本の読める店

読書日記(18)

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1月28日

13時17分、まどろむような午後が流れている、光が流れている、カウンターの入り口近くの端の席から順繰りに3つめの席くらいまで、強烈な陽射しが流れていく。ブラインドでもつけたほうがいいのではないかという程度に強い光だが、どうせ2,30分で流れていくからこれはこれで構わないのではないかと思っている。とてもゆっくりで、今日は仕込みもおそらく特にないので僕もゆっくりする気で、まどろむような僕の心地と同調するような午後のその時間を、流れるに任せて漂っていく。

と思ったら忙しくなった。のでわりとずっとバタバタと働いていた。睡眠時間が半分くらい足りていない感じがあったので終わってビールを一本飲んだらわりと朦朧とするようだった。何か読んだっけか。どうだったか。

1月29日

早起きをしてファーマーズマーケットに行ってから仕込みをして一つだけ保坂和志を読んでそれからとにかく働いた。

いや。全然知らなかった。アナキズムといえば1936年のバルセロナしか知らない。アナキズムという用語自体、実にいい加減に使われているのではないだろうか。いずれにしても、僕は音楽を実践するところからしか言語を引き出せないので、別の範疇の言葉——単なる比喩かもしれない——をもってこられても何も言えない。自分の演奏を反省するにしても同じ言語的範疇でしかやれない。演奏する、そのための状態に自分をもっていくものは、衝動、直観のようなものだ——それはけっして計画によってできるものではない。自分のおもむきに従うまでのことだ。(533−534ページ) 保坂和志『試行錯誤に漂う』(p.219)

孫引き。『デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語』。それを読むと電車からどっと人が吐き出されて吐き出された量よりもずっと少ない人が新たに乗り込んで、大学生の集団がでかい声と甲高い笑いを用いて楽しくてしかたがない状態を偽装した態度で話していた。スケートボードをこわきに抱えた男性二人はスマホから音楽を流して聞かせてそれなりに力強くハミングしていた。ロリータな、という言い方で合っているのか知らないがロリータな格好の女が白が基調でピンクがところどころにあるふわっとしたスカートをはいた女が特に周囲を構うことなく電話で話していて態度と同様に声も喋り方も生意気そうだったため目にも耳にも迷惑だったがやむをえず殴打した。

1月30日

週末の忙しさを全部打ち消すように途方もなく静かな時間が流れている、昼の定食屋は今日はまだ定食屋だったがお一人さんしか来られなかった、夜はとにかく静かだった、序盤に仕込み等が終えられたのであとは座っているだけの仕事になったので営業をしながら本を読むのにうってつけの日だったが文字を追っていたところ眠気がやってきたため負けまいといっしょけんめいがんばった。閉店をしたら夕飯を食べることが妙に楽しみな予定だった。じゃがいもと豚肉の煮物とナスのラタトゥイユと春キャベツの柚子味噌和え、それを食べるのが妙に楽しみな予定だった。たまに「俺の煮物は途方もなくうまいな」と思うことがある、また、たまに「俺のラタトゥイユは途方もなくうまいな」と思うことがある。最近はさっと湯がいたやわらかいキャベツを和え物にすることを気に入っている。

1月31日

昨日も今日も「惨憺」という言葉が似つかわしい程度に暇で、少し眠くなっている。1月が静かに終わっていく。飴屋法水の『ブルーシート』の戯曲を読んでいた。こっから、逃げて、逃げて。頭のなかでゆっくりと連呼される叫びを響かせていくと体の芯からぞわぞわっとこわくなる瞬間がおとずれる。こっから、逃げて、この場所から、逃げて。ただ僕はこの営業から逃げるわけにはいかなかった。セイタカアワダチソウで私の体が隠れてしまうということもなかった。

昼間、定食屋最後の日の合間だったかその前の時間だったかに『ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由』を読んでいた。未来食堂のことはなんとなく最初に知ったころから興味は持っていたしなんとなくどういうことをされているか知っている気でいたけれどまかないのシステムとかの詳細を読むと面白かった。これは人からいただいた本だった。『ブルーシート』も人からいただいた本だった。

2月1日

教会だとは知らなかった、知らない女と二人で座っている、兵士、床に敷かれたブランケットに寄り添う、淵に立つ、乳幼児、女が出ていく、一人になって外に出ると雪のしんしんと降り積もる中庭と教会のファサードではなくて教会をぐるりと囲む廊下と教会の窓窓が見えた、それはだから僕の視点ではなくて僕の方を向く視点だった、僕はいなかったが。その廊下の端まで進み扉からまた教会に入った、今度は案内の方に扉を明けてもらった、外の明かりが窓際だけを照らしているそういう暗さだった、椅子の一つに腰掛けた、あと1時間、ここにいようと思ったかいないといけないと思った。横たわる兵士、暗い部屋で明滅するテレビ、年の瀬の浮足立った何かの感触。まぜこぜの全体に薄暗いイメージ。あの感触を取り出したい、けれどもうずっと遠くにある。仕方がないのでグルニエを取った。

モンパルナス大通りの小さなレストランでの昼食のことを、わたしは覚えている。ヘンリー・ミラーはブラッサイの話を、胸の奥から出てきたみたいなうなり声をあげながら聞いていた。そして突然、彼の目が輝いたと思ったら、今度は、彼が一気に話し始めた。ミラーとブラッサイに共通しているのは、一瞬ですべてをわかってしまう能力である。わたしは二人がルールドの話を始めたとき、驚くしかなかった。わたしはその地方で育ったから、自分はこの奇蹟の町について深い知識を持っていると思っていた。ところがミラーとブラッサイときたら、24時間以上、この町に滞在したはずもないのに、病人たちの悲壮なまでの期待感とか、いんちきな治療師たち、信仰、聖地につどう商人たちなど、すべてを見て、すべてを理解していたのだ。ミラーはとても拙いフランス語しか話せなかったのだが、それでも、少女ベルナデットが奇蹟を経験したというルールドの町での一日について、われわれに物語ろうとした。 ロジェ・グルニエ『パリはわが町 』(p.155)

真ん中部分の二人に共通している能力の部分はわりとどうでもいいのだけど始まりと終わりに僕は妙にグルーヴを感じる気になってうれしくなったので書き写した。聞く、止まる、獰猛に語り出す、その運動がなんだか力があった。

それは開店前の時間のことだった。今日から平日も12時開店になった。どうせ暇なのでと思っていくつかの仕込みを昨日せずに今日することにしていた。すると完全なうれしい誤算がやってきてわりとずっと働きつづけているというかわりとずっとというか今22時30分でやっとやることがだいたい済んで座ったというようなことになった。ここまでたくさんである必要はないというか必要はあるのだけどいきなりここまでたくさんというのは想定していなくて、少しずつ伸びていったらいいと思っているから、もう少し減ってもまったく問題ないしどうせ減るからそれは覚悟しているけれど、これだけ来てくれたら本当に素晴らしいことだなと思った、ひたすらうれしかった。うれしかったし、これまで定食屋をやって昼飯をバカ食いして眠くなって昼寝をしていた俺の時間は、なんだったのだろうか、とっとと昼からやっときゃよかった、と思った。でもだからこれはきっと遠回りだったけれどその遠回りはそれはそれで経ても別段後悔のない遠回りだった。どの経験も無駄ということは言えなかった。とバカのように前向きなことを思った。2月になった。2月だ!植本一子の新しいやつと『ビリー・リンの永遠の一日』を早く読みたい。

2月2日

今日の午後は静かだった。これこれ、と思っていたもののほとんど本は開かれなかった。ブログを書いたり、無駄にインターネットを徘徊していたりした。たいへん残念だった。夜になってからいくらか未来食堂の本を読んだ。まかないに続いてただめしの説明を読んでいた。すごいなと思った。恩送り、ペイフォワードだっけ、なんとかフォワード、僕はこの壁に貼られたただめし券を誰が使ってもいいという仕組みでは絶対に働けないなと思った、著者も苛立ってしまうこともあったと書いていたけれど、でもそれじゃいけない、本当に必要とする人に届くかもしれない、その可能性を投げつづける、そんなことを書いていたけれど、僕には絶対無理だと思った。一瞬でブチ切れる気がする。なんでお前がそれを使うんだと、ただめし券の貼られている壁にグラスをぶん投げた。誰が使ってもいいけれど、使われるとなんだかイラッとする、気に食わない人がいる、その自分のなかに生じてしまう矛盾に一日で限界に達すると思う。ただめしの話はフヅクエの開店当初の「お好きな金額でどうぞ」システムの総じて気持ちよかった中で生じた気持ちよくない場面を思い出させた。そういうわけで初志を貫徹しようとする未来食堂の方はものすごいなと思った。僕は初志よりも自分の快を取る。それでいいと僕は思っている。僕の快は店の快で店の快はお客さんの快だと思っている。それでいいと僕は思っている。

2月3日

姉が住む日吉に行くために電車に乗りながらロジェ・グルニエを読んだら読み終えた。

同じ108番地には、ロラン・デュビヤールもいた。とても独創的な作家にして役者で、ラジオ放送された『グレゴワールとアメデ』はわれわれを大いに楽しませた。彼は『素朴なツバメたち』とか『骨の家』といった芝居も書いていた。夜遅く帰宅するとき、彼が道を渡って反対側の深夜営業の食料品店〈プルチネッラ〉にウィスキーのストックを仕入れに行く姿を見かけたものである。 ロジェ・グルニエ『パリはわが町』(p.203)

これの何がいいのか、わからないのだけどこういうところで愉快になっていた。夜遅く帰宅するとき、彼が道を渡って反対側の深夜営業の食料品店〈プルチネッラ〉にウィスキーのストックを仕入れに行く姿を見かけたものである。なんというか、いろいろな運動がある様子がぐっとくるのだろうか。夜遅くに帰宅するグルニエ、深夜まで開いていていろいろな人の出入りがある食料品店、家からその店に道を渡るデュビヤール、それを眼差すグルニエ、食料品店でウィスキーの棚に向かうデュビヤール、レジで簡単なやりとりをするデュビヤールと店主、また道を渡って家に戻るデュビヤール、いつもウィスキーを切らさず置いて夜な夜なちびちびと飲むデュビヤール。
日吉の、慶応大学のキャンパスを喜んで見ながら突っ切って敷地の外に出てもう少し歩いた先に姉の暮らす家があったためそこに行くと生後2ヶ月の女の子が姉の腕の中で揺られながら眠ったり起きてぐずったりまた眠ったりをしていたため家に上がるなり「洗面所はここ」と言われて「何をすればいいの?」と僕は問うた。手洗いうがいを励行した。
『かなわない』や『坂の途中の家』で育児の大変さみたいなものを読んでいたばかりだったのでノイローゼとかになっていないかそういう心配のことばかりを質問した僕は持参したチーズケーキといくつかのおかずを器に移して冷蔵庫に入れてからルイボスティーを淹れてテーブルに並べた。広い家で立派だと思った。一日ここに乳幼児と二人で静かな淀んだようなまどろんだような時間を過ごしつづける姉の様子を想像すると、それはとても大変なことだと思った。ノイローゼになるようなことは今のところ全然ないということだったし夜はよく眠ってくれる子だから寝不足になることもない、大変だけどかわいい、かわいいけど大変、つまり大変・かわいい、ということだった。大変でありながら同時にかわいいことを名指す言葉が見当たらない。それはもしかして「育てる」という言葉だったりするのだろうか。抱かせてもらった首のまだすわっていない乳幼児はあたたかで数度あった放屁は僕の手に圧を与える強さがあって叔父になった僕はまた訪問することになるような気がした。それで辞した。

馬車道まで出てBankARTに行った、スタッフのひきちゃんの卒業制作展を見に行った、ひきちゃんはフォトブックを作っていた、僕はそれが他のどれよりも一番いいものに思いながら見た、他のどの人の制作物よりも作り手の切実な思いがあると思った、前と後にあるひきちゃんの文章もよかった。自由でなめらかな息継ぎをしない文章は僕はとても好ましいものに思った。「否定も肯定もなく、ただおもしろおかしくいろんな感情に振り回されながら愉快な毎日が過ごせたらいいな」僕はとても彼女の文章がよかった。それを写真に撮って、いい文章があった、と人に送った。それで辞した。

気がつけば圧倒的に寝不足だった私は帰りの東横線でうとうとと眠り隣の人に何度ももたれては返されもたれては返されをしてその反復が私をより深い眠りへと導いていたことにカシャカシャした服をまとう隣の女は気がついていただろうか、渋谷でおりるときに私は謝ろうかと思ったけれど言葉が出なかった、それは僕の臆病さかもしれなかった。自転車を取って植本一子の写真展を見に行った。写真はとてもよかった。女の子たちも男の人もみんなきれいだった。『家族最後の日』を買ったら植本さんご本人がそこにいて本を袋に入れて渡してくだすった、私は礼を言った。ギャラリーは桜丘町でそこから丸善ジュンク堂に行ってそこから松濤とかを通って帰った、それは、すごく激しいアップダウンを繰り返したということだった、渋谷は本当に谷の谷だった。ぐねぐねと上がり下がりしながら僕はこの休みのなかった、あるとしたらこの半日の、一週間のことを思い出したり、忘れたりしていた。

丸善で『ビリー・リンの永遠の一日』を買って、八百屋に寄って、店に着くと、菓子パンとドーナツを食べて、コーヒーを、飲んで、煙草を、吸って、さっそく植本一子を開いた。

市内での仕事を終え、実家の最寄り駅に着いた。迎えに来た軽自動車の後部座席に乗り込むと、ただいま、と母に声をかける。
迎えのお礼を言うと、じゃ、出発しますよーと目線を前に移し車を出す。こういうとき、母はいつも、とんでもございませんよ、などと冗談めかして返す。その気持ちは、私もよくわかる。なんだか、照れくさいのだ。普段、人から言われ慣れていないからだろうか。 植本一子 『家族最後の日』(p.6)

そう始まった。開いて、今はまだもったいない、少なくとも閉店後だ、と思ってすぐに閉じた。少し時間があったので眠った。

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