本の読める店

読書日記(3)

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10月15日

『正義』。それから彼は声に出して、荒い、涙のまじった声で言った、「正義、俺の欲しかったのはそれだけだったのさ。俺の権利だけ。それなのにブリキの星をくっつけたあん畜生ども、アメリカ市民を保護するって誓ったあん畜生どもは誰ひとり——」彼は荒々しく言う、怒りと情けなさと疲労にほとんど泣き声になりながら、「これだけでも人間が無政府主義者にならなかったらどうかしてらあ」。 ウィリアム・フォークナー 『八月の光』 (p. 569)

あかぎれが悪化するときはいつでも急速で、気がついたら生きているだけで痛い、ということになっている。生きているだけで痛い。ハンドクリームなりワセリンなりを塗りたいとも思うのだけど、塗るタイミングが見いだせない。寝る前にとも思うのだけど、本を持つ手をベトベトにもしたくないからよほどじゃないと塗らない。手の使用からきれいに離れられるタイミングは映画を見るときくらいなもので、そのため予告編の時間になるとここぞとばかりにリュックからユースキンを取り出してべたべた塗りたくる。映画を見に行かないといけない。

10月16日

仕込みが2時前に終わり、4時の開店まで本でも読もうかと思ったがふと思い立ってパ・リーグTVの1試合チケットを購入して日ハム対ホークスの試合を見ることにした。
初回にいきなり加藤が4点を取られ、「4点」と思った。ストライクを一つ取ることにも苦労していた加藤に対して相手先発の摂津はあっさりと2球で一番バッターの西川を追い込むから「今日は調子がいい摂津なのかな」と思った。が、2回の中田のホームラン、それから3回の杉谷のセンター前で2点を返すとたった3イニングで摂津は降りた。立ち上がりの様子だけでは何もわからないものだなと思う。それにしても中田のホームランはがらっと雰囲気を変えた。「まだ全然ある」とその場にいる全員に思わせた。2回から上がったバースのテンポのいい投球もまた、チームを勇気づけるものになっていると、画面を通してでもそれはたしかに感じられた。球場の空気は徐々にたしかに、変わっていった。
それにしても不調の田中にかわって出場した杉谷の好守そしてタイムリー、バースの快投、そして4回のチャンスで早々と代打として送り出された岡の同点タイムリー。3球目の中島のスクイズ。栗山監督の一手一手が気持ち悪いくらいにハマっていた。
4回から上がったソフトバンクの2番手東浜巨は先頭の中田にヒットを打たれたものの近藤は打ち取ったところまで、と、レアードと陽岱鋼に続けて四球を与えたところ、で、わかりやすく表情が変わっていった。それまで見えなかった汗が、あごから滴り落ちていった。
追いつき、中島のスクイズで1点を勝ち越す。陽岱鋼の飛び込むようなスライディング、立ち上がりざまに両腕をまっすぐに広げてセーフを自ずから宣言する、そして喜びに2度3度と拳を振り下ろす、その姿に胸が熱くなった。
次の回に今度は近藤の2点タイムリーで突き放した。近藤も岡も、早くガッツポーズをしたくてしかたがないという感じの喜色を隠せない顔つきで2塁まで走っていて、その様子がうれしかった。2塁についたら喜びを大きく激しく表現した。その様子がうれしかった。また、岡の同点打のときに下げられた大野がベンチで満面の笑みで手を叩いているその姿にまた、「チーム」と思いながら胸を熱くした。
西川、中島の中継プレーで走者内川を本塁でアウトにしたところまで見ると開店時間を迎えたので消音にして手すきのときに画面を見られるようにしようという不真面目なことを思っていたら特に忙しいわけでなかったとしても画面を見るタイミングというのは意外にないものだということが知れた。仕事がなくなって席に戻るとちょうど9回、大谷がマウンドに上がったところだった。165キロを連発というより乱発と呼びたくなるような調子で何度も投げながら、おそらく僕だけでなくあなたたちも、だから僕たちは、僕たちは簡単には驚けなくなってしまったね。165キロ?出しそうだよね。でもまだいけるでしょ。僕たちは、そんなふうに考えるようになってしまったね。大谷は打者2人を空振り三振に続けて取った。大きな口をあけて咆哮した。圧倒的な存在としてそこに君臨していた。威圧的な、挑むような表情と、ファール等で球審からボールを受け取るときに見せるあどけない少年のような表情のギャップに感心した。感心したし寒心もした。ゾクゾクしながら見つめていた。最後の打者本多をショートゴロに打ち取ると、選手たちは喜びを爆発させるというよりは遅かれ早かれ当然そうなるはずだった結果を受け取ったことを確認するような顔つきでベンチに集まっていった。今、そのときが来たのだね、今、来たのだね、という勝者の落ち着きがあった。

フォークナーが終わりそうで終わらない。

妻にさえも、だ、女には。女。「女というもの」。だが女こそ(かつての彼はそれは神学校にあると思ったものだが、そうではなく)女こそ、 ウィリアム・フォークナー 『八月の光』 (p. 601)

こういう文章に触れていると永遠に終わらないんじゃないかという気になってくる。

10月17日

9回の大谷のピッチングをもう一度見た、今度は音声をオンにして、マウンドに上がるところから見た。日本ハムファイターズ、守備位置変更のお知らせです、のアナウンスとともに湧き上がる歓声というか、驚きであり、喜びであり、しかしたしかに待っていたことであり、本当に、本当に、本当に、という4万人だかの声、に鳥肌が立った。
それを読み上げる、初めて読む、今まで誰も読んだことのないできごとを読むウグイス嬢の気持ちはまた、自分の声が届ける知らせが地響きのような反応を引き起こすウグイス嬢の気持ちはまた、どんなものだったのだろうか。

ただ静かに思った、『するとこれが愛なのだな。なるほど。僕はこのことでも間違っていた』、前に考えたように、そしてふたたび考えるであろうように、そして他の人々もやはり考えるであろうように考えて——まったく、最も高遠な書物も、実際の人生に適用すると、嘘だらけのものになるんだなあ。 ウィリアム・フォークナー 『八月の光』 (p. 622)

とうとう終わった。終わって、終わると、とても大きなものの中にいたんだなあ、という感じが急に、強くやってきた。

それにしても最後の章が本当に魅力的だった。この一章だけで一本の映画が、魅力的な映画になる気がするというかそれを見てみたい。

『誰もあんたに諦めろなんて言やしなかったのに』なんて彼女は言うのさ ウィリアム・フォークナー 『八月の光』 (p. 654)

“ ‘Ain’t nobody never said for you to quit,’ she says.”
だれもあんたにあきらめろなんていやしなかったのに。最後のくいってのがなんというかくいっという感じで。うへ~と思った。

10月18日

すべての見えない光』を読もうとしたが『マーケティング基礎』を手に取ったので開いた。マーケティングってなんなのかそういえば知らないな、基礎くらい知っておきたいかもな、と思って買ったのだけど、ちゃんと開く日が来たことをまずは寿ぎたい。「消費者が享受する商品やサービスを利用し、その結果として得られる「自己実現」に価値を置いた、マーケティング4.0の段階に移行する」とコトラーは提唱しているそうで、すでにわりとそうなりつつあるような気がするような気がした。購入という行為は「その購入を選んだ自分」を映す鏡、にすでになっていると思う。だから私たちはパンだけでなく花束も買わなければならない。花束を買う自分を見なければいけない。

吉井コーチがCSのMVPにバースと谷元を挙げていた。こんなこと言われたら選手もうれしいだろうなと思ったし、この人は本当に名コーチだと思う。ずっと思っていたが、今また改めてそう思う。
試合終了後のなんの場面だったか、セレモニー待ちかなにかで選手たちが並んでいるところで、先発して1回4失点で降板した加藤の横に吉井がいて、吉井が「豪快で気のいい上司」といった顔つきで何かを語りかけていて、加藤はたぶん泣いていて、吉井の方は見ずに、何度も何度も頷いていた。

喫茶店で『すべての見えない光』を読もうとしたが店にいたのは僕の他はおそらく30代のマスターの男性と常連で自身も飲食店経営をしているおそらく30代の男性で、僕はいちばん遠いテーブルにいたが大きくはない店だったので会話が全部聞こえた。常連の人の話し方がとても苦手な話し方で、エピソードの描写の手順といい、声のトーンというか話し慣れた話し方といい、とても気に障った。
頼んだものが運ばれてきた。マスターはそれを僕のテーブルに置いた、と、次の刹那振り返りカウンター席の常連めがけて声を発する。話の続きを始める。ちょっと早すぎるぜ、もう2テンポくらい待とうぜ、と僕は思った。そのあとマスターの恋人が店にやってきた。常連の男性が最近の「シンクロニシティな」話をし続けて、マスターと恋人はひたすら聴衆になっていた。「すごくない?こんなことある?」常連の男は言う。たしかに「すご~い」としか反応しようがない話だった。聴衆にできることは「すご~い」と言うことと笑うこと、「鳥肌たちました」ということと「引き寄せの法則だ」ということくらいだった。それが30分くらい続いて、終わる気配はどこにも見当たらず、本は開かないまま店を出た。
ネットでの評判はどこを見てもいい店という感じだったのだけど、たぶん一番間違ったタイミングで行ってしまったのだろうなと思った。ただ先述のマスターの置き方、あれは状況やタイミングのせいにできる振る舞いではないので、その程度の人がやっている店であるというのは間違いないことだった。

自転車でぐるぐる走ったあげくに蔦屋書店に行った。スタバでカフェラテを買って適当な席について『すべての見えない光』を読んだ。

ゆっくりと、ありがたいことに、世界は落ち着く。外からは、軽く、ちりちりという音がする。通りに落ちていくガラスだろうか。その音は、美しくも、奇妙でもあり、あたかも、宝石が雨となって空から降りそそいでいるかのようだ。 アンソニー・ムーア 『 すべての見えない光 』(p. 96)

フォークに取ったバターを、小さく熱いジャガイモのなかに入れるのだと。エシャロットやマッシュルーム、固ゆでの卵とベシャメルソース。コーヒーと煙草。 同上(p. 107)

シンプルな食事でいいと思いつつ、たぶん卵とベシャメルソースがどうなっているのかが僕にはピンときていない。

少年がドイツのエリートな学校に入るための入学試験で高いところに上がって飛び降りるシーンがある。少年は覚悟を決めて誰よりも上手にやる。落ち、立ち上がると、ハイル・ヒトラーと大きな声を上げる。それを見て、命を賭して獲得してしまった仕事なり立場、そしてそこでたとえ指示通りでしかなかったとしてもやっていたこと、が実はとても間違っていることだったと認めることは、それを獲得するために命を賭すことよりもずっと困難な、強い強い意志が必要なことなのかもしれないとふと思った。全部を否定しなければいけないというのはたぶん、ものすごい苛烈なことだ。

ラジオからは音楽が螺旋になって流れ出し、彼女はすばらしい気分になって長椅子でまどろみ、体は温かく、食事もして、文章に抱き上げられて別の土地に運ばれていく。 アンソニー・ムーア 『 すべての見えない光 』(p. 137)

マリー=ロールの視点、というか嗅点・聴点・味点・触点、から描かれる章は本当にみずみずしく、うつくしい。視力のない存在を立脚点にするという書き方の制限は、小説をむしろこんなにも鮮やかにするのか、と驚く。いちいちに感嘆する。

とてもとても面白く読み続ける。蔦屋書店は僕にとってこれまで、というか一時期、2階のラウンジのanjinに仕事のあとに行って酒を飲み飲み本を読むをおこなうという場所だったのだけど、今回、ここは公園だったんだ、ということが初めてわかった。蔦屋書店は公園だった。

たまに喫煙所に煙草を吸いにいった。蔦屋書店の喫煙所は暗くなるととても暗くなるところがなんとなくいいと思っている。まったく光を与える必要のない場所、という扱いがいい。ベンチには3人の男女がおり僕はその横にちょこんと座った。
「本当に好きな人の前だと緊張しちゃって私全然しゃべれなくなるから。緊張すると飲み物の話しかできないから私。気をつけて。超つまらない女だなって。飲み物大丈夫?もう飲みな~って。1時間に1回くらい聞いてるらしい。」
「へ~BBなんだ。AAとか合わないとか言うけどさ、結局長男とか次男とかいろいろあるじゃん。」「四男いいね、四男やばいね、長女だから私。でも四男だとほんとにお母さんになっちゃいそう。あぶない」
話している調子であるとか話されていることであるとかがとてもよくて、好感しか覚えなかった。すごい面白いですねと口を出したかったがしなかった。
そのかわりといってはなんだが、面白すぎて、笑いをこらえながら急いでメモを取った。「気をつけて」というのがとてもよかった。他の二人に何を忠告しているのかが不明すぎて、とてもよかった。こういう一言は本当にとてもいい。それにしても、会話の内容がすぐ横で記録されていることにその場で気がついた場合、彼女たちはどんな反応を見せただろうか。存外楽しくなれたかもしれない。

10月19日

先週おこなった献血のときの血液検査結果が届いた。Excelにそのデータを入力した。それにより4回分の推移が見られるようになった。22年8月、27年1月、28年7月、28年10月。赤血球数が400前後で正常値の430〜570よりいくらか低いことと、28〜34が正常値のMCHが34.5〜35とかすかに高いこと、4回全部がそうなっている、それ以外は27年1月のMCVが上限102のところ103になっているだけで(これは他の3回も限りなく102に近い)すべて正常値の範囲内で、大きな動きを見せている数字もない。

『すべての見えない光』がずいずいと読み進められている。昨日はいくつものページが折られながらだったが、ここ数十ページはまっさらなまま読み進められている。パンチラインが少ないのだろうか。ともあれとても面白い。
小説はやっぱりいいな、みたいなことを思いながら読んでいる。フォークナーのときはそういうふうには考えていなかった、たぶん、フォークナーはそれなりに負荷みたいなものを感じながら読んでいたのだと思う、『すべての見えない光』を読むのはストレスがないのだと思う、どちらがいいとかそういうことではない。

10月20日

早起きをするといつも「無駄起き」と思う。昼からすでに眠い。映画を見に行こうかと思っていたが眠いであろうこと等考慮して行かない。そういうことになるから無駄起きというのは間違いないと思う。『マーケティング基礎』を読む。「エフェクチュエーション」

気持ちがゆるむとき、未来のいつか、自分がリンツの総統博物館に並ぶ柱のあいだ、大理石の床の上をつかつかと歩いていき、たそがれの光が高い窓から注いでいる光景を想像する。 アンソニー・ムーア 『 すべての見えない光 』(p. 258)

ここを読んだときになぜか初めて、今読んでいるのが「すべての見えない光」でその前に読んでいたのが「八月の光」という、光続きの読書になっていることに気がついて愕然とした。これまで一回もそれを考えなかった鈍感さに愕然とした。

黒沢清の『ダゲレオタイプの女』を見た。ユースキンをベタベタ塗ってから見た。B列にした。シネマカリテはA列かB列が正解だと思った。コンスタンス・ルソーがとにかく魅力的な顔でずっと見ていたかった。キョロキョロと落ち着きなく揺れる眼球が、なんだかすごい力をもっていて惹き寄せられた。男たちが憔悴してく姿は僕は苦手で、それよりもずっとあの顔を見ていたいと思いながら見ていた。不思議な手触りの映画で、それはとてもよいことだった。

夜、自転車が気持ちよかった。

10月21日

去年のドラ1の上原がなんの試合だったのか(日本シリーズではない)、好投したというニュースを見た。7回2失点くらいだったような印象。そういう夢を見た。上原も気になるが、それよりも上沢。上沢、どうしているのか。それから中村勝。中村勝、どうしているのか。この二人の活躍している姿を見たい、と何年も思い続けている気がする。というか、この二人が活躍したら日ハムはもっと強くなる、と去年は思っていた。そう思っているうちに有原は別としても高梨や加藤が出てきて活躍した。なお、上沢は今年の春に手術をした模様。また、去年はそこそこ一軍でも投げていた模様(5勝6敗)。全然そんな記憶がなかった。『マーケティング基礎』を読む。「マーケティング・ミックス」「マーケティング・リサーチ」

夜、読みたい本が2冊できる。『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』『ボビー・フィッシャーを探して』。

夜、ビールを飲み飲み『すべての見えない光』が進む。緊迫感が増してくる。

彼は振り返る。「なにもない」と言う。なにもない。 アンソニー・ムーア 『 すべての見えない光 』(p. 402)

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