本の読める店

特に何もない

Entry blog fuzkue288

べつだん、1年が経ったからどうということではないつもりだし、その日に向かってどうこうだったつもりなんて1ミリもないのだけれども、それを経たこの数日くらい、あたまがなにもかんがえていない感じで過ごされていらっしゃる。 いま僕は昼間のドトールで、煙草の匂いにまみれながらブリオッシュショコラを食ったところでいらっしゃる。ブレンドコーヒーのSサイズを飲んでおいでだ。あさごはんをたべていらっしゃらなかったためぶりおっしゅしょこらは一気にお食いになった。

考えていることは明日は何を作ろうかなみたいなところで、カボチャのあれであるバターナッツがあるのでそれをポタージュにしようかと考えている、でもスープなんてこれまで出したことがないので、サンドイッチといっしょにセットでみたいな感じが妥当なのだろうかと考えている。それは今日つくられるかもしれない。
まるでこれは飲食店の様相を示しておいでだが、昨日はりんごのパウンドケーキを焼いた。こーぎょくのぱうんどけーきを焼いた。その様子についてはインスタグラムに投稿されたものが下記で、それはインスタグラムのシェアボタン機能を用いてついったーとへーすぶっくに同時に投稿された。これがシェアリングエコノミーと呼ばれるものである。

「今度はりんごのパウンド。というわけで日曜に行った農家たちの市場みたいなやつで紅玉が美味しかったので買ってきていたので作りたかったので作ったのですが、なんというか今日は仕込みをショートブレッド焼くのから始めたところ、いつも通り成形に苦戦して、焼いたころには疲れ果て、焼き終えたころには何もかもがだるくなって、どうせ開けても暇っしょ、どうせ、あとでやりゃいいっしょ、いくらでもやれるっしょ、という自堕落スイッチが入ったため多くのことを後回しにしたまま開店を迎えたところ、「平日っていつも全部でこのくらいじゃなかったっけ?」という数のお客さんが開店30分くらいで来られ、「ほえええ~」と思っていたところ21時にはどなたもおられなくなり、なぜか「野球の神様ってほんまにおるんやなあ思いました」という誰の発言か不明の言葉が何度も去来しながら煮物を作り、チーズケーキを焼き、おかかの佃煮を作り、ハムの鶏肉をマリネし、その勢いに乗って明日焼くつもりだったりんごのパウンドケーキを焼いた次第でした。おいしいといいですね。明日楽しみ。」

つかれたり考えが麻痺したりしているときには改行をしないでぶんしょうをうつこと、変換を余りしないで打鍵を持続させること、そういったことが望ましいらしく、打ちおろす指の動きすら緩慢ではなくともいつにも増して柔らかである。あえかな、という形容動詞あえかだの連体形を用いて形容したいような動きだ。あえかな運指。私はいま、どこかに旅行におもむきたい。おもむいた先で、特に何もしないでも気にしないでいられたいと望んだが実際にその場にいると何かしないとという、せっかくだからどこか観光的なことをしないと、という気になって気持ちが焦る気がするため旅行には行かない。

観光といえば、先日人間の方に教えていただいた『観光』という小説を買ったので2ページくらい読んだが、それを購入した際に同時に購入して先に読みたい気があったので先に『理不尽な進化』を読んでいる。隕石の衝突などの理不尽としか呼びようのないルールチェンジによって適者だったはずのものが適者でなくなるから生存しなくなるから絶滅した、生物の進化と運は不可分です、というのが最初の方に書かれていたような気がした。
シンギュラリティーがどうのこうので人工知能がどうのこうのというとき、羽生さんは「そのときは勝負のルールを変えます」と言った、と友だちの方が教えてくださった。ルールチェンジの話と関係あるかな、と思っていま書いた。その友だちは実証主義がどうこう、実存主義がどうこう、ということを話していらっしゃった。お客さんがフヅクエの本棚に複雑系の本があることを教えてくださった。僕は複雑系が何かわかっていない人間の本棚に複雑系の本なんてあっただろうか、と思ってどれですかと聞いたら『現れる存在』というやつだった、これはすごく面白く読んでいたらすごく難しかったので目で文字を追ってページをめくってめくり終えて「はい完走」みたいになった本だったはずだった。あとはドミニク・チェンの本も指して「この人もそういう人です」と。クリエイティブ・コモンズの人だとばかりおもっていた。ドミニク・チェンはなぜか「ここが変だよ日本人」の、調べたところケビン・クローンという名前だそうだ、の顔を想像してしまう。

特に何もない。のだけど頭がずっとぽやーんとしているぼけーっとしている日が何日か続いていらっしゃる気がしているのでそういった様子をこのドトールで書いた次第だった、スーツを着た方々が一心不乱に喫煙に興じていらっしゃる、その場でわたしはこれらを書かれていらっしゃったのであった、なにも考えない頭にとっていま時間が無駄に余っている感じがしている、ということなのかもしれなかった

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