本の読める店

わくわくしていたい

Entry blog fuzkue178

中根光敏『珈琲飲み 「コーヒー文化」私論』を昨日、マイケル・ポーラン『人間は料理をする(下)』を今日読み終えた。
なんとなく経口摂取するものに関する本を読みたくなったらしく、この2冊を並行気味に読んでいた。
で、両方読み終えて最初に思ったのが、「なんかやっぱりワクワクしてる感じがいいよな〜」ということで。

『珈琲飲み』は著者が大学の先生というか学者さんで、いや、だからというわけじゃないな、それは学者ってものにきっと失礼で、帯に「うかつにも……珈琲に、夢中。」とあるのだけど、その夢中っぷりが読んでいても僕には伝染してこないというか、喫茶文化の歴史的変遷を紹介していくところとかいくつも面白いところはあるし、いくらか「ネルドリップ俺もやってみたいなあ」みたいな気持ちにもなったのだけど、全体として気持ちよく読めはしなかった。
著者の「夢中」というのが肯定に次ぐ肯定というものではなく、あれこれに対する否定をもとに成り立っている感じに見えて、馴染めなかった。

「その店の客として馴れてしまえば余裕も生まれよう。場違いに足を踏み入れてしまった者がメニューを見て青ざめている姿や、知ったかぶりの輩が冷たくあしらわれる光景を横目で見ながら、「またか」とにんまりする悪趣味な優越感に浸ることもできるわけで、それはまたそれで、通(マニア)ならではの、意地悪な愉しみの一つかもしれない」(P299−300)

全体がこの調子で(っていうのは言い過ぎというか悪意ある拾い方のような気がするけれど)、ここを読んだときだけじゃないけれど、こちらのしんどさを思い出した。
サードプレイスを越えて | fuzkue
『珈琲飲み』の著者も『サードプレイス』の著者も、自分は「本物」を知っていて、そうじゃないものは否定されるべきもの、という振る舞いのように見えるし、両者とも物事をなにかと断言したがる。例えばこんなふうに。

「どちらも全くの間違いである。つまり、上記のような珈琲の香味を決定する要因に関する一般的理解は、素朴な誤りを犯しているのだ。正しい答えは、「生豆100%(10割)/焙煎100%(10割)/抽出100%(10割)」。これ以外の回答は全て不正解だ」(P227−228)

100%(10割)の連射っぷりはむしろ面白いくらいなのだけど、何が正解なのかは知らないしなんでもいいけれど、だいたいがこの調子だから僕はなんか気圧されるというか、しんどくなった。(でも色々と「へ〜そうなんですね」ということはたくさんあったし、ここに書かれている喫茶店おれも行ってみようみたいな気になったし、コーヒーに興味ある人は読んで損しないと思う、そんなにコーヒーに関する本読んだことないからわからないけど)

一方でマイケル・ポーランの『人間は料理をする』は、料理の4原則みたいなものを火・水・空気・土として、上下巻600ページくらい掛けて、バーベキュー、煮込み、パン、発酵について、それぞれの分野の専門家のもとで体験学習したり家でコツコツいろいろ作ったりした記録と広範で縦横無尽の知識が織り交ぜられたもので、なんというか、とにかく楽しそうなんですよ、ポーランさんが。
うまくいけば喜ぶし、失敗してちょっと凹んでもめげずに再挑戦するし、「おいしい!たのしい!おもしろい!」という感じで、読んでいて「えーそんな言うなら俺もパン焼いてみたくなってきちゃったんすけど」という気になるというか。
それにとても柔軟というか決めつけがないのも気分がいい。これは発酵ワークショップに行ったときの先生についての描写だけど、そのまま著者にも当てはまるようなところがあって。

「何についてであれ、決して断定はしなかった。彼の答えは「まあ、そうかもしれないし、そうでないかもしれない」、あるいは「イエスともノーとも言える」、「時と場合によるね」、「発酵はひとつひとつ違う」といった調子だ」(P116)

他にも散々本格的な煮込み料理を学んだあとに息子と盛り上がって「今晩は電子レンジナイトだ!」とか言ってスーパーで冷凍食品買い込んで電子レンジご飯を食べるみたいな会とかやるし、なんというか、読んでいて気分がとてもいいんですよ、チャーミングで。

そういうわけで、そういうわけでなのかなんなのかはあれだけど、マニア的な楽しみ方にももちろん楽しさはあるだろうし、ポーラン的な明るさだけ肯定するのも素朴に過ぎるかもしれないのだけど、僕はできるならば明るく愉快な気分でいたいなと、少なくとも今は思うので、ワクワクしたい。
人がワクワクしている様を見るとこちらもワクワクしてくるから、ワクワクして、ワクワクさせたい。と、こうやって書いているとほんとに「ずいぶんと素朴というか、なんなんだその明るさは、無理してないか?」という感じなのだけど、もちろん時にそういう明るさが「まぶしすぎて直視できませんわあまりに健全すぎて」というふうになることもあるけれども、ってなんだこのさっきからエクスキューズの繰り返しは。

ということでどうせならばワクワクしていたい。

「本のこと」の他の記事