臆病さ

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例月と比べて初めて来られた方率が今月は高いような気がなんとなくしていて今わたしのだいすきなExcelで数字を見てみたところ全体に占める初めて来られた方率は過去4ヶ月の平均よりも11%も高い!ということが判明した。Excelはいつだって俺を楽しくさせてくれる最高の相棒。無人島になにか一冊本を持っていくとしたら「先生すいません本じゃないんですけどExcelでもいいですか?」とは、さすがに言わない。しかしその場合なに持ってくかな。『2666』とかかな。長いし。枕にもなりそうだし。無人だと思っていたら住人がいて矢とか射られても胸ポケットに入れておいたので防弾というか矢から命を守ってくれたうえに「毒矢が刺さったのに死なない男がいる」ということで集落は騒然としてのちにその功績を認められ島の神として崇められて安泰な生活を送らせていただけるかもしれないし。
でまあ、初めて来られた方率高いのはなんでなのかなと考えてみると看板効果もあるだろうし最近出た本とか雑誌とかの効果もいくらかあるだろうし、喜ばしいことなのだけど、初めての方は初めての方にとっても多少の緊張とか不安とかそういうものがあるだろうと思う。
もちろん全然へっちゃらな人はへっちゃらなんだろうけど、僕とかはわりとあれで、先日も行ってみようかなと思っていた店の前まできて中から笑い声が聞こえてきただけで「うええ…」と怯んで引き返して、いやいや引き返すとかおかしいでしょうわざわざ来たのにとどうにか鼓舞してやっと行く、みたいなそういうあれなので、初めてのところに一人で入るのは少しあれだったりする。そういう人はきっと他にもいるはずだろうから、フヅクエにおいてもそういうあれはあるだろう。
で一方で、初めての方が来られたとき、僕も僕で緊張とか不安とかそういうものがある。この方はこの場所をよしとしてくださるだろうか、この方に階段を上がらせたニーズとこの場所が提供するものは合致するだろうか、そういう不安がある。
説明書きをすごい見ながらスマホでなんか打ちまくっているような様子が見えたりすると、なんかネットに不平不満でも書かれてたりしないかなとか思う。そういうときはブックマークバーに置いている「fuzkue OR フヅクエ」のTwitterのエゴサーチページを開いておいて、そういった不穏な動きがないかときどきチェックする。でパソコン覗いたときにブラウザのタブのところに「fuzkue OR フヅクエ(1) - Twi」とかあると見に行って、そうするとだいたいフヅクエアカウントが11時間ごとに自動投稿している過去記事ツイートだったりする。
でも例えば「フヅクエというカフェに来たのだけどいろいろ意味わからない」とか書かれたあかつきには即座に「何についての意味がわからないでしょうか?お答えするのでよろしければお教えください」とか至近距離でリプライ飛ばすぞ、こちとら臨戦態勢じゃ、みたいな、そんな気分がゼロかといえばゼロではなくたしかにある。これは僕の臆病さによるものだろう。(なお上記のようなリアルタイムディスを見たことはこれまでのところない。これまでのところないにも関わらずこうやって身構え続けているというのがいよいよもって僕の臆病さなのだろう)
で、この僕の臆病な気分を緩和するものがあって、というか僕を勇気づけるものがあって、それは僕にとって馴染みのある方の顔が店内に見られるときで、なんというかこの場所の価値を認め、気に入り、そして何度も足を運んでくださる方の存在が近くにあるとき、僕の気分はずっとずっと楽になる。
たとえば同じ5,6人の方がおられるみたいなわりと見た目としてちょうどいいよねという席の埋まり方をしている状況であっても、全員が初めての方だった場合とその中に1人でも2人でもできたら3人くらいそういう方がおられる場合では気分が全然違って、前者だと僕はわりとアウェーな気分を感じたりなんか落ち着かないすわりが悪い心地になったりすることもあるのだけど、後者だとどっしりと鷹揚に構えていられるというか、「いやなんか守護されてる気分すわー大丈夫大丈夫いい店いい店なんせこの人たちがいるんだから」みたいに感じている。そこにいるそれぞれのお客さんにとってはどのみち言葉を交わしたりするわけではないから周りにいる人が初めての人だろうがそうでない人だろうが関係ないだろうけれど、僕にとってというか僕が見る店の景色の見え方はだいぶ変わってくる。
そういうときであれば仮に不満たらたらみたいな顔で帰っていかれる方がいたとしても「そうですか、それは残念でした、でもこちらをご覧ください、こんなふうに気に入ってくださる方がいるというこの光景を、この場所での時間を享受する方々の姿を。あなたはここを気に入らなかった、それは残念なことだ、双方にとって残念なことだ、でもそれは合わなかったということでしかない、そうお思いになりませんか?ネガティブな心証を持つのは自由だ、でもそれはあくまで、この場所と、あなたとが、合わなかった、それだけだ、そうじゃないですか?否定的言辞を弄する際はよくよく気をつけてくださいね、往々にしてそれは発する主体の理解や認識や想像力の貧しい枠組みをそして限界を露呈させるだけのことになってしまいがちですから…」みたいに思えばいいやみたいな感じで、どーんとしていられる。と書いていて思ったけれど全然どーんとしていないwww
まあともあれ、気に入って何度も足を運んでくださる方の存在には、こういう形でも助けられているのだな、自信と安心を与えてもらってもいるのだな、というのを、今月なんだか改めて知った気がした、という話でした。
あと最後に、看板出したときにこれは考えたのだったけど、なにも知らずに上がってくる方への対策というか怪しい店じゃないですよまともな店ですよアピール的なあれとして、フヅクエを紹介いただいている雑誌とかのページに付箋とかつけて目につきやすくして「これら!見て見て!載ってるから!実はここいろんな雑誌とかで紹介されてる店だから!あなたはそうは思わなかったかもしれないけれど、そうだから!!これら物証だから!!!」みたいなことをしようかなとか思いついたということを付言して終わりにしたい。僕の権威主義的な性格がよく表れている話。まあ雑誌がまだ多少でも権威を持っているのか、威光を放っているのか、わからないけれど、外の声に補強してもらいたい!みたいな。かっこ悪すぎるのでさすがにやらなかったけれど、そんなに素のままじゃ人に受け入れられにくいと思っているのかなしかし。自信は持ってやっているのになんなのかなこの感覚は。本当に臆病というか、いろいろに支えてもらわないと立っていられないこの感じのクソ情けなさ。みたいなものはあるよなあ俺。というのをわりとひしひし感じた今月でした、今月は総じていい月でした、という話でした。