定食川越でおこなってきたこと

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今日1月31日をもって平日昼間にやっていた定食屋「定食川越」の営業を終了した。明日2月1日からは平日も昼からフヅクエが営業される。フヅクエの営業時間は全日12〜24時になる。そういうことになった。
なので、終わったので、定食川越のことでも振り返ろうかという気になったので書き始められた。2015年の5月だった、貯金がマジでもうやばい、という水準に達した(堕した)ところでバイトバイトという感じで定食屋を始めることにした。業務用飲食用品の店にいって茶碗や小鉢等を大量に買った。友だちのカメラマンに写真を撮ってもらってそれをパネル加工にして、ホームセンターで買ってきた木材とかで看板を作った。木材を屋上に持っていってダメージ加工とか言いながら火で炙ったりいろいろと傷つけたりして、それが楽しかった、その上にアイボリーのペンキが余ったのを持っていたので塗った、文字を書いた、それで看板ができた、それを出した。
定食屋は定食だけだった。だからオーダーが発生しなかった、水を持っていきながら「定食ご用意しますね」と言って定食を出した。定食の小鉢は事前にある程度の数盛り付けておいてあとは煮物を温め直すのとご飯と味噌汁をよそうのだけだったから早ければ1分程度で出せた。たまに「ワンオペ」と思いながらやっていた。
初台にはオフィスワーカーな方々がけっこう十分な数いるうえに食べる店がそんなに多いわけでもないっぽかったのでいけるような気がしてやってみたわけだったがいけた。それによってまずフヅクエを週1くらいで休めるようになった。それまではものすごい暇だったので体力的にまったく問題なかったので月1回休むとかそういう感じでやっていたところ、週1は休めるようになった。
定食屋は大変だった。まず7月からだったか平日のフヅクエの開店時間を16時だったのを18時にした。定食屋をやりながら16時からフヅクエを開けるのはすごく大変だったのでそうした。ここで一つ本末の転倒みたいなことが起こっていた。でもまあ16〜18時なんてほとんど人来ないし別にいいやと思ってそうした。
それでもやっぱり定食屋は大変だった。大変だったし、これなら人に任せても必要なだけの利益を取れるのではないか、と思ったため8月から人を雇った。川越さんという名前だった。そのためそれまで名前を決めていなかった定食屋を「定食川越」とした。川越さんはチャキチャキ働いてくれる明るい人だったのでよかった。
11月ごろから売上が減っていった。これはまずいと思ったため12月の終わりごろに椅子を買い足した。立川のイケアに行ってやっすいハイチェアを4脚買って、それをカウンター席に使うことにした(写真がその様子)。これによってピークタイムの取りこぼしを減らすとともに複数人で行ってもちゃんと座れるという安心感を醸成することによって集客を戻していきたかった。集客はそんなに戻らなかった。
4月、川越さんが辞めた。ご懐妊のためだった。12月だったか11月だったかに無事ご出産されたた。めでたかった。
それで4月からは僕がまた立つことにした。理由は二つあった。昼間川越さんに任せて僕はぷらぷらと過ごしていたのだけどぷらぷらしていてもそんなに楽しくなかったということと、それから売上が減っていたため自分で回しても体力的にも回せるように思えたということだった。
どのくらい減っていたか。利益で見るとちょうど人件費分くらいだった。だから僕が立つことで、ちょうどこのくらいは作りたいんだよなという売上を作れるようになったという言い方もできた。
それで4月から今日まで定食屋をやっていた。定食屋は平日は毎日やっており、だから夜がフヅクエが休みであったり、今だったら僕が非番だったりする日も僕は定食屋で働いてから午後3時くらいから「休日開始〜」みたいなことをしていた。理由は短時間で高確率である程度の売上が作れるから、そしてその売上をみすみす取り逃してまでやりたいこともそうないから、というものだった。でもこの働き方はそう健全ではないという気もずっとしていた。
定食屋をやっているデメリットはいくつかあった。定食の仕込みが毎日ある程度しっかり発生する、その定食の仕込みは特別な料理ではないとはいえわりと属人性が高そうというか「醤油どばどばどば〜〜2周〜〜〜」みたいなものは人に教えるのが他のメニューと比べて難しそうだった、だから僕が毎日作らないといけないということ。それから例えば僕が丸一日休みたいと思ったときに今フヅクエに週2ほど立っているひきちゃんに「この日昼からお願いできない?」と言うのははばかられる、それは長時間になるからではなくひきちゃんが働きたいと思って働いてくれているフヅクエではなくその時間はただの定食屋だから立ってもらうのがはばかられる、だからフヅクエとして人を募集したときにその人に定食川越に立ってもらうことはできない、だから僕が毎日立たないといけないということ。
もう一つが間違えてフヅクエだと思って来られる方がたまにいるということ。これは由々しくて、「マジでこれまったくフヅクエじゃないから、今日あなたが来たのは定食川越であってあなたはフヅクエという店をいまだ一度たりとも体験していないということだから」といくら言ったところで(言わないが)、どう別物なのかを理解していただくにはフヅクエに来てもらうしかないわけだけど多分なかなかそうはいかない。定食川越に行ったことでフヅクエに行った気になられるのは、僕にとっては完全に避けたい事態だった。たとえ偶然静かな状況を過ごしたとしてもそれは偶然静かなだけであってフヅクエが作る静けさとはまったく種類も価値も違う静けさであってあれがフヅクエだと思われるのはフヅクエにとっても損だし彼ら彼女らにとっても損なことだった。
そういうあれこれがあって、フヅクエで一本化することになった。この一本化によって、まいいやこれは話が別になるからまたいつかでいいや。 定食川越はフヅクエとは違った。それだけ書こう。定食川越はフヅクエとは違った。まず普通にしゃべれる空間だった。半分くらいはお二人であったり三人であったりの方だったと思う。僕は多くが近隣のオフィスのワーカーの方たちの話している様子を見るというか感じるのはけっこう好きだった。静かな場所で普段は働いているので、人の笑い声とかを聞くのは何か健康によさそうな気がしていたし、たまに来てくれる好きなグループの人たちもいて、彼ら彼女らとちょっと話したり笑ったりするのは僕は好きだった。
それから席の配置が違った。前述のようにカウンターはフヅクエのアホのようにゆとりのある間隔のところをイケアのハイチェアで埋めてフヅクエ7席のところ定食屋11席のカウンターにしていた。ソファはフヅクエは全部窓の方向を向いているわけだけどグループの方でも座りやすいようにボックスみたいな感じに置き換えた。
フヅクエの存在は隠蔽された。扉の「fuzkue」は本日の定食の内容の紙で覆い隠し、フヅクエの長々としたメニューは毎朝回収した。
定食川越では集客を安定させるためにフヅクエではやらないことをやっていた。始めたのはわりと最近で秋くらいだった気がするのだけどポイントカードを配った。15ポイントで500円引きになるものだった。グループの分を一枚にまとめることも推奨された。雨の日はポイントが倍になった。だから5人グループで雨の日に来たら10ポイントですよ、みたいなことを書いた。そこに川越の印鑑を作ってペタペタやっていた。
それからせっかく毎日一定数の人が来ているのだからフヅクエの宣伝はフヅクエの宣伝でしたいとあるときから思うようになった。一人で来られて本を持っているような方もおられたので宣伝したかった。これはフヅクエではないからとフヅクエの痕跡を消し去ることと、夜はフヅクエという店になるということを伝えることのあいだに矛盾は特になかった。
最初はショップカードを作った。そのときはあさふづくえもやっていたのであさふづくえと定食川越とフヅクエの営業時間と営業概要を記したようなカードを作った。それを配った。まったく効果は感じられなかった。それで今度はこれは極秘裏にという感覚でフヅクエの500円引き券を作った。マジでこれ外にばれたくないwwwと思いながらやった。だからフヅクエに来られたことのある方には渡さなかったし、インスタにアップしそうな方にも渡さなかった。そんなのはだけどわからないことだった。ある日rettyを見たら見事にアップされていて「ミスったwww」と思った。効果は素晴らしいものだった。お一人、来られたのだった。100枚くらいだろうか、たしか400枚刷って100枚くらい配って配るのがだるくなったので配らなくなったから100枚くらい配ったところお一人来られた。お一人!笑った。つまりまったく効果はなかった。カードを配るのはポイントカードにしてもショップカードにしても割引券にしても途中でだるくなってなくならないうちに配るのを全部やめた。そういうわけで定食川越は終わった。