読書日記(19)

2017.02.11
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#2月4日 開店前からコーヒーを淹れて植本一子の『家族最後の日』を読んでいた。すると時間がなくなって開店が実にバタバタした感じになって愚かだった。それからはゆっくりと一日が始まっていった。だからまた本を開いた。
壇山と呼ばれている山の山頂へ向かうことにした。かなり曲がりくねった山道を車でひたすら登り続けると、標高300メートルくらいの場所に小さな展望台があった。ここは瀬戸内の島をすべて一望できる、島々の中で唯一の場所らしい。そこに見える大きいのが小豆島、奥に見えるのが高松、その手前にあるのが女木島、そしてその小さな島が昨日行った大島ですよ、と教えてくれる淺野さん。
植本一子『家族最後の日』(p.67)
なんでもない描写なのだけど、なんでもなくはない気持ちになった。薄い灰色の青の広々とした空が上に見えるところで寝そべった。お客さんがぽつぽつと来て、1ページあるいは数行読んでは何かをして、というのを繰り返しながら夕方のほうに近づいていった。その読み方をするとほんのすこしのフレーズや状況が頭にぺっとりと貼り付いて、たぶんそうやってじわじわと『家族最後の日』の物語世界が僕のなかに沈潜していく感じがある。それを愉快に思ったと同時に昨日おとずれた生後2ヶ月の子どもと一日中を暮らす姉の暮らしを考えたりもした。なにかしようとすると合図があり中断される、そういうことを繰り返し続けるそういう暮らしになるのだろうそれはどういう暮らしなのだろうか、こういう暮らしであるならばそれは僕はそれ自体が報酬となるようなことだった。僕の場合は単純に金銭的な報酬ということではあったけれどでも金銭だけではなかった、世界に必要とされそれに応じる喜びがあった、だから夕暮れどきに切なくなっていくあの部屋でテレビの輝度が相対的に上がっていくあの部屋で小さく声をあげた生き物を抱え揺らしステップを踏み続ける彼女はそれ自体が報酬となったと感じることがしばしばあってそれは幸福の実感だったししかしそれだけで応じ与え続けられるほどに簡単ではなかった。生き続けさせねばならない。それはかつて体験したことのない重大な任務だった。私は15時25分すこしばかりの眠気を感じてこの先どうやって過ごしていったらよいのかいくらか途方に暮れたことがあった。せっかくなので島に一泊することにした。
##2月5日 豊島からフェリーで宇野に渡って久しぶりにbollardに行った。最後に行ってから3年近くが経っていた、白い店は経年でどうなるのだろうと思っていたが変わらず白くてきれいなままだった。素敵なカトラリーがあったのでそれを買った。コーヒーを飲もうかと思ったが港のほうにコーヒースタンドを出しているということだったのでそちらに行くことにしてそちらに行ってみますと言って出た。宇野の町の様子は僕の覚えている限りだとそう変わっていないようであいかわらず静かでぽつぽつと何かがあるふうで好ましかった。どの通りを曲がってもすぐ前に海がひらけるような気がした、潮の匂いが漂ってくるわけではないけれど空気中に海を知らせるものが満ち満ちていた、空の見え方も吹く風の音も海のすぐ近くであることを知らせるものとしか思えなかった、それらはすべて海がたしかにそこにあることを知っているから感じる感じ方でしかないのだろうか、そうではないなにかがあるような気がしてならなかった。
港のところに出ると小さい、スタンドというのはたしかに本来こういうものかもしれないという小ささのスタンドが立っていてそこでカフェラテをお願いしてカフェラテを飲んだ。ボラード、舫い杭。それがあったのでそこに座って、海を見ながらカフェラテを飲みながら煙草を吸いながら様々なことが去来しなかった。僕は向こうに見える島々の輪郭に興味もなかった。海は寒かった。宇野に着いたときには雲のまったく見当たらない透き通った明るいトーンの水色一面だった空はカフェラテを飲み終えるころにはだいたい全部が白い明るいような暗いような雲に覆われていて風は変な湿度を含みはじめた。いくらかの観光者がガラガラを引きながらフェリーのなかに吸い込まれていって、しばらくするとフェリーは港から離れていった。制服姿の少年が大荷物を抱えながら電車の駅のほうに歩いていった、取り残されたみたいだった、泣いているようにも見えたし泣いていないようにも見えた。近くに見えるスーパー銭湯に行こうかと思っていたがやめて、同じ電車に乗ることにした。この電車には何度かしか乗ったことがないがそれでも景色はいくらか見覚えのあるものだった。
##2月6日 昨日の夕方に降り出した雨は朝になっても変わらない調子で降っていた。泊まったゲストハウス・とりいくぐるの中庭はところどころに水たまりを作っていてそれがそれでも明るい空の光を受けて白く光っていた。僕はそれをガラス張りのソファとかのある部屋のソファの一つに座って淹れてもらったコーヒーを飲みながら見ていたし、視線はだいたい手元の『家族最後の日』に注いでいた。昨日の夜も同じ場所でずっと読んでいた。ゲストハウスの方が寝に上がったときも、電気は僕が消すからということでずっとそこで読んでいた、コンビニで買ってきたビールをというか金麦を飲みながら読んでいた、ときおり外に出て雨宿りみたいなポジションに立ちながら煙草を吸った、雨がぼつぼつという音でどこかから落ちていた。日記のパートというか石田さんのパートがだいぶ進んできた。どういう態度で読んだらいいのかわかりかねながらぐいぐいと、『かなわない』と同じように引きつけられて、引きつけられてというかシャツの首元を掴まれて引き寄せられて離してもらえない。
病院を出てすぐに神田さんに電話した。テンションが上がってしまい、笑いながら「神田さんならいいよ」って言われたよと話した。神田さんはかなりショックを受けている様子で、それがおかしくてまた笑う。

「俺、いつでもなんでも手伝うよ」
と、頼りない神田さんが言う。私は、やるしかない!と連呼していた。それ以外に、言葉が見つからない。バスが来たので電話を切り、一人になった。静になると、なんだか一気に力が抜けてしまうようだった。(…)
綾女さんから「大丈夫なの?」と聞かれる。もうそのときは、大丈夫ですとは言えず、気づけば顔が歪んでしまった。二人とも何も言えなくなってしまう。大丈夫じゃないとも言えず、何も言えない。言葉にならないというのはこういうことなんだなと思った。涙しか出てこない。シッターの終わりの時間まで少しあったので、お茶でもしましょうか、ということになった。近くの喫茶店「らんぶる」で、またテンション高く今日の話をしてしまう。二人ともただ聞いてくれた。また、やるしかない、やるしかない!と言っている。やるしかない、が便利な言葉になりつつある。(…)
いま、この瞬間、一人でいることが辛い。神田さんとLINEをしたり、いろんな人とメールをした。石田さんのツイッターを何度も見返す。「いいね」の数が増えていく。何かしていないと、ふいに涙が出てしまう。この世界にひとりぼっちな気がして、暗い気持ちが押し寄せてくる。
あぁ、これまで私は、一人じゃなかったんだ、と思った。いつもそばに、石田さんがいたのだ。
石田さんは、どこに行ってしまったんだろう。 植本一子『家族最後の日』(p.137-142)
距離感がつかめないというか、テンションの上がり下がり等にこちらのテンションまで引っ掻き回される感じがあって、読んでいると気疲れみたいな疲れ方をして、しながら、それでもずっと読んでいたくなる。この読んでいたいは、ただのワイドショー的な、他人の人生のなりゆきを追いたいだけの気持ちなのだろうか。よくわからない、それだけではない気がする、ではなんだろうかと言われてもよくわからない、という話をまだいたんですかと笑いながらおりてきた宿の方にした。朝から面倒な話題をぶつけられて迷惑だろうなと思いながらも人と少し話したい気分になっていた。コーヒー淹れますけど飲みますかとのことでコーヒーを淹れてもらった、外に出て煙草を吸った、雨がぼつぼつと変わらず降っていたしいちばん寒い朝だった、敷地の中からは鳥居は影しか見えなかった。囲まれた向こうがぽっと明るく矩形に白んでいる。あの鳥居をくぐれば、奉還町の商店街が横を通っている、そのことを僕は知っている、その道をまっすぐに行って、行って、通りにぶつかって、右に折れて、少し行ったら駅だろう、そうじゃなかったかもしれない、でも迷うことはないだろう。少し眠りたくなってきた。
9月25日(日)晴れ

やっと晴れた。朝から布団を干すなど。石田さんにメールをしてみると、昨日よりはマシらしく、夜寝られたという。
午前中、溜まった原稿書き。
これも読めそうにないから持って帰って、と言われた本、斎藤環著+訳『オープンダイアローグとは何か』を読み始める。石黒さんにもらったらしく、これだけは読もうかな、と病院に残していたのだが、なんだかんだで本は読めないらしい。私も気になっていたので読み始めるも、あまりの眠気に昼寝。本はなかなかおもしろそう。 植本一子『家族最後の日』(p.212)
こういう箇所を読んでいるとやっぱり日記は強いというか充実感がすごい、ととても喜びを感じる。こういう記述がものすごい奥行きというか豊かな世界を作っていく感じがある。
家に戻って夕飯。昨日と同じく野菜と豚肉と豆腐をぶち込んで鍋。石田さんがいないから、雪平鍋ひとつで三人分がまかなえ、それでも余るくらいだ。食後、食べかけだった黒胡椒のついた大人向けのせんべいをかじっていると、娘たちもカライカライと言いながら食べている。上の娘は『ちゃお』を読みながら、下の娘はおままごとをしながら、私は原稿を書きながら同じ袋からせんべいをとっていく。
植本一子『家族最後の日』(p.189)
luteで公開している『私たちに許された特別な時間の終わり』を先日30分くらい見た。今見たところ2月10日まで見られるようだが、きつい気分になって、たぶん最後まで見ることはないと思った。このきつさは、僕は言語化したくないタイプのきつさだった。僕のまわりに悲劇のようなものは基本的には見当たらないのだけれど幼なじみのような存在だった友人が高校生のときに自殺をしたということは一つあったし、自殺をしたときには友人関係はまったくなくなっていた。いつまで、家の行き来のようなものがあったんだったか。小学生のときは家が近くというか隣のマンションで、それで頻繁に遊んでいた、テレビゲームをやった、途中で、あまり負かさない方がいい、と感じるようになった。高学年になったあたりで彼が引っ越したのだったろうか、小学校は変わらなかったが中学校の学区は変わったので中学は別になった、それで疎遠になった。小学4年生のときだったろうか、母と姉がどこかに出かけるというので僕は彼の引っ越した先の家つまり自殺をした家、マンションの一室、そこに行って、古畑任三郎の木村拓哉が犯人の遊園地で爆弾を仕掛けるとかたしかそういう回を見た。明太子スパゲティを夕飯にいただいて、それが僕はとてもおいしくてそれから頻繁に明太子スパゲティを母に所望したように思う、その日初めて僕は欲しくなったCDであるところのスピッツの、『空の飛び方』だったろうか、他のシングルだったろうか、を母にお年玉か何かで得た金を渡して買ってきてもらった、そういう日だった。「古畑任三郎 木村拓哉」でググると1996年1月31日とある。1月、31日。1996年、21年前。10歳。10歳は小学4年生だろうか。小学4年生の冬であるならば秋から僕は少年野球のチームに入って貧打のショートの2番として、のちに貧打のセカンドの8番か9番として、バントがうまいようには見える貧打のセカンドの8番か9番として、打席および守備位置に立っていた。最初僕はそれなりにうまかった。それで上級生のチームにまじって、何かの大会でベンチ入りしてのちの西武プリンスドームになる西武球場の試合に行った、だからそれは身長145センチとかの小さな体で見るとすごく広かったのを覚えているし174センチの今見てもすごく広かった。その記憶を、自殺した人間が近くにいたという記憶を、見ている先日ではなく、書いている今思い出した。見ているとき、思い出さなかった。母が、動揺した声で連絡してきた、それは祖母がなくなったときだろうか、彼が死んだときだろうか、彼が死んだときはメールだったろうか、そのとき僕は彼が高校生だったなら高校生だったろうか、であればメールではなく直接言われたのだろうか、何も覚えていない。おそろしいほどに軽薄に生きていると、今感じたが、これは軽薄さだろうか。僕にはわからないし軽薄さとはまた別のものだという気はしている。このことに関することが軽薄さではないとしても僕の生のようなものは軽く薄い、それはそうだろう、と思う。と書きながら、何を暗くなっているのかさっぱりわからない。なにに引っ張られているのかさっぱりわからない。だからゲラゲラと笑った、と書いたが笑ってはいないで真顔で打っている。笑えれば。ひとつのことを思えば、僕の頬は5ミリ上にあがって、それで僕はひとつの曲を思い出している。それはBankARTの夏の記憶と結びついているし、サウンドシステムの陰に隠れて僕はスクール水着の女が屹立して何かを発言するそのタイミングを見て曲を流す、そんなことをした、のだったっけか、なんでも忘れてしまうね、と、去年だったかの秋だったか春だったかマームとジプシーの演劇を見にさいたま芸術劇場に行った夜、女が言っていた。僕は嗚咽をしないようにひたすら足を揺らしていた。暴発しそうになる感情を足から逃がそうと必死だった。それだけ僕は打たれていた。それをどの順番だったか、思い出した。と打っている。
##2月7日 昨日は城下公会堂でGrouperのライブを何年か前に見たあとに久しぶりの友だちと会って飲むことになった。Grouperはポートランドの人で僕は数年前まではポートランドはポーランドのことだと思っていたし、風邪気味で機嫌の悪そうなGrouperの演奏はそれでも僕は大好きだった、トイレに入ったらアクシデントがあった。少しだけ前よりもビールを飲んだ。
『家族最後の日』でどこかで保育園のママ友かなにかに夫の病状を説明したところずいぶん淡々としているけれどもう受け入れたの、というようなことを言われる場面があって受け入れるとはなんだろう、というようなことが書かれていたけれど受け入れるという想像はたぶん登場人物に時間が流れているということを考慮したことのない想像のしかたでそのとき闘病者の妻の生活は見舞う・部屋でじっと考え込む、くらいで構成されていると思っているのではないかと思うのだけどずっと書かれているように実際にはじっと考え込むような物理的な余裕もない勢いで次々と目の前にやってき続ける迫り続けるタスクをこなし日々を回す働くそういう時間になっていて読んでいてこれはめちゃくちゃに大変なことだわ、こうやって闘病者の家族の話を読んだことがこれまであったかなかったか覚えていないけれどこれまでだったら僕も受け入れる受け入れないという考え方をしてしまっていたかもしれない、そういう点でもそういうことじゃないと学ばせてくれたこのドキュメントは素晴らしいと、僕は飲んでいるときに友だちに言った、いや言わなかった。年明けに読んだ保坂和志のインタビューともしかしたら同じことだったかもしれない、あとでまた読んでみる。
泊まったホテルで読み終えた。ひんやりとしてぱきっとした全然好きじゃない寝具にうつ伏せになって、ベッドの頭のボードのところにあるライトで部屋のそこだけがページだけが照らされている様子は僕はとても「読書」という感じがしていいと思った。反射ではなく光の広がりの中で開いた本を上から眼差す僕の顔も青白い明るみをいくらかはらみ、下肢はもう暗闇の中に消えていた。
あと少しで終わると思い読み切ろうと読んでいたところあとがきを読んでいるころには酔いと早起きでうとうとをして、よろめきながらゴールテープを切るランナーのように終えた、あとでもう一度読もうとは思うが、終わった、と思ったら眠った。日記の持つこの散漫さ、どこにも着地しない感じ、これがやっぱりなによりも貴重だと、すごく充実して感じた。収束しない。登場人物が死んで終わるとかではない、ただ原稿が終わって終わった、この日が終わりじゃなかったら次の日か前の日が終わりでもいいような終わり方で終わった、その終わり方はもっともいいと思う。ずっとこのまま続いてもいいし、どこで終わってもいい、そういう文章を、こういう文章を僕は読んでいたい。8月26日から10月18日まで。10月18日以降も読みたい。ずーっと読んでいられたら、それはとてもいいと思った。
平日の昼間から営業をはじめてまだ数日だけど、これはとてもいいような気がしている。ダラダラとたまにコーヒーを淹れたりしながら、あとはこうやってカタカタしていたり本を読んだり、そういう過ごし方は性に合っているかもしれない。スケジュール管理の杜撰さからまる2週間くらいの連勤になっているのだけどとても楽に感じる。楽だし気楽という感じがする。
楽だし、気楽という感じがする、と書いた数時間後、暇だとマジで長い、という感想が付け加えられた。付け加えられたというかそれに覆われた。『家族最後の日』のあとがきやいくつかの箇所を読み返したり、『ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由』が読み終えられたりして、仕込みもなく、お客さんも今はお一人だけで、お一人だけの時間が2時間くらい続いたあとお一人来られたらお一人帰られたのでまたお一人の時間が始まっていくらか経ったところで、やることがないような感覚になっている、今これを打っている。『ただめし』は面白かった。とにかく考え、とにかく仕組みに落とし込む、というのがなんというかそうだよなーというか共感というかそうだよなーと思った、僕はここまで徹底はできていない気がするし、フヅクエに関しては今くらいが一番いいような感覚でもある。
20時半で誰もいなくなった。なんとなく「あ、全然楽しめなかったかな」と思うと見送ったあとにすごく萎えることになっていたので今日は萎えた。でもお客さんがここで過ごした時間が楽しかったかどうかなんて態度からじゃわからないなんていうことはわかっているから、そんなことで萎えなくていいのだけど、萎えた。
やることがないやることがないと言っていたらシンクの掃除や冷蔵庫のフィルターの掃除をやりだして偉かった。そのあと『鬱屈精神科医、占いにすがる』をなんとなく読み始めた。
どうでもいいようなちっぽけなことでラッキーが重なったりすると、むしろ警戒したくなる。取るに足らないレベルでは、不幸の立ち位置にあるほうが安心感を得られる。

もしかすると、心の奥底で安心感を得るために、日常ではわざと要領の悪い立ち回りをしている可能性がある。そのことで「いざというとき」には幸運へと傾くという保証を取り付けたい気持ちでいるのではないか。考えようによっては、とんでもなく貪欲な発想をしているのかもしれない。あるいは、どこか世間を小馬鹿にした態度にも思えなくない。
小さな不幸は、所詮は大きな安心への保証金のつもりなのであった。 春日武彦『鬱屈精神科医、占いにすがる』(p.15)
まえがきにそうあり、なんとなく気が合いそうな予感がしている。こう続いた。うろたえた。
そのような日常における手応えが、五十歳代の終わり頃から微妙に変わってきた。

小さな不幸は棘の如くわたしの心へしっかりと痛覚を与え、裏返しとしての安心感を与えてくれなくなった。心の底に宿っていた「根拠のない自信」や楽天性が失われてきたのである。微妙な不快感や敗北感や屈辱感が、そのまま大きな不幸の予兆に思えてきた。到底、笑い飛ばすことなど叶わない。嫌なことや悲しいことや悔しいこととの遭遇が、代償としての意味を成さず、とんでもなく惨めな結末の序曲として作用しそうな気がしてきたのである。いったいどうしてしまったのだろう。 春日武彦『鬱屈精神科医、占いにすがる』(p.16)
こうなったら、と思うとすごい苦しかった。僕は笑い飛ばして生きていけるような気がどこかでしているから、そうじゃなくなる場合を考えたら苦しかった。
そういえばリンクを貼るためにAmazonに行ったら星が3.5とかでなんとなく星は見たくないというか事前の何かというのは何も見たくないものだと思った。『家族最後の日』は星2つで、さきほどレビューを全部読んでみた。低評価をしている人たちの評価はおしなべて全然おもしろくない。共感できる本だけを読んでいたらいいじゃないか、と思う、自伝でも書いて読んで共感し続けていればいいじゃないか、と思う。植本一子はまわりの声が気にならなくなったと言っているとどこかで書かれていたけれど、すごいなと思う。僕はディスですらないものでも「あーマジで伝わってない」とかそういうものに触れるだけでけっこう引っ張るというか、というのを書いているのは今それで悄然としているというかどんよりした気分になっているからで。すべての人にきちんと届けられることをやっているとは思っていないけれど、届いていない人というのはなんで自分が受け取っていないことを
面倒になった。『家族最後の日』のレビューで「わかりません」というタイトルのクソどうでもいいレビューがあったけれど、この本に限ったことではなくこういうクソつまらない評価をくだす人たちはなんで自分がわかることができなかったということが対象をけなす根拠にできると思い込めているのだろう、なんで「わからない」が対象を一刀両断できる言葉になると思い込めているのだろう、そもそもそういう人たちにとって「わかる」とはなんなんだろう、他者をわかるなんていうことがそもそもなんでできると思っているのだろう、といつも思う。わからないということは自分が受け取れなかったということだと、ひとまずは考えるべきなんじゃないだろうか。そこからスタートして、なにかを言うべきなんじゃないのか。自分がいだいたわからなさを見つめてこそなんじゃないのか。「わからない」は豊かな始まりの言葉であるはずじゃないのか。「わからない」なんていう言葉を強気に発することができてしまう姿勢および考え方は本当に醜いなと思う。わからなさを楽しめよ、楽しめないならわからないことに対して謙虚になれよ、謙虚になれないなら口をつぐめよ、と思う。
と書いていて、自分はそんなことをしているつもりはないけれど、本当にしていないだろうか、と不安になった。そんな振る舞いは本当にしたくないな、気をつけないとな、と思った。なんでこんなに弱っているのかわからない弱り方をしている。弱い。無性にむしゃくしゃしてミックスナッツを食らいまくっている。そんなことじゃ何もおさまらなくて笑う。
##2月8日 ミックスナッツを数秒で飲み下してあとは『ビリー・リンの永遠の一日』を読んで夜が淀んでいった。なんだか妙に楽しみにしていたのだけどとてもよさそうだった。戦争、兵士たちのやけっぱちな振る舞いとかに惹かれるところもあるようだ。
銃撃戦が始まるまで、彼はドジを踏むことばかり恐れていた。軍隊の生活はそのように惨めなものである。ドジを踏めば怒鳴られ、さらにドジを踏めばもっと怒鳴られる。しかし、基本的にしでかすに決まっている小さなドジ、些細で愚かしいドジのうえに垂れこめているのが、命に関わるドジをしかねないという気持ちである。すべてに影響を与えるような深刻なドジ、救済の希望をすべて潰してしまうようなドジ。あの戦闘から二日後、ビリーは食堂に向かう砂利道を歩いていて、死刑執行が延期されたような、あるいは釈放されたような感覚を抱いた。重荷が軽くなったような感覚。ビリーとしては、普通に息を吐く以上の努力をせずに得られた感覚なのだ。このアーッていう感覚、自分にも希望があるという気持ちだろうか? 自分が完璧に使い捨ての人間というわけではなさそうだ、というような。
ベン・ファウンテン『ビリー・リンの永遠の一日』(p.8)
朝は『鬱屈精神科医』を読んでいた。昨日の夜鬱屈した屈折した気持ちになったのはこの本を読んで気分をなぞってしまったところがあるのかもしれないしないのかもしれない。影響は受けやすい気もするし受けにくい気もする、そもそも鬱屈した気持ちになりたくてなったんじゃないかという疑いもある、身体的な疲労から鬱屈に陥りやすい状態だったという見方もできるが、身体的な疲労が鬱屈に陥ることを許した、身体的な疲労に甘えてみた、いやそもそも本当に疲労があったのか、身体的な疲労が極まってきていてもまったくおかしくはない状況(14連勤の13日目)でしかなかったのではないか、その状況が「そろそろちょっと疲れてみせたっていいんじゃないの?」とそそのかしてきてそれにまんまと乗じて鬱屈の思考が生じただけではないか、すべてはポーズだった、しかし鬱屈のポーズと本当の鬱屈に違いは果たしてあるのか。
昼は『ビリー・リンの永遠の一日』を読んでいた。死と接しながら生きることがどういうことなのかを知りたいというかどういうことなのかを知りたいというかどういうことなのかを知りたいというかわからないが触れたい。
自分たちのなかに生存者がいること自体、ビリーには奇跡と感じられる。失ったのはシュルームとレイクで、数字にこだわる者なら 'たった二人' と言うかもしれないが、ブラボーは誰もがほんの数インチという際どいところで死を免れてきている。それを考えれば死傷率は百パーセントだっておかしくない。いらつくのは忌々しい '偶然' ってやつだ。生と死と重傷とを分けるものは、ほんのちょっとした違いだったりする。食堂に行く途中でブーツの紐を結ぶために屈んだとか、四番目の便器ではなく三番目のを選んだとか、右に顔を向けずに左に向けたとか。偶然だ。こういうクソが神経に障る。
ベン・ファウンテン『ビリー・リンの永遠の一日』(p.38)
##2月9日 念願というか試しにやってみようかというところでこの日は丸一日を休むということにした、昼からひきちゃんが入るのは初めてのことだったので店でいくつかの指示を出して、それから先日見に行った卒制の感想を伝えて、コーヒーを二人分淹れて飲んで、世間話をして、それから営業が始まったので僕は空は雪が降りそうだった、天気予報にはたしかに雪マークがあった。まだ小雨だった。
新宿のK'sシネマに行くとロウ・イエの『ブラインド・マッサージ』が上映されていて上映される時間に行ったら上映されたので上映されたのを見た。社交ダンスを趣味とする院長先生の表情がとてもよかった。どの人も見ていてとてもよかった。いろいろと状況が混沌としていくのに連れて画面が混沌としていったあたりで飽きてしまって、人々の美しい顔や動きを収めるよりも物語の暗さに映画の興味が支配されていくように思えて、飽きてしまって、最後の10分か20分か30分かわからないが寝ていた、そもそも眠かった。外に出るとみぞれっぽいものが降っていてあたたかいそばを食べたら新大久保でスパイスを買ったため店員の方に親切にしていただいた。具体的にはクミンを5袋くらい買おうとしていたら大袋のこれを買った方がずっと安いよということを教えてくだすった。それに従い、そして深謝した。時間がたくさんあった、中野に、なんでか出た。行こうとした店は前を通ったらどうでもいいと思ったので喫茶店に入ったところどうでもよかった。少しだけ『鬱屈精神科医』を読んで出て、それから三鷹に移動した、それで喫茶店に入った、喫茶店では本も読まずにノートを出して考え事をしていた。いい加減しなければいけない考え事があって、その考え事だった。はかどったようなはかどらないような考え事だった、手を動かさないと、僕は何も考えられない、というふしがある。しなければいけないことが一つあって、それをどこまで僕は楽しんでやりきれるのか、どこまで苦しんでそれを乗り越えられるのか、それとも惰性でおこなうのか、壁が見つかったら乗り越えようとするのではなく簡単な迂回路を探そうとするのか、今のところまるで見当がつかない。今年は、知らないが、どれくらいの期間それに付きまとわれるあるいはそれと付き合うのかわからないが、今年は、そのことばかりをずっと宿題みたいに抱えながら生きていくことになるのだろうかと思うと気がそれなりにというか重大に重い。
営業中の店に大きなボードを持った男性が入ってきて聞くと駐輪場のところに掲示しているらしい町の地図を作り変えるので店の名前も新しく入るので一律2000円をみなさんから頂戴しているということで、僕それ見かけたことないですしメリットを特に感じないのですがと言ったらそれまでの丁寧な口調を取り払って「そうすか」と言ってスタスタとお帰りになった。一日どれだけの人が見てそしてどれだけのメリットがあるかを説明すれば僕は払ったかもしれないのにその努力もしなかった。みな自動的に払っているのだろうか。
見知らぬ土地で寒い夜に刺さる冷気で手を痛くしながら歩いた。とても久しぶりの休日だったので僕は広く開放されていて、見知らぬ道、見知らぬ町、バスの最後部に座って流れていく濡れた景色を見ていたらそれだけで旅行になって愉快がりながら幸せだった。
##2月10日 昨日は惨憺たる暇な日だったみたいで今日も惨憺たる暇な日になっている。今週はずっと暇で、おそろしい気分になりつつある。先ほどわずかな時間だけだったが雪がくるくると降るというよりは空中で勢いよく旋回していた。
最初から最後まで暇すぎてやる気が生まれる隙が見当たらなかった。
『鬱屈精神科医』を読み終え、川崎昌平『重版未定』を開いて読み終えた。『鬱屈精神科医』はとてもよかった、鬱屈していて情けなかった、この情けなさは貴重だった。『重版未定』もとてもよかった。dotplaceでもちょこちょこ読んでいて好きだったから買ったのだけどとてもよかった。それであとはそれからは『ビリー・リン』を読んでいる。本を読むのにも飽きた。ブログを書こうかと思ったがいいように書ける感じでなかったので途中でやめた。眠たい。仕事をしたい。
今日の国歌斉唱のとき、友人であるブリーム軍曹のことを考えますか? 彼はただ調子をあわせるためだけに 'はい' と答える。'はい、考えます'。これは彼の耳にすごく下品に響き、どのようなプロセスでこうなるのだろうかと考える。どうして戦争に関するいかなる議論も、生と死といった究極の問題を冒瀆するように思えてしまうのか。まるでこうしたことを適切に語るためには、祈りと同じような語り方が必要であるかのように。そうでなければ、ただ黙るしかない。口を閉ざし、じっとしている。その経験に忠実なのは沈黙なのだ。ヒステリックに星条旗を振るよりも、ほろ苦いすすり泣きをするよりも、抱き合って慰め合うよりも、あるいはどんな形であれ '心の整理' をするよりも。誰もがいつも話題にする '心の整理'。人々はそれが容易であることを望むが、そんなことはないのである。
ベン・ファウンテン『ビリー・リンの永遠の一日』(p.181)
ビール、ビール、ビール、ビール、ビール、ビール、ウイスキー。いい記憶なんてすぐに消えて不安しか残らないで一週間が終わる。