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気になる言葉

Entry blog fuzkue404

やっぱり僕は「そりゃそうだろ」と何かを軽々しく断言できてしまう人だとかできてしまう人の神経だとかできてしまう人の知性だとか品性だとかできてしまう人の善良さだとかを全然信用・信頼したいと思えなくてそのそりゃそうはいったいぜんたい何をどこまで検討した結果として発せられているのですか?と思うし、そりゃそうを共有できない相手に対してそりゃそうと簡単に言うのは暴力みたいなものだと思う。たぶん僕が苛つくのは特に不安や不確信のものとして投じた言葉に対してそりゃそうだろが返ってきたケースで、相手の不安や不確信に寄り添おうとする気遣いの一つもない態度に多分、他者に対してなんで世界はこんなにも優しくないんだよ、とか思ってイライラする。 ということを遅い時間に続けて出たチーズケーキの残数を見て「焼こ」とか思って作っている最中になぜか考えていて、何かきっかけになるようなことがあったかといえば何もなく、ただ脳内で不特定の人物との対話をしていたところそのように言われたため「はあ!?」となったという流れだった。

営業中にチーズケーキを焼くこと。これはわけのないことであり、どの工程でも止められるため、非常に安心して取り組むことができる。ショートブレッドはそういうわけにはいかないので営業中には怖くて絶対にやれない。このどの工程でも止めることのできるチーズケーキを営業中に焼いていると11月の僕の頭には「git stash save」という言葉というかコマンドがよぎるようになっている。ただ僕はもう、gitのことはさっぱりわからないから…なんでもかんでもpushしてしまうのだけど……

ところで話戻してそりゃそうだろ問題ですが、そりゃそうだろと同じようなものとして「もちろん」であるとか「当然」であるとかもあって、これらも文脈や使い方によっては選別と排除の、暴力的な作用を持ちうると思っていて、気をつけないといけない。と書いてみたところ、「そういえば…」と思い出したのだけど、つい二日前くらいに僕自身が「もちろんそうでしょ」という言葉を友だちとのやり取りの中で使っていて、もうなんか完全にアウトー!と今思った次第。神経とか知性とか品性とか善良さとか疑うわ…まあでもそれは文脈的に「え?なんでわざわざそれ問う?もちろんそうでしょ?」なことだったしその友人との間柄的にも多少乱暴な言葉を使っても問題はないような気もするのでセーフの可能性も残されているのでリプレー検証をお願いしたい所存。

気になる言葉、ということで「そりゃそうでしょ」がつい気になり始めたので書いたのだけど、それよりもずっと気になる言葉がここのところあって、それはいつかの読書日記でも書いたのだけど隣で話している見知らぬ人たちの会話で「本当に好きな人の前だと緊張しちゃって私全然しゃべれなくなるから。緊張すると飲み物の話しかできないから私。気をつけて。超つまらない女だなって。飲み物大丈夫?もう飲みな~って。1時間に1回くらい聞いてるらしい」というのがあって、それを聞いてからずっと頭から離れないわけではなかった。聞いて、日記に書いて、10日くらい経ってから、この「気をつけて」が何度も何度も浮上するようになって、今に至っている。
「気をつけて」
最後ちょっと間延びするような言い方なのだけど(「もう飲みな〜」と同じ抑揚)、もうこれ、本当に意味がなくて、話しているのは女性で話している相手は親しい友人と思しき男性と女性で、彼らが気をつける理由はないし、理由が見つかったところで何に気をつけたらいいのか誰にもわからないし、何に気をつけるべきか判明したところでそもそも気をつけてほしいとまったく思っていないし、本当になんの意味もなくて。本当になんの意味もなくて、そのために途方もなく豊かだなと感じる。この女性の話自体ぼくはものすごい好きで「飲み物の話しかできなくなるwww それ面白いっすね〜www」と胸中ですごい言いながら隣で、メモを取りながらニコニコ暗闇の中で聞き耳を立てていたのだけど(今も営業中なんですけど思い出しながらニヤニヤし続けている)、この話自体ものすごい好きだけど、どのくらい好きかといえば80くらい好きで、でもそこにこの途方もなく無意味で途方もなく豊かな「気をつけて」が入ることで1600くらい一気に好き。つまり好き度を20倍させるだけの力が、この「気をつけて」にはある。頭ブンブン(縦に)振りながら「超気をつけるwww」って言いたい。

ちょっとね、こういうのよくないなって思うんですけど、なんでかっていうと仕事中だから、でも1600くらい好きだから猛烈に好きということだから、だからちょっと顔がニヤニヤ綻ぶというか顔が破綻するような感じになったのでちょっと外出してきた。大変だよほんと。大忙し。

そういうわけで「気をつけて」最高最高という話で、なんだろうなこの最高具合は。たぶん「気をつけて」って普通、だいぶ意味がちゃんと付着しているケースが多い言葉というか、意味の濃度が高い言葉のような気がするんだけど、誰が聞いても「気をつけてほしいということだな」というのがわりとわかるというか、何かしらの警告というか注意喚起なんだな、ってわかるというか、そういう濃度高めの言葉だと思うのだけど、よりによってそんな言葉から意味がまるっきり剥奪された感じというか、意味の外に思い切り飛び出ているというか、意味を突き破っているというか、意味の衣をまとったかと思ったら破れましたみたいな、というかまとう気ゼロですというか、そういうのって最高というよりは最強だなと思って、こういうのって多分とても小説とかでは出会いにくい言葉で、すごい書けない気がしていて、なぜなら書く必要が一切ないからで、だからこういう言葉を書ける人はたぶん僕はすごい好みだと思うのだけどたぶんめったに小説では出会わないタイプの言葉で、どっちかといえば、といって読まないジャンルだしいい加減なくくりで「いやいや」という反応はいくらでもありそうだし「すいません」なのだけど、この「気をつけて」はひたすら詩の言葉なんじゃないかと思って、詩、最高、最高最高&最強最強。

と思っていたらこれ読んで、というかこれ読んで「あ、気をつけては詩か」と思ったというのが本当の順序なのだけど

「我々は私たちの手をノックし」- 2016年に本気を出したGoogle翻訳による小沢健二「ラブリー」再解釈|Takafumi Ando|note

最高最高というかExcite版最強最強というかやばい超気持ちいいというか言葉が鋼鉄みたいになって私に突き刺さってきてどきどきしっぱなしになる。
「夜が深く長い時を超過します。また、それはOH BABY LOVELY LOVELY WAY呼吸が不足しています。
その後、LIFE IS COMIN」BACK —彼は私のためにOH BABY LOVELY LOVELY —そのような大きなデイズ—を遅らせます、それは完全な愛に落ちます、で、いつ、あるいは誰か、OH BABY LOVELY LOVELY —甘い大きなデイズ暖かい手、私は触れられます(もの)彼—理解する心臓—もの」
「美しい美しい方法。
その方法を見ることができませんか。」

photo by sachiko saito

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