いいわけではない時間

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今日はいい時間といいわけではない時間のいいわけではない時間の方のことを書こうかと思うのだけど、なぜなら今がいいわけではない時間のただなかにいるので考えやすいので。
昼前、定食屋の準備をおこない、川越さんに「じゃあよろしくお願いしますねー」とか言ってバトンタッチな感じで店を出て、どこ行こう、何しよう、って考えて、それでいつも「んー」とか、考えているふりだけして考えていないので考えないまま路上に放り出されるような格好で、図書館か近所のコーヒーチェーン店に行く。
図書館に行くときは自転車で、コーヒーチェーン店に行くときは徒歩で、なので自転車を持って行ったかどうかで川越さんは「はは〜ん、今日は図書館だな」とか思える仕組みになっているんだけど、たまにフェイクをかまして自転車を担ぎおろし、しかしすぐそばに停め、コーヒーチェーン店へ、みたいなこともおこなわれる。
これは別にフェイクをかましたいわけではないというかかます必要なんてないわけなんだけど、何かしら理由があっての行動のはず。
それで図書館に行ったら静かに読書(タンブラーに入れて持参した美味しいコーヒー飲みつつ)、コーヒーチェーン店に行ったら何かしらパソコン開いて何かしらでときおり読書、みたいになるのだけど、どっちも別にいい時間じゃねーなーこれ、と感じながら過ごす。
図書館は図書館で、なんかこう、寝に来ている人とか、風貌から察するに(この察しが間違っていたら申し訳ないのだけど)屋根を求めての人とか、あとは猛烈に勉強するのはいいと思うんですけどそのペンをリリースするたびにコロコロ転がす音立てたりやたら紙の音立てるスピーディーなめくり方するのやめてもらえませんか?本当に不愉快というかここお前のオフィスなり勉強部屋なりじゃないんですけど?公共の場なんですけど!だからそれやめてもらえませんか!!xxxでもxxxしてろ!!!っていう人とか、たまに見るのは新聞を見ながらアジアのどこかの言語をずっと話しているおじちゃんとか、そういう人々の巣窟なのでなんかこう、浮かばれない。
コーヒーチェーン店は不便はないのだけど、わたし喫煙者なので毎回喫煙の方に座るのだけど煙くて、ずっといるのは不快というか、とか、クソ喫煙者がなんかほざいてるわー死んでろとか思われているでしょうけど、わかってるよそんなのと思うのだけど、だから毎回喫煙のところの近くの禁煙の席にでも座って煙草吸いたくなったら喫煙の方行くっていうやり方もいいかもなとか思うのだけどいざ店内に足を踏み入れたら気づいたら喫煙のところに座っているし気付いたら煙草に火をつけているしで毎度喫煙の方で過ごすのだけど、なんだろうかね、今日とかはフヅクエブックスの11月号の文章を書いていたのだけど、まあそれはそれで必要な業務である以前に楽しいはずのことだし別段いいはいいのだけど、なんていうかこの時間、こころはべつだん躍らねーなーとか思って。こころ躍らせてーなーとか思いながら。また煙草に火をつけて。
よくはない時間ってどうしてよくはないんだろうなと考えると、一つは僕自身にその時間への期待がそもそもないということ、それからもう一つがそういうモードの人たちの集まりであること、場や時間に対する明るい思いや敬意みたいなものや周囲の人への配慮とかそういうものが前提とされていないこと、そういうところなんだろうかな。割れ窓だらけみたいな。
あと大きいのが「使う」の感覚に満ちている感じというか。いやこれは周囲の人がどうというか僕自身の感覚の話かもしれない。でも大半の人がそうなんじゃないかとなんか勝手に感じている。ポジティヴなヴァイブスの決定的な欠如みたいな。ヴァイブズじゃなくていいのか。
コーヒーチェーン店に行く場合、僕はコーヒーとたまにお菓子なので、220円ないし370円とかでその時間を買い切る感覚で、買ったので、使います、みたいな、完全にテイクの感覚になっている。テイクと書いたのは以前書きかけて書かなかった影山知明『ゆっくり、いそげ 〜カフェからはじめる人を手段化しない経済』で、店にテイクの感じが入り込むとよくないよね、お互いに、ギブ&ギブがいいよね、それ健全、みたいなことが書かれていて、そうだよな〜ガッテンガッテンガッテンとすごい思ったので卓上に据え付けられているガッテンボタンをたくさん押したのだけど、コーヒーチェーン店における僕はテイカーであり。ザ・手段化の権化、というか。使い倒しまーすみたいな、そういう気分でいっぱいです。それが許される(と感じていられる)のは店で働く方々も客を「客」という属性でしか見ていない(ように感じられる)からで、この場所にいるとき僕は「人間」ではなく「客」になっているので、人間的感情みたいなものをよそに置いておくことができるというか。できちゃうというか。
というところでめんどうになったので終わり。