん撮られたりしているのと同時に、三つか四つの会話が進行している。数人の女たちは実際に涙を流している。 ベン・ファウンテン『ビリー・リンの永遠の一日』(p.271)

2月17日

地震があったらこの店は終わって僕は自分でも驚いたことに回復不能に思えるほどに打ちひしがれて完全に損なわれた。ということを考えてはいなかった。考えはせずともちょうどいいテンポでお客さんが来られたためありがたがりながらおやつを食べていた。夕方に特に急いでやることもないような気になっていったので、頭の片隅では「カレーの仕込みをやったほうがいいのではないか?」と言うのだけど特に急いでやることもないような気にどうしてだかなっていったので、本を読もうかという気にもなったが煙草を吸いに外に出たらまったくバカみたいに気持ちのいい陽気でなにも考える気が起きなくなった。
見上げたことにカレーを仕込んだ。夜はいい具合で、2月の金曜がこれまで2回とも壊滅的だったので喜んだ。それで11時ごろになって特にやることがなくなったので『三省堂国語辞典の秘密』をぺらぺらしていた。私たちは思考を文法に譲り渡してはならない。

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