フヅクエの夏休み

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夏休みは取るのか取ったのか、ということを問われることがしばしばあり、取っていないしこの先その予定もないと答えることがもっぱらなのだけど、なんとなく毎日がうすぼんやりとした夏休みのような気がする、という言い方ははたして強弁でしかないか。
日々、特に気を張ることもなく、引き締めることもなく、目指すべきいただきもなく、かなえるべき夢もなく、果たすべき約束もなく、ぼんやりと漫然と暮らすこと、そのような時間が休暇と呼ばれるならば、僕のこの日々を休暇と呼ばずしてなんと呼べばいいか。そんなわけで永続的な休暇の日々を暮らしている。
おとといくらいの晩から、ふと読みたくなって夏目漱石の『それから』を読んでいる。たしか大学時代に漱石は新潮文庫になって出ているやつはどれも読んだはずですこぶる面白いと記憶していたけれど、久しぶりに手に取ったそれはまあなんというかすこぶるの2乗くらい面白くて、パンチラインだらけでページ折りすぎてもはやなんの目印にもならなくなるし、ここまで折るとむしろ折られていないページのほうになにか意味やしらせがあるようにさえ思えてくる。その程度に面白い。
主人公の代助は30歳の男でぷらぷらと暮らしていてこの小説のなかにその言葉が出てくるのだったかわからないけれどいわゆる「高等遊民」という存在で、「麺麭(パン)に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない」とか「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ」とか理屈をこねて働かないマンでいようとし続ける。(世のパン屋さんは「それから焚書運動」を展開したほうがいいのではないだろうか)
100ページくらいの時点で代助がやった活動といえば家で書生と新聞小説のことを話すか旧友の家を訪ねるか実家を訪ねて父や兄嫁とお話するかパーティーみたいなやつに出席するかといったところで、おちこんだりもしたけれど、私はげんきです、といった感じで悠々自適そのもの。
たぶん自分が今同じ30歳ということもありそうなのだけど、そんな高等遊民の代助さんを見ながら思ったのは「あー俺も遊民みたいな感じあるかもなー遊民は遊民でも高等遊民でなく下等遊民だけど」ということで、この好き勝手ふらふらと誰に何を強制されるわけでもなく暮らしている感じはわりと遊民感があるかもしれない、ということで。
(今「遊民遊民」言っていてはたと気がついて慄然としたのだけど、なんでさっき『魔女の宅急便』のキャッチコピーが出てきたのかしらと思ったらまさかの「ゆうみん」からの「ルージュの伝言」からの『魔女の宅急便』だった模様…
なおついでついでにもう一つ加えるとキャッチコピーの文言どれがひらがなでどれが漢字なんだっけなというのを確認しようと検索していたのだけど、そのときの検索ワードが「魔女の魔法使い わたしはげんきです」になっていたのに今さっき気がついてやはり慄然とした。)
そういうわけで張り切って歌っていただきましょう、下等遊民で、「パーマネント・バケーション」。
というところでイントロが流れ始めたわけなんですが、下等遊民たる僕がしている経験はでは贅沢な経験かといえばそういうわけではなくむしろ圧倒的にパンに関係する経験で、つまり日夜労働に勤しんでいるわけなのだけど、だのになんでこんな遊民感があるのかといえばたぶん嫌じゃないからなんだろうなというところで。働いている時間に人間の甲斐を感じているからなんだろうなというところで。朝起きて「今日店やるのやだなあ」と思ったことがたぶんない。だるい、なんか疲れた、眠い、そういうことはいくらでもあるけれど、それは休みの日に映画を見に行くとか友だちと会うとかそういう局面でもあるのと同じようにあるだけで、だるい、なんか疲れた、眠い、だから「映画を見るのが嫌だ、友達に会うのが嫌だ」ではないようにだから「店に立つのが嫌だ」ではない。なんというかだから、僕にとってフヅクエで働くのは働きではありながらも遊びでもあるに違いなくて、そうなると日々僕は遊ぶ民として存している感じという感じなのか、という話だろうか。
なんかこう書くとずいぶん悪くない響きはあるんだけどね、まあそれもものごとの一面でしかないのもまた確かで。
労働の量というか自分を労働の場に拘束している時間の長さはやっぱりちょっと長すぎるし、フヅクエは週1は休んでいるけれどその日だって昼の定食屋をやってからの休みだから半休みたいなもので、まるまる一日休みという日はたぶん半年くらいは一日も持っていない、ましてや長期休暇なんぞ、という感じで取るメリットが感じられないしこれは怠惰の一形態なのだけど休んでまでしたいような欲望を持ち合わせていないというか、だいぶ前にも書いた記憶があるけれど休むことって得る金を減らすことだから(勤め人の方は「自由に休んでいいけど有給休暇制度はない」という状況を想像していただくと想像しやすいと思う)、いや全然好きに休んだらいいけどさ、休んでまでしたいことある?お前の趣味って読書とか映画とかでしょ?それ今のままでもじゅうぶん満喫できてない?ましてやまとまった夏休みなんて取りたい?なにしたいの?そこまでして行きたいところとかある?だって金めっちゃ減るうえにそのあいだビタイチ入ってこないんだよ?その月真っ赤っ赤になるけどそれでも行きたいところとかってどこ?そこ行って何したいの?読書?え、読書なの?wwww
みたいな。たまに思う。ぜんぜんうまく生きられていないよなーと。
いや、そっか、だから、なんかこう、自分の働きが褒美に値するとは感じられないみたいなところもあるんだろうなというか。いやいやお前そんな働きでどんな褒美を求め得ると思ってるんですかwwwみたいなところはあるんだろう。せいぜいブラックサンダーと銭湯くらいの価値、というと無意味で過剰な自虐になっちゃうのだけど、週1休んでそのとき好きなように遊べばいいわけだし、あるいは相手の都合が付きさえすれば人と飲むのなんて仕事のあとでもいいわけだし、そのくらいのところだろうお前の労働に対する報い、くらいの感覚なのかもしれないな。なにもやりきってないやつがなに言ってんの、みたいな。
見事に暗い感じに着地したなw いやそんなに暗い気分はないつもりなのだけど、まあなんだろうなこれ、「来年は夏休みを取るぞ!」みたいなところなのかな。やっぱ取りたいのかな。
なんだろうな、なんかなんの話なのかさっぱり見失ったな。「真人間」ということをしばしば思う、真人間になりたいなあみたいな、そういうふうに思うのだけど、そのとき見える景色におおいに影響を受けている感じがして、なんかこう、自分の幸せであるとか暮らしのまっとうさくらいは自分で決める尺度を持てないとしんどいな、という気はしている、っていう、えwwww なんの話だったんだこれwwwww
まあそんなわけで『それから』ほんと面白いわ、千円札になってる場合じゃないわ漱石さん、不穏当すぎるでしょこんなの書く人がお札の顔とか、あもう別の人か、よかったよかった、という感じです。