本の読める店

遅い人

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(写真は今日作ったクスクスのサラダ。カレーのときにあれする用)

最近いろいろと考えることはあって考えることなんていつだっていくらでもあるわけだけど、進化であったり深化であったりもっと単純に変化であったり、必要等に応じて、あるいは楽しさ等の気分に則って、いろいろをあれこれしていくだろう、と思っている。そういうことを日々考えている、アズ・ア・ヤング・マン。(なんかこれ気に入っちゃった、この中黒点の感じとか)
なんせ生まれたてで未熟もいいところの店なので、今のありようで固定していたら死を待つのみみたいな退屈さに陥るだけなので、変化していく。

で、いろんな方がいろんなことをアドバイスであるとか意見であるとかを言ってくださるわけで、そういうときに「あー俺の思考回路というか思考プロセスっていうか思考システムっていうかってこういうことかー」というのを最近よくよく実感したというか。

だいたい僕は保守的なのか自説を固持したいというか自分が可愛いだけなのか、変化的なものに対して否定から入って「いやいや必要ないっしょ」であるとか「それについてはこういうふうに考えてるから、だからそれはなしっすね、現状」とか、そういう感じで一回はじいて、でもその助言や意見はわりとスルーされるというよりは、そういうつもりではないのだけど自分の中に残って沈んで、みたいな段階があって。
それで何かの折りに「あ、こうしようかな」とかあたかも自分が思い立ったかのように思い立って、実行して、あとから「あ、そういえばこれって前にあの人が言ってくれたやつへの応答だ」みたいに気づく。

なんというか、拒んで、忘れて、沈んで、育つ、みたいな感じで、ふとしたところでそのご意見、問い掛けが自分の中でリアリティを獲得するという感じなのだろう。
まあ自分なりにちゃんと受け止めてるんだな、というのは良いところだろうしけっきょく人に影響されやすいんだなというのはもしかしたら弱いところだし種を植えてもらったこと忘れて我が物顔というのは非常にまずいことになりかねないことだなと、忘恩の徒というか、というそういうことを最近ふと考えたというかやっとリアリティを持って自分の変化の仕組みがわかったというか。

思えば、これは否定から入ったことではないけれど、ウイスキーの飲み比べというのもお客さんから「今度ウイスキーの飲み比べしようよ」とお誘いいただいていて、「それ楽しそうだなあ!ぜひぜひ」とそのときに思って、忘れて、チャリ乗ってて、「あ、飲み比べしよう!」と思い立ったみたいな、そのときのアイデアソースは直前に行ったコーヒー屋さんのコーヒー飲み比べだとばかり思っていたのだけど、あとから考えたらそのお客さんのお誘いが初めで、その種が自分の中に沈んでいたんだろうなと気づいた。
ま、いいよねなんでも。

そういうわけでアイリッシュウイスキーの飲み比べセット的なもの、ご好評いただいております!(っていう流れのつもりじゃなかったんだけどな。しかもご好評とか真っ赤な嘘。まだ一回しかご注文いただいていない)

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