本の読める店

約束された場所

Entry blog fuzkue367

先日宇宙というか「畏敬…」という感じの店に酒類を飲しに行ったところプレディクタブルという言葉を特に悪いことがあったわけではなく一つの事実として思い起こしていた。プレディクタブルは予期可能性みたいなそういうやつで以前にどこかで書いたけどスタバのよさはいつでもどこでもあのスタバというプレディクタビリティによる安心感みたいなそういう話で、つまりあの場所に行けばこういう時間が体験が味わえるという安心感安定感の総体みたいなそういうものを指す語かと認識しているのだけど、今回その店に3回めとかで行ったときに初めて常連さん的な人がいる状況に出くわして、「ああ、そうだよな、常連さんというのがいるんだよな」と思ったというか。
僕にとっては非日常のというか「畏敬…」という場であって前回行ったときなんかはカウンターに座っていた5人とか6人とかの人間がみなその時間を「なんかこれはすごいぞ…!」という感嘆というか「畏敬…」という気分を持って味わっていたし友だちと一緒に行ったにも関わらず僕らはほぼ話さないでというか二人して「畏敬…」という感じだったしで、なんというかそういうモードがあの場にはどうやっても充満するのかなと思っていたのだけど、今回行ったら日常的にその場所を楽しんでいる方というのがおられて、そうすると空気もまたゆるやかになって、そのゆるやかな状況というのを初めて今回体験して「そりゃそうだよな」と思った、という話でしたというか。
バーとか小さい酒場とかってほんとうにどういう人間だったら楽しめるものなんだろうか、という議題はあって、そのときのあれとしてはプレディクタブルじゃない状況を楽しめる人間がいちばん楽しめる場所なのかもね、ということになった。約束されていることがあるとしたら「おいしいお酒」の一点でそれ以外の要素を、例えば「前回そうだったようにお店の人と今日も超しゃべるぞ!」とかそういう要素を目的に抱えてしまった瞬間にたぶんバーとかに行くのは苦しくなって、なぜならそれは実現されない可能性がいくらでもあるからで、無数の未来が前途に明らかにあるからで、だから目的を限定せずに目的に縛られずにその時々に変動する状況を楽しむ気構えがある人間が楽しめるのだろう、というか。

そういうことを考えているとどうしてもフヅクエのことを考えないといけないのはフヅクエという店をやっているから当然なんでしょうけどそこでフヅクエである、みたいに思ったりもするわけで、上のことはお酒の店の話として書いたけれども喫茶店でもカフェでも変わらなくて、私は本を読みたいとする。ある店において、あるときは静かに読めた、しかしある時のある席ではそうはできなかったなぜなら横の席の人が話していたから、この時もその席でなくあの席であれば静かに過ごせたなぜならそこまでは声が届かなかったであろうから等々、その遊びを「リスク」という言葉で考えてしまう私のような狭量な人間にとってはフヅクエのような形は最強のものに思える。

どのように過ごすかという点において、モードを強制することはできない。しかし行為を規定することはできる。行為がひとたび規定されてしまえば「空気を読む」という難問と向き合う必要もない。ただ作られた枠のなかで自由にすればいい。掟が人間に自由を与える。掟が私たちに約束を与える。

「話すことはあまりよしとされない」というふんわりとした空気ではなく「話すことは不可である」という掟があることで初めてフヅクエは約束された場所になっていて、この強固な約束感の最強感はすごい。プレディクタブルの極地みたいに約束通り今日も明日もあさっても静か。

約束を守るというのは嘘をつかないということだ。

看板を出してから、やはりwebを通過しないで上がってこられる方は増えたはずで、扉の横の注意書きには「一人の時間のための店です」「ゆっくり過ごしていただくための店です」と2つの項目を挙げてそれぞれについて短く念押し的な文章を添えているわけだけど、それを見ただけで「ほうほうそうなのね」と入ってきた方の中には驚いたり面食らったりする方がやはりおられるのではないかと思っていて、なぜなら入ってみたらあまりにも字義通りにその通り過ぎることに本当に実際にそのようになっているからで、そこには遊びも揺らぎもなく、どの単語どの文字を取っても一文字たりともが嘘をついていない。たぶん人は商店なりサービスの提供者なりから微妙に約束を破られることに慣れすぎていて、本当に字義通りにすべてがその通りであると逆に驚くようになっているんじゃないかと、なんとなく思うのだけど、そういう意味でフヅクエが掲げていることには僕の知る限りは嘘が混ざっていない。はずで、であるべきだと思っていて、

しかし一方でフヅクエのその遊びのなさというのは貧しさではないのか?バーであったり小さい酒場であったりのプレディクタビリティの低さそこにある遊びや揺らぎノイズのなかに豊かさが芽生えるのではないのか?いや遊びのなさと貧しさは直結しないのではないか説 掟自体が豊かでさえあれば

眠くなったのでおしまい。これ「一喜一憂しかしない」というタイトルで書き始めたのになんかおかしなことになった。昨日も今日も惨憺たるものでどんどんねむい。眠気を

写真は素敵うつわに立てかけられたパウンドケーキの切れ端。

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