コーヒーと救いとホットケーキ

306.png
土日はだいたい昼飯を食べそこねてあとで深く後悔する。16時からの8時間のうち6時間くらいは空腹との闘いになる。頭がぽーっとしているけどこれ風邪かな?とうとう引いたかな?と思うがそれはたいてい空腹でしかない。
今日は1時くらいから仕込みがおこなわれ、3時前には終わるというか「終わったということにして構わない」という状態になり、それまでになんとも言えずなんとも言えない気分を蓄えてしまったため、外の空気を吸う必要が明らかにあると判断され、近くのコーヒー屋さんに向かった。そこで「日曜だしきっと賑やかだからどうでもいいものを」と持参していた中原昌也の『知的生き方教室』を開くも、たちまち笑いをこらえる状態におちいったためすぐに閉じ、コーヒーを飲み、店に戻ってきた(それから仕込みを再開して16時に開けた、今17時29分)。
先週も同じことをしようとした。仕込み済んで、なんか「あ'〜〜〜」と思って、15時20分。開店まで40分。準備は万端。10分でコーヒー屋さんに行き、5分でカフェラテが供され、5分で飲み、10分で帰る、30分で戻ってこれる、大丈夫、と判断して行ったら催しものがされており長蛇、「これは」と思い踵を返した。建物タッチして帰ってきました〜、といった格好。
何が言いたいかっていうと去年の今ごろに書いたやつですけど、「一杯のカフェラテ」っていうやつ、これと一緒ですけど。要はカフェラテっておいしいですよねということなんですけど。というか。
なんですかね、コーヒーやらカフェラテやら飲みに行くくらいなら昼ごはん食べて営業に備えればいいのになとも思うのだけど、そのあとに陥る苛烈な空腹のことなんてまるで無視してわざわざ5分10分のほっとひと息を得に行くこの感じってなんなんだろうなというか。いろいろ勘案した結果「それは必要だ」と思って行くこの感じ。「行っておかないと一日が沈む」くらいの切迫したこの感じ。
というか、こういったブレイクタイムというか、一日の流れをプツっと一回切って淀んだり濁ったりしたあれを修正するというかあれするそういうタイム、というのって本当にすごい力がありますよねというか、僕はなんというか「あ'〜〜〜〜」というときに向かえるコーヒー屋さんがあることで大きく救われているような気がしていて、だから一つの店が人に救いを提供しているのだから、それって大したものだなあと。
ごちゃごちゃと最近なんかいっしょけんめいなにかを定義しようとダラダラぐちゃぐちゃと書いていたけれども、誰かにとって心地が悪かったり誰かにとってどうでもよかったりしても、その存在によって救われる人が一人でもいたら、店とか場みたいなものはぜんぶ完全に正しいような気がする。もちろんそれで続けられればなおよしだし、続かなくたって救われたことが嘘になるわけじゃないのでよしだし。
フヅクエはそういうブレイクな感じのタイムの感じではない、基本的にはある程度以上まとまったタイムのあれだから、僕が今日とかに味わうようなタイプのあれはあまりないというか性質はまた変わってくるだろうけど、この場所この時間ならではの、提供することのできる、提供というか化学反応というか何かそういった救いに似たあれはあるはずなので、そういったあれが一人でも多くの方に受け取られたらいいというか、何かそういうあれが発生していたらいいなと思う。
なお、空腹に関してはとても我慢できるものではなくなったため、「どうしよう…?」「米はあるけど米って感じじゃないんだよな」「コンビニに走ってドーナツでも買ってくるか?」「粉が食いたいってことかな?」「小麦粉とかはあるけど?」「小麦粉で作れるもの…」「ホットケーキ?」と思ったためレシピを調べたらあるもので作れることが知れたため、そしてアホのように暇だったため、真心込めてホットケーキを焼きました。ホットケーキ焼くなんて50年ぶりくらいの気がしたんですけど簡単で美味しいですね。あとレシピ見たら「バニラオイル」とあり、「バニラオイルありますあります」となって、なんかよく焼いたりするあれならいざしらずですけど普通の家庭じゃなかなかバニラオイルなんて常備していないだろうし、飲食物を提供する店をやっていて本当によかったなあと思いました。