雪の日

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今朝は東京でも雪が積もりましたね。公共交通機関の乱れ等で朝からみなさん大変だったのではないでしょうか。かく言う私は昨晩遅くに「あ、本当に雪が」と思い、ワクワクしながら眠りについたのですが、起きたときにはすでに雨に変わっており、路上に残るベチャベチャとしたものを踏みながら「サンダルは失敗だったな」と思ったものです。
去年も一日、雪が降った日がありましたね。私は映画を見に渋谷に自転車で出る予定だったのですが、急遽予定を変更し、バスで渋谷に向かいました。一年前の私は春になって股ぐらが破けるようになるまでハーフパンツを履いていたため、その日もやはり素足のうち50%ほどの部位を露呈する格好でした。待ち合わせた友人は、なぜ目の前のこの男はこんな格好で出歩いているのか、という疑問を解消できないような顔つきで私を見たものです。当の私は平気な顔でした。その時分に口癖のように言っていた「下は寒くないんだよ」という言葉をそのときもきっと言ったことでしょう。
あれから一年が経ちました。時間は、季節をめぐらせ、また似たような、しかし決定的に違う「一年後」を到来させます。変わるものは変わり、そして変わらないものは変わらない。当然のようですが、今朝雪道を歩いていると、そんな当然のことが強い実感を私に与えてきたのでした。
今年の私はあたたかいです。ニュースなどでは暖冬と聞きますが、去年はなんでもなかった寒さが、今年の私には大問題でした。それでも洋服屋さんが大の苦手である私は我慢しながら暮らしていたのですが、とうとう年の暮れ、さんざん渋ったすえに洋服屋さんにおもむき、「私の現在の格好は私が所持する衣類のすべてと等号であると考えてよろしい。ズボンの丈が短く足が寒いため、長ズボンがほしい。また、ジャケットの下が半袖Tシャツでは寒いため、このあいだに着るものがほしい。ジャケット、リュック、サンダル、現在のこれらに合うそれらを見繕ってほしい」と店員の方に依頼し、灰色の長ズボンと黒色のセーターを購入しました。セーターというのは、とてもあたたかいものですね。私はこれまでセーターというものとは無縁の人生を送ってきたように思います。30になり、初めて着用してみて、「これはずいぶんといいものだな」と思わずにはいられません。
そうそう、今日の夕方、雨が上がったあとの町を歩きました。それまでの沈んだような暗さが嘘みたいに空はすっきりと晴れ渡り、冬の夕日が濡れた路上に降り注いでいました。近くで眺めたらきれいなものではないであろう雪の名残も、少し離れて見れば、熟れた柿のような濃い橙色を帯びて輝いています。艶めいた真っ黒のアスファルトのなかに配置されたその様子は、そのときの私の目にはどうしようもなく美しいものに映り、いたく胸を打たれました。
少し書きすぎましたね。そろそろ筆を置くことにします。
明日になれば雪は消え、道路も乾くことでしょう。何事もなかったかのような顔をした道を、凛とした冷たい空気と太陽の光を喜びながら、私はまた自転車で漕ぎ出したいと思います。それでは、また。
2016年1月18日
という、これ「いい接客わるい接客」という仮タイトルで書き始めたんですけど、最近の「営業中になんとなく開いてちょびちょび読んでいく本」であるところの星野道夫の『旅をする木』を模した感じで書き始めたらなんか続いちゃったので仮タイトルの内容には至りませんでした、なんなんだろうこれ、という話でした。